カレイドスコープ

砂浅葉由

ぴんぽんと、ベルが鳴った。

暫く受話器の方を見てから、僕はのそのそと椅子を立ってそのまま玄関に向かった。

受話器越しに誰だろう、と確認するのが面倒だと感じたからだ。

来客した本人は何も悪くないのだが、僕は何分文字で食っているので、この意欲があるうちに少しでも今の時間を創作活動に向けていたかった。

「はい。」

少し声を張って、鍵を開ける。決して高くないアパートなので、鍵は一つしか無い。僕は売れない作家が住むべき所、だと思ってこの家を気に入っているのだが。

…反応がない。取り敢えず鍵が空いた途端に入り込んでくるセールスマンやら〆切を催促しに来た井上とかではないようだ。

重々しい雰囲気を放っているくせに軽いアパートのドア。

とりあえず窓から相手を覗くこともなく、ドアを見開くように押してやる。夏の生暖かい風が、ふっと入り込んできた。

色の白い女が、一人居た。

カラスの羽から抽出したような漆黒のワンピースが、白い肌をより一層引き立てているようだった。年は20前半か。深く被っているソフトハットのせいで、顔はよく見えない。

全体的に華奢だ。何故だろう、僕は道路で横たわるカラスを想像してしまった。

女は少し首を傾けて、ゆっくりと一字一句編むようにしてこう言った。

「綾部先生ですか。」

少し顔が歪んだ。先生、と言うからには、こちらが小説家だということを知っている。

事次第では面倒な客になりそうだ。

取り敢えず、はい、と答えた。

「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。」

女がバツの悪そうに笑みを浮かべる。

服装通り丁寧な言葉づかいをするものだ。

僕は要件がなにか、早く知りたかった。

「ご用件は。」

女は手を顔の近くで合わせ、これまた一字一句織るようにして言った。

「『カレイドスコープ』についてお話を伺いたいのですが…。」

『カレイドスコープ』というのは、僕の近著だ。僕は言葉を促した。職業柄、褒められるのではないかと少し期待したのだ。しかし女は、鮮明な口調で、とある名前を言った。

「…安齋、恭一という男性が出てきます。」

安齋恭一。カレイドスコープに出てくる登場人物で、主人公のちょっとしたライバルとして度々登場する。

女は続ける。

「あの方に…いえ、あのお方にお願いがあるのです。」

お願い、とは一体なんだろう。

とにかく、僕は「何でしょう」と返した。

「あの、失礼だと思うのですが、作者様の貴方を交えて、意見を交わしたいのです。」

と言ったところで、彼女はふぅ、と溜息をついた。

腰を据えて話をしたいということか。少なくとも、こうして玄関先で立ち話、という訳には落ち着きがつかないのだろう。僕は意味ありげに首を後ろに向けてから応えた。

「困りましたね。」

実際困っているのだから仕方がない。

すると女は至って真面目に言った。

「二十分程度で良いのです。認めてもらわないといけない事が、あるのです。…それこそ本当に…困ります。」

情けない、と言うか、何やら懇願に近い、切羽詰まった口調で言われた。このまま放おっておけない、そんな調子だ。

「…玄関先では、駄目なのですか?」

すると女は悲壮そのものといった顔を見せた。元々深く被っていたソフトハットをぎゅ、と握りしめてツバを下げた。

「先生、今私がお話したら、きっとドアを閉めてしまいます。」

「僕が突然ドアを閉めるほど、話せない内容なんですか。」

少し意地の悪い質問だったかと思う。しかし女は微かに笑った。

「きっと私の真面目さに、笑ってしまうでしょうから。でも先生、私、先に申し上げておくと、先生に危害を加えるつもりはございません。ご安心ください。」

何かと頭の回る女だ。僕は困ったように頭を掻いてから、身体を斜めにして、どうぞ、と手を部屋へ向けた。

「二十分、もって三十分です。貴方も私も、危害は加えない。話だけです。」

女はソフトハットを胸に抱えこんだ。そうして、深々とお辞儀をした。

今顔をしっかりと見たが、何処か人形のような鼻筋と、所々はねた髪の毛が違和感を誘う。

「茨城かなえ。」

「え」

「茨城かなえと、申します。少しの間ですが、よろしくお願い申し上げます。」

「そんな大袈裟な。ほら、暑いでしょう。入って。」

ふと、女が右手に持つ包が気になった。何せ朱色の包だった。漆黒のワンピースを背景にしているせいだろうか。怪しく目立つ。

女は視線に気づくと、くすりと悪戯な笑みを浮かべた。

「カレイドスコープ」

僕はそれだけでは何もわからなかった。女は失礼をしたかのように言った。

「万華鏡です。」


ふぅともふむとも言わぬ感嘆の声を上げた。

「…確かに作成にあたって、カレイドスコープ…万華鏡を、幾つか見はしましたが。」

「初めてで、良かったです。」

女がにこにこと喜んでいる。

僕は男で、相手は女である。警戒しないはずがない。

一応、玄関先に座布団とサイドチェアを置いてそこに座らせた。

コップに茶を入れながら、やはり、と本気で考えていたが、女は茶も断り、座っているだけで良い、と言った。寧ろ、早く本題にはいらせて欲しいと女の目は語っていた。

僕は一人茶を飲み、話の口火を切った。

女の話題は、カレイドスコープから始まった。

「その『カレイドスコープ』は、回さなくて良いんです。覗くだけで。」

カレイドスコープの話に、カレイドスコープを土産に持ってくるとは。

どうにかして、僕に興味をもたせたいようで、少し警戒していた。

…のだが、しかしまぁ、覗いてみてみると星空そのものが飛んでいるようで、僕はそんなことも忘れ、思わず感嘆の声を上げたのだった。

「ほら、流石に、万華鏡自体は回すやつしか知らなかったから。」

自分の無知をさらけ出しているようで、恥ずかしかった。

ならばと、話を本題に向けた。

「それで、お話とは。」

僕は手元に万華鏡をおいて、胡座をかいて女の前に不遜な態度をとった。こういう時、男は見えを張ってしまうものである。

「…安齋恭一。」

彼女は噛みしめるように言った。

「私、あの方が嫌いで、憎くてたまらないのです。」

ほう、と声を漏らした。

「…不愉快ですよね。」

少しためらいがちに、なんとか言葉にしたようだった。然し僕は首を振った。安齋恭一のモデルは僕なのだ。そして、作中では読み込めば読み込むほど、憎らしい。これを読み取ってもらうのは中々嬉しいものだ。僕はモデルが自分であるということは隠して話した。大変冥利に尽きると女に伝えた。

「そうですか…良かった。」

「…それで、認めてほしいというのは?」

先程引っかかった言葉だった。

「…私、あのお方が憎くてたまらないのです。」

「はぁ。」先程聞いた言葉だった。

「それこそ…殺したいぐらいに。だから、認めてほしいのです、許してほしいのです、あの方を殺すという事を。」

変だな、と僕は正直思った。

殺したい?そこまで感情移入してしまうものだろうか。

まさか、小説に出てくる人物が身内を殺したりするわけじゃあるまいし。

僕は少し大袈裟に言ってみせた。

「確かに、立ち話をしていたら、ドアは閉めていたかもしれませんね。」

「…私、本気なのです。」

女が慌てて言う。僕はそれがなんとも歯がゆくて、少し苛々しながら言った。

「そもそも、空想上のキャラクターです。僕が認めなくても、認めても、貴方が殺した!と思えば良いじゃない。」

女は拗ねたように口をとがらせた。

「でも、貴方は…そう、生みの親なのです。何事も親の許しなしには…。」

「殺すのだったら、親の許しも何も無いじゃありませんか。」

僕は今度こそ苛々を隠さず言った。しかし女は笑顔を顔に貼り付けたようにして言った。

「もう、先生ったら。心の問題です。認めていただけないと、心の中で殺したことにならないではありませんか。」

「しかしですね、次に僕が安齋恭一を出すさい、困りますよ。いいや、僕はこまんないけどね、貴方が困る。貴方の中では死んでいるんだから、物語が破綻してしまいますよ。」

「…次回作が、あるのですか?」

咎めたような口ぶりだった。僕は慌てて返した。

「いや、無いけどね。あれは一巻完結だから。」

と腕を組んで悩んでいたが、暫くしてこんな下らない事に悩む事はないと思い、時計を見た。もう15分を過ぎようとしていた。ふぅ、とこめかみに指を当てる。

「…良いですよ。僕は構いません。」

そう言うと、女は良かったと喜びの表情を見せた。

「ありがとうございます。」

ふわりと立った。


女が置いていった万華鏡は、何処かへ行ってしまった。

僕は打ち合わせに都内まで来る機会があったので、百貨店の書店まで、自分の本がないかと期待して立ち寄った。

エスカレータが昇っていく。本の便りのように、書店独特のにおいが鼻をくすぐる。やがて視界が開き、新刊が並んでいるコーナーが見えてきた。

…合った。自分のものが書店に並んでいるのを見ると、やはり嬉しい。

ふと、見知った後姿を見た。

僕はこんなこともあるのだな、と気兼ねなく声をかけた。

「兄さん?」

僕が声をかけた人、つまり妹は、驚いて僕を見た。その後、じろじろと得体のしれないものを見るような目でこちらを見てくる。

人違いだったかと焦り始めたその時だった、妹がクスリと笑った。

「身だしなみ、整ってるんだね。誰かと思っちゃった。」

これは痛いところを見られた。普段家に籠りっきりの僕をよく知る妹ならではだ。

「それはお前もだろう。」

「あはは、それもそうか。」

妹は屈託ない笑顔で答えた。それも、というのも、妹が小説家であるという事に由来する。

兄妹で大々的に小説家をやっていると言うのも珍しく、二人の作品を並べて売り出したりするのが定着しつつある。この店もそうだった。

平積みされている僕の本と、妹の本。

ポップには<<兄妹作家、今度はどちらを選ぶ?>>などと書かれている。

「こうやって売ってくれて、有り難いんだけどな。」

「それは贅沢な悩みだよ。」

そうか、と僕は答えた。平積みされている本は、僕のだけ低い。

「こうやって競争相手がいると」

本を、細く白い指がなぞる。

「私も、燃えるからさ。」

妹は僕を元気づけるようにして、ね?と笑った。

それは自分自身へ向けたものかのように見えた。

僕はああ、そうだな、と精一杯の笑みを作って返した。

気丈な振る舞いだな、と思っただけで、何も力になるようなことは言えなかった。

言わないのも、優しさだと思っている。

妹の本は、売れていない。

いいや、もっと正確に言うと、僕より売れていない。

出版業界のみならず、世間一般からも比べられては、自然と劣等感を抱いてしまうものだと思う。


子供の頃、妹が原稿用紙を持ってきて、「読んで!」と僕に突きつけたことがある。

年齢にしては大人びた内容に僕は「面白いな」と言った。そして何より、のびのびしていて、眩しく見えた。

妹は原稿用紙をくしゃくしゃに握りしめるぐらい喜んだ。

それ以来、文を書くのに興味を抱き、高校卒業後、コピーライターの専門学校を通って、ここまでたどり着いた。

しかしたどり着いた先に、のびのび、としたあの頃の文は残っていなかった。

それが間違いだったとは言わない。だが僕は時折昔のことを思い出して、少し思いにふけるのである。

「兄さん、考え事?」

妹の声で僕は現実に引き戻された。

「ああ…その本、僕が買おうか。」

先程妹が触れた本だった。何を考えているのかは、言いたくなかった。

「一度触れちゃったし。」

「…うん、読んで。」

じゃあ、と僕はレジに向かった。背中で、妹はどんな表情をしているのだろう。

未だに妹の作品を読んでいない、薄情な兄だと思っているだろうか。何もアドバイスをしてやれない、傲慢な兄だと思っているだろうか。

「カバー、おかけしますか。」

「え?」

「申し訳ありません、カバー、おかけしますか。」

勿論意味はわかっていたが、妹がいる手前、カバーをかけるかどうかもとても大きな選択かのように思えた。


会計が終わって、妹の元へ行った。妹は、下りのエレベーターの前に移動していた。

「カバー、かけてもらったんだ。」

「うん。読むからね。」

「ふうん。」

妹はそれ以上、何も聞いてこなかった。


僕は上の階のレストランで打ち合わせがあるということで、妹とは別れた。

エレベーターの扉が閉まった途端、思わず胸をなでおろしてしまった。

8階のレストランモールに出た。言われていたレストランの隅のテーブルに、担当の井上が待っていた。何も悟られまいと、本を袋ごと手提げに詰めた。

やや不安に思いながら席につくと、しかし不思議なもので、井上が話せば、会話がどんどん弾んでいった。

会話の花を咲かせる、そういうのが出来ないとやっていけない仕事なのだろう。僕は感心しながら、井上の思うまま、喋るだけ喋った。

僕が水に手をつけた時だった。

「続編、出す気はありませんか。」


カレイドスコープの続編は、安齋恭一の活躍で人気が出たと言えた。

カレイドスコープの元々の要素は残しつつ、前作ではワル、だったこともあり、今作で安齋恭一を、憎らしいが、憎めない、そんな風に可愛らしく書いたのが吉と出た。結果、女性読者が増え、売上も上がり、家の近くの本屋でも見かけるようになってきた。

勿論、悪い気などしなかった。

そして変化もあった。妹の本と比べられることが少なくなった。出版業界からしても、読者からしても、少なくとも僕のほうが面白いと評価されたからだ。

妹の本は消えていくようだった。

しかし僕はそれも世の常だと考えて、こちらから連絡はしていない。

妹から連絡もここ暫くはない。そんな矢先だった。

固定電話のベルが、眠たげに鳴った。


妹は開口一番、明るい声でこう言った。

「新刊おめでとう、兄さん。」

僕はありがとうと言った。なんだか拍子抜けだ。

妹がここのああいう描写が良い、参考になる、等と言い尽くした後、変わらず屈託ない調子で言った。

「そう言えば兄さん、また自分をモデルにしたでしょ。安齋恭一。」

「ああ、バレたか。」

僕はくすりと笑った。

僕がまだ売れない作家の頃からで、その度に、身内にはばれて、笑いを誘う。

身内内でだけ伝わる、遊びみたいなものだった。

暫く話をしているうちに、そういえばと、茨城かなえの話を、笑い話として喋った。

すると、「読んだ?私の。」

と短い返しが来た。読んだ?何をだろう。

「私の新作。昨日出たんだ。」

正直、知らなかった。だが、僕は態度をでかくして言った。

「そうだったか、頑張れ。」

「うん。でね、今度は愛憎劇にしたの。」

「へぇ。冒険に出たね。主人公は、どんな感じなの?」

「カレイドスコープ。」

「え?」

妹のそれは、宣告だったと思う。

「名前を茨城かなえ。…カレイドスコープを集めるのが、趣味なんだ。」

外で雀がまるで追い立てられたかのように、飛び散った。

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カレイドスコープ 砂浅葉由 @koto09

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