シェフ

 シェフは長いコック帽に白のエプロンをつけた2足歩行の黒い豚で、天井につく程大きく、厨房が狭く感じてしまう。

 手には巨体に合うほど大きな菜切り包丁を持っている。


「こっわ! でっか!」

「包丁、でかすぎるだろ……あ!」


 裕樹君が異変に気づいた。

 シェフが出てきたときよりも小さな靄が4つ現れ、そこからメイドが2体、ドッグが2体現れた。


「なんかいっぱいでてきたけど!」

「大丈夫、今は襲ってこない!」

「どういうこと?」

「あ、シェフ戦がはじまるよ!」

「え? わあ!!!?」

「なんだ!?」


 見えない力に動かされ、裕樹君と葵君の体がシェフがいる方と反対側の壁に移動した。

 2体のドッグとメイドは左右の壁際に配置された。


「シェフ戦は『だるまさんがころんだ』なの」

「はあ?」

「シェフが向こうを見て調理をしている間は動いても大丈夫なの。でも、ふり向いてこちらを見ているときに動くとあの包丁で斬られて大ダメージだから!」

「ボスまでめんどうだな!」


 葵君が抗議の声を上げる。


「メイドとドッグも同じように、シェフが向こうを見ている間しか動かない。でも、2人を目指して動いて攻撃してくるから、上手く逃げたり倒したりして! 特にドッグは動きが速いから気をつけてね!」

「『だるまさんがころんだ』をするんだったら、シェフをタッチすればいいのか?」

「ううん。シェフの左横の壁に赤いボタンがあるでしょう? あれを押すと上から火が出て、シェフが包丁を落とすの」

「その間に倒すってわけだな」

「そういうこと! あ、始まるよ!」


 ブーーというブザーの音でシェフ戦が開始した。

 シェフはまだ向こうを見ている。


「葵はボタンを目指せ! おれが周りのやつをやっつける!」

「了解」


 葵君が一直線にボタンへと走り出す。

 それを察知したドッグが、いち早く妨害しようと走り出した。

 裕樹君が葵君を守るため、近くへ少し駆け寄ったところで――。


『グウッ?』


 シェフが振り返った。

 裕樹君と葵君はぴたりと止まったが、葵君に飛びかかろうとしていたドッグは着地するために動いてしまった。


『グアアアアアア!!!!』


 シェフが怒りの方向を上げる。

 ドシドシと動き、菜切り包丁を振り上げるとドッグを上から真っ二つにしてしまった。

 こ………………こわいよおおおお!

 アンダーテイカーは倒されると消えるだけだから、グロテスクなものが見えるわけではないけれど、とてもこわい。

 裕樹君と葵君の顔も青く、引きつっている。

 とにかく、一体敵が減ったのはいいことだ……でもこわい!

 再びシェフが背中を見せたため、アンダーテイカー達が動き始めた。

 スイッチへと進む葵君を守るため、裕樹君がメイドと戦うが、シェフがいつふり向くか分からないから動きが取りづらい様子だ。

 裕樹君がなんとか1体のメイドを倒したが、抑えきれなかったドッグが葵君の元へと行ってしまった。

 ドッグが葵君に襲いかかるが――その瞬間、シェフがふり向いた。


『グアアアアアア!!!!』


 また動いてしまったドッグが、また葵君の目の前で真っ二つにされてしまった。


「あ……あ……」


 シェフは鼻歌でも歌い出しそうな程ご機嫌で、また向こうを見た。

 でも、目の前で再び真っ二つになる様子を見てしまった葵君が固まっている。


「葵! しっかりしろ! メイドはあと1体だ! ゆっくりスイッチを押しに行けばいい!」

「分かってる! で、でも、なんか、動けなくて……!」

「……おれがやる。お前はじっとしていろ!」

「なっ! 僕だってできる! やれるんだ!」


 葵君が硬直した体を必死に動かし、踏み出した。

 でも、体が思うように動かず、僅かな段差につまずいてしまった。

 あ、転ぶ! と思った瞬間――タイミングが悪いことにシェフが振り返ってしまった。

 シェフの前で倒れる葵君……まずい!!


「葵!!!!」


 裕樹君が助けようと駆けつけるが間に合わない。

 それに裕樹君でも無傷で防ぐことは無理だろう。

 無情にも菜切り包丁が葵君の頭上に振り下ろされる。


「うわあああああああああっ!!!!」


 このままだと葵君が殺されてしまう!

 ゲームで死んだら、ちゃんと現実には復活することができるのだろうか。

 復活できなかったら……葵君が死んでしまったら!!

 そう思った瞬間、口が勝手に動いた。


「葵君とポジションチェンジ!!」


 言い終わった瞬間、私の体はまばゆい光につつまれた。

 暖かいような……冷たいような?

 一瞬不思議な感覚はしたが、気づけば私はシェフの目の前にいた。

 葵君に向かって振り下ろされていた菜切り包丁は、今は私に向けられていた。


「ゆり……なのか!?」


 裕樹君の驚いている顔が見えた。

 直接会えた瞬間にさよならなんて残念だな。


 死ぬときは走馬燈が走るとか、スローモーションになるとか、そんなことをテレビで言っていたけれど本当だった。

 色んな考えが頭に浮かぶ。

 さっきも考えたことだけれど、ここで死んだら現実に帰ることが出来るのかな。

 夢なら覚めるのかな。

 本当に死んじゃったらどうしよう。

 でも、葵君を見殺しにするなんてできなかったし……これでいいんだ。

 覚悟は決めたけれど、怖いとぎゅっと目を閉じる。


「あれ?」


 ドオオオオンという大きな音と地響きは聞こえど、私は無事だ。

 横を見ると大きな包丁が、私のすぐ横に刺さっている。


「どういうこと?」


 首を傾げていると誰かの気配がした。

 裕樹君……ではない。

 私の前に誰かが立っている。


「君はここにいるべきじゃない」

「え?」


 この声……。

 それに頭上の王冠、仮面にマント。

 とてもとても見慣れたスタイルだ。


「クラウンさん?」


 クラウンさんがドンとシェフを突き飛ばす。

 するとシェフの巨体が飛んだ。

 ……凄い。

 クラウンさんはシェフが料理をしていた元の場所に倒れたのを確認すると、スタスタと歩き、スイッチを押した。

 その瞬間、凄まじい火柱があがり、シェフが黒焦げになってしまった。

 ゲームの動画では、こんなにこんがり焼き上がらなかったはずだけど……。


「トドメくらいやれるだろう」

「え?」


 裕樹君に向かってそう言うと、クラウンさんは姿を消した。

 ウウッと唸り、立ち上がろうとしたシェフに気づいた裕樹君が、トドメの一撃を入れた。

 裕樹君が始末をしたけれど、ほとんどクラウンさんのおかげだ。

 クラウンさんが助けてくれた!

 颯爽と現れて、私を助けると消えた!

 かっこいい!


「クラウンさんに会っちゃった! 凄いかっこよかった!」

「お前な……この状況でよくはしゃげるな」

「ご、ごめん……」


 大好きなクラウンさんに会って、ついはしゃいでしまった。

 今はそんな空気じゃなかった……。


「まったく、無茶をする。ポジションチェンジで葵と代わったのか?」

「う、うん」

「クラウン……どうやらあいつは関係あるみたいだな。なにか心当たりはある?」


 心当たりはない。

 首を横に振った。


「おれや葵のピンチには現れなかったけれど、ゆりのことは助けにきたな」

「あ、そうだね……」


 私だけ助けた理由とはなんだろう。

 全く思い浮かばず、無言になってしまった私に裕樹君は「まあ、いつか分かるかもな」と笑ってくれた。 


「それより、ゆりはそんな姿だったんだな」

「えへへ。はじめまして?」


 今まで声でしか関わりがなかったから、姿を見せるのはなんだか恥ずかしい。

 照れていると、葵君の叫び声がした。


「ゆりちゃんゆりちゃああああん! 大丈夫!!!?」

「葵君! 葵君こそ大丈夫?」

「僕は大丈夫だよ! 僕と代るなんて! そんな無茶しちゃだめじゃん! でも……代わってくれなかった、僕は死んじゃってたかも。ありがとう」

「うん……」


 葵君の素直な感謝に、代わってよかったなと思えた。

 こんな私でも救うことができた。


「葵君が無事でよかった」

「ゆりちゃん……」


 葵君が感極まっているのか、声が震えている。

 そんなに感動しなくてもいいよ~!


「ゆりちゃん、思っていたよりかわいいね」

「ええっ!? かわいい? 思っていたより?」


 それは……喜んでいいの?

 葵君に私はどんな風に思われていたの!?


「命の恩人だから、恩返ししないといけないね。僕のお嫁さんになる?」

「ええええっ!?」

「それのどこが恩返しだよ。嫌がらせだろ」

「どういう意味だ!!!!」

「ふざけてないで、早く戻って来てゆりと代れよ」

「そうしたいけど、どうやったら出来るんだよ!」

「もうポジションチェンジカードはないのか?」

「あ、うん。消えちゃった」


 私がポジションチェンジカードを手に入れたのは、トロフィーゲットで得たガチャ券からだ。

 1回きりだったようで、使うとなくなってしまった。


「そうか。またゲット出来たらいいんだけど、今回トロフィーはなかったからな」

「僕のせいだね、ごめん」

「いや、おれがドッグやメイドと戦っているときにちょっと怪我をしたんだ」

「トロフィーは気にしない! みんな無事が1番だよ!」


 葵君が私と代わったことにも責任を感じているのか、気持ちが沈んでいるみたいだけれど、みんなそろってクリアできたことが嬉しいよ!


「そうだな。いつまでもくよくよしている葵は気持ち悪いぞ。じゃあ、次の階に進むけど、ゆりは戦えるか?」

「うん! がんばるよ!」

「無理はするな。おれの後ろにいろ」

「!」


 わっ、ドラマみたいなセリフだ!

 裕樹君が言うと破壊力がすごい!

 私、顔が赤くなっていないかな!?


「う、うん」

「僕もいるんですけどー!!!!」

「うるさい! お前はしばらく休憩していろ!」


 裕樹君の叱る声を聞きながら、私は三階への階段を上ったのだった。

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