【手番】双葉
☗『玉は包むように寄せよ』
とても綺麗な人だった。
想像していた通りに。
二週間ほど前、双葉が“将棋ウォーリアー”で初めて真菜と対局をした日。勝ったのは双葉だった。研究していた四間飛車の対策が、ばっちりと成功した。
感想戦の代わりに気になった手だけを悟を通して伝えたとき、悟からの返信はこうだった。
『あとで伝えとく。いますごく悔しがってるよ。』
それはつまり悟が隣で見ている、ということ。
責任感の強い悟のことだ。対局を見届けたいと言ったのかもしれない。
でも、きっとそれだけではない。そんな気がした。
もしかしたら二人は既に付き合っているのかもしれない。
そう思ったら、居ても立っても居られなかった。
気付くと悟に「直接会って指したい」と送っていた。
自分の知らないところで、何かが変わっていくのはもう嫌だった。
実際に会った真菜は、想像していた通り綺麗な人だった。
それでいて親しみやすくて、朗らかで、明るくて。
こちらの無謀な攻めも柔らかく受け止めてくれる。そんな棋風通りの人だった。
真菜が悟に好意を寄せていることは一目で分かった。
そして、同じように自分の悟に対する気持ちが真菜に悟られていることも。
年上の従兄のことが好きだということを一度だけ学校の友人に相談したことがある。
友人は「え、おっさんじゃん。相手しないでしょ」とだけ言って、相談は終わった。
そのときは腹が立ったが、冷静に考えれば当然だ。一回り以上歳が離れている自分のことなんて、子供扱いするのが普通なのだろう。
でも、真菜は違った。将棋と同じように、自分の失礼な質問にも真正面から答えてくれた。
自分を対等なライバルとして扱ってくれているように思えた。それが何よりも嬉しかった。
もっとこの人のことを知りたい。そう思った。
自分はまだ子供だ。そんなことは痛いほど分かっている。
悟が家に泊めてくれるのも、自分が子供だからだ。
けれど、その線引きはどこなのだろうか。高校生になったら駄目なのか。それとも大学生?
その境界線を越える日まで、あと何年かかるのだろう。
自分にできるのは、形勢が変わるときまで攻め続けて時間を稼ぐことだけ。
それがたとえ無理筋な攻めだと分かっていても。
気付くと将棋盤が頭に浮かんでいた。とても大きな将棋盤だ。
そこに映し出されているのは、今日の真菜との対局だった。
堅い壁の奥にしまい込まれた
分厚い壁に阻まれて、なかなか手が届かない。いろんな手を尽くして、いろんな駒を犠牲にして、それでもまだ届かない。
攻めの手を緩めた瞬間に負ける。そのことがわかっているのに、もう攻める手立てがない――。
「――はっ」
目を開けると見慣れない天井とカーテンがぼんやりと浮かんでいた。
少し焦ったが、すぐにここが悟の部屋だということを思い出した。
「……なんか、やな夢」
枕元のスマートフォンで時間を確認する。深夜2時を過ぎた頃だ。
寝たまま手を伸ばしカーテンを少し開けると
気を紛らわすように、双葉は思い切り大の字に手足を伸ばした。それでもベッドの端には届かない。一人で寝るには大きすぎるベッドだ。
「別に私は一緒でよかったのに……」
リビングのソファーで寝ているであろう悟に向けて、双葉が小さくこぼす。
パジャマに着替えて寝る準備をしていたとき、悟は「俺、けっこうイビキかくから」と言い、タオルケットだけを持ってリビングに行ってしまった。
別に気にしないと双葉が言っても、そそくさとソファーに寝転がってしまった。
「喉……乾いた」
まるで自分に言い訳をするように呟いて、双葉は静かに寝室から足を踏み出した。
スマートフォンのバックライトを頼りに冷蔵庫のあるリビングへ向かう。
リビングの扉を開けると、ソファーからはみ出す大きな足が見えた。
ソファーの縁には寝る直前まで読んでいたであろう三手詰めの本が開かれている。
カーテンの隙間からはうっすらと月明かりが差し込んでいた。
すぐに雨は止んだらしい。
悟はよく眠っていた。とても、静かに。
「……うそつき」
静かな寝息をたてる悟の太い髪の毛を、双葉は優しく撫でた。
・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・
☗双葉の将棋格言講座☗
『玉は包むように寄せよ』
相手の玉を詰ませるためには、少しずつ端まで追い詰めたり、左右もしくは上下から挟み撃ちにしたりして、包み込むように追い詰めないとダメってこと。
初心者はすぐ「王手!」ってやりたがるけど、むやみに王手しても逃げられるだけだからね。しかも駒の無駄使い。
外堀を埋める、っていうとイメージが湧きやすいかな。
たとえば付き合いたいって思う人がいたとするよ。も、もちろん仮の話ね。
そんなとき、いきなり告白したって大体は引かれるだけでしょ。
相手にいま付き合っている人がいるのかどうかとか、いなければ共通の趣味は無いかとか、場合によっては交友関係だとか、いろいろ知った上でちょっとずつ仲良くなるのが手筋でしょ。
……まあ、負けるとわかっていて王手をする「思い出王手」なんて言葉もあるんだけどね。
プロ棋士でもたまにするよ。形作りのためだとか、心を落ち着けるためって言われてるね。
どうせなら私はやっぱり勝ち目のある王手をしたいけどね。
それでも……どうしても駄目だったら「思い出王手」を……するのかなあ。
あんまり考えたくないなあ。
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