【手番】双葉
☖『序盤は飛車より角』
初めて悟と対局した日から、双葉はずっと落ち着かない日々を過ごしていた。
あの日、つい口にした台詞が頭の中で何度も響き、その度に双葉は頭を抱えた。
――サトルちゃん、雑っ魚。
完全に初手を間違えた。投了ものの大ポカだ。
あんな言い方をせず、優しく教えてあげればよかったのに。
「きっと気分悪くしたよね……。夕ご飯も食べずに帰っちゃったし」
対局のあとすぐに悟は帰ってしまい、双葉はそんな反省の溜息を何度もついた。
次の対局の約束はしたものの、双葉は不安で仕方がなかった。その二週間後、悟から“駒落ち戦”の提案があったときは心底ほっとした。
でも悟だって悪いのだ。初心者なら初心者だと最初に言ってくれればよかったのに。あんなに自信満々な態度で来られたら、こちらが期待してしまうのも当然じゃないか。
大きな溜め息をつき、双葉はそう居直った。
誕生日プレゼントで買ってもらった将棋盤と駒で、記念すべき初めての対局相手は悟がいいと前から決めていた。けれど、どうしても自分からは言い出せず、母に頼んで悟に連絡を取ってもらった。そこまでは良かったのに。
それに“振り駒”だってしてみたかった。テレビやネットで見るプロ棋士は、対局前に五枚の歩を振って表裏の枚数で先手番と後手番を決める。せっかく実際に対局をするのだからと意気込んで、上手く振れるように練習だってした。それなのに悟は先手を譲ってきた。
それも悟の自信の表れなのだと思い、渋々受け入れた。だが、あれは自信などではなく、悟が自分を甘く見ていただけなのだと気付いたとき、苛立ちは最高潮に達した。そして、あんなことを言ってしまった。
昔から悟はいつも自分のことを「可愛い可愛い」と言ってくれた。
でも、ある日ふと気付いた。私が欲しいのは、その「可愛い」じゃない。
悟に恋人がいるということを知ったのも、ちょうどその頃だった。
相手は学生時代からの付き合いで、そのうち結婚するだろう、という話を母から聞いた。失恋と呼ぶにはあまりに小さく儚いものだったが、それでも十分すぎるほど苦い経験だった。
それから少しして、悟が恋人と別れたという話を親戚の人たちが噂しているのを耳に挟んだ。正月の集まりで、悟が帰省していないのは失恋のショックで寝込んでいるからだ、と酔った親戚が冗談めかして笑っていたのを聞き、不愉快で仕方がなかった。悟の不幸を喜んでいる自分に対しても。
中学入学のお祝いでスマートフォンを買ってもらい、何度も悟に連絡を取ってみようと考えた。でも、どうしても指が動かなかった。
将棋という競技を知ったのも、その頃だった。
ニュースで自分と似た年頃の中学生が大人と対等以上に渡り合っていることを知り興味が湧いた。スマートフォンでも遊べることを知り、気まぐれでアプリケーションをダウンロードした。そこには想像だにしなかった奥深い世界があった。
好きなものは突き詰めないと気が済まない性格の双葉は、あっという間に将棋にのめり込んでいった。ネットで様々な戦法を調べ、日曜日の朝に放送している将棋のテレビ番組も毎週観るようになった。テレビのなかのプロ棋士がよく使っている戦法に憧れ、その戦い方を身に付けた。
「そういえば悟ちゃんも昔おじいちゃんと将棋してたわね」
将棋に没頭している自分を見て、母が何気なく発した言葉を聞いてからは、さらに将棋の勉強に熱が入った。
年齢も、性別も、運ですらも関係なく、ただ強い人が勝つ世界。
これなら自分でも悟と対等の立場で戦える。
そしてお互いに不本意な結果に終わった一度目の対局から一ヶ月が経った今日。
いつも自分を子供扱いしていた悟が、いま眉をしかめて本気で向かい合っている。
たしかに私は初手を間違えた。
でも、今の局面も決して悪くはない。
目の前の悟に聞こえないよう、双葉は小さく笑った。
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☖真菜の将棋格言講座☖
『序盤は飛車より角』
角より飛車が好き。そんな人は多いんじゃないでしょうか。もちろん私もその一人っす。
でも、序盤に関しては角の方が使えるっていう、こんな格言もあるんです。
駒組をしている最中って、どうしても下段に駒が集中するじゃないですか。そんなとき、飛車を交換しても打ち込む隙ってあんまり無いんですけど、角なら上手く歩の壁をすり抜けて馬にパワーアップできることも多いんですよね。
なので敢えて自分の飛車と相手の角を交換してみるのも一つの手ってことっす。
まあ、それでも私は飛車の方が好きなんで、交換なんてしませんけど。
将棋は序盤だけじゃないですからね。序盤で差をつけられても、中盤・終盤で追いつけばいいだけっすから。
さあ、私も頑張らなきゃ。
え? いえいえ、独り言っす。
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