第5話 侵攻

 執拗な脚部への攻撃。どっしりと鈍重な彼のそれは火線に埋め尽くされ、やがて徐々にそのバランスを崩す。身体を揺さぶりながら悶え苦しむような動作を取る。そのたび黒いケロイドの体が揺れて、がらんどうの口から咆哮が飛び散る。なおも銃撃は続く。

 弾倉が空になる――ヴィンセントは『リロード』を思考する。すると、銃身から予備弾倉がスライドし、自動的に装着。空は地面に転がる。予備は、果実のように銃身の下部にいくつも吊り下がっているのだ。人間であればデッドウェイトでしかないそれも、ラクスチャーには関係がなかった。そして、ついに。

 ……マガツは、ひときわ大きな悲鳴を上げながら……ゆっくりとその体を倒し……地面に、その身を横たえた。周囲に、砂煙が、まるで爆発するかのように舞い、巨体の衝撃は大地を鳴動させる。イズノメは脚部をぐっと縮める。そのソール部に備えられたフックが展開し、大地にしっかりホールド。衝撃から身を守った。


 ――完全に、大地に倒れた。自身が出てきたその場所に、縫い付けられる如く。

 全天周囲モニターの一部が点滅。弾切れを告げる。イズノメはライフルを放棄。そのまま、別の『鞘』へ――今度、引っ張り出したのは……長大な、刃であった。カタナと呼ぶにはあまりにも無骨で、あまりにも……細身。両手で構える。


「『プリースト』。セラミックソード、使用許可を乞う」


『了解。こちら“チャペル”、セラミックソード、使用許可発行』


「続いて申請する――奴の弱点は」


 ……逸る気持ちを抑えながら、ヴィンセントは問いかけた。


『過去のデータを参照……発見。人体における、心臓と、脳。場所の配置も変わりません。“ギガンティア”の体構造は、その由来につき人間と酷似しています』


「よし――これより、接近戦をやる!」


『待て、ヴィンセント大尉! 丸腰で行く気か? シールドを装備しろ、でなきゃ――』


 割り込んできたのは川越の声だった。


「いや、一佐。歩行が遅くなるし、奴が地に伏せたままなのも残り僅かだ。それに――『私は時間稼ぎが出来ればいい』」


『お前、――』


 ヴィンセントは通信を切る。同時に構えたソードの切っ先をマガツに向けながら……身体を走らせた。

 大地を蹴りながら、白い巨人が疾走。怪物は地面に横たわったまま。動けぬ状態でこちらを見る。まだトリモチは有効だった。だが――それも、今の間。残り数十秒。

 怪物の顔が目の前にあった。彼我は30メートルほど。怪物は……50メートル。なに、大差ない。彼にとっては。ソードを、振りかぶる。

 そして……振り下ろした。その、横たわった頭部に、むき出しの脳天に。

 ――だが、その時。


 がばり、と。裂けた口が、更に開いた。


「何っ……――」


 その空洞の中から、コールタール色の触手が無数に飛び出して、彼の身体に巻き付いた。

 ソードがその勢いで放り投げられ、身体がホールドされる。きりきりと締め付ける。


「かぁッ……」


 モニター内部に赤いアラート。苦痛がフィードバックされることはないが、締め付けによるダメージは空間を圧迫する。そして。

 イズノメを絡め取った触手は、その華奢な体躯を大きく振り回し――遠くに向けて、投げた。

 ……コクピット内部でバウンドするヴィンセントが呻く。エアクッションが暴発し、球体の中で跳ねる。

 ……それから数秒後。

 イズノメは、地面に放り出される。

 すんでのところでヴィンセントは意識を取り戻し、脚部を『踏ん張った』。

 その機構がフル稼働し、着地と同時にダメージを軽減させる。だが、全てとはいかなかった。イズノメは地に足をつけた瞬間膝から崩れ落ち、ひざまづく体制となる。そのすぐ近くに、放り投げられたソードが突き刺さる。


「ッ……――」


 頭を振りながら起き上がる。苦痛が全身に染み渡るが、意に介す暇はない。ヴィンセントはすぐに身を――機体を起こす。

 ぶち、ぶち、ぶち……。

 トリモチがちぎれる音。マガツの上体が、起き始める。

 這いつくばった姿勢のまま……奴は上を向いた。そして、口をがばりと開け、咆哮。

 そこから、先程の大量の触手を、空中にばらまき、まるでエクトプラズムのごとく、空に模様を描いた――樹状の模様。


「セフィロトの樹とでも、言いたいのか化け物め。この地は――人間のものだッ!」


 機体を完全に立ち上がらせて、ヴィンセントは立ち上がった。その手に再びソードを構え、吠える――同時に、鼻血が噴き出した。



「おい。三崎の現在位置は!」


 川越が、部下に叫ぶ。


「は、はい。現在こちらジオフロントに向かっています――」


「そうか……じゃあ、やっぱり――」


 前方のモニターを見る。ヴィンセントはいまだ継戦の構え。そして市民の殆どは、街の至るところに備えられた特別通路を通して、ここジオフロントのシェルターに避難が完了している。


「『時間稼ぎ』――あの野郎、本気で『アレ』を使わせる気か……」


 彼の頭には、一人の少年の姿。そして、格納庫の奥で眠る、一つの巨大な黒い影――。



 マガツは、口から野放図に放出した触手を揺らめかせながら、じわり、じわりとこちらに向かおうとしている。イズノメはソードを構え、足元を踏ん張る。

 ……ヴィンセントは、深く息を吐きながら推理する。

 ――あの触手。あれはこれまでの奴のデータには存在しなかった『兵装』である。ということは、地中に居る時に得た能力に違いない。

奴は仮死状態の際に、各地で大量のエネルギーを吸っていた。触手はそのための『口』だ。

――だとしたら。大事なのは疑念を確信に変えるための行動力。そのために、ヴィンセントは……駆けた。


「『プリースト』がっ、」


 部下は叫んだが、川越は押し留めた。


「……考えがあるんだろ、坊っちゃん。信じてるぞ」



 駆ける――奴の身体が起き上がる。ぶち、ぶち――トリモチが限界を迎えている。ならば、今しかない。

 彼は踏ん張って、そして――その機体を、一気にジャンプさせた。

 衝撃がコクピットに伝わる。気味の悪い浮遊感。

 今……イズノメは、マガツの眼前で、空中に居た。

 触手はそこに伸びた。口が開き、黒くぬめるそれが殺到する。


「がッ……」


 ……レッドアラート。コクピットの各表示が悲鳴を上げる。溺れる時に近い感覚。

 イズノメの身体は、再び触手に巻き付かれた。

 今度は、空中に固定される。顔を上げたマガツが、愉悦に笑っているように見えた。

 触手はイズノメをゆらゆらと空中に舞わせ……締め上げていく。

 バキ、バキ、バキ……圧迫されるような音とともに、さらなるアラート。イズノメの外装が、締め付けとともに歪み、血の代わりに火花を散らす。拘束は強まる。バタバタと足を動かしても、いっこうに解放されない。

 ――火花と電線を散らしながら。片腕が、引き千切られた。

 触手がその腕をひっつかみ、思い切り引き抜いたのだった。

 コクピットに警告音が鳴り響く。戦力低下のメッセージ……止まらない、止まらない。

 何度も身体がバウンドして、エアクッションが暴発する。

 ――だが。


「待っていたぞ、この時を!」


 繋がったままの片腕は自由だった。掌を、ちぎれた片腕のあった部分に持っていき……その先端から、細長いワイヤーを発射した。

 触手はそこに追従しなかった。

 ワイヤーは、地面に落ちた腕と……その先端に保持されたソードに絡みついた。

 ヴィンセントは息を吸い込み、吐き出す――同時に、その腕を、無事な腕を、思い切り、遠心力とともに、振り回し――すぐ真下にある、マガツの琥珀色の目に、振り下ろした。


 ――腕とともに振り下ろされたソードが、そのまま、その目を切り裂いた。

 瞬間、マガツは悲鳴を上げる。苦痛の色が混ざっている。

 触手が暴走し、のたうち回り、セフィロトの樹が乱れた。

 ……イズノメは解放され、地面に放たれた。

 振り回され、放り投げられた後……着地。前方を見る。

 触手は地面をひっかきながら、ミミズの群れのように苦痛の動きを示していた。それはもはや何もとらえようとしていない。その片目には……ソードが深々と突き刺さっていた。

 ――いける。

 片腕を失っている。締め付けで装甲は歪み、白磁の色合いは薄汚れ、至るところから火花が散っている。だが、継戦は可能だった。ヴィンセントが折れなければ、それは出来る。

 彼は前に踏み込んだ。触手の群れを回避、回避、回避。追従するように追ったが、追いつけない。そして、再びその前へ。ソードを引き抜いて、そのまま――がら空きの脳天に、突き立てようとする――。

 ……だが、その時。


「――なんだ」


 センサーに反応があった。付近に熱源反応。触手ではない。

 ヴィンセントは首を巡らせて、そのあるじを見た。


「あいつら……」


 川越は歯噛みする。



「りゅーぶん、この機会逃すなよ、絶対撮影するんだ!」


 上空を飛んでいたのは、一機のヘリだった。それはマガツの周囲を旋回するように飛行し、その姿を、窓の縁からカメラを突き出して撮影している。テレビ局のものである。


「『倒した』なんてうそっぱちもいいとこだ……全部暴いてやるからな……」


 脂ぎった顔のテレビプロデューサーの顔が、笑みにゆがんだ。


「どういうことだ、例外なく待避のはずだぞ! テレビ局に問い合わせろ!」


「それが……『そんな許可を出した覚えはない』と――」


「何がどうなってる! 俺たちが揉めてる場合じゃねぇんだぞッ!」


「お前達、下がれッ! 撃ち落とすぞ!!」


 ヴィンセントは首を巡らせて叫ぶ。その声は機体を通じて何倍も増幅され、確かに聞こえているはずだった。だが――動きはない。


「ちょっと……」「なに、これ……」


 地下へ向かう人々は、その中継映像を見ていた。スマートフォンで。互いに顔を見合わせながら。狭苦しい空間の中に……徐々に、恐怖が蔓延し始める。


「おい、ここは安全なのか! どうなんだ!」


 係員の一人につかみかかる男が居た。不安のあまり泣き叫び始める者もいる。それらすべてが……今、地上に起きている光景で引き起こされている。そして――。


「真実を求めてるんだ、真実を、そしてそれこそが……」


「よせえーーーーッ!」


 マガツは顔を上げて、炎をヘリに向けて吐き出した。



 直撃した炎は、ヘリをすぐさま包み込み爆発。灰燼に帰した。それはそのまま円を描くようにして落下し――。

 イズノメが手を伸ばすのもかなわず、障壁の一カ所に墜落した。

 轟音――そこからは一瞬だった。

 マガツの琥珀色の瞳がほんの僅かに歪んだと思うと、再び炎が吐き出され、駆けだしていたイズノメの脇を通って、ヘリの破片がこびりついている障壁に直撃。

 爆発。イズノメのカメラはハッキリと捉えた。

 障壁に、亀裂が走っている。


「まずいぞ……!」


 川越はモニターに身を乗り出す。頬に汗が噴き出す。


「まさか、奴は――これが狙いだったのかっ!」


 めき、めき――みしり。

 厭な音。前方に目を戻す。マガツが――完全に起きあがっていた。トリモチは足下に散らばるカスだった。吠え叫び、大地を踏みならしながら駆けた。マガツはすぐさま立ち上がり、手近な鞘に向かい、アサルトライフルをもう一丁取り出した。

 構える、撃つ。だが――触手。がばりと空いた口から吐き出されたそれは銃撃を飲み込み、抱き抱え、彼方へと放り投げる。火線がからめ取られる。進撃する。今度はトリモチ。すぐさま取り出して、撃つ。だが同じ。触手が展開すれば、すべて無駄となる。何もかもをかわしながら奴は進む。イズノメの眼前に迫る。

 そして――。


「ぐ、ああっ……」


 マガツは――イズノメに向けて体当たり。

 そのまま、ヒビの入った障壁へと、その身をしたたかに叩きつけた。


「一佐ッ!」


 部下が、蒼白な顔を上げて――いやに厳かに、告げた。


「壁が――崩れます」


 地下、ジオフロントの一角にもうけられた巨大な空間。

 そこに集った、街中の避難民たち。ある者はおびえ、ある者は嘆き、ある者は怒る。狂騒のケオスがうずまいていた。

 だが――その『衝撃』が真上から響きわたったとき。

 皆が、一斉に黙り込み、天を見上げた。

 それは古来より――人々の遺伝子に刻み込まれた仕草だった。


 藍色が攪拌された空のもと、最後の日輪が、一斉に強く輝き、そのシルエットを映し出す。

 壁がゆっくりと、めきめきと破壊され。

 街の内側へ、守らなければいけなかった内側へ。

 光の輪郭と影の塗り潰しとともに、巨獣と、その真下で押しつぶされようとしている人型兵器を、吐き出させた。

 今、均衡が破られ――マガツは、街へと浸食した。



 沈黙は、爆発する恐怖によって破られた。

 シェルターの中で、いっせいに人々が騒ぎ出す。押し合い、声を上げながら、たった今、地上で『何が起きたのか』を感じ取り、逃れようとする。

ある者はいたずらに駆け回り、ある者は蹲って震える。ある者は――ただ、祈る。

シェルターの出入り口に立つジオフロントのスタッフにつかみかかり、真相を問おうとする者もいる。だが、彼らも答えられないし、彼らもまた……その鉄面皮の上に汗をかき、感じていた。恐怖を。


「一佐ッ!」


「落ち着け、ヴィンセントのバイタルは!」


「戦闘には問題ありませんが――機体のダメージが!」


 モニターには、まさにその『光景』。

――街を貫く街路に転倒し、仰向けになったイズノメ。その真上から、まさに獲物を屠るかのように、マガツが馬乗りになり、獰猛な唸り声を鳴らす。その声は大地を振動させ、周囲の情景を鳴動させる。


「くっ、かあっ……!」


 コクピット内は赤い悲鳴で覆われる。手足を、まるで人間のごとくばたばたと動かして抵抗するイズノメ。

 その、頭部の傍らで、自転車が倒れた。


 途端に、そのケロイドに覆われた歪な腕が、イズノメの頭部を掴んだ。咆哮を上げながら、無茶な人形遊びをする子供のように、その爪を頭部に食い込ませたままイズノメを持ち上げる。    

遠心力で白無垢が煽られ、内部のヴィンセントは世界がぐるりと回る感覚を味わった。

 それだけではない。マガツは掴んだ頭部を、そのまま手近にあったビルに……思い切り、叩きつけた。

 轟音とともに、ビルの一角が煉瓦細工の如く崩れ、その崩壊の中にイズノメが落ち込んだ。更に、マガツはその頭部を離すことなく、そのまま足を踏ん張り、アスファルトを踏み荒らしながら、駆け始めた。

 ビルが一つ、粉砕。その背後にあるビルディングに、更にイズノメが叩きつけられ、そこもまた崩壊。マガツが突き進む。破壊のレールの上にイズノメを乗せた状態で、ビルの中心から向こう側に向かって、進撃を始めた。

 マガツに押しつけられたイズノメによって、破壊されていくビルの群。ドミノ倒しのように。堅牢な鉄筋も、容赦なく、もろく崩れ去っていく。そのたび大地が揺れて、破壊の狭間から炎が噴き出して朱と藍の空に昇る。破壊、破壊、破壊――意思のない人形のように。聖域が破られ、日常は非日常へ。見慣れた街が、見知った光景が――泣き叫び、怒号する無数の『彼等』の上で、文字通り、崩壊していく――。

 ……遠景で、ビルが順番に爆砕されていくさまを、川越はモニターで見た。すぐ近くでは部下が現状を必死に報告しているが、それも遠くへ追いやられてしまっていた。

 ――頬に汗がにじむ。そのまずい塩味の中に、川越は葛藤を込めていた。

 『間に合う』べきなのだ。絶対に『間に合う』べきなのだ――。



「ここよ、はやく――乗ってっ!」


 灯里が車をいちはやく乗り捨てて、無人のビル入り口で叫んだ。

 直次は、深い眠りに落ちている白羽を抱き抱えて、彼女の元へ向かった。

 ……その途中、何度も轟音が響いた。

 振り返ると、そう遠くない場所で炎があがった。

 見えやしない。だが、そこに何がいるのかはハッキリとわかる。

 ――直次は立ち上る黒煙をにらみつけた後、灯里に続いた。

 ビルのエレベーターに乗ると、灯里は端末で何かを操作。『下』へと動き始めた。表記上では、地下などないはずなのに。

 ……息を切らしながら、白羽が無事であることをその重みで確かめる。そして、問いかけた。


「他のことは、今はいい……でも、教えてくれ、奴は、一体何者なんだ!」


 灯里は――1Fのまま動かない階数表示を見つめながら、答える。


「奴は――『禍津』は」



「イズノメの頭部ユニットが!」


 恐慌のあまりコールサインを忘れた部下が、川越を振り返って言った。

 画面上では――。

 マガツが、ひびわれ、倒壊寸前のビルにぐったりともたれるイズノメの首筋に食いついていた。彼らの後ろには、破壊されたビルの群で獣道が出来ていた。

 片腕が、力無く伸びて、マガツの体を引きはがそうとする。だが無駄だった。

 マガツは、はっきりと――そこに『意志』を込めて、ケーブルの密集するイズノメの首筋を、食いちぎった。



「奴は――太古の昔に生み出された、怨念の怪物よ」


「怨念……?」


「一説に過ぎないけど」

 前置きしてから、灯里は言った――自分自身も、その内容に恐怖する如く。


「かつてこの国で、神に捧げる為の社が作られた。そのために、大勢の奴隷たちが

『生贄』として、地中の遥か深くに……生き埋めにされた。恨みも、憎しみもそのまま。その上から、土をかけられて。そして――その奥深くの地層には……かつて、人類がその生活圏を広げるために滅ぼした、ある巨大な『生物』の遺骸が眠っていたの。両者は『反応』し――溶けあった」


「そんなことが……出来すぎじゃないか……!」


「そうかもしれない。だけど真実はわからない。とにかくそいつは、禍津は生まれた。文明を、人類を憎み、地上に刻印されたその痕跡を破壊するために」


「ちょっと待ってくれ――奴はただ、暴れてるだけだっていうのか?」


「もちろん、違うわ――奴にとっての『餌』が切れたから、封印が解かれて、地上に現れた」


「餌……――?」



「そう。奴の餌はね――……かつて自らに取り込んだ者たちの持っていた者たちと同質な、人々の『恐怖』『怒り』『絶望』なの――……」




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