第3話 大怪獣、都市に現る

 厳重に鉄柵で覆われており、入れないようになっていたが、内側の様子はありありと伺えた。無限に広がっているとも思える荒野である。


「思い出したぞ……爺さん、あんた」


 その老人は、『立入禁止』と書かれた看板の前に立っていた。息を切らしながら、彼に言う。


「あの時……三年前、助けられた時、視線を感じたんだ。そしたら、あんたが俺たちを見てた。思い出した。一体何だっていうんだ。どうして、今になって――」


 すると……老人は、重々しく口を開いた。白髪が柳のように揺れた。


「風が……警告しておるな」


 異様に枯れた声音。まさにそれは風の音のようだった。直次が反応する前に、彼はこちらを見た。ひどく落ち窪んだ瞳……だがその奥に輝いている双眸は、粘つく輝きに満ちていた。


「蔵前直次……あの時、生き残った者だな」


「………………そうだけど。それがどうしたんだ」


「お前の中には、あの怪物の胎動がある。気付いてはおらぬか――お前の胸はざわつき、時折、違うお前が入り込む」


 ――胸の内側をさらけ出されて、射抜かれたような気持ちになって固まる。

 


「あやつが目覚めつつある。いわばお前は探知機。目覚めの予兆として使われているのだ」


 淡々と。

 だが――突然のことであっても、その言葉が、直次の精神を沸騰させるには十分だった。


「ふざけるなっ」


 胸ぐらを掴むのは思いとどまったが、それができるぐらい近くで向き合って、叫んだ。老人はじっとこちらを見る……まるで、品定めをするかのように。


「ふざけるな、俺は奴に使われてなんかいない。俺は俺だ、俺はやつを憎んでいる、今も――」


「そう思っているのはお前だけだ、向こうはお前のことを好いているようだがの」


 ……思わず、固まる。

 ――好いている? 奴が?

 あの化け物が? 俺を?

 混乱する――心臓の鼓動が、早まっていく。どくん、どくん。


「なんだと――」


「あの日、唯一生き残ったお前たちを、あやつは確かに見ておった。そう、見ておったのだ。そして、己の精神に親しいものを、いずれおのがよりしろとして取り込むことに決めていた。そう――奴の琥珀色の目は、たしかに見ていたのだ、お前たちのうち、片側を――」


「まさか、それが俺だって言うのか」


 鼓動していく……鼓動していく。

 蘇る記憶。炎の記憶――皆が死んでいく。皆が死んでいた。父も母も、皆も。全てが、紅蓮の中に燃え落ちていく……。

 ――拳を握る。


「ふざけんな、ふざけんなっ!」


 今度こそ胸ぐらをつかんで、老人を引き寄せる――彼は驚いた様子さえ見せない。


「何が言いたいのか知らないけど、俺の運命は俺が決める――あの化け物になんか……」


「そう言っていられるかな。お前は既に気付いている――この胎動が、止められぬことに」


「……――!?」


 その瞬間、彼は……頭の中で、再び幻想が弾けるのを見た。

 それは、今この場で……あの黒檀の怪物、マガツが覚醒する光景だった。

 怪物は咆哮し、大地を踏み荒らしながら、人々を蹂躙する。炎を吐き暴れまわり、街を惨劇で覆う。まさにその景色が、目の前に『視えた』。

 駄目だ、そんなものは駄目だ。再びあんなことが起きれば――。


 しかし――まさにその時。

 ゼログラウンドの地中奥深くでは、直次のイメージと呼応するかのように……胎動が、起こりつつあった。



「――一佐っ!」


「どうしたっ」


 部下が青ざめた顔で振り返った。

 川越がモニターに駆け寄る。地中の状況を観測している画面だった。

 それが、明らかな変化。

 蠢きつつある。何かが。地鳴りのように。じわじわと……地上に向かって。

 何であるかは明らかだ。それが起きないことを、祈り続けた。祈り続けた――。


「……マジかよ」


 彼は、咥えたタバコを、指先で折り潰した。



 夕暮れの街路。学生やサラリーマン達が帰路についている。様々な会話をしながら、日常を過ごしている。総ては喧騒の中で撹拌されている。

 街路樹の植え込みの根本に座り込んで、誰かに電話している一人の男が居た。

 彼は、端末を顔と肩の間に挟みながら、違和感に気付く。

 石畳の上に置いたコーヒーの缶が……カタカタと震えている。


『どうした?』「いえ……」


 その振動は……徐々に、徐々に大きくなっていく。


「ねぇ、なんか揺れてない?」「嘘、地震?」

「おい――なんか」「なんか変だぞ」


 男は上司に侘びながらも……缶から目を離せない。

 カタカタ、カタカタ。カタカタカタカタ。

 ――――――ガタガタガタガタガタ。



「上昇してます、上昇してますっ――」


「落ち着け、お前たちはマニュアル通りやれっ、いつだってこうなることは想定出来たはずだ――」


「……川越一佐。いよいよ、奴が目覚めるのですね」


 足早にやってきたのはヴィンセントだった。川越としては、彼のいつもと変わらぬ口調がありがたかった。


「ああそうだよ。予想よりもずっと早くだ……やはり『封印』では駄目だったようだ」


「各地のニュースで予兆は読み取れましたから。それで、私の『プロトタイプ』は」


「……既に整備できてるよ。今は駆動機関をあっためてるが、まもなく出撃できる」


「では、私は準備に入ります。一佐は各セクションに連絡して、街の人々の避難を」


「おうおう、分かってる分かってる……くそっ、唐突が過ぎるぜ」


 ヴィンセントは身を翻す。

 それから一瞬だけ振り返って、言った。


「――感謝します」


 ……川越は、少しだけ肩をすくめて笑い、それに答えた。

 ヴィンセントは去り、部下と自分が残る。モニターを見る。

 各アラートが悲鳴を上げ、その胎動が避けられないものであることを次々告げていく。

 指向性は矢のように、地中から地上へと伸びていく……。


「3年ぶりだなぁ、おい……クソ野郎」


 川越が拳を固める。服の下の古傷が痛む。

 奴が目覚める――今まさに、この日に。



 地面が大きく揺れている。奥深くから、何かがこちらに向かっているのを、直次ははっきりと感じ取った。その何かとは、誤魔化しようもない。


「奴か……っ!」


 直次は老人から手を離し、ゼログラウンドを見た。

 沈みかけた西陽の向こう側、無窮の荒野が揺れている。大きくなる、大きくなる――。



 ガタガタガタ。

 そして、缶は倒れて、コーヒーがこぼれた。端末の向こうで相手の声が聞こえ続けているが、もう耳に入らなかった。男は呆然として溢れた液体を見て、周囲を見た。ざわつきが広がっている。地面が揺れている。車が次々停車して、外に出ている。人々が立ち止まり、不安そうに互いを見ている。街頭テレビの映像は何も変わらない。

「ちょっと、地震じゃないの?」「じゃあなんなの、怖い――」


 だが地面は揺れている。その揺れは、明らかに大きくなりつつある。これは。これは――。


「……まさか……あの…………かいぶつ……――」



 轟音を、唸りを上げながら、巨大な影が大地を抉り、上昇している。その途方も無い巨体を突き動かすのは衝動であり怒りであり、すべてであった。彼は向かう。三年越し、約束の場所へ。彼は向かう。その琥珀色の瞳をぎらつかせながら……。



「……」


 白羽は、手を止めた。

 たった今、手元でクレヨンが折れたのだ。


「…………おにい?」


 3年の時を経て、巨大不明生物――『ギガンティア』、またの名を『禍津』が、地上へと再び君臨した。



 広がる荒野を切り裂いて、巨大な裂爪が現れた。ヒトの何倍もの大きさを誇るそれは地面に垂直に咲き、しばらく空中をさまよったあと、地面に接地する。その瞬間大地が震撼し、さらなる動きを見せる――地面が揺れて、次々と裂け、そこから陥没していく。まるで地中に居る『そいつ』に、吸収されるがごとく。悲鳴のようにスパークさせながら、切り砕かれ……沈み込んでいく。


 爪はひとつ、ふたつ、連続して現れる。その後、ひときわ大きな影が現れる。それは腕だった。黒いケロイド状の皮膚を持った怪物の腕。地面をまさぐって土台にして、やがて――その身体そのものを、地上へと君臨させる。


 板状にばらけた大地をかぶり、振り落としながら、その巨影が顕になる。

 四十メートルはくだらない怪物の身体が、夕日を浴びながら地上へと君臨する――長大な尻尾が地面を刳りながら地上へと解放され、暴れ回りながら存在を主張する。怪物は頭を震わせる。そう、それはまさに動く山だった。自然そのものの猛威が、形となって現れたかのようだった。


 真っ赤に燃える日輪を背景に、怪物が頭部を上下させながら唸り、完全にその姿を地上へと、総て、総て晒した。

 黒い、焼け爛れたような皮膚。剣山の如き背骨。裂爪を兼ね備えた手足。顎まで裂け、乱杭歯が並ぶ口部――そして、ぎょろりと、ここではないどこかを見つめる琥珀色の瞳――今、頭部から体側面にかけて複数並ぶそれが、一斉に光を放った。

 怪物――マガツが、天を向いた。

 尻尾が振り乱され、何度も地面を穿つ。

 そして…………3年間眠り続けていた巨躯は今、復活の咆哮を天に向けて解き放った。


 その巨大な声は――街中に響き渡り、大地の激しい振動に右往左往していた人々を、はっきりと『目覚め』させた。

 街を行く人々は耳を抑え、その破鐘のような轟音に身体の芯から揺さぶられる。顔を上げる。一斉に――同じ方向をむく。

 ゼログラウンド――無窮の荒野。


 人々は、そこに見出した。

 静寂のさなか――日輪を背に受けた巨影が、彼らを、人々を、遠くから見ている。

 その、琥珀色に並ぶ瞳が。

 3年、だが、たった3年。

 ――その瞬間、皆の身体に眠る『恐怖』の二文字が、一斉に鳴動を始めた。



 混乱、混沌、狂騒。地上に今、それらが解き放たれ、濁流の如く溢れた。

 先程まで日常に埋没していた人々のすべては非日常に塗り替えられ、蹂躙される。

 誰も彼もが悲鳴を上げながら、そのシルエットを一瞥したあと、一斉に背を向けて走り出す。

 やめろ、押すな、逃げろ、なんだあれ、逃げろ、逃げろ――殺される。

 恐怖が伝播していく。走っていく、逃げていく。影は動かない。それでも、逃げていく。もはや規則性も何もなく、互いが自分のことだけを考えて、その場から離脱する。互いを突き飛ばしながら、転倒させながら、お構いなしに、日輪に浮かぶ巨躯から遠ざかるため、逃げ惑い始める。親からはぐれて泣いている子供が居た。誰も気に留めない。逃げろ、逃げろ、やつから逃げろ――いま人々は、極めて原始的な行動に出ていたのだ。それはまさに、古代の人々が、理不尽な天災に逃げ惑うがごとく。


 逃げていく人々の流れを、乗客の居なくなったバスの中で撮影している男が居た。その映像はブレにブレながらも――彼らが、怪物から逃げていくさまを克明に映し出す。また別の場所では、流れに押されて逃亡を開始しながらも、その様子をリアルタイムで動画として流している者も居た。それはまもなく世界中に様子が届けられていたが、手ブレが激しく、人々が何から逃げているのかまるで分からないひどい映像だった――最後にそれは突き飛ばされ、地面を踏み割られたことによって終わった。


 マガツは――琥珀の瞳の連なりが、自分から逃げていく、遠くの人々の姿を見た。

 それは蟻だ――アリのようだった。ならば自分は何か。我は禍津。混沌と恐怖をもたらす者。

 怪物が――再び咆哮した。

 そして、最初の一歩を、踏み出した。

 大地が再び激しく振動する。蟻共が転倒し、さらなる混乱が生み出されていく。

 さらにもう一歩。地面が踏みしめられ、陥没していく。クレーターが形成されていく。



 もはやかつての荒野は、その静寂を永遠に置き去りにして……凹凸の地獄と化した。


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