☗『焦点の歩に好手あり』

 小笠原との簡単な感想戦を終えたあと、双葉は観客に混ざって真菜の勝負の行方を見守った。

 すでに局面は終盤を迎えていたが、その様相はあまりに一方的な状況となっていた。


 真菜は自玉を“穴熊”に囲い、思い切った攻めを続けている。最近の真菜が最も得意とするパターンだ。大駒を惜しむことなく切り捨て、相手の玉を丸裸にしていく。

 ふと、その攻めの鋭さに、どこか見覚えがある気がした。

 既視感の正体はすぐに分かった。これはまるで自分の攻め方だ。

 この局面だったら自分はこうする。そう双葉が考える手を、なぞるように真菜も指していく。


 数分後、真菜は“穴熊”に傷一つ付けることなく、相手のを袋小路に追い詰めた。

 圧倒的な大差のついた真菜の勝利だ。


 周囲がざわめくなか、真菜は「ここでこう指されたら、ちょっと困ってたかな」などと、いつも通りの様子で感想戦を行う。中盤戦のあたりから既に真菜の勝勢に偏っていたらしい。


 一通りの振り返りが終わり、真菜は対局相手に礼を述べて立ち上がった。

 そして双葉の方を向くと、何も言わずに微笑んだ。

 双葉も黙って、真菜の視線を正面から受け止める。

 そこに言葉はなく、ただ視線だけが交錯する。


「ほんと凄いな、二人とも。まさか決勝戦で対決なんてな」


 悟が二人の間に入ってそんな声をかけた。

 自分と真菜が何を巡って戦うのかも知らず、能天気な顔をしている。


 サトルちゃんはどっちを応援するの。

 そんな意味のない問いかけがこぼれそうになるのを双葉はなんとか抑えた。

 きっと悟はどちらも公平に応援してくれる。そんなことは分かりきっている。


「んじゃ、決勝戦は30分後な。真菜ちゃんも双葉ちゃんも、しっかり休んどけ」


 桑原の言葉で金縛りが解けたように、双葉も真菜も視線を外した。


 すぐにでも戦いたい。そう思っていたが、たしかに少し疲れているかもしれない。対局数はそこまで多くないが、一戦一戦に全神経を使ったせいか想像以上に消耗が激しい。

 お腹は空いていないが、なにかエネルギーを補給した方がいいかもしれない。


「ねえ、サトルちゃん。私、ちょっとコンビニ行ってくる」


「おお、一緒に行こうか?」


「ん、いい。すぐ近くだし」


 断る理由もなかったが、なんとなく悟と一緒にいるのはフェアではない気がした。

 道場を出て信号を渡り、最寄りのコンビニに立ち寄る。

 なんとなく甘い物を補給したい。チョコレートか、菓子パンか。それともジュースがいいだろうか。でも、あまりお腹いっぱいにはしたくない。


 そんなことを考えながら店内を物色していると、背後に気配を感じた。

 振り向くと、真菜が立っていた。


「考えることは一緒だね」


 道場で姿が見えないと思ったら、真菜も買い物に来ていたらしい。


「なんか、甘いもの……欲しくなって」


「わかるわかる。今日はすっごくエネルギー使ったもんね」


「やっぱりそういうもの……なんですか?」


「うん。脳ってさ、体全体のエネルギー消費のうち20%以上使うんだって。将棋なんて、まさに脳をフル稼働させるからね。だからしっかり補給しなくっちゃ」


 そう言って真菜は双葉の手を取り、駄菓子コーナーへ連れて行く。


「だからね、脳のエネルギー補給にはコレがおすすめ」


 真菜が棚の下から何かを取り出して手に取った。


「……ラムネ?」


「脳のエネルギーはグルコース、つまりブドウ糖ね。もちろん甘い物でもいいんだけど、糖分がブドウ糖に分解されるまでは時間かかるからね。即効性が欲しいときは、ブドウ糖をそのまま補給できるラムネがベストだよ」


「なるほど……」


「テスト勉強で疲れたときなんかにも効くから、試してみるといいよ」


 そのあと「社会人だからこれくらいおごるよ」という真菜の申し出をなんとか固辞し、会計を済ませてコンビニを出た。


 道場までの道すがら、二人でラムネを食べながら並んで歩く。

 心なしか、その歩みはゆっくりだ。


「双葉ちゃんさ、強くなったよね」


「……おかげさまで。マナさんこそ、絶好調ですよね」


 真菜は双葉の問いには答えず、ただ微笑んでいた。

 そして何かを思い出すように、ゆっくりと呟いた。


「ねえ双葉ちゃん……何かが懸かったような真剣勝負だと、二勝二敗なんだよね、私たち」


 最初に“将棋ウォーリアー”で対局をしたときは、双葉の作戦勝ちだった。

 その二週間後、初めて対面して行った二度目の対局は、真菜の“穴熊囲い”に完敗だった。

 そのあとお互いの質問に答えるという賭けをした二回の早指し戦は一回勝って、一回負けた。


「ふふ。まるでタイトル戦みたいだね」


 二勝二敗で迎えた最終局。

 そこにはチケット以上に大事な何かが懸かっているような気がした。


 そこからは、真菜は何も言わなかった。

 双葉も黙ったまま、真菜の横を歩く。

 ラムネがプラスチックの容器に当たって、カラカラと乾いた音だけが二人の間で響いていた。


「おう、二人とも戻って来たか」


 道場に戻るなり、桑原が待ちかねたように二人を出迎えた。

 まだ時間には余裕があるはずだが、どうしたのだろう。


「ほらよ、決勝戦っつーことで、それなりのモンを用意しといたぜ」


 真菜は桑原から手渡された駒袋の紐を恐る恐る解き、そのなかから駒を一つ取り出す。


「え……うそ、これ……盛り上げ駒!?」


「え? え?」 


「オレの私物だ。貰いもんだがよ。まあ、たまには使ってやんねえとな」


 道場の中央に用意されていた椅子に座り、クリスマスプレゼントを慌てて開ける子供のように駒袋を開く。

 使い込まれて年季が入った駒には、年輪が綺麗に並んだ柾目まさめの模様がうっすらと浮かんでいる。


 本当にタイトル戦みたいになっちゃったね。

 双葉にだけ聞こえるよう、真菜が小さく呟いた。


 駒の美しさに見惚れながら、ぱちり、ぱちり、と交互に一つ一つ並べていく。

 とても綺麗な駒音だ。指に吸い付く漆の感触も心地いい。

 窓から入る太陽光を受けて、黒く煌びやかに字が躍る。書体は“源兵衛清安げんべえきよやす”。下に末広がりになっている文字は駒形への収まりを考えて調整されたものだ。その独特のバランスはどこか繊細で、でも自信にあふれた優雅な印象を受ける。

 ふと、微かに椿油の匂いが鼻に届いた。きっと今日のために桑原が手入れをしたのだろう。


 道具一つで将棋の腕が変わるとは思わない。

 それでも、この駒に込められた想いに恥じない戦いをしようと自然に身が引き締まる。


「――横に座ってさ、同じチームとして戦うのもすごく楽しかったけど」


 駒を並べ終えて、真菜がぽつりと言った。


「やっぱり……私たちはだよね」


 その目は真っ直ぐに双葉を見据えている。


 本気で向かい合って、譲れないものをぶつけ合う。


 たしかに私たちはずっとそうしてきた。

 そして、今日も。

 きっと、これからも。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・



 ☗双葉の将棋格言講座☗


 『焦点の歩に好手あり』


 焦点っていうのは、相手の複数の駒が利いている場所のこと。

 もしそこに自分のを打ったとするでしょ。相手からすれば、それを放置すると駒が取られちゃうし、逃げるとそこを攻めの拠点にされちゃうから、もちろん取らざるを得ないよね。そうすると相手の駒は、他の駒を邪魔する位置に動くことになるのね。そういう手は相手の陣形を乱すことにつながるから、好手になりやすいってこと。


 でもね、焦点のを打つってことは、そのあと激しい戦いが起こるのを避けることはできないんだよ。だって、じっくり“囲い”なんか作ってると相手は陣形を元に戻して、結局自分のが取られただけになるからね。

 これは、そういう覚悟のでもあるんだよ。

 ま、私の解釈だけどね。

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