☖『玉の守りは金銀三枚』

「さて、ここで先輩の前には大きな分かれ道があります」


 どんな戦法があるのかと軽い気持ちで聞いた悟に対して、真菜は一呼吸おいたあと真剣な目で語った。


「最強の攻め駒は言わずもがなです。このをどう使うかで、戦法は大きく二つに分かれます」


 眼鏡をくいっと上げて真菜が続ける。

 まるで教師のように話す真菜の仕草が妙に様になっていて、悟は少し可笑しかった。


「最初のの位置は右側ですよね。この右側のままを戦わせるのが“居飛車”、そしてを左側に動かして使うのが“振り飛車”です」


「ああ、なんか聞いたことあるな」


「基本的にはの近くは戦場になりますから、はその逆の方向に逃がして守ります。でも、だけが反対側に逃げてもすぐに詰められちゃうので、を使って“囲い”を作ります。王様を守る親衛隊みたいな感じっすね」


 つまり、“居飛車”の場合は右側で戦いが起こり、は左側で守る。

 逆に、“振り飛車”の場合は左側で戦いが起こり、は右側で守る。

 悟が頭のなかでイメージ図を描いていると、ふと疑問が湧いた。


「ん、でも相手がどっちの戦法でくるのかによっても戦い方って変わるよな?」


「良い質問っすね! じゃあわかりやすく説明しましょう。先輩、ちょっと右手でグーを作ってください」


 真菜の言う通りに悟は右手を出して握る。

 真菜も同じように右手で拳を作った。


「このグーがだとします。じゃ、いきますよ」


 そう言うと真菜は右の拳をゆっくりと繰り出した。

 悟はそれを反射的に左手で受け止める。


「さあ先輩も。ほら、ほら」


 真菜が左手を開き、悟の方に向けてひらひらと動かす。

 悟はようやく意図を理解し、右手を突き出した。


「これが“居飛車”対“居飛車”の戦いっす。“あい居飛車いびしゃ”って言います」


 お互いがパンチを打ち合い、逆の手で受け止めている形になっている。

 

「こうやっては上から攻められるので、縦の攻撃に強い“囲い”を作る必要があるわけっす」


 そう言うと、真菜は悟の拳を軽く握り込んだ。

 真菜の不意な行動に、悟は表情には出さず少し狼狽うろたえた。


「ああ、なるほど……」


「これとは逆に両方とも“振り飛車”だったら、この形がそのまま左右反転するわけです。“あい振り飛車ふりびしゃ”です」


 なるほど、非常にわかりやすい。

 だが、そろそろ手を離してもらえないだろうか。あまり他の客がいないとはいえ、少し恥ずかしい。

 

 そんな悟の想いが通じたのか、真菜は左手を開き、悟の拳を解放した。


「さて最後のパターンです。先輩はそのまま“居飛車”で、私が“振り飛車”になります」


 真菜が今度は左手で拳を作り、悟の前に突き出してくる。

 二人の間で拳と拳が触れる。


「こんな感じで“居飛車”対“振り飛車”の戦いはお互いの攻めが激しくぶつかります。これを“対抗型”って言います。んで、この形の場合は攻めをかいくぐると……こうなります」


 真菜の左拳がフックのように弧を描き、悟の左手を狙う。

 悟は掌を横に向け、真菜のフックを受け止める。


「ああ、なるほど。縦じゃなく横に強い“囲い”にしなきゃいけないってことか」


「さっすが先輩! 理解が早いっすね」


 真菜は嬉しそうに自分の拳をぺちぺちと悟の掌に当てた。


「つまり俺が考えるべきは、どっちの戦法を選ぶかと、相手の戦法に合わせた2パターンの“囲い”を覚えるってことか」


「そういうことっす! なかには“穴熊”みたいに縦にも横にも強いガッチガチの“囲い”もありますけど、作るのに手数がすごくかかるので、まあ良し悪しっす」


 ようやく真菜が両手を引いたので、悟も同じく机の上に戻す。


「“居飛車”と“振り飛車”はどういう違いがあるんだ?」


 率直な悟の質問を受け、真菜は嬉しそうに答える。


「大まかな傾向としては、“居飛車”は自分から攻めていくタイプで、“振り飛車”は相手の攻撃をしっかり受けるタイプっすね。もちろん例外もありますけど」


「ちなみに南條はどっちなんだ?」


「私ですか? 私は“四間飛車しけんびしゃ”っていう左から4筋目に飛車を振る生粋の“振り飛車党”っす!」


 真菜はそう言って左拳を握って見せた。

 そういえば双葉は飛車を横に動かさずにそのまま攻めてきたから、“居飛車党”ということになるのか。

 悟の頭の中で、なぜか双葉と真菜がフックを打ち合うイメージが浮かんだ。


「私としては先輩にも“振り飛車党”の仲間になってもらいたいのはやまやまなんですが、ずっと付き合っていく戦法は自分の棋風きふうに合うものが一番ですからね」


「きふう?」


「戦い方の性格みたいなことっす。私は受け将棋が合ってるんで、ずっと“四間飛車”一筋っす」


「へえ、なんだか意外だな」


 てっきり自分から切り込んでいくタイプのように思っていたが、自己評価はそうでもないのか。


「私、大事なところは受け身っていうか、臆病っていうか……。まあ、そういう深層心理がモロに出るとこも将棋の面白さですよ」


 何故か真菜が恥ずかしそうな素振りを見せるので、悟は話を本題に戻すことにした。


「俺はどっちかというと自分から攻める方がいいな。初心者でも覚えやすい攻める戦法はどういうのがあるんだ?」


「先輩はそうだと思いました。“振り飛車”にも攻める戦法はありますが、まずは“棒銀ぼうぎん”を覚えるのが良いと思うっす」


「ぼうぎん?」


「“居飛車”の代表的な戦法です。二筋にすじを突破する戦法で、シンプルですが攻撃力は満点っす」


 真菜はまた右の拳を握り、ジャブを何度も繰り返した。


「うん、シンプルなのはいいな。あんまり複雑に考えるのは苦手だからさ」


「決まりっすね。じゃあ“棒銀”の初心者向けの本を見繕いますよ。詰将棋は私が昔使ってた三手詰めの本があるんで、それを差し上げます!」


「おお、何から何まで悪いな。今度、昼飯でもおごるよ」


「なに言ってんすか。これくらい、いくらでも……いつでも相手しますから!」


「ありがとな。ほんと助かる」


 打倒双葉に向けて心強い助っ人が味方についてくれたことで悟は安心しきっていた。

 だが、6級が一ヶ月で双葉初段に挑戦する。それがどれだけ無理筋なことなのか、悟にはまだ理解ができていなかった。

 

 そして、真菜の顔がいつもより少しだけ赤いことにも、気付いていなかった。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☖真菜の将棋格言講座☖

 

 『玉の守りは金銀三枚』


 初心者は攻めることばっかりに意識がいっちゃって守りが疎かになりがちなんで、この格言をしっかり覚えとくのがいいっす。イケイケで攻めてても、“囲い”が無いと一瞬の隙で詰んじゃいますからね。……まあ、先輩のは固いので、大丈夫だと思いますけど。いえ、こっちの話です。


 『攻めは飛角銀桂』の格言と組み合わせると必然的にを守るのは二枚と一枚ってことになりますよね。これが“囲い”の基本っす。

 攻め方を覚えるのと比べたら地味かもしれないですけど、“囲い”にもそれぞれメリットとデメリットがあって個性豊かなんで、いろいろ試してみるのも面白いですよ。

 

 ああ、そうだ。プロの棋戦だとあんまり囲わずに戦うこともありますけど、あれはプロだからできることですからね。素人が同じことすると大怪我しますからね。マネしちゃ駄目ですよ!

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