☗『攻めるは守るなり』

 持ち時間は20分。時間が切れたあとは一手30秒の真剣勝負。

 

 初手は双葉が道を開けた。

 真菜も同じくを突き、道を開ける。

 双葉は当然のように真菜のを取る。真菜はを取り返し、“角替わり”の形となった。双葉が得意な形である。


 この局面は真菜の想定内だ。


 双葉の“将棋ウォーリアー”の対局履歴を調べると、相手が道を閉ざさない場合は全て交換を行っていた。

 もし自分が後手番となり相手が交換を求めてきた場合、“振り飛車”を使う真菜はそれを拒否することが難しい。を上げて、相手の先を守らなければならないからだ。

 真菜は序盤から交換をする激しい将棋に苦手意識を持っていた。だが、双葉と対局する場合は二分の一の確率でそんな局面に相対することになる。

 自分の苦手な戦法と向き合い、真菜は将棋道場の常連仲間との対局を通して対処方法を身に付けた。


「え……?」


 異変に気付いた双葉が声を上げた。驚くのも無理はない。これまで真菜は“将棋ウォーリアー”でこの“囲い”を使ったことは一度もないのだから。

 巣穴に籠もる熊のようにが最深部に隠れるこの“囲い”は、手順こそかかるものの、完成すれば鉄壁のガードを誇る。

 徹底的に守りを固める“穴熊囲いあなぐまがこい”である。


「穴熊……っ! 組ませるわけには!」


 真菜の“穴熊囲い”が完成してしまえば、“舟囲いふながこい”の双葉とは守りの固さで明確な差がつくことになる。

 棋力が近い者同士の戦いでは、守りの固さが勝敗を大きく左右する。つまり双葉の選択肢は二つ。“穴熊囲い”が完成する前に急戦を仕掛けるか、双葉も同じく“穴熊囲い”を作るか。

 だが、双葉が後者を選ぶことはないだろうと真菜は確信していた。そんな守りに徹した将棋を双葉が好むはずがない。


 双葉は焦ったようにを押し上げる。

 双葉の攻めに対し、真菜は交換して手に入れたばかりのを守りのために惜しみなく使う。

 そして双葉を牽制して手番を稼いでいる間に“囲い”を作っていく。

 局面は真菜の想定した通りとなった。

 最後ののハッチを閉め、“穴熊囲い”が完成した。

 

「マナさんが穴熊って……珍しいですね」


 静かな声で双葉が真菜に問いかけた。だが、その視線は盤上を睨んだままだ。

 さっきまでの和気あいあいとした女子トークの面影などどこにもない。


「うん。双葉ちゃんに勝つために、頑張って覚えた」


 できるだけ朗らかに言うものの、真菜も笑顔は作らない。

 真剣勝負の最中だ。


 双葉は少しでも守りを強化するため、“舟囲い”から“左美濃囲いひだりみのがこい”へと発展させていた。

 だが、“穴熊”との防御力の差は歴然である。


 “角交換四間飛車穴熊”。

 通称“レグスぺ”と呼ばれるこの戦法について、真菜は以前から知ってはいたものの、あまり好きではなかった。完全に守りに徹するこの“囲い”が真菜には消極的な姿勢に思えたからだ。

 だが、生まれて初めて心の底から本気で勝ちたいと願う相手ができたとき、真菜の考え方が大きく変わった。


 守るのは、勝つためだ。


「じゃあ、ここからは私も攻めるよ」


 真菜は宣言した通り、を動かした。双葉のと対面する位置だ。

 最初に双葉がの交換を要求したように、今度は真菜がの交換を迫る。


 奇しくも盤面は“大駒”全ての交換という前回の対局と同じような状況となった。


 それぞれの“囲い”と手持ちの大駒。そこからさらに戦いを仕掛けたのは、やはり双葉だった。

 片面に駒が偏る“穴熊囲い”はを打ち込む隙が大きい。惜しみなく“大駒”を打ち、大胆に駒を切って堅牢な壁を削いでいく。

 だが、真菜は削られた壁をすぐに補強し再生させる。壁の破壊と再生。一進一退の攻防が何手も続く。


 双葉の猛攻の最中、真菜はの横腹にを打ち付けた。

 もし双葉がそのを取れば、攻めの主軸であるを奪う。かといって攻め駒を足そうとしても、もちろんその隙にを取る。そんな攻撃的な意図を含んだ“受け”だ。つまり双葉は一旦引かざるを得ない。

 一時的にが離れ、双葉の怒涛の攻めが止まった一瞬の隙。

 それを真菜が見逃すはずがない。


 今なら相手に駒をどれだけ渡したとしても、すぐにが詰むことはない。通称ゼットと呼ばれる状態だ。

 真菜はその瞬間、守りのことを全て忘れ、攻めることだけに集中した。持ち駒を惜しまず双葉の陣地に投入していく。

 双葉もなんとか凌ごうとするが、一度受けに回ると防戦一方となる。


 そして、お互いに持ち時間を使い切り、30秒将棋となった頃。

 真菜のが双葉のを追い詰める。まだ王手はかかっていないものの、次の手で必ず“詰み”となる“必至ひっし”という状態。

 対して、真菜のはまだZを保っている。


 時間切れが迫ることを知らせる警告音が鳴ると同時に、双葉が頭を垂れた。


「ありません」


 つやめく黒髪が流れるように盤を撫でる。


 一呼吸おいて、双葉が顔を上げた。


「やっぱりマナさん、強いですね」


 双葉は悔しそうに、だがそれ以上に嬉しそうに笑った。

 大きな黒い瞳が輝いている。


「双葉ちゃんこそ、攻めるの上手いね。中盤はずっとヒヤヒヤだったよ」


 お世辞ではなく、真菜の本心だった。

 一見、無謀なように思える攻めが、後から見るとしっかり繋がっていることが何度もあった。

 少しでも甘い受けをしていたら、そのまま攻め切られていただろう。


「穴熊の攻め方は一応押さえてたつもりだったんですけど、マナさんの受けが上手くて、逆にどんどん駒を取られちゃって」


「ふふ。攻めるための準備が“受け”だからね」


「おお……! さすが“受け師”ですね!」


 再び和気あいあいと語り合う二人の傍らでは、「絶対に口出ししないで」という双葉の命令を律儀に守る家主が静かに佇んでいた。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☗双葉の将棋格言講座☗

 

 『攻めるは守るなり』


 将棋って“攻め”と“守り”のバランスをどう考えるかっていうのがすごく大事なんだけど、相手から攻められてるときに、ずっと守ってばっかりだと、そのまま劣勢になることも多いのよね。


 そんなときは思い切って自分から攻めてみる。それでもし相手が守るために駒を使ってくれたら、攻め駒が減ることになるでしょ。すると受けも楽になるってこと。

 分かりやすくいうと『攻撃は最大の防御』ってやつだね。


 でもこれって逆のことも言えて、自分が攻めることに意識しすぎて駒をバンバン使っちゃったら、いざ受けに回ったときには使える駒が無いってケースもあるのよね。

 マナさんとの対局はまさにそんな感じだったな。


 攻めるか、守るか。この判断が上手い人はやっぱり強いよ。

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