第6話 出撃

 スパークが弾けて、その頭部がガクガクと痙攣したかと思うと、光が消える。獣の腕が伸びて、ユニットを掴み、引っ張る。残ったケーブルがぶちと引きちぎられオイルが漏れ、胴体と分け放たれる。そのまま、無用と化したそれを、マガツは放り投げた。

 その動きは、獣そのもののフォルムの中に、確かな『意思』を感じさせた。少なくとも、川越には感じられた。


「奴は……怒ってる」


 琥珀色の目が、傷ついた残りの目が半月状に光って、首のない人形をねめつける。その存在を、視線だけで食い尽くすごとく。


「えっ……?」


「自分の力を利用して作られたものが、自分に襲いかかっているから……」



「奴は今、暴れまわることで――混乱を、恐怖を溢れさせて、人々の中から『依代』の候補者を多量に生み出そうとしている」


「より……しろ……?」


「そう。『食う』ことで腹を満たし、長い眠りにつくための……ね」


 エレベーターのドアが開いた。

 ……ジオフロントの、シェルターに、到着した。

 ――直次の、すぐ目の前に。

 混沌と狂騒が広がっていた。

 巨大な力に、理不尽に対して、なすすべもない者たちの。



 シェルターの壁は切り開かれ、巨大なモニターが展開されていた。映し出されるのは、まさに、怪物によって白い巨人が屠られていく光景。そしてその合間に、街が、ビルディングが、見知った景色が破壊されていく。倒壊し、炎を噴き出しながら、藍色の空を染め上げる。

 人々はパニックに陥っていた――目の前に開かれた『事実』に。感じるのと、見るのとでは、違う。それは説明できないリアリティとなって人々を襲い始めたのだ。


「どういうことだ、壁はどうなったんだ!」「助けて、助けてえっ!」


 口々に。押し合いながら、シェルターから出ようとする者たちさえいる。支離滅裂――狂騒。


「おい、どういうことだ! 定点カメラ表示なんか許可した覚えはねぇぞ!」


 川越の怒号に、振り返った部下が答える。


「それが……コマンドが、送信されてます。『プリースト』から……」


「何だと……!」


 コクピットの液晶表示は今や失われ、漆黒が空間を覆っている。アラートが狂気的にわめき、何度も身体がバウンドする。自分が今、ビルに何度も身体を叩きつけられていることが分かる。

 その中で、ヴィンセントはかろうじて意識を保ち……操作していた。外部コマンドを。

 ……ミサキ達が、そして『彼ら』が来ているのならば。それをやる必要がある。見せつける必要がある。計画通りだ――……。

 ヴィンセントは眼前に覆いかぶさっているはずのマガツを残った片手で探り当てる。ごつごつした皮膚に当たる。それが分かると、残った片手の先端から……ワイヤーを放出した。



「なんだよこれ……なんなんだよ」


 直次の眼前で人々が騒ぎ、暴れ、駆け巡る……地獄の様相。

 見知った顔が、いくつもあった。それらが狂った人形のように暴れながら、非日常から逃れようと空間いっぱいをのたうち回っていた。


「マガツにとってはこれが狙い……人々の恐怖が、奴の安眠になる……」


「――そんなの……そんなのっ……!」


 目の前に広がっているのは、地獄だった。

 ――そう、地獄。あのときもそうだった。大勢が焼け死んでいくのを見た。今人々は焼けてさえいないが、同じように痙攣しながら踊り狂っている。地獄。地獄がある。


「……あ、」


 もぞりと、直次の腕の中で動くものがあった。目をやる。

 ――白羽だった。目を覚ましていた。

 ……脱力するように、いつの間にか彼女を地面におろしていた。

 白羽は……見ていた。その光景を。人々が恐怖し、荒れ果てていく、そのさまを。


「……白羽、お前、」


「ああ、ああああ…………」


 彼女の目は血走りながら見開かれ、膝をついた。そのまま、両手を頭の側面に持ってきて。ゆっくりと……かき始める。その長い黒髪の上から、皮膚を。口から声が漏れる。目の前に、そしてその奥に――炎。そこに居るのは、あの時の……。


「ああああ、あああああああーーーーーーーーっ!」


 白羽は膝をついたまま、絶叫した。獣のような声だった。そして、髪を振り乱しながら、頬をかきむしった。血がほとばしり、涙と鼻水で顔面がどろどろになっていく。


「白羽、大丈夫、大丈夫だ……兄ちゃんが、兄ちゃんが居る、だから――」


 傍にしゃがみこんで、毛布をかけようとしても、はねつけられた。そのまま彼女は、目の前に見えている二重の地獄に対して、自らの心の内側を嘔吐しながらさらけ出す。


「こわい、こわいよお、お母さんがお父さんが、何人も死んでいく……しらはのせかいが、こわれて、こわれ……こわれて…………っ、あああああ、あああああ……――」


 ……そこで、白羽は。ぷっつりと、意識を失った。

 兄の腕の中に倒れ込む。過去の情景が頭に流し込まれて、ショートしたようだった。


「白羽……っ」


 後ろから、灯里が「蔵前くん」と声をかけても、もはや彼には聞こえなかった。


「――……誰も。誰も妹を。こんなふうにする権利はないはずだ」


 うつむきながら。静かに、その黒髪を撫でながら。鼻から垂れる血を拭ってやりながら。


「もう十分苦しんだはずなんだ。地獄なら、もう十分見たはずなんだ。それ以上を押し付けるのか。こいつに。一人でろくにメシだって食えない、着替えも出来ないこいつに。それ以上を求めるのか……お前は。お前たちは」


 ……灯里のなかで、ぞくりと震えるものがあった。

 今、自分に背を向けてしゃがんでいる少年に、何か違うものが宿っているような気配を感じたのだ。そしてそれは、間違いではなかった。

 燃えていく藍色の街に、逃げ惑う人々が覆い被さっていく。その光景を受けて、直次の中に、怒りが――いや、声が反響しながら、何度も何度も、聞こえ始める。

 お前は許せない。この状況を許せない。この状況を作り出したモノを許せない。決して、決して。お前は怒る。憎む。そしてお前には、その権利がある。お前は生き残った。死者の山の上で、ぶざまに生き続けている。その理由があるとしたら。今この瞬間の、怒りと憎しみ。まさにそれだ。お前の中に、別のお前が居る。今――それを、解放するときだ。

 直次の中に、一つのビジョンが見えた。

 冷たい鉄の檻の中に、ヒトガタの巨大な獣が、漆黒の獣が封印されていた。それが、彼に呼びかけた。獣は顔を上げて、直次に言った。

 ――おまえは、おれだ。たちあがって、おれのところに、こい。

 ひときわ大きく、地下が揺れた。それが合図だった。


「……これは半分、確信してるんだけど。白羽は今、怖がってた。つまりは……白羽だって、『そう』なんだよな」


「……――!」


「白羽も、その『依代』になりうるんだよな。それで……きっと、こうだ。白羽は多分、一番依代に近くなる。誰よりも、あいつを怖がってるから。そうだよな。そうなんだよな」


 直次は立ち上がり、そっと白羽を寝かせた。それから、灯里を正面から見た。

 その目は――揺るぎない確信に満ちていた。怒り、ではなかった。何かを信じて、まっすぐそこに向かっていくだけの目。言ってしまえばそれは『狂気』だった。

 ……灯里は、答えが出せなかった。

 なぜなら――その通りだった。嘘がつける状態ではない。そんな目で見られたら。


「三崎さん、だっけ。あんたなら大丈夫そうだ。車の中を見た」


 言葉を返す間もなく、直次が言った。


「えっ……?」


 何のことか分からなかったが、数秒後、写真のことを……マガツに殺された妹の映る写真のことを、思い出した。


「あなた、何を――……」


「俺。行かなきゃならない……あいつを、マガツを……止めるために!」


 画面を睨んだ。二の句を次ぐ前に……。


「――白羽を、頼む」


 それだけ言って、彼は……身を翻して、駆けた。

 姿を追った。開け放たれたシェルターの見える廊下、その右側は、壁があるはずだった。

 だが――解放されていた。それは……ラクスチャーの格納庫に繋がる通路だった。



「待ってッ!」


 灯里が直次の背中を追った。近くにいるスタッフを引き寄せ、動揺する彼に向けて言った。


「各スタッフに広めて! 蔵前直次を捕まえるのよ!」


「なんですって!? ヴィンセント大尉の同意があるのでは……」


「そんな、じゃあ、あの先の『アレ』に向かったの……」


 そう。直次は向かっていた。

 ラクスチャー『カミナヲビ』のもとへ。


「後は……」


 漆黒の圧迫空間の中、ヴィンセントはソケットから手を引き抜き、スイッチを探り当てた。厳重な上蓋を叩き割り、オンにしようとしたとき、通信。


『ヴィンセント! どういうつもりだ!』


「一佐、今は状況中です。コールサインを――」


『そんなことはいい! お前の企みは分かってるぞ!』


「『ビショップ』を使わなきゃならないことは分かっているでしょう。彼が……蔵前直次がそこに乗り込まねばならないことも」


「ああ分かってるとも。だがな、お前は彼を走らせるために、その心をかき立てるために、人々を混乱させた。違うか!」


『それの何がいけない……今は手段を選んでいる場合ではないはずだ――無人の『ビショップ』では役不足だ! 彼の力が必要なんだ……かつて奴を封印した際、その余波で、その体細胞を身体に浴びた存在である、蔵前直次が! 『ビショップ』完全起動のキーとしてッ!」


 後ろから声がしても、彼は止まらなかった。それ以上に、己の中にわき起こる声が身体を動かしていた。もう止められなかった。

 あの時奴が、あの琥珀色の目が見ていたのは、俺たち両方だと思っていたが、違った。あの爺さんの言う通り、見ていたのは片方だった。それは白羽だ。白羽を、見初めていたのだ。そして奴は、はじめからこの状況を望んでいたのだ。そのために白羽に地獄を見せた。数年前を再現させた。まるで積み木で遊ぶように。自らの欲求のために。

 眠りたいだと、腹を満たしたいだと――ふざけるな、ふざけるな。そんなことのために、白羽は壊されたのか。そんなことのために、俺たちはたった2人になったのか。すべては……自分のためだけに。

 だが、それを願うならお門違いだ。これから俺が、そうさせてやらない。

 ――声に導かれて彼は走る。彼の中に眠るものが何であるかは言語化出来なかったが、もうどうでも良かった。彼の進む先に答えがあった。

 白羽がそうであるように。あいつの隣に居た俺だって、あの炎の中の背景なんかじゃなかった。お前は白羽を見るあまり、俺を見ちゃいなかった。俺は生きている。俺はここにいる。俺は、混乱するだけの連中とは違う。俺屈しない。俺は、あの時何もしてくれなかった、無力なあいつらじゃない。お前が、俺の大事なものを奪って、食い尽くそうとするのなら。かかってこい。お前の目を、俺に向けてやる――俺が、貴様に、喰らいついてやる。

 そして、彼はたどり着いた。

 顔を上げると――そいつは目の前で、彼を待っていた。


「……」


 紫と黒の巨人。

 イズノメより二周り大きな、人間にほど近い、それで居て奇妙なまでに異形なシルエット。表皮はグロスのように輝き、金属ではなく、異質な質感に覆われていた。それは兵器というよりは――独立した生物だった。

 そして――それは、マガツの細胞が埋め込まれた、彼の兄弟だった。

 決戦用ラクスチャー『カミナヲビ』。

 今、その腹部がガバリと左右に開いて、肉の襞が充溢した『子宮』を露出した。


「――っ!」


 灯里は部下たちを連れ、彼に追いついた。だが遅かった。

 ……直次は、彼女を見て、言った。


「――白羽は」


「……医務室よ」


「そうか」


 彼のもとへ……迎え入れるように、触手が伸びた。


「ありがとう」


 彼は、『笑った』。

 次の瞬間。

 直次は触手に全身を誘導され、『カミナヲビ』の腹の中へ、どぷりと呑み込まれた。


「……川越一佐。蔵前直次……『ビショップ』へと、搭乗完了しました」


『……そうか』


「一佐」


『……なんだ』


「彼って……やっぱり、人間ですよ。化け物なんかじゃ、ない」


「――……知ってるよ」


 通信が、そこで切れた。灯里はその場で座り込んだ。



 触手が、直次の身体を締め付けた。それはまるで無数の意思ある手だった。粘つき、ぬるりと温かい肉の腕が彼を強く、強く抱いた。痛みに絶叫する。何も見えない。視界さえ肉に覆われる。そして――声がやむ。口の中にまで、触手が入り込み、身体の奥の奥まで染み渡った。

 ――視界が晴れる。情報が、目の前に流れ込んでくる。

 見えたのは……人々だった。粗末な身なりをした者たちが、叫びながら手足をしばりつけられ、そのまま上から土をかけられて生き埋めにされる場面。それを指揮する『彼ら』。遥か昔、まだ神と人とがすぐそばに居た時代――無数の『俺たち』が犠牲となったその瞬間。

 奴は生まれた。地下の奥深くで彼らは出会い、ひとつの『存在』となった……彼は何度も現れた。だが、そのたびに贄を与えられ……眠った。だが、怒りは冷めることなく。

 やがて彼は、彼らはその存在を削ぎ落とされ、剥ぎ取られた。生きたまま、その激情が込められたままの肉が練り上げられ、込められ――肉人形となって、『彼ら』の管轄になった。


「お前たちはずっと昔からこれを完成させてたのか!? ふざけるな、何のために――」


「全ては、我らの計画のためです。次なる審判のため――」


 会話が聞こえた。見知った男の怒号だ……この体が生み出された事実に対して怒っている。

 続いて流れてきたのは――その身体に、『俺』と同じように呑み込まれた、あるいは自分から飲まれていった者たちの断末魔の映像だった。触手に蹂躙され、情報量に耐えきれず、身体の内側から破壊され死んでいった者たち。誰もなれない。この存在と一体には――なれない。貴様もいずれこうなる、貴様も我らと同じになる、貴様も――、


――白羽ね、おにいのいる世界がすき。


 ――ふざけるな。白羽。白羽。白羽、俺のすべて。

 痛みの中で、直次は口内に侵入した触手のひとつを噛みちぎった。

 その途端、それは暴れ狂い、口の中をずたずたに引き裂いた。ぼたぼたと、口の端から血が流れ出た。それでも構わなかった。その瞬間、彼は『自分』を取り戻した。

 ふざけるな、お前らの苦しみだと。そんなものはどうでもいい。そんなものは――流れてくる断片。またお父さんを怒らせたな。お前達にもお仕置きが必要だ。母さんと同じように。痛い、痛いよ、ごめんなさい、ごめんなさい。大丈夫だ、お兄ちゃんが守ってやる、あいつから――そしてもう大丈夫だ。ほら、お前の目の前であいつらが焼かれていく。だから大丈夫だ。お前は俺が守ってやる。だから――『お前たち』の苦しみなど、心底どうでもいい。だから、お前は――。


「――俺に……俺に従えっ……『カミナヲビ』ッ!」



 藍色が空を支配し、その中に漆黒が混ざる。街明かりは所々点いているだけ。後は尽く、至るところから噴き上がる炎と煙だけ。

 その中でマガツは――今まさに、イズノメに対して、とどめを刺さんばかりに口を開けていた。彼の身体は、イズノメから放出されたワイヤーによって固定されていた。彼にとっては火球を浴びせるまたとない機会。喉の奥から熱が迸り始める――力ないヒトガタに跨る怪物。

 ……まさに、その瞬間であった。

 爆発。その音が夜の闇をつんざいて、彼らの遥か後方で炸裂した。

 ――マガツは、ゆっくりと……その首を、振り向けた。

 摩天楼の一角が切り砕かれ、夜の風に遠いサイレンが鳴り響く。そこに、ひとつの巨影。ゆっくりと立ち上がり、黒煙をかき分ける。赤い炎が、その姿を照り返させる。スケールの狂った、ヒトそのものの巨大なシルエット。ゆらりと蜃気楼のようにうごめいて……最初の一歩を踏み出した。

 人々はその瞬間まで、恐怖の喧騒の中にあった。だが、押し黙った。その一歩が。画面に、巨大な一歩が映し出され、その地響きが伝わると同時に――皆、黙り込んだ。そちらを見た。


 目のくらむ衝撃から一転、視界に破壊が広がっていた。

 ラクスチャー用の昇降リフトはその原型をとどめぬほどに破壊されていたが、地上へのゲートが開いているのは下からでも分かった。『彼』は半ば強引に、壁を駆け上らせたのだ。


「蔵前くん……」


 灯里は膝をつき、彼に思考を巡らせる。


 あの少年のとった行動は、妹のためだったのか。それとも――。

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