☖『馬の守りは金銀三枚』
「ありがとうございました」
双葉との簡単な感想戦を終え、お互いに礼をする。
確かな手応えと成長の実感に真菜は包まれていた。
双葉のおかげで、強くなれた。
「なに? サトルちゃんも指したいの?」
横で静かに座っている悟に向けて双葉が言った。
隣を見ると、悟がこちらをじっと見ている。集中し過ぎていてすっかり忘れていた。
三人でリーグ戦なんかやってみるのも面白いかもしれない。
「あ、いや実は、さっきのトラブルが続いてるみたいで……ちょっと会社に行かないといけなくなった」
「えー!」
双葉が不満の声を上げる。
せっかく遠いところから遊びに来たのだから当然と言えば当然だ。
「ほんっと、すまん! たぶん2~3時間で返ってこれるから」
「先輩、なにか手伝えることあります?」
「いや、大丈夫。すぐ終わらせてくるから将棋して待ってて。あ、飲み物とか適当に飲んでいいから」
悟が冷蔵庫を指さし、申し訳なさそうに言う。
「まー仕事ならしょうがないけどさ。早く帰ってきてよ」
ノートパソコンを鞄に入れ、そそくさと出ていく悟の背中に向けて、双葉が小さく口を尖らせる。きっと悟には聞こえていないし、双葉も聞こえないことが分かっていて言っている。
悟が出て行ったあと、再び将棋盤を挟んで座った。
「じゃあ、もっかい指そっか」
「ん」
双葉が何かを考えている素振りを見せる。
意外だった。双葉も指したがると思ったのだが、他にやりたいことがあるのだろうか。
「あの……せっかくだから、勝負しません?」
「勝負?」
意図が読めず、真菜は首をかしげた。
「はい、勝負です。たとえば……負けた方がなんでも質問に答える、とか」
「なるほど」
お互いに聞きたいことはきっとたくさんある。悟がいない今はその絶好の機会だ。でも切り出し方がわからない。そこで勝負という形で双葉は切り込んできたのだ。
やっぱり攻めの棋風だなあ、と真菜は思った。
「いいね。やろう!」
「じゃあ持ち時間は少なめにしましょう。5分くらいでいいですか?」
「そうだね。さくさくやろっか」
持ち時間は5分、切れたら一手10秒の
早指し戦、一局目。
先手・後手を交代し、次は真菜が先手となった。
今回、真菜は角の交換を拒否した。
双葉が「また穴熊ですか?」と
一言も交わすことなく、真菜と双葉は会話をしている。
真菜の通う将棋道場には、真菜よりも強い人はたくさんいる。そういう人たちと指すのはもちろん勉強になることばかりだ。
でも、こんなにはっきりと会話ができたのは双葉が初めてだった。
きっと棋力も、読みの深さも同じくらいなのだろう。相手の手の意図が十分に伝わるし、自分の手に込めた思惑も伝わってしまう。初めての経験だった。
楽しい。ずっと指していたい。
だが、そんな真菜の想いとは裏腹に盤面は佳境を迎えようとしていた。
真菜の“穴熊囲い”は、ほぼ完成している。
対して双葉はほとんど“囲い”を作らず、攻めの準備だけを着々と進めている。
そんな対照的な局面のなか、最初に仕掛けたのは当然、双葉だった。
双葉は飛車を真菜の陣地に打ち込み、さらには
端攻めは“穴熊”対策の基本だということは真菜も当然知って対策済みだ。それでも双葉の徹底的な猛攻を凌ぎ切るのは至難の業だった。
ようやく双葉の攻め駒が切れたかと思った瞬間、双葉の手がさらに伸びる。
双葉の飛車切り金取り。
竜に成った飛車を放置することはできない。だが竜を取った瞬間に、取られた金を使われて双葉の攻めが継続する。断腸の思いで真菜は竜を取った。
そして数分後、真菜の持ち時間が無くなることを知らせるアラームが鳴る。
一手10秒という短い思考。そして焦りはミスを生む。
ほんの少しの受け間違いを、双葉は見逃さなかった。
「……負けました」
長い沈黙を破らざるを得なかったのは真菜だった。
「ねえ、双葉ちゃん……もしかして早指し、得意?」
「まあ、そこそこです」
遠慮がちな言葉とは裏腹に、自信たっぷりの表情を双葉が見せる。
真菜も早指し戦に苦手意識はなかったが、双葉の読みの速さは自分以上だ。
賭けに乗ったのは
「じゃあ、最初の質問していいですか」
いま双葉は「最初の」と言った。このあとも勝つつもりだと言っているのだ。おそらく無意識なのだろうが、それでもその言葉は真菜を奮い立たせた。
「あの……マナさんって……サトルちゃんと付き合ってるんですか?」
双葉の問いかけに対し、真菜は一瞬固まってしまう。
こういった質問が来るであろうことは予想してはいたが、ここまでストレートに聞かれるとは思っていなかった。
「あ、いや……そういうわけじゃない、けど」
違う、と断言しないのは真菜のせめてもの抵抗だった。
一呼吸のあと、真菜は一言付け足した。
「でも、最近すごく仲良くさせてもらってる、かな」
「……ふーん、そうなんですね」
卑怯かもしれないが、相手の動揺を誘うのも立派な盤外戦術だ。
もし、次も負けたら今度はどんな質問をされるかわかったものではない。
そして、早指し戦二局目。
一局目の激しさが嘘のように、静かな局面が続いた。
双葉はしっかりと“囲い”を作り、真菜から攻めてくるのを待っている。
だが慣れない指し方では今の真菜には勝てない。
「……ありません」
双葉は持ち時間をまだ残したまま、負けを認めることとなった。
「じゃあ、次は私から聞いていいかな?」
「……はい、どうぞ」
「先輩とは仲いいの?」
好きなのか、とはさすがに聞けなかった。さすがに大人げないと思った。
「まあ……普通です」
あれ? それだけ?
ずるくない?
腑に落ちない真菜は攻め駒を足すことにした。
「先輩は双葉ちゃんのこと、すごく可愛いって言ってたよ」
生意気になった、とも言っていたけど。
恥ずかしそうに照れる双葉が見られるかと思ったが、返ってきた言葉は予想とは違うものだった。
「そんなの……猫とか犬とかに言うのと同じでしょう」
寂しそうな双葉の目を見ると、真菜はそれ以上何も言えなかった。
この子もいろんな想いを抱えてここにいるのだと、今更ながらに分かった。
「……疲れましたね」
「……うん。ちょっと休もっか」
将棋で読み合いながら、それに加えての探り合いは神経の消耗が激しい。
飲み物を手に取り、一息つくことにした。
「じゃあ、クイズしませんか?」
ペットボトルを用意しながら、不意に双葉が言った。
「クイズ?」
「サトルちゃんに関する問題を出し合うんです。せっかくサトルちゃんのおうちにいるわけですし」
クイズという形式ではあるが、その中身はお互いが持つ悟の情報を交換するということ。
それならお互いにメリットになるでしょう、という双葉の言外の提案だ。
そして、クイズに勝った方は「悟のことを相手より知っている」という証になる。
自己満足以外の何物でもないのはわかっていて、それでいいと双葉は言っている。
危ういくらいに純粋な攻め。
「受けて立つよ」
こんなまっすぐな攻めを受けないわけにはいかない。
「じゃあ、私から問題出すね。第一問、先輩の会社でのあだ名は?」
「えっと……無愛想ゴリラ、とか」
「ひどい! たしかに先輩ちょっと無愛想だけど!」
先輩のこと好きだと思ってたけど、もしかして私の勘違い?
「正解は“ひえむー”でした。じゃあ次、双葉ちゃんどうぞ」
「第二問ですね。サトルちゃんは、なんでこんな広い家に住んでいるか知ってますか?」
「前の……彼女と一緒に住んでたから」
「……正解……です」
ねえ、やめよ? こういうのは二人ともダメージ受けてるじゃん。
「じゃあ次は私から。第三問、先輩の好きなお酒は?」
ほら、こういう感じの無難なやつにしよ?
真菜は声を出さずに目で訴える。
「……ビール?」
「ぶー。先輩はお酒飲めません」
「ずるい!」
「ひっかけ問題も立派な問題でーす。あ、先輩もうすぐ帰って来るって。思ったより早く終わったみたい」
悟からのLINEに気付き、双葉に伝える。
いつの間にかもう夕方になっていた。
「じゃあ、最後に私から……」
双葉が何かを決心したような目で真菜を見る。
「……日本の法律で、従兄妹同士は結婚できるでしょうか?」
黒く大きな瞳が真菜を捉えて離さない。
「それは……でき――」
「ただいまー! ごめん、遅くなって」
クイズの解答は悟の帰宅とともに時間切れとなった。
できる。できない。
もちろん答えは知っている。だが、正解を答えるかは別の問題だ。
真菜はどう答えようとしていたのか、自分でも分からなかった。
竜を切らせて金を取るような双葉の攻め。
負けず嫌いで、意地っ張りで、それでいて純粋で。
本当に、強い。
真菜は二人に見えないように小さく笑った。
そのあと、悟がお詫びにおごってくれるというので三人で夕飯を食べに外に出た。
さっきまでの心理戦が嘘のように、他愛もない話で盛り上がった。
「マナさん、明日ってヒマですか?」
駅での別れ際に唐突に双葉が言った。
「特に用事は無いけど、どうして?」
「明日、サトルちゃんに将棋会館に連れて行ってもらうんですけど……よかったらマナさんも一緒に行きませんか?」
前言撤回。この子の手が全く読めない。
だが、真菜に断る理由は無かった。
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☖真菜の将棋格言講座☖
『馬の守りは金銀三枚』
馬というのはもちろん龍馬、つまり角が成った駒のことです。
この馬はもちろん攻めにも使えますが、守りに使ったときの効果が絶大で、金や銀が三枚で守っているのと同じくらいの防御力ってことです。
上手い人は馬をしっかり自陣に引いて玉の近くで睨みを利かせるんですよね。
そう簡単に玉は取らせないぞ、っていう守護神みたいな働きをするので、本当大変なんですよ。
本当、とっても手強いです……。
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