☖『位を取ったら位の確保』

「あーー、それは惜しかったっすね!」


 双葉と対局をした翌日、仕事帰りにいつものカフェで対局の内容を伝えると、真菜は悟以上に悔しがってくれた。

 既に結果だけはLINEラインで送っていたが、できるだけ詳細を知りたいと言われ、悟は覚えている限りのことを説明した。


 一局目の終盤、悟が五手詰めを見逃してしまったこと。

 二局目は気が付かないうちに勝っていたこと。

 三局目の激しい攻め合いで、一手及ばず負けたこと。


「でも一回は勝てたんですよね。とりあえずプチリベンジはできたってことで」


「おかげさまで。ただ、どうやって勝てたのかもわからないんだけどな。負けた対局はしっかり覚えてるのに」


「“勝ちに偶然の勝ちあり、負けに偶然の負けなし”ってやつですよ。まあ、これは剣術の名言ですけど、将棋も戦いですから」


 将棋も戦い。その言葉を聞いて、悟の頭のなかで双葉との対局の感覚が蘇る。

 そうだ、あれは戦いそのものだった。

 互いに間合いを測り、小さな攻撃から大きな攻撃へと繋いでいく。

 相手の攻撃を予測し、できる限り未然に防ぐ。

 そして先に急所へ一撃を入れた方が一本。

 悟は格闘技に触れた経験は無かったが、直感的に理解できた。

 

「で、先輩はお願いを聞くことになったんすよね? ……どんなお願いされたんです?」


「ああ、そのことなんだけど、頼みたいことがあって」


 悟は姿勢を正し、真菜に双葉の要望を伝える。


「南條と対局したいって」


「へ? 私と? イトコちゃんが?」


 面食らう真菜に向けて、悟がゆっくりとうなずく。


「ああ、嫌なら嫌って言ってくれていいからな。あいつにも相手が希望しなきゃダメって言ってある」


「いや、ぜんぜん嫌とかじゃないんですけど……どうしてまた?」


「俺に将棋を教えてくれてる同僚がいるって話をしたら、興味を持ったみたいでさ」


「ほう、ほう……なるほど、なるほど」


 何かを考えている真菜は、まるで将棋の最中に手を読んでいるように見えた。


「……先輩、対局はもちろん全然構わないんですけど、いっこだけ聞いていいですか?」


 もちろん、と悟は答える。


「私のこと……イトコちゃんにはなんて伝えたんです?」


 悟には質問の意図がわからなかったが、双葉との会話を思い出しながらそのまま答える。


「ええっと、将棋の強い会社の後輩がいて、週に何回か将棋を教えてもらってるって」


「それだけっすか?」


「ああ、あと“将棋ウォーリアー”のプロフィール画面見せて、女性なのかって聞かれた」


「ふむ、ふむ……わかりました、受けて立ちましょう! 実は私もイトコちゃんと対局したいなって思ってたんですよ。まさに僥倖ぎょうこうです!」


「僥倖……」


 偶然のラッキー、とかそういう意味だったか。難しい言葉を使うものだ。


「ああ、気にしないでください。ちょっとした将棋界の流行りワードみたいなもんですから」


 真菜の言っていることの意味はいまいちわからなかったが、ひとまずは快諾してくれたことに悟は安心した。


「でも、どうやって対局します? やっぱり“将棋ウォーリアー”で?」


「ああ。南條があいつのアカウントを友達登録してくれたら、対局できるんだよな」


 悟は“将棋ウォーリアー”の友達一覧の画面を開き、一人増えたのプロフィールを真菜に見せた。


「えっと、アカウント名は……“seedシード_leafリーフ”?」


「これ双葉って意味らしい。名前が双葉だから」


「へー双葉ちゃん……。可愛い名前っすね。きっと本人も可愛らしいんでしょうね」


「最近は妙に生意気になっちゃったけどな」


 悟の言葉でクスクスと笑いながら、真菜が自分のスマートフォンにスペルを打ち込む。


「お、いたいた。はい、登録完了っす! じゃあ、いつにします? 私はいつでも大丈夫ですよ!」


 前のめりに聞いてくる真菜に、悟は少したじろいだ。

 きっと対局を受けてくれるだろうとは予想していたが、ここまで乗り気になられるとは思っていなかった。


「えっと、双葉もいつでもいいって言ってたから、南條の都合の良い日を指定してくれていいよ」


「そうですか、じゃあ……」


 真菜がうつむき、スケジュール帳を開くでもなく何かを考えている。

 数秒間の沈黙のあと、真菜が悟の顔をうかがうように見上げた。


「先輩、私と双葉ちゃんの対局、どうなるのか気になりますよね?」


「え、ああ。もちろん」


「せっかくだから観戦したいですよね?」


「ああ、そうだな。できれば見たいな」


「じゃあ……次の日曜日にしましょう。休みの日にゆっくり集中して対局するんで、隣で見ててください!」


「え? ああ、わかった。じゃあ向こうにもそう伝えておくよ」


「楽しみにしてますね」


 何かを含んだような真菜の笑顔が気になりつつ、悟は双葉に日程の連絡をした。

 すぐに双葉から「了解!」とだけ大きなスタンプが返ってきた。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☖真菜の将棋格言講座☖

 

 『位を取ったら位の確保』


 “くらい”っていうのは盤の五段目のこと。つまり相手と自分のちょうど真ん中のエリアのことっす。を二回進めて五段目に行くことを“位を取る”っていうんですけど、そこにがあると攻撃の起点にしやすいんですよ。

 でも、逆に相手も攻めやすいところなので、もしせっかく進めたを取られちゃったら、わざわざ二回も使った手番が無駄になっちゃいます。なので、そうならないようにしっかり確保せよ、ってことです。

 分かりやすく言うと、苦労して何かを成したのであれば、ちゃんとリターンを得るまで頑張れってことっすね。


 さしずめ、双葉ちゃんはせっかく先輩に勝ったのだから、そこを起点にして攻めを続けたいってところでしょうか。そして私はその“位”を奪ってこちらの攻めの起点にしたい、と。

 え? 意味がわからない。まあ、先輩はまだわからなくても大丈夫ですよ。

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