第2話 プロフェシー

 蔵前家の様子を監視している、一台の車があった。

 死角になっている場所に漆黒のセダンを停めて、窓際の台所で夕食を作り始めている直次の様子をカメラで観察している。


「こちら三崎。対象の行動に変化はありません。ふつうの日常を送っています」


 車の主は一人の女だった。さっぱりしたスーツに身を包んだショートヘアの女性。小さな端末に、彼の様子を報告している。


「まあ……そうですね。確かに他校の生徒をボコボコにしているのは驚きましたが、コレまでの彼の素行から考えれば、まだ大人しいほうかと。結果だけ? はい、ええと……そうですね。僅かですが、『上昇』しています……数値が」



「やっぱりそうか。おとなしくしててはくれねぇか」


 いくつものコンソールが並んだ薄暗い部屋。その壁に寄りかかりながら、川越不動一佐は、部下である三崎灯里の報告を聞いた。

 飛行場のコントロールルームのような場所である。画面には、緑のグリッド線で描き出されたヒトガタがある。


「蔵前兄妹、ねぇ……三年前のマガツ襲撃の際、先掛町で『唯二人』生き残った人間……」


 他に、モニターに映し出されているもの。いくつもの写真。雨に濡れるなか、自衛隊に救助される、うつろな目の少女と……何事かを叫んで暴れている少年。その2人こそが『組織』にとって重要な観察対象なのだ。


『先輩。私はどうします』


「観察を続行。もし『マガツ』と連動して動きがあれば引っ立ててくればいい。だがそれまでは――ただの『一般人』だ」


『分かりました。あっ、蔵前くんの夕食、今日はビーフストロガノフみたいですよ』


「マジか。俺らよりいいもん食ってんな……って、そんなことはどうだっていいんだよ。命令を復唱だ」


 端末の向こうで、あわてた部下の声。それを聞いて苦笑しながら、モニター前の部下に別の画面を展開させる。


 ……それは、『ゼログラウンド』を中継で映しているカメラ。

 一見、無人の荒野にしか見えない。

 だが、彼らは――『組織』は、知っている。

 その地下に……傷つき、眠り続けている『マガツ』が居ることを。


「いつかは……必ず」


 川越は知らずのうちに、拳を握った。

 三年前、彼は大勢の部下の命と引き替えに、あの巨獣を眠りにつかせた。だが、特殊な冷却装置で、地下の奥深くに封じ込めるまでが限界だった。

 奴はまだ、生きている。いつかの覚醒の時を、待っている。

 それこそが……川越一佐の、そして皆の、心の疵だった。


 川越は三崎にブラックコーヒーの買い足しを命令してから通信を切る。

 そして、一息つこうとしたが……。


「げっ」


「げっ、とはなんです、一佐。感心する反応ではありませんね」


 神経質な早足とともにやってきたのは、まぶしいほどの金髪碧眼の青年。

 ――ヴィンセント・バスカヴィル。国連から出向してきた、いわば『お目付役』である。


「さぼりはしてないぜ。『プロトタイプ』のオーバーホールにつきあって、3日寝てない」


「そんなことは言っていない。人手不足のなか、あなたの働きには感謝している。こちらが言いたいのは、蔵前直次のことだ」


 耳をふさぎたかったが、それが通じる相手でもない。ヴィンセントに着席とコーヒーを勧めたが、にべもなく拒絶された。そのまま彼は続けた。いやになるほど顔を近づけて。


「数値が上昇していると聞いた。それはつまり、彼の中にある『ギガンティア』の細胞が活性化しているという事実を示している。それはつまり、奴が近々……蘇る可能性があるということ。ならば、凍結ではなく完全な消滅のため、今からでも――」


「じゃあ聞くがね。どうやって? まさかあの爺さんの言ってる『よりしろ』とやらをマジに実行する気か? そんなことすれば、単なる死者以上の犠牲が出るんだぜ。分かってるのか?」


 タバコを吸いながら、言った。ヴィンセントは顔をしかめる。彼は嫌煙派だった。


「それは言っていない。だが、プロトタイプの整備完了を早めていただきたい。いつでも出撃が出来るように」


「あー分かってるよ、それならもう3徹で――」


「それだけじゃない。進言していた『アレ』の有人化計画についても、早急に進めていただきたい」


 ……タバコの灰が、ぽろりと床に落ちた。


「お前さん、まさか、アレに彼を乗せようってんじゃ……」


「手段を問うている場合ではないことは、分かるはずだ」


「だが、それは、お前……」


「人類の存亡がッ! かかっているんですよっ!」


 ヴィンセントは壁を殴りつけた。周囲の部下がびくつく。その瞬間彼の鼻から、ぼたぼたと血が噴き出た。


「っ失礼……」


 ハンカチで、血を抑える。慣れた動作だ。

 ――川越としても、はやる気持ちは分からないでもない。

 彼とて、三年前、悔しい思いをした側の人間だからだ。それでも、アレは、アレばかりは……好きにはなれない。


「とにかく。アレは絶対に動かす。そして今度こそ……奴を撃滅する」


 ヴィンセントはジャケットのポケットから端末を取り出して、壁に向けてスイッチを押した。

 すると――壁がクリアになり、ただのガラスとなった。

 そして、向こう側の広大な空間に照明が当てられて、全容があらわになる。


 そこは、機械で出来た胎内とも呼ぶべき巨大なドック。

 そこに並び立っているのは、ニ体の人型兵器だった。

 異様にか細い四肢を持った、白銀のボディの一体。

 そして、その隣には――それよりも一回り大きな、漆黒の機体。シルエットはより人間に近く、なめらかな金属で覆われていた。周辺にとりついて作業しているスタッフの大きさから考えて、全長は50メートルを優に超えていることが分かった。

 そして何よりも――そいつはあまりにもヒトに近い見た目をしておきながら、まるでどこかが、人間からかけ離れていた。

 そう、それは――生物的ではあったが、ヒトというよりはむしろ、あの巨獣『マガツ』に近い何かがあった。


「対巨獣用決戦兵器……『ラクスチャー』……!」



 藍色の混じり始めた夕暮れが窓から差し込むのを感じながら、直次は夕食の準備をする。

 スプーンですくって味見をした彼は少しほほえんだ。

 今夜はごちそうだ……きっと白羽も、満足してくれるだろう。


 そして。地中の奥深く。

 黒い巨大な影が、ほんの僅かに身じろぎしたようだった。

 それは誰にも気付かれることなく、一瞬の動作として終わった。

 だが、その瞬間確かに……琥珀色の光が、ほんの僅かに、荒野の隙間から漏れたのである。


◇ 


 また次の日の夕方。

 立て続けに何かが起きるときは――決まって夕暮れだ。

 何か因縁めいたものを感じるな、と思いながら、直次は教室の扉を開けた。


「失礼します」


 中央には机が2つ向き合って並んでいて、その片方に担任が居た。


「ああ、蔵前……掛けてくれ」


 そう言われた。素直に従って、先生の向かい側に座る。

 放課後――蔵前は呼ばれたのだ。

 全く何をやったのか身に覚えがなかったし、妹のためにも早く帰りたかったが……仕方のないことだった。


「あの。先生……話って、なんですか」


「お前な。全く自覚がないのか」


 呆れたような口調で言われるが、全くなんのことか分からない。

 すると、担任の鈴木は切り出した。


「昨日……二高から電話があってな。向こうの生徒何人かが怪我したって知らされた。それでお前……やったのか?」


「――あぁ」


 やや時間をおいて、思い出した。


「すんません。先生を面倒に巻き込むつもりはなかったんです」


 頭を下げる。すると担任はバツの悪そうに頭を掻く。


「いや、先生は別に良いんだ。あと正直、向こうの生徒は色々と……素行が良くないと聞いてる。でも、それでも……殴ったり傷つけたりするのは違うんじゃないか」


 ――正直で、あけすけで。蔵前はこの担任が、嫌いではなかった。


「でも、あいつら。妹を侮辱したんです」


「それは向こうが悪い。でもな、それに暴力で返してしまえば……同じ穴の狢に落ちちまうぞ。そりゃ、悔しいのも、腹が立つのも『分かる』けどな……」


 ――『分かる』。

 その一言。

 ――何が。


「……先生」


 机の下で握った拳を抑えながら、直次は静かに言った。


「ん?」


「先生は……『大事なもの』って……ありますか」


「っ、そりゃ、先生だって……」


 歯切れの悪い首肯が、返ってくる。

 ――それで十分だった。


「そう。先生にもある。でも俺は、それが何か知らない。だから、何も言わない」


「何が……言いたい」


「先生、俺はね」


 荒れ狂う心をおさえて、つとめて冷静に、語るようにして……続けた。


「何も知らないってことは、後ろめたいことだと思うんです。それは誰にとってもそうだ、そのはずだ。でも、俺にとって許せないのは……何も知らない奴が、あまりにもありふれてるってことなんです。そいつらは無知を振りかざして、理不尽になって襲いかかってくる。何も知らないから傷つけて、何も知らないからあざ笑う。何も知らないんだ。あの日、どういう気持ちで炎の中を逃げ回ったのかを……


「お、おい、蔵前……」



「――蔵前っ!」


 声がした。

 それで目がさめた。心の中が、急激に冷え切っていく。それで、なんだか満足してしまった。

 向かい側を見ると、担任が少し怯えているように見えた。

 済まないことをした、と心底思った。


「……蔵前」


「すいません……先生。でも、もう大丈夫です。俺の気持ちは俺の中だけにおさえて、溢れないように気をつけます。でなきゃ俺も、『あいつ』みたいになりますもんね」


 そう言って笑ってみたが……担任は、曖昧な表情を返しただけだった。どこかでまずいことを言っただろうかと考えたが、分からなかった。

 しばらくして、面談は終わった。

 ……直次には、それ以上のお咎めはなかった。



 珍しく、一人で帰路につく。担任との会話はすっかり頭から流されていて、彼は既に夕食の事を考えていた。通りを歩いていく。たくさんの人が、車が、橙色の中を流れていく。

 道の途中、街頭テレビがニュース映像を流して、そこに小さな人だかりができていた。


『続いてのニュースです。○○市の処理場における放射性廃棄物が、謎の消失を続けており……地中から吸い上げられたような……』「えーやば、親戚の近所じゃん」


 会話。不気味なこともあるものだ、と思いつつ、それ以上の興味は持たない。人混みに小さく侘びながら進んでいく。

 小さい子供二人が、かたわらを過ぎていった。兄と妹のようだった。

 妹先を走り、兄がそれを追いかけていた。

「あんまり先に行くなよ、見失うだろ」と言っているようだった。それを見て、直次はふっと笑った――。


 ……その兄妹が通り過ぎた向こう側。道路を挟んだ反対側に、人影があった。

 小柄な老人だった。この場にそぐわない、白い和服を着ていた。異様な雰囲気だった。


「……っ?」


 直次はその男から目が離せなかった。どこかで見たような記憶があった。

 老人は……しばらく直次と向かい合っていたが、ふっと……背中を向けて、去っていく。路地裏に、消えていった。

 無視が、出来なかった。

 直次は車が一通りすぎるのを待って、道路を横断した。そして老人を追いかけた。


 追いかける、追いかける――しばらくして、たどり着いた。


 それは、ゼログラウンドの前だった。

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