☗『玉飛、接近すべからず』
双葉と対局をしたのはつい先週末のこと。
そして今日は何故か双葉と真菜が対局しようとしている。
双葉が望んだ理由も、真菜が快諾した理由も、悟は理解できていない。ただ成り行きを見守る他なかった。
「もし勝てたら、何かご褒美くれます?」
「勝ったら、またお願いごと聞いて」
対局の日程の連絡などを二人の間で仲介しているとき、双葉と真菜の両方から同じようなことを言われた。
どちらが勝っても何かはするのか、と少し腑に落ちなかったが、これも恩返しの一環だと考え、悟は承諾した。
これから始まるのは“将棋ウォーリアー”の友達対局。持ち時間は10分で、それが切れると自動的に負けとなる。
順当に考えれば、初段の双葉よりも二段の真菜の方が強いのだろう。だが、勝負は終わるまでわからない。
対局の時間まではまだ少し余裕がある。
悟は落ち着かず、何度もコーヒーを口に含んだ。
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃいました。あ、すみませーん、カフェラテひとつお願いしまーす」
待ち合わせ場所のカフェに真菜が到着し、着席と同時に注文をした。
いつもと同じメニュー、いつもと同じ場所だ。
だが、真菜の
服装やメイクのせいだろうか。とても華やかに見えた。
「どうしたんです? 先輩」
「ん、ああ。普段と雰囲気が違うなと思って」
「ふふ。まあ今日は私服ですから」
「あれ? でも最初にここで会ったときは、なんていうかこう、もっとシンプルな」
Tシャツにジーパンとかだった気がする。あと眼鏡。
「あれは完全なオフモードだったからです! 忘れてください!」
なぜか怒られたので、悟は「すまん」と謝った。
「ああ、そうだ先輩。対面だと画面見づらいでしょ? どうぞ横に座って見てくださいよ」
真菜がそう言って、ソファーをぽんぽんと叩いた。
真菜の言う通りだと思い隣に座ったのはいいが、どうにも落ち着かない。
真菜が動くたび、柑橘系の爽やかな香りが鼻に届く。
そのあと苦手な戦法や、やられると腹の立つ戦法などの話で盛り上がっていたら、あっという間に対局の時間となった。
スマートフォンが震え、確認をすると双葉からLINEが届いていた。
『よろしくお願いします』
『って伝えて』
真菜に伝えると、真菜も「よろしくお願いします」と自分のスマートフォンにむけてお辞儀をした。
その姿勢だけで、二人は自分よりもずっと高いところにいるのだな、と悟は実感した。
そして対局が始まった。
先手は真菜、後手は双葉。
「私の使ってるのは“四間飛車”って前に言いましたよね。こうやって角道を止めてじっくり戦うのを“ノーマル四間飛車”って言うんです」
真菜が飛車を振り、解説をする。
「ギリギリまで角交換はさせません」
双葉が飛車先の歩を進め、真菜は角を上げて守る。
二人とも、ほぼノータイムで指している。おそらく定跡の範囲内なのだろう。
「双葉ちゃん、守り始めましたね。ガンガン攻めてくるかと思ったんですけど、意外ですね。じゃあ、こっちも“囲い”を作っていきます」
二人の玉が飛車とは反対側に逃げ、その周りを金や銀で紐づけていく。
「双葉ちゃんのは“
対局中のせいか、真菜のテンションがいつもより高い。
「……あれ? “腰掛け銀”じゃない?」
双葉の銀の位置が自分の知っているものと違う。
悟の質問に真菜は即答した。
「ええ。対四間飛車の定跡ですね。双葉ちゃん、しっかりと研究してるみたいです」
“将棋ウォーリアー”のなかで数ヶ月分の対局履歴が見られることは悟も知っていた。
双葉はそれを見て真菜の得意戦法を分析し、しっかりと対策を練ってきたということ。
双葉は本気で対局に臨んでいる。そのことを悟は自ずと理解した。
「いよいよ攻めてきましたね」
双葉の銀がさらに前進した。
いつしか頭の中でイメージした“フックの打ち合い”。それが今、目の前で繰り広げられている。
「あれ? これ、なんか似てるような」
双葉の攻め方が自分の知っている戦法を連想させた。
「“斜め棒銀”ってやつです。普通の“棒銀”は直線的に来ますけど、振り飛車に対しては斜めに攻めてくるんです。でも目的は同じです。“銀”で“飛車”の通り道をこじ開ける」
このままだと角の弱点である頭を銀で攻められるのではないか。
そんな悟の懸念を感じ取ったのか、真菜は自信たっぷりに言い放った。
「大丈夫。“四間飛車”は、この歩を突くことで一気に動き出すんです」
突き出されたのは、それまで角道を止めていた歩。
それと同時に飛車と角が解放される形になる。
「この瞬間のために“四間飛車”を指してるって言っても過言じゃないです」
そこから先はあっという間だった。
互いに飛車と角の両方を交換し、
残っているのはそれぞれの“囲い”と端で佇んでいる桂馬と香車だけ。
「“美濃囲い”の方が堅いので、その分だけこっちがちょっと優勢って感じですね」
悟に向けて真菜が言った。悟から見ても、双葉の“囲い”は少し頼りなさげに見えた。
「うんうん、やっぱり桂馬取りにくるよね。これを守ろうと銀が動いたら隙ができるから……なるほど、それが狙いか。じゃあ、ここはこう」
もう真菜の言葉は悟に向けたものではなくなっていた。
きっと駒を通して双葉と会話をしている。
真菜が飛車を打った。
ぱちん、と大きな駒音が聴こえた気がした。
「その桂馬はあげる。でもその間にこっちは飛車を竜にして、じっくり攻める」
真菜が楽しそうに語り合っている。
だが、次の瞬間、様相は一変した。
「え? 飛車を合わせてきた!? これ取ると、桂馬跳ねられて、そのまま……」
これまでテンポよく指していたのが嘘のように、真菜が静かに長考する。
「じゃあ、こっちの桂馬を取る」
ぽつりと小さく真菜が呟いた。
「と金のタダ捨て? なるほど飛車を通すのを優先したわけね」
真菜は笑っているが、先ほどまでの余裕はもうどこにもなかった。
「角打ち!? ……なるほど、じゃあ銀を合わせる。香車はあげる。でもそっちの馬はもう働かない」
悟にはどちらが優勢なのかわからない。
だが、真菜の焦りは十分に伝わってきた。
「は? 角切り!? これは……取るしか、ない」
真菜の表情から笑みが消える。
双葉が銀を打つ。
「この銀を取ると……さっき取られた銀を打たれて……でも、取らないと……」
それは悟にもわかるほど、明快な手だった。
王手金取り。真菜の玉は逃げるしかない。
双葉が金を取り、玉の一歩手前まで迫る。
「銀じゃ……受けにならない。逃げる……桂馬……金……ぴったり詰み……。じゃあこっちから竜を切って……だめだ……繋がらない……」
一分ほどだろうか。
騒然としているはずのカフェに、黙祷のような沈黙が訪れた気がした。
「……先輩。双葉ちゃんにメッセージ送ってくれますか」
真菜が顔を上げ、震える声で悟に言った。
「ありません、って」
その言葉と同時に、真菜の両眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。
悟はただ黙って見ていることしかできなかった。
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☗双葉の将棋格言講座☗
『
これは単純だよ。玉と飛車を近づけちゃダメってこと。
たとえば玉と飛車が隣にいたとするでしょ。すると、王手をかけられたとき、あっけなく飛車が取られちゃうことがよくあるのよね。
サトルちゃんも知ってると思うけど、飛車の近くは戦いが起こりやすいから、玉は離すのがセオリーなわけ。要するに、戦うときは戦いだけに集中しないと痛い目を見るよって話。
まあ、例外もあって、あえて飛車の方に玉を近づける“右玉”って戦法もあるんだけど、上級者向けだからサトルちゃんは真似しない方がいいよ。
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