第1話 直次と白羽

 目が覚めた。また、あの日の夢だった。


「蔵前。起きろ」


 担任のあきれた声。

 目をこすって申し訳程度に姿勢を正す。

 そうだ、今は授業中――日常のただなか。

 俺は高校生で、ただの生徒だ……そう、ただの。

 自分に言い聞かせて、前を向いた。


「えー、知らん奴はいないと思うが。来週は慰霊祭があるぞ。もちろん我が校も参加する」


 ――慰霊祭。

 その響きに、教室の空気が少し重くなり、皆、沈鬱になる。


「巨大不明生物『マガツ』が襲撃して、先掛町を壊滅させたのが三年前。自衛隊の尽力により沈静化はできたものの、結果として生まれたのが『ゼログラウンド』だ」


 ゼログラウンド。

 視線を窓に向ければ、遠くにそれは見える。

 ……マガツにより蹂躙され、更地にされ、地図から消えた街。

 未だ復興が進んでおらず、国の管轄でそのままの状態に留め置かれている死の荒野。今はただ、その周縁に慰霊碑が立ち並ぶのみ。

 皆、黙り込む。


「今年も街痕に赴いて、祈りを捧げる。みんなも受験で大変だとは思うが、どうかしっかりと気持ちを持って――」


 担任の話が、耳から遠ざかっていく。

 三年。そう、たった三年。

 

 ……そして、知らずのうち、拳を握りしめていた。

 強く、強く。


「……くそっ」



「今日の鈴木の話さぁ、アレ、どう思う」


「要するに、3年が経過した今、みんな平穏に暮らしている……ように見える、って話だろ」


 夕暮れの帰路。様々な人が、車が通り過ぎる。そのたび、街を色んな影が覆う。

 直次は、前方を歩く波平と村山の会話を聞いている。

 彼等はクラスの中で、まともに自分に取り合ってくれる数少ない連中だった。友達というには憚られるが、避けられ、恐れられている自分にとってはありがたかった。

 ……最もそれは彼ら二人が転校生で、『当時』のことを殆ど知らないからだろうが。

 もし。彼等が知ってしまえば? 自分も『奴ら』になったとしたら?

 想像する――一瞬。目の奥で炎がちらついて、怪物の姿がかすめた。それは直次の中の激情を掻き立てて、彼に何かをさせようとした。頭を振ってかき消した。

 足を引きずって歩く直次を無視して、前の二人の影はどんどん遠くへ伸びていく。


「みんな、どこかで不安を抱えてる。だってそうだろ。慰霊祭の話題が出た時だけ、気まずい空気になる」


「お前が女子に話してる時みてーな空気な」


「うるせー。とにかくだ、みんなあの日のことを忘れようとして必死になってるわけだ。でも、それで頑張って『普段どおり』を演じようったって、どこかでほころびが出てくるのさ」


 波平が、対照的に、痩せた顔をうんざりした表情に染める。


「要するにお前、何が言いてえんだよ――……おい蔵前、ぼさっとしてんなよ!」


「つまりだ、もう慰霊祭はやめようって話。単純に面倒だしな!」


「ンだよ、それだけかよ。回りくどいこと言いやがって」


「あと、それと、あまり無理して、事実に蓋をするとだ。世相が、乱れちまって、その……」


 言葉の歯切れが、悪くなる。彼は、不意に立ち止まる。


「うおっ、なんだお前、急に――」


 ……彼の顔は、青ざめていた。


「ああいうやつが……出てくる、とおもう……」


 彼は、指差した。

 ……視線の先に、数人の人影。

 よく見ると、別の学校の生徒だが……お世辞にも、品行方正とは言えない見た目をしていた。


「おい、あいつら……睨んでんぞ、こっち……」


「いや、いいんだよアレで…………」


「はぁ? どういう……」


「おい――……蔵前を呼んだぞ。これで文句無いだろ!」


 そこで村山が、その連中に呼びかけた。

 ……直次の背筋が鋭く傷んで、同時に、ひやりとした感覚……諦観が襲った。

 波平は村山を見た。それから頷く。


「お前ら……」


 直次は、二人を見て、言った。


「しょ、しょうがねえだろ、俺らだって、一緒にされたかないよ、お前と……」


 もごもごと口ごもる二人。そこで全てが飲み込めた。

 わかりやすいほどあっさりと、飲み込めた。

 ――要するに。こいつらは、俺を売ったのだ、あっさりと。

 こいつらは、向こう側だったのだ。はじめから、向こう側だった。あいつらと同じ。


 ――直次はため息をつく。


「……分かった。もういい」


 緊張に身体を強張らせている二人に言った。

 口をパクパクさせている二人を後ろにして、直次は進む。

 ……ガラの悪いそいつらは舌打ちをしながら向かってくる。

 そのまま、わずかな距離を置いて、相対する。

 通りかかった女子生徒達が、小さな悲鳴を上げながら通り過ぎていく。


「……てめえ。分かってんのか。自分が何したのか」


 向かい側の一人、赤髪の男が、どすのきいた声で言った。


「お、俺達は何もしちゃいない。そいつだ、全部そいつが、蔵前直次がやったんだ、俺達は巻き込むな――」


 後ろで、村山の怯えた声。赤毛はそれを無視した。


「なぁ、おい――……」


「……お前の仲間、俺がぶん殴ったって話だろ」


 ――ずばりと。言った。


「てめえ……」


 赤髪はぴくりと眉を動かし、左右の二人を前に動かした。彼らは肩を怒らせながら威圧する。


「どうしてだ……」


「俺の妹、バカにしたからだ。だから殴った。それだけだ」


 ――それが、火に油を注ぐ結果になった。彼らの中で何かが決壊し、更に前へと進んだ。もう止められなかった。だが直次は動じず、その場を動かない。後ろを少しだけ見て、二人に『逃げててくれ』と小さく言った。

 ……間もなく。

 赤毛が、思い切り直次を殴りつけた。鈍い痛みがはしった。空気を吐き出して突っ伏す。そこに蹴りが加えられる。猛烈に痛い。口の中が切れる。咳き込む。


「この野郎が、この野郎が」


 ――直次は。抵抗しない。そうだ、抵抗しない。すれば最後だ。そうなったら自分は。

 ――姿

 痛みに耐えながら、直次は暴力を受け入れる。いつの間にか、周囲の連中も加勢していた。

 それでも、何もしなかった。体中が痛いが、それ以上に、自分の中のものを押さえつけるのに必死だった……。


「クソが、いてぇんだろ、こえぇんだろ、なのに平気ですって顔しやがって。ヘラヘラしやがって気味が悪い。あいつらは殴ったくせに俺らには抵抗しないのか。気色悪いな……」


 そこで一人が、叫んだ。


「てめぇもおんなじか……お前の妹みたいに、ずっとそうやって――」


 拳を、振り上げる。

 ……その瞬間、直次の中で、境界を超える音がした。


 気づけば彼の身体は動いていて、飛んでくる拳のことごとくを受けながらも、痛みを意に介していなかった。そのままよろめく勢いで、相手を殴り飛ばす。別の方向からも攻撃。そいつも受ける――カウンター。叩き込む。もうひとり……最後の一人。

 ……ぶん殴った。

 体中が痛かったが、勝ったのは……直次だった。


「――あいつみたいにっていうのは、どういう意味なんだ」


 顔を真っ赤に腫らした赤髪を引き寄せて、尋問する。相手は怯えていたが、それでも余計な勇気を振り絞ったらしい。


「お、お前の妹……たまにお前と外に出たと思ったら気持ち悪いことばっか言いやがって……みんな分かってんだよ、迷惑なんだよ……全部滅ぶだのなんだのって――」


「……うちの妹がな、ああなったのは」


 ――ぶちっ。


「お前らのせいなんだ」


 もう一度殴る。

 殴る、殴る、殴る――。

 視界が、意識が暗黒に塗り込められ


 ――まえ。


「蔵前っ!」


 声がした。そこで正気に戻った。

 振り返ると、村山たちが青ざめた顔でこちらを見ていた。


「もういねえよ、あいつら……」


 ……見下ろした。

 のしかかっていたはずの赤髪は居なくなっていて、彼はアスファルトを殴り続けているのだった。だから指先が赤くなって、すりむけていた。

 向こう側を見ると、よろけながら去っていく人影が見えた。

 直次は、立ち上がる。

 後ろを振り返ると……『友人』二人がビクリと震えて、後ずさった。


「…………ごめん。やりすぎた」


 こういうときはどうすべきか考えて、頭を掻いて笑ってみた。

 だが、二人はもごもご何かを言ってから、弾かれたようにその場から逃げていった。


 多分――自分は『友人』を失ったのだと思う。だがどういうわけか、心は不自然なほどひやりと静まり返っていて、その顔に笑みが張り付いて取れなかった。きっと不気味に見えるだろう。だが、それでも構わない。取り繕う相手が居なくなったのは楽だ。放っておいてくれ。

 そして彼は帰路につく。その冷静な気持ちの奥には、先程まで暴れ狂っていた怪物が眠っていた…………彼は、それを見ないようにした。極力、極力。



 アパートに帰宅すると、部屋のドアの前には、大量の張り紙がしてあった。

 いわく、『死にぞこない』。いわく、『責任をとって自殺しろ』。のたうつペンの太字が怒りを伝えている。怒りに震える正義の住人たちが貼り付けたに違いない。新聞受けにも、大量のゴミが突っ込まれている……あのチンピラ共の手が回ったのかもしれない。

 ……直次は、しばらくそれを見つめる。

 それから彼は――思い切り、ドアを殴りつけようとした。

 が、とどまった。結局彼はため息をついて、張り紙をびりびりと剥がしていった。一心に、機械的に。そうしているうちに、気持ちが落ち着いていくような気がした。


 ドアを開けて、電気をつける。


「ただいま」


 手を洗って、鞄をしまう。

 ……そして、妹の部屋を開ける。

 そこには、いつもどおりの――あの日以来、ずっと同じ光景が広がっている。


 赤と黒でおぞましく塗り固められた絵が、壁一面に貼り付けられている。それらは窓を、天上を覆い、床にまで伸びている。何を描いているのかはわからないが、聞けばすぐに分かるだろう。それらの絵の中心――真紅の空間のただなかに、彼女は居た。

 毛布をかぶって、画用紙に殴りつけるようにして、絵を描いている最中の妹。

 白羽は、兄に気付くと、うつろに顔を上げて、うっすらと笑った。


「あ、おにい。生きて、かえれたんだ」


 それが歓迎の挨拶だった。直次は苦笑して、敷き詰められた紙をくしゃくしゃにしないよう注意しながら部屋に入る。

 そのまま、妹にそっと寄り添う。


「今日は何を描いてるんだ?」


「今日はね、みんなくしざしになって、死ぬところ。血がたくさん出て、しんでいくの」


 クレヨンで描かれる人形のようなものに、真っ直ぐな何かが突き刺さり、そこから真っ赤な色が迸っている。これもまた、彼女の作り出した新たな地獄なのだ。


「よく飽きないよな、お前も」


「だって、白羽は、見えてるものを、描いてるだけだよ? 何もふしぎじゃないよ」


 そう言って彼女は、小さく首を傾げた。

 年齢にそぐわぬほど小柄な身体。野放図に伸び放題の黒髪。

 3年前から、彼女の時間は止まってしまっているのだ――見えているものも。


「……白羽」


 その華奢な肩を、そっと抱く。彼女は気にせず、地獄の創造にいそしむ。


「明日は……先生の診察だ。頑張って、一緒に行こうな」


 そう呟いた。

 すると――彼女の態度は豹変した。

 紙とクレヨンを投げ捨てて、思い切り兄を突き飛ばす。

 そのまま髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回しながら、奇声を発する。その目は血走り、歯が食いしばられる。猿のように叫んで、自分の描いた絵をぐしゃぐしゃにしていく。その状況が更に、彼女の感情をかき乱したようだった。


「ふざけんな、このボケ、カス、アホ、クズっ、なんてことしてくれたんだっ! あんなクソジジイ、こえだめにかお突っ込んでしんじまえっ、あいつに白羽のなにが分かるんだ、白羽の絵を否定するばっかり……あいつに白羽の何が分かるんだっ、何が、何が――」


 尻もちをついた兄の胸ぐらにのしかかり、何度も殴りつけながら唾を吐いた。そうこうしているうちに息が切れてきて、何も言えなくなる。拳が、虚空を掻く。


「……分かった、分かった。ナシにしよう。明日の診察はキャンセルだ。そうしよう」


 暴れる妹を強引に抱きしめて、直次は言った。


「嫌だ、そんなこといってらいしゅうにするんでしょう、絶対にいやだ、いやだ――」


「来週じゃなくたって、来月でもいい。とにかく、明日はなしだ。いいな」


 そう言って、背中を優しく撫でてやる……だんだん、静まっていく。

 そうして白羽は、完全におとなしくなった。


 ……時間が経って、白羽はまた描き始める。地獄を。

 あの日から見続けている地獄。彼女は、何もかもが、そう見えるのだ。


「……白羽」


「なあに、おにい」


 屈託のない笑みを浮かべてこちらを見る。もう、先程までのことは忘れているらしい。


「俺は、何があっても……お前の味方だ。何があっても、兄ちゃんが、お前を守ってやるからな」


「……白羽の描く、絵も?」


「ああ。だけど、いつか……もっといい絵を描けるような場所に、連れてってやる」


「ほんと? 約束だよ、絶対だよ、おにい」


 それから彼女は嬉しそうにころころと笑った。その様子が、直次にとってはどうしようもなく愛おしかった。

 ――


「……おにい?」


 ふと、我に返る。

 妹が、丸い目で、不思議そうにこちらを見ていた。


「っ、ああ、悪い。ぼうっとしてた。ごめんな、今から晩飯作るから。待ってろ――」


「ねえ、おにい」


 立ち上がった直次を引き止めるように、白羽が言った。


「連れて行ってね。やくそくだよ」


「…………あぁ。約束する」


 笑いかけて、背を向ける。


「そういえば、帰った時、部屋の扉、ちょっと空いてたぞ。ちゃんと閉めとかなきゃだめだろ」


 小さく、うん、という声が聞こえた。

 直次はそれで納得して、部屋から出た。


 ……今日はごちそうにしようと決めていた。

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