☗『要の金を狙え』

 道場の片隅に個人戦の参加希望者が集まった。

 ざっと二十人くらいだろうか。ほとんどが見知った顔だ。なかには巴や小笠原の姿もあった。


「思ったより多いな。ひい、ふう、みい、よう……」


 桑原が人数を数える間、周囲を見渡してみる。二段が4人、初段が十数人、1級が3人。これなら誰が勝ってもおかしくはない。

 ふと、巴と小笠原が何かを気にしていたのでその視線を追うと、その先には九条がいた。反対側の壁際で悟と楽しそうに話をしている。九条は悟と同じく、応援に回ったらしい。


「サトルちゃん……なんかちょっと変わった気がする」


 隣の双葉が独り言のように呟いた。


「ううん、変わったっていうか……昔に戻ったみたい」


 なんとなく双葉の言っていることが分かる気がした。

 悟がこれまでまとっていた鎧のようなものが薄くなっているような感覚。他人に心を開いているとでも言えばいいのか。

 数年前、悟に初めて会ったときの雰囲気を思い出した。


「そだね。何がきっかけかは分かんないけど、きっと良いことだよね」


「でも、だからって今日会ったばっかりの女子とあんなに仲良くしなくてもいいのに」


 双葉が不満げに口を尖らせる。その気持ちも分かる。

 真菜は何も言わず、ただ黙って小さくうなずいた。


「おーし、好きなとこに名前書け」


 なにかのチラシの裏に書かれたアミダくじを桑原が掲げた。出場者たちが集まり、順番に名前を書いていく。

 真菜が最後に残った余白に自分の名前を記入し、桑原に渡す。


「あー、そうだ。個人戦にもちゃんと賞品用意してっからな。こいつはオレの自腹だ。ありがたく思えよ」


 桑原はそう言って、何かのチケットをポケットから取り出して真菜たちに見せた。


「ほれ、デスティニーランドのペアチケット。結構高かったぞ」


 その言葉で会場が沸いた。

 常連のお年寄りたちも「これは孫が絶対喜ぶ」と嬉しそうにはしゃいでいる。

 デスティニーランド――日本最大のテーマパーク、そのペアチケット。

 それをあの桑原が購入する場面を想像できず、理解するのに時間がかかってしまった。

 これはすごい賞品だ。もちろん金額的な意味だけではなく。


「マナさん」


 その声に振り向くと、後ろで双葉が決意に満ちた目で真菜を見ていた。


「私、マジで優勝狙いますから」


 優勝してペアチケットを貰うことができたなら、双葉は悟を誘うつもりなのだろう。当然、それは自分も同じだ。

 何もないところでいきなりデスティニーランドに誘うのは、ほぼデートへの誘いと同義であり非常にハードルが高い。だが「賞品」という文脈があれば別だ。「こんなの貰っちゃいました。せっかくなので一緒にどうですか」などと言うだけで済む。誘いやすさが格段に違う。


「もちろん……私もだよ」


 やるからには全て勝つつもりで臨む。そして優勝というのは、あくまでその結果に過ぎない。

 つまり、話はとてもシンプルだ。

 納得のできる将棋を指して、勝つ。考えるべきはそれだけだ。


 悟への想いと、将棋への思い。

 真菜のなかでその二つが噛み合った気がした。


 数分後、道場の壁に大きなトーナメント表が張り出された。

 人数の関係で戦う回数が多い人もいるが、だいたい四回か五回勝ち進めば優勝となる。


 トーナメント表の端から目を通すと、まず双葉の名前が目に入った。さらに流し見て、ようやく逆側の端の近くで自分の名前を見つけた。

 双葉が正反対のブロックにいることに、ひとまず胸を撫で下ろした。


 そして次に目に入った名前。

 ──巴英公。彼の名前が、自分の隣に書かれている。


「まさかこんなに早く」


 リベンジの機会に恵まれるとは。


「マナさん?」


 双葉の声で我に返る。

 無意識のうちに声に出ていたらしい。


「私、初めてだよ」


 なにがですか、と首をかしげる双葉に、一呼吸おいてから答える。


「これが……武者震いなんだね」


 震える手を握り込み、真菜は力強く息を吐いた。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・



 ☗双葉の将棋格言講座☗


 『要の金を狙え』


 相手のを守る“囲い”を攻略するのに一番厄介な駒は、やっぱりだよ。守備範囲が広くて、いろんな駒と連結してるからね。

 だから相手のを攻める際は、いきなり欲張って王手をかけるんじゃなくって、まずは“囲い”の要になっているを標的にせよ、ってそういう格言だね。「将を射んと欲すればまず馬を射よ」ってやつ。


 もちろん要のを取ってしまえればそれがベストなんだけど、実際には取れなくてもいいんだよ。をちょっと動かして駒同士の連携を無くすだけで十分に弱体化できるからね。

 の唯一の弱点は斜め後ろに動けないこと。そこを突いて、を斜めに誘い出すことができれば、すぐに元の場所には戻れなくなるから、そういう搦め手みたいなことができるようになれば、“囲い”の攻略がどんどん楽しくなるよ。


 今回の「デスティニーランドのチケット」も、まさに要のだよね。を詰ませるために、まずはから狙う。が手に入ってしまえば、もう攻略したも同然だからね。もちろんに逃げられないよう気を付ける必要があるんだけど。

 だから……逃げないでよね。

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