人熱発電病院

雨が降りしきる或る日の午後。時折雷も鳴り響いていた。辺りは停電しており、明かりの点いている家や建物は無かったが1つだけポツンと明るい病院があった。ここではある画期的な発電方法が採用されている為このような時でも停電に困ることは無いのだ。そして今その院内で外科手術が行われていた。ACL再建術、つまり膝の断裂してしまった靭帯を太ももからとってきた筋で直すのだ。その手術が終わると看護師たちは彼をベッドに乗せて手術室の外へと運び出した。

「手術は上手くいきました。問題なくリハビリも進めばまたバスケットボール出来ますよ。」

「あ、有り難うございます。」

彼は半年ほど前に前十字靭帯を断裂してしまった。サークルでバスケットボールの練習をしていてレイアップシュート後の着地時に右の膝を勢いよく内側に捻ってしまったのである。負傷して直ぐの頃は膝がメロンのように腫れ上がったがようやくその腫れも引いた。靭帯が切れたままでも日常生活でそれ程動き回ることが無ければ一応過ごせるらしいが彼は今後もバスケットボールを含め体を動かすことは続けたいと考えていたので今回手術を受けたのだった。

「今はまだ麻酔が効いているので大丈夫でしょうが今夜、明日辺りから鈍痛が現れてくると思います。その時はナースコールのボタンで私たちを呼ぶか食事を持ってきた時に声をかけて下さい。痛み止めをお持ちしますから。」

「分かりました。」

彼らは早足でベッドを押して暫く廊下を進んで彼の病室へと戻ってきた。

「はい、着きましたよ。今ベッドを定位置に固定しますからね。」

「じゃあ、私は毛布持ってくるわ。」

「はい、お願いします。」

「痛み止めが欲しい時はこれを押せば良いのですね?」

「はい、それです。今日はこのまま安静にして頂きますが明日からは軽めながらも直ぐリハビリですからね。」

「明日からもう始まるのですか?」

「そうですよ。動かさないと腱を取った筋肉が固くなったり血の循環が悪くなって回復が遅れてしまうんですよ。」

「さあ、毛布持ってきましたよ。今は体を温めてゆっくりと休んでください。どうですか、もう寒くないですか?」

看護師はそう言って彼に毛布をかけた時、彼女は下の方を見て目を丸くし先程までの穏やかな様子からは想像もつかない、鋭い声でもう一人の看護師を叱りつけた。

「ちょっと、ベッドのコードが外れたままじゃない!あなた、ベッドを固定する時何でやらなかったの!」

「も、申し訳ありません。忘れていました。」

「全く……。もうコードは挿したから、次からは気を付けなさい。」

「は、はい……。」

そのやり取りに彼は驚いた。何がどうなっているのだろうと自身でもベッドの下にあるらしい、そのコードを確認しようとした。だがまだ麻酔が残っていて下を覗こうとしても体が上手く動かない。彼は恐る恐る怒っていた看護師に尋ねてみた。

「あのぉ、コードって何ですか?挿し忘れていると何か良くないのでしょうか?」

「あ、いえいえ。患者さん自身の体調や患部の回復には全く関係ありませんよ。申し訳ありません、驚かせてしまって。こっちの話ですから、お気になさらず。ささ、明日からはリハビリなんですから、ゆっくり休んでください。痛み止め等、何かお困りでしたら呼んで下さい。それでは失礼します。」

「は、はぁ。」

的を射た答えは得られなかったが、まぁ、自分の体には特に影響しないらしい。少し気になりもしたが手術後ということもあり疲れている。夕食は何とか食べたが眠気がおさまらず彼はそのまま寝てしまった。



翌朝起きると手術した膝がしくしくと痛んだ。昨夜は痛み止めを飲まなくても熟睡できたが、今日にもなると流石に麻酔が切れているらしい。彼は朝食を持ってきてくれた人に頼んで痛み止めの薬を飲んだ。膝の奥で脈打つような感覚までは中々消えないものの薬が徐々に効いてきて幾らか楽になった。朝食が済み、お腹の方も落ち着いた頃、看護師がやってきた。

「おはようごさいます。早速ですがリハビリを始めましょう。松葉杖を持ってきましたから先ずベッドの縁に腰かけるように座ったらこれに寄りかかってゆっくり立ち上がって下さい。手術した方にはまだあまり体重をかけないように。いきなりそうするとまだ安定していない金具と骨の接着が外れて凄く痛いですから。」

優しそうな声で全くなんて恐ろしいことを言うんだ、そんなの痛いで済む話ではないだろうが。いや、そんな所をもうリハビリなんて始めて大丈夫なんだろうか。もし外れたらどれくらい痛いのだろうか、凄く痛いって一体どの程度……そんな事が頭の中を無駄に速くグルグルと回りながら松葉杖にしっかり体重をかけてそっと片足で立ち上がった。

然しこの松葉杖、自分の背丈にはやや高すぎるなぁ…。

「あの、すみませんがこの松葉杖私には少々大きいので長さを調整して頂けないでしょうか。」

「大丈夫ですよ。そのままグリップをしっかり握っていて下さい。余程の冷え症でも無い限り間もなく動き出しますから、寄りかかったまま手術をしていない左足でちゃんと踏ん張っているようにお願いしますね。」

動き出す?この人は一体何を言ってい、おぉ…!

ビクッと驚いている彼をよそに、2本の松葉杖は静かに縮んでいき、グリップも丁度良い高さへ上がって握りやすくなった。そしてカチャリと音をたてて固定され動かなくなった。

「へぇ、これボタンとか押していないのに自動で調節してくれるんですね。電池式なのですか。」

「いえ、今握られているグリップとその下の杖の金属部分にできる温度差で発電されているのです。」

「あぁ、熱電発電ってやつですか。」

「よくご存じですね。それでその支柱やグリップの位置が動くのですよ。」

「長さがぴったり合うのは人工知能で制御しているのですか。」

「そんな高尚なものは必要ありませんよ。1番上の腋窩当てとグリップに体重計が内蔵されています。手術前の入院初日に身体測定がありましたよね?BMI数値が大体同じなら杖の長さと腋窩当てやグリップにかかる重さの関係も概ね同じ値になります。これにはその値が入力されていてそれに合うように動くのです。機械学習とかディープラーニングとか、そういったものは関係ありません。」

「なるほど…」

そう言えばここに来た時とき身長と体重、膝の型、それに腕の長さを測ったなぁ…。

「さあ、行きましょうか。ゆっくりで大丈夫ですからね。」

看護師の案内に従って歩いていくとこぢんまりとした部屋に着いた。部屋には竹輪を半分に切ったような、溝を布で覆った機械が数台置かれていた。

「ここですか?」

「えぇ。入院中は朝食が済んだら必ずここの機械を使って曲げ伸ばしをして下さい。数日後には別の部屋で本格的なリハビリも始まりますがその前にこの部屋で曲げ伸ばしをしてからそちらの部屋へ向かって下さい。これが良い準備運動になりますから。明日、明後日と徐々に膝の屈伸させる角度の範囲を広げていきますが今日は最初なので狭めに設定しておきますね。ここの溝の真ん中付近に膝がくるように足を入れて下さい。」

「こんな感じですか。それと、電源コードはこれですね。あそこに挿せばいいんですか?」

「いえ、挿すのは後で大丈夫ですよ。ここのスタートボタンを押せば動き始めますから。」

「じゃあ、これも、」

「えぇ、これも熱電発電なんですよ。この機械、太ももまですっぽり入るでしょ?太ももは結構温かいからこの発電方式に向いているんですよ。」

間もなくしてその機械は彼の膝を動かし始めた。

「痛くないですか?」

「はい、大丈夫です。それでこのコードは何に使うんですか?」

「この機械は曲がって伸びる以外は動かないのであまり消費電力が多くないんですよ。それで発電した分が余ってしまうのでそれをこのコードで回収して別の場所に蓄電しています。今日はすっかり晴れているけど昨日は凄い雷雨でこの辺りは停電していたんです。でもここの病院は大丈夫だったでしょ?それもこの、天気にも影響されずに出来る発電のおかげだったんですよ。」

「ここにはこの機械の他にも有るんですか?その発電が出来るものは」

「例えば側壁の大部分はそうなっていますね。特に夏と冬は冷暖房を使うから外側と内側で温度差が生じるのでそれぞれの季節で逆向きに電流が流れて発電できます。それに皆さんが寝るベッドも全てそうなっていますよ。患者さんの寝る側と裏面側で温度差が出来るので。」

それを聞いて彼はハッと気づいた。

そうか、ベッドから出ていたあのコードは蓄電している所に送る為のものなのか。だからあの時繋ぎ忘れて怒られていたんだなぁ。

「なるほどぉ、そういうことだったのかぁ……。」

「どうされました?」

「あ、いや、何でもないです。それにしてもこの発電方式をここまで大々的に取り入れているなんて、まだそれ程普及していませんよね?」

「地球に優しい発電を、という事で熱電発電についての研究、とりわけ材料開発が近頃盛んになっているそうなんです。そして最近その発電法にかなり適した素材が出来たらしく、うちの病院では率先して色々と導入しているんですよ。まだ試験運用の段階なんですけどね。」

「ははぁ、確かに病院は様々な癖のある人たちが使うのでデータを集めるには良いかもしれませんね。そうだ、体温との温度差で発電出来るなら毎日使う携帯電話とかもそうだったら良いですね。ポケットとかに入れて身に付けていれば勝手に充電出来るから便利そうだなぁ。」

「確かに充電忘れも減りそうだし良いですね。もう少ししたらそういうのが出るかもしれませんよ。そうだ、身に付けるで思い出したっ」

そう言うと看護師は小走りで部屋を出て行き、また少しして戻ってくると手に何やらいかつい器具を持っていた。

「すみません、大事な物を忘れていました。」

「何ですか?それは、」

「あなたがこれから使うサポーターです。」

「結構ごついんですね。」

「えぇ、今行っている屈伸運動と寝ている時以外は基本つけて下さい。膝を内側に捻る動きから守ってくれます。それとそういう訳でごついのではないのですがこれにも熱電発電のパットが付いています。」

「膝を動かす時に補助でもしてくれるんですか?」

「膝の弱っているご高齢の方などが使用する場合はそういう機能がついているものもありますがこれはあくまでも腿などの筋肉が痩せている足を捻らないようにする為です。1日サポーターを装着していると中々充電できるんですよ。ここにコンデンサーが付いているのでそれで蓄電します。夜になって寝る時はサポーターを外して頂いて端に収納されているコードを引っ張り出して病室のコンセントに挿して下さい。うちの蓄電施設に発電した分を回収しますから。それでまた朝装着する時はこのボタンを押せば掃除機のコードみたいに仕舞えます。」

「へぇ、これも熱電発電が出来るものなんですね。」


ピピーッ


「屈伸運動の方が終わったみたいですね。では溝から足を出してゆっくり立ち上がって下さい。」

彼は重だるい足をそっと動かして座った状態にし、慎重に立ち上がった。

「はい、サポーター。」

看護士から渡されたサポーターは数ヶ所に面ファスナーが有り簡単に装着できた。安定感は勿論、発電も静かで着け心地も良い。

「大丈夫そうですね。明日からのリハビリは1人で行うようにお願いします。では私はこれで。」

「有り難うございました。」

こんなところでも熱電発電が行えるとは。ということは、もしかして……。

彼はふと思い付いたことを確認しようと松葉杖を突きながら病室についているある部屋へ入った。そして彼が入ったことに反応して蓋が自動で開くと、そこに書かれていた熱電発電中という文字を見て納得した。彼の入った部屋とはトイレだった。

「やっぱりそうか、思った通りだ。長くても5分程度とはいえズボンもパンツも脱いで生の尻で座るんだからそりゃあ発電にうってつけだろう。」

便座と便器にはそれぞれ白い陶器とは異なる材質のものが等間隔に埋め込まれており、便座を下ろすと丁度当たるようになっている。恐らく便座と便器の温度差で発電するのであろう。また後ろには蓄電用の送電コードらしきものが壁に挿さっていた。

「こんなところでも発電しているとは全く驚くばかりだ。」

と独り言をボソボソ言いながらズボンにパンツをずり下ろしていた。特に催していた訳では無かったのだが便座を見ると"下りてくる"感じがするのは今も昔も変わらない。彼は右足をかばってプルプルする左足で慎重に腰を下ろしていき何とか無事"着地"出来た。便座は温かくなっており、お腹の弱い彼には有り難かった。然しそれと同時に気になることが頭に浮かんだ。

この発電方法はどうなんだろうか。皆の尻の温もりで生み出した電気で便座を温めるのいうのは……。確かに他にも電力源は有るからそれだけでは無いにしろ、やはり僅かながらも有るはず。ということは今、自分の尻を温めているのは少しは誰だか知らない人の尻ということになる。

「うぅん、何だか気持ち悪いなぁ。」

そう考えている間も彼の尻は着実にエコ発電に貢献していた。



何日かするといよいよ別室での本格的なリハビリも始まった。最初はリハビリ専門の先生付きっ切りでスローペースのウォーキングから、続いて早歩き、ジョギングと段々レベルが上がっていった。それも慣れてくると次は自転車エルゴメーターによるリハビリも追加された。

「いやぁ、これは、結構疲れますね。汗も止まらないし右腿の裏が攣りそうですよ。」

「体力もそうだけど、それだけ右腿の筋力が足りないんだよ。」

「なるほど。……あれ、このコード。もしかしてこれも熱電発電なのですか?」

「あぁ、そうだよ。これを漕ぐと結構体力を使うだろう?つまりそれだけ体温も上がっているんだ。その熱を利用する為にサドルと両グリップに仕込まれているんだよ。今日は初めてで軽めに設定したからそんなに発電出来てないと思うけどね。」

「これで軽めなんですか!?」

「何を言ってるんだい。こんなのまだまだ序の口だよ。明日からどんどん負荷をつけていくからね。」

「はぁ、大変だこれは……。」



そして入院してから1ヶ月後。彼は未だに退院出来ておらず今日も例の自転車エルゴメーターを漕いでいた。術後の経過が悪いということではない。寧ろその逆である。

「はぁ、はぁ、ぬおぉぉぉ!…」

「3、2、1、はいおしまいでーす。お疲れ様。君はリハビリ一生懸命にやるから中々回復が早いよ。偉いね。」

「先生のおかげですよ。松葉杖も疾っくの疾うに外れて筋力も随分と戻ってきました。サポーターはまだ着けていますが院内での暮らしで不自由な事はもう有りません。どうでしょうか、そろそろ退院出来ませんか。いい加減日常生活に戻らないと不味いのですが。」

しかし返ってくる答えはまた同じだ。

「気持ちは分かるんだけどねぇ。昨日も言ったように手術した所は筋肉が落ちやすいんだよ。毎日の懸命なトレーニングのおかげで普通に暮らせるようになってきているとはいえまだまだ左右差はある。だからサポーターだって外せていないでしょ?家で出来る筋トレは限られているから直ぐに筋肉が落ちてしまうよ。そうしたら膝に負担がかかりやすくなって半月板もダメージを受けることになる。それを繰り返したらいよいよ回復困難になってしまう。今ここで焦って退院するよりもう少しここで頑張って基礎筋力を増やしておいた方が得策なんだ。大変だろうけど一緒に頑張ろう。」

「…はい。」

すっかり夜も更けた休憩室で彼はそんな昼間のやり取りを思い出していた。

「はぁ、今日も退院出来なかった。一体いつになったら退院出来るのだろうか。ここで出来る課題も限界があるし。早く普段の生活に戻れないだろうか。」

夜食で食べた弁当のゴミをまとめながら窓から外の景色を眺めていた。停電もすっかり復旧したようで家の電気がぽつりぽつりとついていた。きっと彼らは普段通りの生活を送っているのだろう…。

「あ!やっぱり。こんな時間まで何をしているんですかっ。」

振り返って見てみると彼に注意をしたのは気配を察して見にきた看護師だった。

「駄目じゃないですか、早く寝ないと。電気だって勿体無いでしょ?あら、弁当の空箱、夜食まで食べてたんですかっ。」

「仕方無いですよ。最近リハビリがハードになってきて夕飯だけじゃお腹が空いてしまうんです。」

「提供しているご飯だってちゃんとバランスを考えているんですよ。」

「まぁ、良いじゃないですか。そんなことより、いい加減退院させてくれませんか。手術した膝だって随分良くなったし日常生活では問題無いと思うのですが。それにやらないといけないことも溜まってきているし。」

「リハビリの先生が良いと言うまでは駄目ですよ。」

「そこを何とかお願いしますよ。」

「駄目なものは駄目です。」

「何でそんなに融通がきかないんですか。ひょっとするともしかして、」

「ほらほら、愚痴はそれくらいにして。手厚いリハビリも注意するのも全てあなたの為なんですよ。歯磨きが済んだら早く寝て下さい。あと外したサポーターはコードをコンセントに挿しておいて下さい。忘れないで下さいよ?」

「はいはい、分かりましたよ。」

看護師は嘆く彼をなだめるとナースステーションへ戻っていった。

「はぁ、全く……」

「あら、どうしたの?」

「夜更かししている患者さんがいたので叱ってきたんですよ。」

「あの右膝を手術した人でしょう。ここ最近はいつも休憩室で夜食を食べているわ。しかも部屋の明かり全部点けて。そんな余裕なんて無いっていうのに。」

「しかもその人、多分勘づいていますよ。」

「何とか誤魔化せた?」

「まぁ、何とか言いくるめました。然し理事長も酷いですよ。いくら多額の補助金が貰えるからってここまで熱電発電を取り入れなくてもいいじゃないですか。しかもエコな病院を目指すとか言い出して熱電発電の試験運用中は従来の電力源はカットするなんて、あんまりですよ。」

「そうよねぇ、良い素材が見つかったとはいえ1つ1つの発電量はそれ程多く無くて結構かつかつだし。そこは一度考え直して欲しい所だけど、まぁ変わらないでしょうね。今じゃうちの病院の電力源は患者の体温だけが頼りなんだから。まだ空いているベッドも有ることだしもう少し患者を受け入れておきたいところだわ。ましてやそう易々と退院させてなるものですか……。」

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近未来ショート集(お陰様で200PV突破!) 金星人 @kinseijin-ltesd

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