第7話 カミナヲビ
夜と、炎の橙に照らされながら、ビルの狭間にそびえ立つのは50メートル超の姿であった。その出で立ちはイズノメよりもずっとヒトガタに近い滑らかさを持ち、まさに『巨人』の二文字が相応しかった。間近で見たものは、目眩に似た認識の狂いを覚えるだろう。何故ならそのプロポーションは、あまりにも『人間』だったからだ。
しかし、それでいて、その姿が夜闇に溶け込まぬのは、ぬるりとした局面の四肢や胴体各部に亀裂のようなラインが走り、その狭間から機械然とした灰色の意匠が見え隠れしている上、人体における胸の中央部に、太陽の如き真円の『炉』のようなものがあったからだ。それは淡く赤熱しながら、シリンダー状の内部を回転させていた。
だが――彼は動かない。茫漠と立ち、マガツに向き合っているだけだった。
それを見逃すマガツではない。
彼の口がガバリと開き、セフィロト状に分裂した触手が地面を切り裂きながらドライヴ、巨人に向けて殺到した。
打ち据えられたビルの群れが倒れていき、大地に振動を与えるなかで、その鞭状の肉が、影の漆黒の四肢にからみつく。巨人はびくりと身体を震えさせながら、その拘束を受けた。動かなくなった四肢はみしみしときしみ、彼は大の字になって静止する。
マガツはそのまま、じりじりと全身し……人間そっくりに静かに悶える巨人に向け、口をさらに開いた。
そこから炎が迸った。
それは触手を伝いながら……『カミナヲビ』を、巨大な爆発とともに包み込んだ。
「しまったッ!」
画面越しに、川越が叫んだ。マガツの眼前で、天を引き裂くような火柱と黒煙が上がる。
衝撃は、人々にも伝わっていた。誰もが息をのみながら、その紅蓮と漆黒を見つめていた。マガツの先――炎に包まれた彼は……。
――静寂。
◇
黒煙を突き破って、巨人の顔が姿を見せた。
――直次は顔を上げる。前方を、脳裏に浮かんだ眼前のマガツをにらみつける。痛かった。死ぬほど痛かった。だけど平気だ。俺は今、俺は今――。
彼の頬に、涙腺のようなラインが浮かび上がる。その目が真っ赤に染まる。
同時に、彼の殺意に呼応する如く、カミナヲビのアイセンサーが、人間を悪魔のカリカチュアにしたかのようなその相貌に備わった一対の瞳が、獰猛に赤く光り、さらに前に進んだ。
赤い光の帯は鋭角に枝分かれしながら後方に伸び、その身体が完全に黒煙から脱出した。同時に、両腕が、それぞれ拘束している触手に伸び、完全にひっつかんだ。
直次はありったけの力を込めて長く息を吐き、前方に戦意を向けた。すでに気持ちは遙か前方にあった。とたんに『胎内』すべてが不気味なきしりを上げながら、脈動。肉襞に、群がる虫どものごとくアラートやコードが投射され、告げている――『戦闘モード完全起動』。
腕に力がこもり、装甲がスライドし、『膨らんだ』。筋肉の盛り上がりだ。赤い光がむき出しの『内部』に伝わって、両腕の亀裂を赤く脈動させる。ギチギチ。引っ張られる触手が軋るような悲鳴を上げる。カミナヲビはそのまま、脚部をさらに踏ん張り、地面を強烈に踏みしめた。
アスファルトがレンガのようにめくれあがる。足裏のほど近くの自転車が倒れ込む。さらにめり込んでいく。力がこもる。
――直次は吠える。マガツは危機を察知したのか、身体を左右に振り、触手を解放しようとした。だが遅かった。触手は、彼に掴まれている。
――ぶっちぎれろ。
彼は、叫んだ。
同時に、その両腕が、上半身を拘束していた触手を、完全に引きちぎった。
◇
マガツは女と赤子、猛獣の悲鳴と機械音を混ぜたような咆哮を上げながら悶え、身体をのけぞらせた。ちぎられた触手がビタビタと地面を打ちながら、目標を見失って暴れ狂う。カミナヲビはそのまま脚部の触手も掴み――また、力を込めて、ちぎった。もう、悲鳴を聞く気はなかった。
しゃがみ込んだ体勢から解き放たれるように、直次は、彼は走り出した。四肢が十全に駆動し、殺意を、力を送り込み、全ては彼と一体になった。アスファルトを踏みしめながら、巨人がビルの裂け目を疾走する。
マガツはたたらを踏み引き下がる。そのまま、よろめきざまに、さらなる触手を前方に送り込む。それぞれが蛇のようにのたうちながら、濁流の如く疾走するカミナヲビに向けて殺到する。もう何の意図もなかった。自棄気味の攻撃。
疾走し、大地が揺れた。ビルの窓にひびが入り、噴き上がる炎がさらに揺らめく。触手にむち打たれた摩天楼が倒れ込む。意に介さず、スケールの狂ったヒトガタが駆けた。砕けた窓ガラスに姿が映る。触手が向かってきた。その目が紅い残光をたなびかせ、回避する。後方で崩壊が起きる。さらに前進、それでも疾走をやめない。触手、回避、回避――。
衝撃は大地を揺るがし、その真下にいた人々に恐怖の悲鳴を上げさせた。頑強なジオフロントでさえ、逃げられなかった。シェルターの人々は口々に叫び、しゃがみ込む。画面では、カミナヲビが――。
……その足に力を込め、思い切り地面を踏みしめて、ジャンプした。
触手は、彼が居たはずの空間を穿ち、崩れ落ちた。マガツは顔を上げた。
彼は。上空に浮かんでいた。
背後には月があった。その姿がくっきりと映し出されていた。ヒトそのものの、巨大な、あまりにも巨大な影が、踊っていた。
……マガツは一瞬、その姿に見とれたように動かなかったが、すぐに回避を行おうとした。ほんの数秒の出来事。彼は身をよじり、左右に倒れ込もうとした。だが動けない。マガツは足下で、何かに固定されていた。
打ち捨てられていた『イズノメ』から伸びたワイヤーは、未だに巨獣を拘束していた。
マガツは、顔を上げた。
まもなく、斜め上空から急降下した巨人の膝蹴りが、巨獣の真正面、いびつに歪んだ琥珀の並ぶ顔面に炸裂した。
弾かれたように、その巨大な姿が振動し、後方に倒れ込んだ。
同時に、カミナヲビは着地。ダウンするマガツを前方に捉える。
――イズノメはその瞬間にワイヤーを解除。倒れるマガツと分かたれる。そのまま、片腕で地面を這いずり衝撃から逃れる位置まで移動すると、コクピットハッチを強引にこじ開ける。
マガツが、仰向けになって倒れた。
とたんに、地面の裂け目から土壌が噴き出して、巻き込まれた自動車たちが木っ端になりながら噴き上がり、アラートを叫んだ。彼は完全に地面に横たわった。再び世界が揺れた。
ヴィンセントは間一髪、その衝撃から逃れた。コクピットから這いだして地面に降り、痛む片腕を押さえながら駆けて、後方を、振り返った。
街中から聞こえるのはサイレン。建物が、アスファルトが燃える重い音。マガツは緩慢に起きあがり、かぶった地面を振り払いながら、再び前方をにらんだ。
その向かい側に、カミナヲビ。前傾して脱力した両手を構える、奇妙な姿勢。
両者は、ビルと、狭間から立ち上る炎と黒煙に見守られながら、対峙する。
モニターの前で……再び、人々が息をのんだ。そして川越も、灯里も。
……琥珀色の目が怒りに輝いたとき、対するカミナヲビが、再び動いた。
◇
一歩前に踏み込んだ彼は、そのままマガツに向けて拳を振るった。未だよろめいていた怪物は抵抗できなかった。右のナックルはその顔面に直撃。そのまま振り抜かれる。
巨体が揺れるが、踏みとどまる。琥珀の目が睨みつけ、直次に覆い被さろうとするように動いた。だが、彼はその低い姿勢のまま……タックル。
轟音。巨体が再び揺れて、マガツの手は空をひっかく。じりじりと後退。揺れる、揺れる。アスファルトが振動する。モニターに映し出される、巨影の肉弾戦。
弾かれたマガツの身体。胴ががら空きになる。そこに再び拳――直次は殺意をとがらせて……撃ち込んだ。二度、三度。抵抗するため爪が襲う。かわす。拳を、足を、その身体ごと、奴に、ぶつける!
モニター内部。紫紺の巨人が、マガツを締め上げ、拘束し、何度も殴りつけながら後退させ、肉弾の応酬を浴びせるさまが映し出される。誰もが息を呑んだ。マガツは抵抗できない。絡め手で苦戦させてきたが、今や逆転していた。そして――。
直次の拳が、完全に、マガツの顔面、真正面を捉え、粉砕するように、直撃した。
――爆撃のごとき重低音が響いて、衝撃が可視化されるがごとく、マガツの正面に巨大な火花が散った。同時に巨体が後方へノックダウン。カミナヲビは右拳を完全に振り抜いて、ほんの少しよろめいたが、残心。
赤い影を残して、その目が……奴が、倒れ込む瞬間をとらえた。
マガツの背中は、後方にあった高層ビルに直撃。そのまま瓦礫と共に崩れ落ち、猛然と立ちこめる煙のなかに埋もれて、すっかり見えなくなった。
同時に。
スクリーンに向けて目を見張っていた人々が、驚きの声と共に、歓声をあげた。
それは極限の恐怖の中で一体化した感情だった。突如現れたヒトガタが、今度は、あの化け物を圧倒している。混乱のさなか、皆が思った。『あの巨人は、我々の味方なのだ』と。
「やったか……?」
川越でさえ。合流し、隣に立つ灯里でさえ、ほんの少し、感情を高ぶらせた。
そして、画面のなか、煙に相対する直次が、再び低く戦闘の構えをとる。
煙が晴れ――唸り声。
琥珀色の目が見える。マガツは立ち上がっていた。
まだ、やられていない。
「な……っ」
だが、川越達を、モニターの中の直次を動揺させたのは、それが理由ではなかった。
立ち上がったマガツは口を開けて、触手を垂れ下げさせていた。
それに巻き付けられ、持ち上げられながら眼前に掲げられているのは、一台の車だった。
「……ッ!」
直次の中で、瞬間的に激情がパルスとなって駆けめぐる。
ふざけるな、ふざけるな。そんなことを。そんなことを、許すわけには――。
獲物にされた車の中には、幼い二人の子供が乗っていた。
それは、夕方に直次が見た、あの小さな兄と妹だった。
◇
「なんて卑劣な奴だ、逃げ遅れた者を盾に使うなんて――」
川越が吠えた。灯里も同じ気持ちだった。不安に満ちた顔で、画面を見上げる。どうするのだ。彼は――どうするのだ?
カミナヲビは動きをゆるめて、動揺したように引き下がった。狼狽が四肢に満ちる。
琥珀の目が歪む。触手がしゅるしゅると口元まで巻き上げられ、牙の根本で完全に固定される。中にいる二人は、悲鳴を上げる。兄が、小さな妹を抱きしめているのが見える。直次は動揺する――動揺して、その接近に、対応できなかった。
……ケロイドの腕が振るわれて、烈爪が、カミナヲビの胴に袈裟懸けに炸裂した。直次は苦悶の声を上げてよろめく。そこに、強烈な追い打ち。枝分かれした触手が彼を捉えて引き寄せる。逃がさない。そのまま、さらに爪の攻撃。何度も何度も、彼の前面を切り裂くように。火花が散って、紫紺の装甲が泡立つように歪む。
激震の中、直次は痛みに絶叫する――拘束されたまま、意趣返しのごとき猛攻。ダメージは、彼に直接フィードバックされる。気絶することさえ許されぬまま……マガツは、爪で切り裂いた。頭突きを食らわせた。ケロイドの黒い足で蹴りつけた。奇妙な静寂。死の静寂。カミナヲビの装甲が切り裂かれて、疵だらけに。人間のような痛ましさ。そして彼は膝をつく……倒れ込む。追い打ちの蹴りが入ると、仰向けに崩れ落ちる。その上に、足が突き落とされる。
怪物は、ヒトガタにのしかかった。全体重がかけられて、その顔面が近づく。琥珀の片目が歪んで、哄笑するごとく。直次は絶え間なく絶叫する。彼の周囲の地面に亀裂が走り、クレーターの如くひび割れていく。怪物の影がかかる。支配される、蹂躙される……。
「……三崎」
川越が、画面から顔を背ける。カミナヲビの上にマガツがのしかかり、何度もストンプを浴びせている。ダメージは蓄積され、攻撃は続くだろう。機体が破壊されるまで。
「――……何ですか」
「『マリオネット』作戦を実行に移す」
冷ややかな声だった――だが、苦渋が滲んでいた。
「ッ、そんな……ちょっと待って下さい! そんなことをしたら……」
「――他に方法があるのなら、言ってみろ。彼は……負ける」
「っ……」
灯里は唇を噛み締め、ただ画面を見ているしかなかった。
だが本当に……本当に、これで終わりなのか?
ヴィンセントは、イズノメの脚部ユニット麓に駆け寄り、その装甲表面にふれた。小さなパネルがあった。スライドするとテンキーが出てきた。彼はある番号を入力した。
すると、太股部分の装甲がスライドし、鉄色の内部機構が露出する。その一部に組み込まれていたものにヴィンセントは手を伸ばし、保持、取り外す。携行用の、ロケットランチャーのような武装。
マガツの残った触手全てが、彼の口から広がって、直次の顔の上で揺らめいた。それは告げていた。これからこれらすべてをお前に降り注がせて、今度こそとどめだ。絶望の影が落ちる。人質二人の顔が見える。恐怖している。悔しい。畜生、畜生、畜生――。
ヴィンセントは、ランチャーの照準をマガツの頭部……残った片側の目に向ける。そして。
「くたばれ、フリークめ……!」
トリガーを引いた。一発限りの特殊炸薬はそのまま、狙い通りに、禍々しい眼窩に炸裂した。
◇
覆い被さっていたマガツの身体が揺れて、カミナヲビから離れた。そのまま足をよろめかせて、触手が周囲に散った。怪物は叫んだ。あっ、と言う暇もなかった。口元の触手は解放された――車が、投げ捨てられ、地面に落ちた。マガツは彼を解き放った。自由になってすぐ、直次は跳ね起きて、それを見た。
真上から落ちてきた車。ヴィンセントは見上げた。小さく、「え」と言おうとしたが――その時には、土煙の中に埋もれて、完全に彼の姿が消えた。
立ち上がったカミナヲビのアイセンサーは、落ちた車の姿を見た。傍らでマガツが苦悶し、獣の腕で自らの目をおさえて唸っている。
車はへしゃげていた。高精度の目は、はっきりと見ていた。
小さな妹は、うつろな目を投げかけたまま、車内で事切れていた。すすだらけの身体で車外に居る兄は、そんな彼女に呼びかけていた。必死に。何度も、何度も、何度も。
直次は、手を伸ばした。届くはずがなかった。
まもなく、マガツは怒りの叫びを上げながら、その車を、少年を踏みつぶした。
小さな身体が砕かれて、肉と骨が四散する様子が見えた。やけに緩慢な時間の中で、伸ばした腕は、やはり届かなかった。
マガツは自らを傷つけられた怒りのまま、その地面を何度も踏みしめた。何度も、何度も。そして吠える。天に向けて、触手をセフィロト状にばらまきながら。カミナヲビは。そこに膝立ちになって彼を見ていた。
だが、その瞬間――直次の中で何かが、弾けた。
貴様を――…………絶対に、ゆるさない。
彼は、胎内で顔を上げる。
頭部のカバーが弾け飛び、内部のセンサーアイが全開、瞳をあらわにする。そこから血のごとき赤い光が前面に放射され、人型の顔面は――修羅となった。
直次の怒りは、すぐさま胴の『炉』にくみ取られ、脈動するエネルギーとなって全身を駆けめぐった。装甲の狭間が血のように紅く発光。抑えの効かない力となって溢れる。それは彼の脚部にたまり、一気に解放させた。
獣同然の前傾姿勢と共に、カミナヲビは猛然と駆けだした。後方に赤い幾つもの光の残像。それが消えてしまわぬうちに、怒りの巨人は、解き放たれた触手の一つに、走りながら手を伸ばした。
その腕が、ぬめる肉を掴んだ。勢いでマガツが引っ張られる。そのまま直次は停止。足下で地面がはがれる。掴んだ触手を手前へ。マガツが狼狽するようなうなりを上げながら宙に浮かび上がる。掴んだ触手ごと、振り回す。彼よりも一回り大きな身体が浮かび、回転する。そして、ビルディングの群れに叩きつけられた。怒りと憎しみと共に。
建物が砕けてスパークする。マガツはその中に埋もれる。触手が腕から放たれると、彼はバキバキと倒れ込んできたビルを防ぐことも出来ず、その頭上から殺到を食らうことを余儀なくされた。
カミナヲビはビルの破壊を意に介さず、フルスイングでぶん投げたマガツに近づく。そのさなか、彼は倒壊した建物のうちひときわおおきなものを、両腕で掴み、ねじりきった。火花。鉄骨が折れて悲鳴を発する。そして保持する、鈍器のように。そのまま殺気をたたえ、両目を真円に光らせながら歩み寄る。マガツは瓦礫をはねのけて、起きあがろうと身体を揺すった。
そこへ……カミナヲビは、頭上から、折れたビルを叩きつけた。
重く響く音が空にこだますると、マガツはその場で重力を喰らったように崩れ落ち、倒れ込んだ。カミナヲビはビルの破片を投げた。後方に落ちる。振り向かず、マガツの真上に馬乗りになる。両の腕がこわばって、赤い脈動が駆けめぐる。殺意と狂気の目が、暗闇に爪を立てる。
拳が、仰向けのマガツを打ち据える。それは肉をえぐり、湿った音を立て、指先に粘つく液体を残す。血のような何か。苦しみ痙攣するマガツ。止まらない。さらに殴りつける。拳が、みしりとめり込む。何度も。何度も。何度も。覆う黒い影が、彼の身体をむしばみ、鈍い音とともに破壊していく。途中、骨が折れるような衝撃が走った。それでも止まらない。彼は怒りを叩きつける。怪物に。何度も、何度も、何度も――。
……苦し紛れに、マガツは口を開き、炎を放った。
ごく小さなものだったが、カミナヲビはそれを正面から浴びた。目がくらみ、よろめく。後方へ。攻撃がやみ、立ち上がりながらたたらを踏む。琥珀の目が光る。
マガツは起き上がりざま、その尻尾を振るった。剣山のごときそれはとぐろを巻きながらカミナヲビに迫り、その肉体に巻き付いた。
カミナヲビは身をよじらせながら、尻尾から逃れようとする。マガツは、彼を手前に引きつけようとにじり寄った……。
――邪魔だ。
意思が駆けめぐり、両目が再び光った。その時、カミナヲビの片側の拳が正面から左右に『裂けた』。
赤い光が漏れ出して、ある機構がせり出した。それは円周状のノコギリ状の刃だった。彼は振り上げる。もう片方の腕で尻尾の肉を掴むと……そこに、光輪を叩きつけた。
肉が裂けて、血のようなものが迸った。赤黒い液体だった。噴き出して、カミナヲビの顔を汚した。マガツは狂い悶え暴れた。だが直次はそのまま光輪を、その腕を、振り切った。
尻尾が切り裂かれて地面に墜落した。裂け目から血が噴出して、周囲を朱に染めた。マガツが、ひときわ大きな叫びをあげた。もはや悲鳴だった。彼はよろめきながら、直次に背を向けて……倒れ込もうとした。だが――逃がさない。
直次は全身にかかった血を意に介さず、マガツの背中に腕を伸ばした。棘のような背鰭。つかみかかると、強引に引きちぎった。再び血が出て、ビルディングを単色に染め上げた。まだ終わらない。彼は何度も背鰭を引きちぎる。何度も何度も。悲鳴。絶叫――。
……触手が死角から伸びた。カミナヲビは首を掴まれた。ふりほどこうとしても無駄で、宙に浮いた。マガツは怒りと共に、彼を振り下ろす。
直次は大地に叩きつけられた。背中に激しい痛み。何度も振り下ろされた。そのたび世界が揺れる。何度も何度も。
――ふらつきながら立ち上がる。
マガツの口が大きく開いて、こちらの胴体にかぶりつくように、迫った。両目が狂気じみて見開いて、再び腕を伸ばす。
カミナヲビは、マガツのかみつきを完全に押さえ込んだ。上下の顎を両腕で、全身で受け止め、停止させる。巨獣はじたばたと暴れた。直次は両腕に力を込め、思い切り、上下に開いた。
……巨大な口が、巨獣の首の根本まで裂けて、肉が飛び散った。
グロテスクな破壊。その勢いのままに、カミナヲビは、マガツの胴に、前蹴りを叩き込んだ。
口を切り裂かれた、もはや見る影もない肉塊と化した巨獣は後方にぶっ飛ばされる。直次は少しだけよろめきながら距離をとり、それを見た。
マガツはぶっ飛ばされながら両腕を開いた。爪が、両側のビルに食い込んで、がりがりと引き裂きながら、勢いを殺す。そのまま奴は、裂けた口から炎を吐き出して、前方に放射した。続けざまに、何度も。
火球はもはや、制御できていなかった。周囲を穿ち、揺らめきながら直次に迫ったが……彼は最小限の動きで、それらを回避した。
直次の左右で火柱があがった。ひときわ大きな爆発だった。夜の闇が一瞬晴れて、その紅蓮の中に、黒い人型の中に走る赤いラインを浮かび上がらせた。彼は空間を抱き込むように、両腕を広げた。
皆、黙り込んだ。固唾を呑んで、見た。趨勢を。
爆発が収まっていく。火の粉が街中に舞った。それは彼の周囲をうごめいた、いや――彼の内側に、その『炉』の中に、吸い寄せられていった。
彼の周囲の大気が、滞留しながら、赤い四肢のラインを伝って、内側の『炉』に吸収されていくかのようだった。地はざわめいて、空はわなないた。マガツがふらふらと、なんとか足を踏ん張らせる。『炉』のシリンダーが、回転を始める――速度が、急激に上昇。鳴動する、膨れ上がる、赤熱する、溢れる――……。
◇
直次は胎内で叫び、炎の流れごと、両腕を前方へ突き出した。
同時に、胴の『炉』が完全に露出し、中心の赤いマグマから、赤熱する濁流が、放射された。
それは熱線だった。夜闇を照らしながら放出され、前方へ、マガツへ殺到した。彼はその中に呑み込まれた。あまりにも大きな衝撃だった。嵐が吹き荒れて、後方へ、後方へ押し流す。直次もまた、溢れた自身のエネルギーにより、倒れ込みそうになるのを必死に押さえ込んでいた。世界が夜から炎に塗り替えられるようだった。熱線はマガツに炸裂し続ける。
誰もが、それを見た。
それは、裁きの矢のごとしだった。世界全てを塗り替える紅蓮の光が、皆を沈黙させ、ある種の陶酔へと誘った。川越も、灯里も。
瓦礫を押しのけながら、ボロボロになったヴィンセントが這い出てきた。彼も顔を上げて、それを見た。押し黙った。赤い奔流が、空に、光り輝く川を作っている。
◇
マガツは押し流されながら、肉を骨を全てを砕かれ溶かされながら、しばし耐えていた。だが――そこまでだった。
炸裂が終わると、彼の中に蓄積していったダメージが炎が、一気に解放されてしまった。
彼は夜空に、断末魔の咆哮を上げた。
そしてそのまま――爆発の柱に包まれた。
スパークと共に黒煙が噴き出し、一瞬遅れて、なにもかもを揺るがすように、爆発音が起きた。彼はその中に包まれて、消えて、弾け飛んだ。
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