甦る記憶、Ginger ale――

 恐らく数日中にあの子は僕たちに何かしらもたらしてくれるだろう。僕はなぜか少し晴れやかな気持ちになっていた。


 ついさっきまでフォレスのあった場所で、僕を追ってやって来た八人の仲間と合流する。僕はこれからどうするかについてと、先ほどあったことの経緯についてをみんなに説明した。

 彼らは一様に目を丸くして聞いていたが、アステアナを倒すにはこれしかないと伝えると皆理解を示してくれた。


 だが、僕の負傷は皆にとっても心配事であることは間違いなさそうだ。


“探索者”グラースルが「ガランの骨」があれば、と溜め息交じりに言う。なんでも火を喰らう猛々しきとりの竜骨から彫った道具なのだとか。その道具は手足の失われた部位をたちまち蘇らせ、更には失う前より遥かに強く逞しくしてくれるそうだ。

 ただ、火を喰らう禽なんてこの世界にはいない。つまりどうやっても手に入れる事はできない。だから、無駄なことや無駄なことをする人を「ガランの骨探し」と言い習わしているくらいなんだとか。


 でも僕は知っている。僕たちの世界には火を喰らう禽がいる。名前もそのまんま「ヒクイドリ」。でも竜骨と言うのは知らない。船の部品にあったような気もするけど。

 そのことを伝えたらみんな色めき立った。もしかすると僕たちの世界でなら「ガランの骨」が作れるのではないか、と。



 僕たちがそのような話をしている間に旧き民のアルノディンとドワーフのザスカがフォレスが現れる場所を調べてくれていた。運がいいことにここからすぐの森林地帯で、明日の夜には間に合いそうだという。


 僕たちは早々にここを立ち去り次のフォレス出現場所へ向かった。


 門は相変わらずの威容を放ってそびえ、僕を見下ろしている。まるで僕のことなんか虫けら同様だと言わんばかりに。


 彼女がちゃんとフォレスを使えるか少し心配だったけれど、特に問題はなかったようだ。中央の窪みに水盤を作って僕たちの到着を待っていてくれていた。


 紅蓮こうれん神社のあるも夜のようで、彼女の姿は暗くて全く分からない。でもどこか心が和むような懐かしいような気持になってくる。


 その影にしか見えない彼女は、見覚えのあるいそいそとした動きで水盤に紙らしきものを突っ込んできた。紙は濡れることもなくこちら側に姿を表す。それを手に取って引き抜いて、月明かりで見てみると桶狭間の戦いのレポートのようだ。分厚い本でも渡されたら難儀だなあ、と思っていたからこれは助かる。ステープラーで閉じられた紙の最後には、たけやんの名前が書いてあった。たけやん! この世界に来てからもう三年は経っているから本当に懐かしい。今頃は何をやっているのだろうか。高校の先生になりたいって言っていたからきっと大学に通っているんだろう。そうか、武谷が僕を助けてくれているのか。僕たちは離れ離れだけど繋がっていたんだ。そう思うとなんだか元気が出てきた。


 さて彼女にどうお礼を伝えればいいか。水盤を通して声は伝わらない。僕が迷っていると、彼女が屈んで視界から消える。すぐに大きなエコバッグを取り出し、水盤に無理矢理ぎゅうぎゅう押し込んできた。中身をこぼさないように苦労して受け取って中身を覗いてみると黄色かったりカラフルだったりするパッケージの栄養調整食品が大量に詰まっていた。これは助かる……かも知れない。いずれにしてもこちらの食べ物に飽きていた僕には嬉しい。


 思いがけないプレゼントに感謝の気持ちを表す方法は手を振るぐらいしか思いつかない。そう思って僕はよくわかるように少し大げさなくらい手を振る。


 すると彼女はまた何か水盤に何かを突っ込んできた。

 それを手にした小さな手には、氷もほとんど融けた飲み物の入ったプラカップが握られていた。容器に沢山の小さな泡が見えるそれは黄金の懐かしい色。

 途端に頭の中で何かがはじけたようになる。


 ジンジャーエール!

 そして僕にジンジャーエールをプレゼントしてくれる人はただ一人しかいない。

 長栄ながえ遥香だ。はるはる。

 懐かしい。

 懐かしくて涙が出そうだ。

 数限りない命を殺める毎日を送ってきた僕は胸が締め付けられるような思いに駆られた。


 退屈な授業。


 先行きが曖昧で不確かな進路。


 授業そっちのけで熱中した部活。


 部活を終えて四人の友達と待ち合わせた夕方の自転車置き場の涼しい風。


 遥香と水きり競走をした河原。


 紅蓮神社のそばのお社で、真っ暗になるまで遥香ととりとめのない話をしたこと。


 その帰りに冷房の効いたレオナルディで飲んだジンジャーエール。


 そして遥香に告白できなかった歯がゆさ。


 なぜ、なぜ僕はその何気ない日常から引き離されてこんな縁もゆかりもない世界でひたすらに殺戮を続けているのか。たけやんが、るっちが、さごが、そして遥香が羨ましい。正直な話、妬ましいほどだ。


 あの頃に、あの場所に戻れるなら僕は。


 僕はもう一本の腕を失っても構わない。


 止まらない。涙が止まらない。遥香が差し出したプラカップを手にする。冷たくて気持ちいい。遥香の指と僕の指が触れる。暖かい気持ちと悔しさと嬉しさと怒りと、様々な感情が渦巻いて僕の心を責め苛む。

 遥香の両手がプラカップごと僕の手を握ってくれた。何かを言っているようだがよくわからない。すぐにその手は引っ込んだ。

 すぐにまた手の平の上に何かを乗せた遥香の手が現れた。


 僕ははなはだ不本意ながら、僕の隣でベタベタしてきているチェルにジンジャーエールを渡し遥香の手の平の上のものを取り上げる。絶対飲むなよと念を押しながら。

 それは白い骨のようなもので作られた右腕の模型、のようなものだった。

 それを見て“探索者”グラースルが驚きの声を上げた。これこそがガランの骨に他ならないのだという。どうしてわかるのだろうか。見たこともないはずなのに。


 遥香が手を振る。まるで「また明日ね」とでも言わんばかりに。


 今度いつ会えるか分からないと思うと僕は堪えきれなくなった。思わず遥香の手を掴む。そのまま俯くと自然にその手が僕の額に触れる。遥香はもう片方の手で僕の頭を撫でてくれた。


 しかしまた涙ぐんでしまった僕と遥香の間に、真っ赤になって不機嫌な顔をしたチェルが割って入ってきた。遥香の手が離れるとそろそろ水盤の効果が切れそうで遥香の手がおぼろげになりだす。


 暗がりの中の遥香は口に手を当てて何かを言っているようだ。


 何を言っているのか僕には全く聞こえない。だけど何を言っているのか分かる。僕には分かる。間違いない。ああ、僕もだ。僕もそうだ。


 チェルが持っていたカップに貼られていた付箋がはらりと落ちて僕の靴の上に付く。そこには「がんば。ずっと待ってる」と記されていた。


2020年9月20日 加筆修正しました。

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