第4話 ファースト・ストライク・アタック
「奴がっ……!」
眼前で大地が裂けて怪物が姿を現した。そいつは咆哮しながら、街の方角へと向かっていく。直次は混乱し、これからどうすべきかを見失う。
何故今になって現れたのか。そして、こんな時に、何故、自衛隊は来ないのか。疑問は尽きないが、かたわらの老人は何も教えてくれない。
……ふとそこに、近づいてくるものがあった。車だった。それは半円状に轍を描きながら、直次たちのすぐ目の前に横付けされた。
困惑する暇もなくドアが開けられて、そこから運転手が――三崎灯里が顔を出した。
「蔵前くんっ! 乗って!」
彼は激しく動揺する。今の出来事に対してではない――その後部座席の奥側に……毛布にくるまった少女の姿が……白羽の姿が見えたからだった。
「おいどういうことだあんた、何の権利があって白羽を――」
「暴れるから、ちょっと眠って貰ってるのよ! 死ぬよりマシでしょう!」
「ふざけんな、俺の許可なくそんなことを――」
「議論なら後でいいから、乗ってっ! 死にたいの!?」
灯里が叫んだ。かけらの猶予も与えられない様子だった。
直次は……怪物と、そして車を一瞬見比べた。
だが次の瞬間には、言われるがまま、車の後部座席に乗り込んで、眠っている白羽に寄り添った。
ドアが閉められて、車がタイヤをきしらせながら始動。その場を急旋回して、すぐさま離脱していく。
……直次は白羽の頭を撫でながら、後方を見た……リアガラスから。
老人は腕を組みながら、自分を見ていた……どれだけ離れても、いつまでも。
◇
溜め込んでいた恐怖が一斉に溢れ出したように、並べられたコンソールがレッドアラートを次々と放ちながら、悲鳴のような警告音をけたたましく鳴らしていく。『組織』の司令室は、目に痛い悪夢じみた赤色に包まれていく。
部下たちはそれぞれのモニターに向き合いながら、各セクションから送られてくる情報を精査する。地質学的に、地理学的に、生物学的に――それぞれの見地から分析された『現状』が表示されていく。それは川越の眼前に、あざ笑うかのように広がっていく。当然、目の前の一番大きなモニターに見えているのは、定点観測がとらえたマガツの姿である。
「いよいよ、おいでなすったかっ……――」
司令室の内部をかき回す揺れは、未だに収まる気配がない。今まさに、この真上で……奴が蠢いているのだ。
「一佐――本部より通達!」
「読み上げろ」
「防衛体制をデフコン2へ繰り上げ、以降は手順に従い対象の『撃滅』に努めよ、と――」
「好き勝手言いやがる……まぁいい。防御障壁の展開! 奴をゼログラウンドから決して出すな!」
「了解、防御障壁、展開の申請」
まもなく『許可します』という無機質な女性の声。
「許諾――防御障壁、展開!」
◇
揺れる大地、マガツを取り囲むそれらの一部分が赤い点滅を周囲に散らすと同時に、仕掛けられていた機構が一斉に発動する。
……地面がめくり上がり、轟音と共に、灰色の『壁』がせり出し、荒野全体を覆うように、矢継ぎ早に地面から現れ、ゼログラウンドを包囲し始めたのである。それはまさに絶対防御のサークル。灰色の無機質な鋼鉄の表面は電気処理で波打ちながら、敵を威圧する。さながら剣山の如く……そして完成する。
ゼログラウンドが、壁に覆われて、封鎖された。
マガツはそのさなか、口部をがばりと開いた――というより、『裂けた』。上下に開き、その奥から不気味な紫の炎。一瞬、その口内で滞留する。空気が吸い込まれ、周囲の風が怪物に吸い込まれ……。
――炎が、その口から発射された。
紫の火球である。
それは、彼の瞬膜に覆われた琥珀の瞳の先、広がる街に向けられたものだったが……。
炎は、防がれた。
灰色の壁に直撃。ダメージを軽減しつつ周囲にちらした。結果、まわりに火の粉が舞うだけになる。
……マガツは不思議そうに首を捻るような動きをした……。
それから再び、空気を吸い込んで……火球を放った。
一度吐く度に、足元がえぐれ、僅かに後方へと引き下がる。
二度、三度……炎が放たれる、放たれる。
だが、展開された障壁はそれらの直撃を尽く耐えしのいだ。その攻撃は3年前より想定済みであるのだった。多少の炎では、ものともしない。
……炎の照り返しはしかし、壁の向こう側、街に届いていた。
人々は……逃げ惑いながらも、たしかに見ていた。
夕暮れの真下で、黒い影のたもと、何度も炎がちらつき、空を覆うのを。
それは恐ろしい光景であるはずなのに……多くの人々は、こう記憶した。
――その炎の色は、存外に美しいものだった、ということである。
◇
「やはりな……奴はまだ不完全体だ。三年前なら、もっと……」
もしかしたら……もしかしたら。
首をもたげる、その甘い考えを、川越は首を振って振り落とす。それから部下に怒鳴る。
「あのイギリスの坊っちゃんは……ヴィンセント大尉は!」
「既に準備に入っています!」
「よし……プロトタイプ・ラクスチャー『イズノメ』、出撃申請!」
『許可します』
「――頼むぜ。口だけじゃないってとこ、見せてくれよ」
『組織』に与えられた広大な地下空間の大半を占めるのは、人形兵器『ラクスチャー』の格納ドッグである。無機質な鉄の檻に囲まれて、2体の巨人が鎮座する。そしてその合間を縫うようにして、人々が行き来するためのデッキが設置されている。
周囲のデッキを忙しなく整備スタッフたちが駆け回り、至るところで赤いサイレンが点灯し、悲鳴を上げている。
そのさなか、デッキから、白無垢の巨人――ひどくか細い四肢を持つ、人間と比較すればあまりにも異様なフォルムをした、まるで操り人形のようにも見えるラクスチャー『イズノメ』の胴部分に接続されたタラップの前に、ヴィンセントがかしずいていた。
その体はイズノメと同色のタイトなボディスーツに覆われており、いつでも出撃可能な状態だった。彼は慌ただしい周囲をよそに膝を付き、その手にロザリオを持ちながら祈っていた。
「大丈夫だ――今度こそ、間に合う。もう二度と、遅れはとらん!」
そう呟いた後、彼は目を開ける。スーツの前面を少し開けてロザリオを首元にかけると、スタッフに目配せ。イズノメの胴体部分が、食虫植物のようにゆっくりと左右に開いた。その開閉は極めて滑らかで、兵器の装甲そのものの素材を伺わせた。
彼はタラップから、球体の内部構造を取るコクピットブロックに乗り込む。航空機のようなリニアシートである。しっかりと身を沈ませて、それから座席の後方より、大きなドーム状のヘルメットを引き出し、しっかりとかぶる。スーツと接続される。
スタッフが小さな端末を動かすと、胴体が完全に閉じ、ヴィンセントが密閉される。一瞬の暗黒――すぐに、目の前がクリアになる。コクピットの前面に、スクリーンが投影され、前方の様子がはっきりと視認できるようになる。そのまま彼は、脚部、腕部それぞれに、座席からアームで接続された半球状のソケットに手足を入れた。
――途端に、ヘルメットの後方からケーブルが伸び、後頭部に接続。同時にソケットが完全に手足を固定。バチン、バチン、という音。
「ぐ、ああっ……」
ケーブルは彼のヘルメットを通じて、彼の脊髄に薬剤を注入。激痛とともに、彼の目から、鼻から、血が垂れる――だが、すぐに、首を左右に振って目を開ける。その時点で、彼の身体はイズノメと一体化。身体が延長された感覚。そのまま彼は、『思考』する。それはイズノメを通じ、機体の基幹システムに指示がもたらされる。
イズノメの脚部を固定していた『ゲタ』がスライドし、機体ごと後方へ。そのまま、壁面に設置されているリフトへ機体を固定する。それは上方へ――地上へと伸びていた。
「コールを……カウント5だ」
彼が呟くと、機械音声がそれに答える。
『了解――………………発進どうぞ。
「ヴィンセント・バスカヴィル――『プリースト』、出撃する!」
壁面の信号が赤から青に変わる。それと同時にリフトが始動。
火花を上げながらスライドし、イズノメを地上へと射出した――。
◇
マガツから逃げていく人々は、それぞれ、『組織』の保有する地下シェルターへと案内されていた。それらは街中の至るところにゲートがあり、一見して単なるビルのエントランスに見えないような場所も、全て地下でつながっているのだった。
人々は……混乱し、奇妙な感覚を味わっていた。突然現れた軍人のような者たちに誘導されながら、地下へ地下へ。彼らがおぼえていたのは、現実感の無さだった。
――これは一体、なんなのだろう。いったい、自分たちはどういう目に遭っているのだろう。
「おい……おい、逃げなきゃマズいだろ!」
そんな中、村山と波平は避難の列からはみ出して、ゼログラウンドの側を見ていた。
村山はカメラを構え、『壁』の向こう側をなんとしてでも見ようとしている。
「分かってる、分かってるけど……こんなレアシーン、二度と拝めるわけないだろ、今しかないぞ。あんなの、国がいつの間に作ってたんだ……すげぇぞ」
波平は呆れつつも、彼を完全に止めることが出来ない。そのカメラに映る光景、『壁』の向こう側に、もう一つの存在が現れる……。
マガツは一歩踏み出したが、そこで、彼の眼前、『壁』のすぐそばに、進路を妨害するようにせり出したものがあった。大地を割りながら現れたのは灰色の塔。それが左右に分かれ、その内側から、細長い異形の人形が姿をあらわした。
……ラクスチャー『イズノメ』である。リフトにより、地上へ運ばれた。
四肢の末端が歪に伸長した異常なシルエットが、そこから一歩踏み出す。脚部の機構が働き、確実に大地を踏みしめる。
後方に長い、センサーの凝集した頭部。その一部が青く光り、怪物を凝視した。
マガツは、首をかしげるようにして動き、そいつと対面する。
「そこの君たちっ、早くこちらに来なさい、巻き込まれるぞ!」
群衆のただなかから呼びかけが聞こえる。それを聞いて村山もようやく撮影を諦め、避難の濁流の中に飛び込む決意を固めた。
「やっぱここまでだ。逃げよう」
「蔵前、逃げてるかな、あいつに何かあったら鈴木、俺らに責任なすりつけて――」
「っ……ほっとけ、あんなやつ! 今は自分たち優先だろ」
「でも――」
「先に自分のことだろ!」
「あ、ああ……」
波平は後ろめたそうにしながらも、村山に促されるまま、避難の列に加わる。
途中彼は、何度も後方を振り返る――日輪に照らされる壁、その向こう側に、怪物。
◇
『イズノメ』は地上に現れると、荒野に佇むガンマンのごとく、荒ぶる土煙の中から姿を見せた。前方には、マガツ。喉の奥で唸りながら、突如として出てきた白無垢の巨人を威圧するように、僅かに首をひねり、体をふるわせる。
機械仕掛けの棺に包まれながら、ヴィンセントが前方を見た。すると、イズノメも前を見た。人機一体――神経接続を通して、彼らの動きは完全にリンクしていた。そして、彼自身の緊張した表情が、巨人に伝播する。
「標的を確認。これより、戦闘を開始する」
高ぶりを抑えられぬ声が告げると、機械の内部から対照的に冷静な声。
『了解。戦闘モード起動します』
それを合図に頭部のセンサーが赤く光る。殺意をたぎらせるように。
同時に――周囲の地面が鳴動し、変化が起きた。
轟音を響かせながら、土煙を切り裂いて、いくつもの『塔』が、イズノメの周囲に、迫り出し始めたのだ。それは鉄の棺のような形状をしていて、イズノメよりはやや小振りのサイズ。さながら彼の周囲は剣山のようになった。ヴィンセントはそれを確認すると、ふたたび前を向く――。
その時にはすでにマガツの口は開いていた。その奥の暗黒から赤い炎がほとばしり――裂けた空洞から、圧縮された太陽のごとく前方へと吐き出された。
「――っ!」
瞬間、ヴィンセントの意思は前方へ疾走した。
同時に、イズノメの体が動く。軽快な動作だ。白い装甲の奥に敷き詰められた人工筋肉に彼の意思が伝播し、極めて機敏でなめらかな動きを選択させる。
炎が、炸裂する。その時、イズノメは前へ向けて転がり、爆発を回避する。ほのおは大地をえぐり、周囲に乾いた土をまき散らす。
爆炎――ひるまず、彼は曇った視界の中に手を突き入れる。
その先にはあの『鞘』。表面のマルイチ状のノブをひっつかみ、荒々しく回転させる。すると表面が開き、中から黒檀の長いものが倒れ込んできた。ヴィンセントが目をやる。マニュピレーターがそれをつかむ。巨大な兵器専用のアサルトライフル。更に駆けつつ、もう一つの鞘にも同じ動作。開く。今度は――でっぷりと太った筒状のシルエット。ロケットランチャーだ。
右腕にライフル、左腕にランチャーをそれぞれ抱え込む。それから、マガツに向き合う。
マガツは炎がイズノメに炸裂しなかったことを僅かに疑問に思ったように、首を少し傾げたように見えた。それは――どこか、動物のような『挙動』だった。不気味だった。いびつな怪物――意思のない人形が、夜に動き出すような気味の悪さ。そして……冒涜性。
「
ヴィンセントは吐き捨て、さらなる言の葉を紡ぐ。
「こちら『プリースト』、トリモチ・ランチャーの使用許可を乞う」
『了解――こちら“チャペル”。使用許可発行」
許可はすぐに出た。おきまりの流れ。
「使用する――これより奴の足止めを行う!」
叫び……ランチャーのトリガーを引いた。
マガツは異常を察知したのか動こうとしたが、相手の方が早かった。
ランチャーから灰色の塊状の弾丸が発射され、ケロイド状の黒い皮膚の料手足それぞれにへばりついた。粘性の塊だった。
同時にそれははじけ、ネット状に展開する。後方へ伸びて、地面に杭のようにからみつく。マガツは裂けた口の奥から悲鳴を上げた。動かそうと、巨体を揺さぶった。だが、張り付いた蜘蛛の巣は、その時点でマガツの体を地面に固定していた。動くたびからみつき、無数の糸が巨体を締め付けていく……。
そして、そのスキを見逃さない。
イズノメはランチャーを放り投げ、ライフルを両腕で構える。
「こちら『プリースト』――ライフルの使用許可を乞う!」
『了解、こちら“チャペル”――使用許可、発行』
ライフルに備えられたセンサーが、赤からグリーンに変わる。
「奴を、屈服させる!」
構えられたライフルが、火を放った。
……轟音。人間の使用するそれよりも遙かに圧倒的で、派手で、巨大な火線が、もごもごとうごめくマガツの脚部に対して重点的に放たれて、いっせいにその体表面を埋め尽くし始めた。幾つもの花火が、巨体の上で咲き、激しい明滅が暁の空を照らしていく。
炸裂が起きるたび、イズノメの体は反動で後退していく。それを意に介することなく、銃撃を続ける。巨大な薬莢が排出され、大地に次々と転がっていく。それがまた重々しい音を立てながら地面を揺らしていく。
マガツは悲鳴を上げながら、炎の花におぼれていく。その声が切れ切れになっていく。ろくに抵抗も出来ぬまま、よろめく足を銃撃される。イズノメの攻撃は止まらない。マズルフラッシュに目を焼かれることもない、手を痛めることもない、無慈悲な鋼鉄の巨人――その赤い瞳の奥で、ヴィンセントはただひたすら前を向いている。ただ、前を。
薬莢の排出される轟音は大地を揺らし、それは壁を隔てて、地下の避難場所へ向かう人々の耳にまで届いていた。
振り返る。ごーん、ごーん。耳をつんざく金属音。振り返る――壁の向こうで、何かが起きている。何かが、怪物と対峙している。それは分かるが、それ以上はわからない――夕焼けと炎は、今となっては同義でしかない。
サイレンが響き渡る、人気のほとんどなくなっている街の中を、灯里のセダンが疾駆する。
まるでゴーストタウン……壁により影が差して、つい数十分前までの喧騒は遠くに追いやられていた。日常から、非日常へ……窓の外に流れる景色を見ながら、直次はそれを実感した。
「これ、どこ向かってるんだ。あんたは一体――」
何も知らないかのように眠っている白羽の頭を抱え、撫でながら、運転席の灯里に尋ねる。白羽に手荒い真似がされなかったのは事実らしい。それは感謝すべきことだった。
「蔵前直次くん、それから白羽ちゃん、よね。数年前の惨劇の、たった二人の生き残り」
遠くに響く戦火の音――壁の向こうははっきり見えなくても、そこで何が行われているのかはおぼろげながら理解できる。そして、その言葉。体の中に差し込まれた針のように背筋が伸びて、直次の警戒心が強まる。
「……そうだよ。それがどうした」
「あなた達はその後、自衛隊を介して『組織』に保護された……覚えてるわよね?」
「ああ。覚えてる……実験とか、尋問みたいなことに、さんざん付き合わされた」
――思い出したくもない。当時の、荒みきっていた自分も含めて。
白羽がいなければ、とっくにおかしくなっていただろう。
「だけど……俺達は『犠牲者』だ。おかしなことに巻き込まれたくない。もう二度と」
「そうよね。私も…………そう思う」
灯里の声が、そこで沈んだ。詫びるように。
……直次は拍子抜けした。振り上げた拳の標的を失うかのごとく。
そして、車のフロントミラーを見る。小さな御守のようなものがぶら下げられている。
その傍ら、ボンネットのすぐそばには、写真立て。そこには、色あせた家族の写真。彼女と――その両親と、一人の少女。幸せそうに笑っている。
「あんたは……」
「私は『組織』の三崎灯里。好きに呼んで。これからあなた達を……本部へ案内する」
「どうしてだ。他の連中と一緒に逃げちゃいけないのか」
「無理よ――本当は気付いてるんでしょう。あなた達が、他と違う、ということ」
――気の滅入る『組織』での実験の日々。怪しげな機械に接続されたり、脳波を取られたり。その時点で、分かっていた。『たった二人』という言葉の意味。
灯里の声はもう聞こえない。かわりに、あの老人の声が脳内に木霊する。
――そう――奴の琥珀色の目は、たしかに見ていたのだ、お前たちのうち、片側を――。
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