【手番】真菜
☗『四枚の攻めは切れない』
人前で泣くなんて、小学生以来だ。
恥ずかしいところを見せてしまった。
それに、つい意味深なことまで言ってしまった。
数分前の言動を思い返し、真菜は身悶えしそうになる自分を必死で抑える。
「周りから見たら、先輩が泣かせたみたいになっちゃいましたね。あははー」
できるだけ軽口をたたいてなんとか誤魔化してみる。
「声出してたわけじゃなかったし、たぶん誰も気づいてない。大丈夫だよ」
何も変わらない悟の態度から、そんなことをする必要は無かったと真菜はすぐに気付いた。自分から寄せられている好意に悟は全く感付いていない。
真菜は安心すると同時に、言葉にできない歯痒さに苛まれた。
「……それで、双葉ちゃんとの対局なんですけど、どこにしましょう。双葉ちゃんのお
悟の実家は電車で数時間の場所だということは聞いている。
汚名返上の機会をくれた双葉に会うためなら、その程度の労力を惜しむつもりはない。
それに悟と電車で数時間の旅なんて、とても魅力的だ。隣の席に座り、同じ風景を見て過ごす。道中で悟の思い出話なんかも聞けるかもしれない。ずっと将棋の話をしているような気もするけれど。
――ああ、駄目だ、駄目だ!
今日の敗因はそれだ。
悟のことを想うのはいい。その想いまで否定するつもりはない。
でも浮足立つな。集中を欠くな。
しっかりと目の前の状況を見据えて、為すべきことを為す。
そう、将棋と同じだ。
真菜は頭の中で勝手な妄想を繰り広げている自分を戒めた。
「私はどこでも大丈夫です。全力を尽くします」
「あー、それなんだけどな……」
密かに深呼吸をし、背筋を伸ばした真菜に向けて、悟が何か言いにくそうに頭を掻く。
「いま双葉から場所の提案があって……」
どこだろう。ちょうどいい中間地点があるのだろうか。
「……俺のマンションがいいって」
「なるほど!」
それは良い手だ。
双葉の好手に真菜は感嘆した。
悟の家に行ってみたい。その気持ちはきっと双葉も同じだ。
ならば、ここは攻めの駒を足す一手。
「たしかに先輩の家なら私も双葉ちゃんも落ち着いて対局できるでしょうね。いきなり将棋道場に連れて行っても緊張しちゃうでしょうし、まさかここに将棋盤持ってくるわけにもいかないですもんね」
「……南條はいいのか? それで」
「もちろんっすよ。一度先輩の家にお邪魔してみたかったですし」
「んー、じゃあそうするか……。それでいいって送っとく」
もうすぐ詰ませられるよ、双葉ちゃん。
真菜は見えないように小さく拳を握った。
「は? ちょっと勝手に決めんなよ」
びっくりした。
私じゃなく、スマートフォンに向けての独り言だ。
「あの、どうしたんすか?」
「ああ、ごめん。双葉が勝手なこと言い出して」
「勝手なこと?」
悟が黙ってスマートフォンの画面を見せる。
『サトルちゃんち泊まりにいく』
『お母さんもいいって』
攻めるなあ! さすが双葉ちゃん! 怖れを知らない攻めの棋風!
いや、感心してる場合じゃない。
「へえ……お泊り。いいっすねえ」
「まあ、日帰りするには遠いのは確かだけど……」
「あの……私も一緒にお泊まり会とかって……ダメっすかね?」
自分でも悪手だとわかっている。
でも悟の反応を見てみたい。その好奇心に負けてつい言ってしまった。
「いや、それはまずいだろ……普通に考えて」
「ですよねー」
冷静に却下された。
私は別にいいんすけど、と悟に聞こえないとわかっている声量で呟く。
でも逆に考えればいい。自分のことを異性と認識してくれているということなのだから。
その分だけ、きっと自分が“優勢”だ。
でも、この状況に
まさに今日、双葉の実直な強さを痛感した真菜は、静かに姿勢を正した。
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☗双葉の将棋格言講座☗
『四枚の攻めは切れない』
相手の玉を“寄せる”、つまり詰ませるところまで持っていくためには、駒が四枚必要になる、っていう話。もちろん例外もあるから、あくまで一つの目安。
攻め切るか、受けに回るか、駒を補充するか。終盤はいろんな選択肢があるけど、この格言を一つの目安にすると判断しやすいかもね。
ちなみに四枚っていうのは手持ちの駒だけじゃなくて、盤上にある有効に使える駒もカウントするのね。
手駒が少なくても盤面全体を見れば、意外と使えるものがあるかもしれない。そういう風に考えて、できるだけ視点を広くするのがポイントね。
ただ最近では攻めの技術が全体的に向上したこともあって『三枚の攻めは切れない』って言う風にも言われてるみたい。
私は三枚あったら攻めちゃうかな。きっとマナさんは四枚ないと攻めないタイプだろうな。
この辺も性格が出るから面白いね。
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