【手番】真菜

☖『下段の香に力あり』

 真菜たちの敗北から数十分後、団体戦の決勝戦は大いに盛り上がっていた。

 「平均年齢70歳越えのベテランチーム」対「平均年齢16歳の高校生チーム」という構図も観戦者の関心を引き立てた。


 真菜は敗北した相手である巴の対局を見つめていた。

 真菜との対局とは異なり、今回は持久戦の様相を見せている。

 “左美濃囲い”を作る相手に対して、巴は“美濃囲い”から“高美濃囲い”、さらに“銀冠”へと守備陣を発展させた。

 攻めに関しても、巴は“石田流本組いしだりゅうほんぐみ”を素早く作り上げる。をバランスよく配置したこの形は「振り飛車の攻めの理想形」とさえ言われる。

 

 同じ“三間飛車”でも、自分のときとは戦い方がまったく違う。

 真菜は盤面を眺め、下唇を噛みしめた。

 二回戦で戦ったときは、自分が“穴熊囲い”に組もうとした途端に、巴は“早石田はやいしだ”と呼ばれる急戦を仕掛けてきた。中途半端な“穴熊囲い”は駒の連携も取れず、気付けば防戦一方となっていた。

 対局相手の得意戦法を把握し、しっかりと対策を立てているのだ。もしかしたら休憩時間のうちに次の対局相手のことを調べたのかもしれない。それに比べて自分は「振り穴王女」などと呼ばれて舞い上がっていただけだった。


 真菜は小さくため息をつき、首を振った。

 終わったことを悔やんでも仕方ない。いつかリベンジしよう。


 気を取り直して隣の盤面に目を向ける。

 副将の小笠原は“右四間飛車”で猛攻を仕掛けていた。双葉との対局のときと同じような攻め方だ。おそらく巴とは違って、相手がどんな戦法を使ってきても迷わずに一点突破を目指すスタイルなのだろう。方向性に迷いが無いため、相手との持ち時間の差がどんどん大きくなる。終盤になると、この差が気持ちの余裕に繋がる。


 少し移動して三将戦を観戦すると、九条は“居飛車”から“振り飛車”へと転換する変わった戦法を使っていた。一度プロ棋戦で見たことはあったが、アマチュアで使っている人を見るのは初めてだった。

 相手は完全に翻弄され、囲いを作り直す隙を突かれて九条に攻め込まれている。


 気付くと隣に悟が立っていた。他の戦いには目もくれず、じっと三将戦だけを眺めている。やはり戦った相手のことが気になってしまうのだろう。

 よく見れば、双葉は副将戦に釘付けになっていた。やはり従兄妹だけあってよく似ている。


「……先輩、どうやってあれに対応したんです?」


 戦いの邪魔にならないよう、悟に顔を近付けて小声で話す。


「私でも初見だとかなり戸惑っちゃいますよ」


 悟の戦いを見たのは中盤以降だったが、悟がずっと押していたように見えた。


「んー、上手く守るのは無理って割り切って、とにかく攻めた」


 やっぱり似ている。

 危うく笑いそうになるのを真菜はなんとか堪えた。


 しばらく悟と三将戦を見ていると、隣の観客がざわついた。副将戦が終わったらしい。

 頭を下げているのはベテランチームの相手だった。小笠原の勝利だ。

 双葉が複雑そうな顔でその様子を眺めている。


「まずは高校生チームが一勝ですね。やっぱりこの子達、強いっすよ」


 その数分後、目の前の三将戦も終局となった。

 九条が序盤で稼いだ大幅なリードを終盤まで保ち続けたらしい。


「これで優勝は決まりか」


 悟が小さく呟き、真菜は静かにうなずく。

 残すは大将戦のみとなった。

 道場にいる全員が固唾を飲んで見守るなか、チェスクロックの秒読みの音声と、威勢の良い駒音だけが響く。


 “銀冠”に守られる巴のに王手が掛かる。すかさず巴は「銀の小部屋」と呼ばれる端のスペースにを逃がした。この位置のをすぐに寄せることは難しい。つまり、ここで攻めのターンは巴に移る。

 相手の“左美濃囲い”のなかのに狙いを定めた巴はを犠牲にしてを強引に動かした。駒の連結が切れた隙を突き、持ち駒を惜しまず投入して追撃する。


 そこから数手後、相手の「ありません」という言葉が静寂のなかに吸い込まれた。

 その瞬間、十数人の観衆から拍手が巻き起こる。

 「高校生チーム」の完全勝利だ。

 気付くと双葉も隣で拍手をしていた。


「おめでとさんよ。なかなか強くなってんじゃねえか。ほれ、これ賞品な」


 拍手が鳴りやんだのを見計らい、桑原が賛辞を贈りながら巴に封筒を渡す。優勝賞品の水族館のチケットだろう。だが、特に表彰式などは無いらしい。桑原らしいといえば桑原らしい。


「んじゃ、午後から個人戦だな。出てえ奴はこっち来い。アミダ作るからよ」


 桑原の言葉に従い、観衆の半数ほどが奥へと移動していく。


「……あ、そっか。個人戦もあるんだっけ」


 団体戦のことしか頭になかったが、たしかに桑原が以前言っていた。

 個人戦は当日にエントリーを受け付ける、と。


 ふと、横に立っている双葉と目が合った。

 言葉は何も交わさない。

 でも、考えていることはきっと同じだ。


 将棋は勝つときばかりではない。当たり前のこと。

 それでも、悔いの残る将棋を指したときは胸の奥に苦いおりのようなものが降り積もる。それを振り払うことができるのは、自分に胸を張れる将棋だけ。


「いってらっしゃい」


 その言葉に振り向くと、悟が二人の背中を押した。


「手合い割ナシだとさすがに俺は無理だから、応援してるよ」


 双葉が何かを言いかけて止める。

 たぶん同じことを自分も言おうとしていた。

 でも、悟の判断は正しい。桑原に付いていったのは有段者がほとんどだ。


「さあ、頑張ってこいよ」


 悟の激励を受け、二人は足を大きく踏み出した。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・



 ☖真菜の将棋格言講座☖


 『下段の香に力あり』


 よく槍とかロケットとかに例えられるですけど、一番力を発揮するのは下段に打ったときだっていう格言ですね。

 は後ろに下がることができませんからね。中途半端なところに打っても、駒の利くエリアが減るだけなので、使うときはできるだけ下段からって意識するといいってことです。


 後ろに下がれないのはの大きな弱点ですけど、しっかり下段から使えば破壊力は抜群です。

 を二つ重ねた「二段ロケット」、さらには三つ重ねた「三段ロケット」なんて技もあるくらいです。

 こうグッと力を溜めて、溜めて……そうやって踏み込みで深く沈んだあと、一気にジャンプするって感じです。上手く決まったら、ほんと気持ちいいですよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る