最後の資産


A氏は目が覚めると頭まですっぽりと被っていたタオルケットを眉間にシワを寄せながら無造作に腹あたりまで下ろした。彼女が騒いでいるのだ。

「ご主人様、もう昼の2時です。いくら冷え込むとはいえ、いい加減起きませんと夜の睡眠に影響しますよ。今までのデータから計算しても約72.4%の確率で朝の4時過ぎまで寝つけないと出ています。」

「うるさい、別にいいではないか。誰を必要としているわけでもなく、ましてや誰からも必要とされているわけでもないのだから。」

「何を仰いますか。私が必要としているではないですか。貴方が居るからこそ私の存在する意味が有るのですから。」


彼女というのはAIロボットのFUKU。主に家のIoT

家電の使用状況や故障が発生していないかの統括的な管理や家庭に所属する人間の健康状態をチェックするのが彼女の仕事である。社会の流れ的にも独り暮らしや未婚の人は毎年増え続けてきており、それらによる孤独感などの精神面への悪影響が問題視されるようになりこのようなAIロボットが現れ始めた。

同じ機能を行えるアプリも配信されたが、特に人の顔を模した仮面付きのロボットタイプが人気だった。顔と言っても商品コスト削減のため画面に色々な表情が出るのではなく、無表情で本当に仮面そのものであった。しかもアプリ版のほうが当然、比較的安く入手できた。それでも仮面付きのほうが人気だったのは時代が進んで人付き合いが減っていってもやはり人は顔を向き合わせてコミュニケーションを取れる喜びのようなものを忘れてはいなかったからであろう。アプリ版の、デバイス上に表示される、まっ平らでぎこちない表情を作る顔より、無表情でも実際にあるほうが選ばれたのは不思議ではないと言える。

A氏も後者を選んだ一人で、購入したロボットの初期設定の際にFUKUと名付け、以来11年間共に過ごしてきた。


そのFUKUが続けてこう言った。

「苦しいときを乗り越えればきっと良いことが在るはずです。」

 A氏はムッとして上半身を起こした。


「くそ、いつも二言目には三流映画の主人公みたいな台詞を吐きやがって。そう言うのもどうせご自慢の"頭脳"

からはじき出された結果に従っているのかもしれんが俺はその言葉が大嫌いだし、もう聞きあきたんだ。俺のことなんか放っておいてくれ。」

「そうでは有りません。あなた様を思ってのことですよ。」

「大体、俺は今仕事を失いやることが無いんだ。平日の昼間からやることと言ったら寝るくらいだ。人間でもないお前が俺のやることにとやかく言うな!」

「そう言われては…何も言い返せません…」


先程まで口を尖らせ怒りっぽくしていたFUKUの顔は、視線を落とし少ししょんぼりしていた。いや、正確にはA氏がそういう風にとらえているだけなのだが長年共に居ると無表情の顔を持つロボットに対してもそう感じてしまうのだ。


A氏は一流大学を卒業して大手の出版社に就職した。そこでの仕事は順調で、瞬く間に編集長にまで出世した。その時人生で初めてお試し程度の気分で出した短編小説が大ヒット。というのもいわゆる広義的に言われているAIロボットは、最適化法のアルゴリズムを非常にたくさんインストールしてから加速的に人の仕事を奪った。事務処理などの仕事や飛行機の翼とかシステムの設計などを始めとする様々なエンジニア、タクシーの運転手、更に家庭面では最安値かつ最短時間でお使いを行えるなど、他にも例を挙げれば切りがないがそれらは人間の手が入るときより明らかに成績が良かった。

しかし、社会は無情に変わっていくなかでそれでも人間がまだまだ対抗できるジャンルがあった。それが2つのソウゾウ力、想像力と創造力を要するような仕事であった。


そういうわけで彼の小説が当たる確率は宝くじのそれよりは十分高かった。

作家としてやっていけると思ったA氏は退職しそれ以後も出したいくつかの作品が売れて一躍有名人となり生活も裕福になった。しかしその生活が続いたのも束の間、有名人とは大変なもので次作への人々の期待によるプレッシャーや出所のあやふやな噂、スキャンダルで作品の質も出版頻度もみるみる下がった。やがて収入がなくなり貯金も使い果たし、裕福なときに買ったものを質屋にいれて食い繋いでいたがそれも間も無くして出来なくなり合法的ではない所でつくった借金も少なくなかった。家に残ったのは僅かな生活用品と借用書、貯めに貯めた督促状、


そしてFUKUだった。


しかし、有名人となってからあっという間にどん底の暮らしになってしまったA氏が300万円したFUKUをいまだにIoT家電も無くなった家に置いておくのは、良いときも今もずっと自分のことを支え続けてきてくれたからで自分にとってFUKUはただの世話焼きロボットの役割を越えた存在になっているからに他ならなかった。そのためついつい口調が荒くなることがよくあった。今回もまた少し言い過ぎてしまった、と

A氏は申し訳なく思い、言った。

「すまない、最近は気持ちに余裕がなくてすぐ君にあたってしまう。嫌いなったわけではないんだ。許してくれ。」

「構いません。きっといつでも役に立ちますから。」


「最後に信じられるのは恐らく君しかいないよ。本当に有り難う。これからもずっと一緒だ。さ、こうしていても仕方がない。何をやるにも先ずは腹ごしらえだ。何か食べて頭を覚まそう。」

 リビングに向かうと昨日の残り物と食パンがあったので少々合わないがそれで腹を満たすことにした。食べ始めると、FUKUは

「肉じゃがと食パンですか、ビッグデータで色々覚えましたがこれは新鮮な組み合わせですね。」


と言った。A氏は得意気な顔をして

「意外とこれが合うのだよ。マヨネーズなんかをかければもうバッチリ。君にも食べさせてあげたいくらいだ。あ、良いのを思いついたぞ、今から喋るから私のブログを更新しておいてくれ。」

「はい、かしこまりました。」


何も仕事をしていないと言っても流石に全く、ということではなく細々とブログとして小説をあげていた。そこに載せた広告料で僅かながらも稼ぎ、ぎりぎりながら生活していた。彼が話したことをAIロボットは高性能マイクで聞き取りブログへ書き込んでいった。


葉が散り、いよいよ冬が間近に迫る時期だった。太陽高度も低く、窓から長く入ってくる温かい光はFUKUを優しく照らしていた。A氏は一通り話を言い終わると立ち上がって食べ終わった皿を持たない方の手をFUKUの頬にあてながら


「お疲れ、有り難う。」


と言った。

「お役にたてるのが私の幸せです。」


というFUKUの頬は温かく、生きているようで造形された口元も優しく微笑んでいるように見えた。



すると外の方からトラックが来る音がしてきて、エンジン音が止まったかと思うとドアを開けて降り、走ってくる足音が聞こえた。みるみる近づくその音はドアの前で止まり、衰弱したA氏には出せない程の力でドアが叩かれた。

「おい、居るんだろ出てこい。HONMARU金融だ。今日までの約束、忘れたとは言わせんぞ。」

 A氏はハッとしてFUKUに慌てた口調で聞いた。

「今日は何日だ」

「11月28日です」


見開いた目はドアをぼぉっと見つめ、顔から一瞬にして血の気が引いていった。すっかり忘れていた。今日は奴が取り立てに来る日だったのだ。だがこの日までに金を揃えておけと言われても売れるものは売ってしまったし、ブログの広告料も雀の涙ほどで借金の桁に遠く及ばない。成すすべもなく、どうしよう、どうしようと悩む間も奴はドアを叩き続ける。


「おい、こら、いい加減にしないか」


それが余計に彼を焦らせる。

「あぁ、と、とにかくFUKUはあっちに隠れてなさい。」


彼女を急いでかくまう。隠れたことを確認してドアを開けにいこうとした途端、外の男が力ずくで蹴り破ってずかずかと入ってきた。

「いたぞ、」


いざというときのためだろうか、向こうは二人で来ていた。

「なんと乱暴で無礼なやつらだ。その小汚い靴を脱いだらどうだ。」

と、対抗心を見せようとするもA氏はその二人に驚き声は震え腰を抜かしていて動けなかった。二人の内の一人は勝手に奥の部屋に入っていき、もう一方の大きいほうがずけずけと寄ってきてしゃがみこむとA氏の胸ぐらをがっと掴んだ。


「分かってんだよ、どうせ払えないんだろ。」


なんとかしないと。


「ま、待ってくれ。もう少ししたら今ブログに出している話がきっと売れるはずだ。な、た、頼む、絶対、すぐだから」

 掴む力が更に強くなる。

「んなもん、当てになるか。すぐ出せって言ってるだろう。ったくこの前まで有名人だったやつが500

万程度でおどおどしやがって。仕方がない、生命保険で払ってもらおうか」

 すると彼は片手を上着の内ポケットに手を突っ込み、カチャリと音をたてた。銃を持っている。殺す気だ。死ぬのだけはごめんだ。


「死にたくない。頼む、もう少し待ってくれ」

「こっちはもう十分待ったぞ。約束を守らない奴に生きる価値なんて無い」

そう言うと男は銃を取り出し、慣れた手つきで引き金に人差し指を乗せてぐりぐりとA氏のこめかみに押し当ててくる。冷や汗が止まらない。


「ふっ、こいつほんとに出せないらしい。じゃ、これで払ってもらうしかないな」


もうだめか…


そう思ったとき奥から大きい物音がした。目を向けるともう片方の男が抵抗するFUKUを強引に引きずって持ってきたのだ。


「こいつは金になりますよ、背中の製造番号とか見るとたしかこれは製造数が少なくて値が上がっているやつです。」

FUKUは私を見て、


助けて、


と呟くかのような目をしていた。

「やめろ、その子に触るな。」

A氏はその男を払い除けFUKUに抱きついた。


「この子だけは手放さない」


「じゃその思いは地獄から届けるんだな」


「そ、それだけは勘弁してくれ」


「だったらそのがらくたをはやく渡せ!死にたいのか!売れば金になってご主人のためになるんだ、そいつにとっても嬉しいことだろうが!」


それを聞いて冷や汗が止まったのが分かった。何かが吹っ切れた。そしてA氏は呟くように言った。


「お前は…俺のことが好きだよな?」

彼女は答える。


「はい、もちろんでございます。」


「じゃあ、初期化ボタンを押させろ」

明らかに計算処理が止まり返答が遅れていたのが分かったがやがて答える。


「以前おっしゃった言葉、ずっと一緒、と矛盾しています。」

するとA氏は狂気の顔をして


「お前だって私のためならなんでもすると言っただろうが!ボタンを押させろ!」


と言うとFUKUに飛びかかり背中のボタンに手を伸ばす。


「私はあなたを忘れたくは有りません!」


と叫びロボットなりに抵抗する。けれども彼女は作業用のものとは違い力が有るわけではなかった。やがてすぐにA氏に負け、背中のボタンを押された。すると非力ながら抵抗していた動きをパタリとやめ、立ち上がり

「これから初期化を開始します。」


と、無機質な声で言うとギュイーーーンと機械音が何もない部屋中に鳴り響いた。中の装置が動くことでこのロボットもガタガタと小刻みに揺れていた。またその振動でどこを見ているのか分からないような目線をしていてその様子はまるで精神をきたした患者だった。その姿からA氏は一度も目を逸らさなかった。腹のそこからどす黒く沸き上がる喜びがA

氏の口の両端を上へと吊り上げさせ、また一度たりともまばたきを許さなかった。まもなくして機械音が小さくなった。


ピッ、ピッ、ピーッ、


と初期化終了の音がなり終わるのを待たずに

A氏はロボットを取り立ての人たちの方へ強引に押し渡した。そして息を切らしながら男たちに言った。


「終わったぞ、これで足りるだろ、いくらになる」

「そうだな、時間が経っているが状態は良いし何しろレアな型のやつだ。十分足りそうだ。許してやるか。」

「用がすんだらそれを持ってとっとと出て行け」

「ほい、これ、返済完了の領収書」


男は紙をA氏に押し付けると、もう用は済んだという顔をして片方の男がトラックから台車を走って持ってきて手早くロボットを乗せ、大柄な人のほうを先頭にして台車を後ろ向きに曳いていった。陽はだいぶ傾き、冷え込みがきつくなっていた。


A氏は遠ざかるロボットを見つめていたがそれは台車の手すり部分に立てかけられながら運ばれていて目線はやや上を向いていた。距離はだんだん離れていく。しかし、男が蹴り倒されたドアに台車を乗り上げた途端、傾けられていた彼女がその拍子にカタンと台車の上で立った。

A氏はぎょっとした。FUKUは薄暗くなった部屋の中で目線をこちらに向けた。その眼光は冷たくて、鋭くA氏を突き刺し、動きを完全に奪った。目線も逸らせなかった。彼女は遠ざかっていく中で何かを訴えかけてきていた。A氏は何とか先程まで聞いていた彼女の声を思い出さないよう、必死になって自身に言い聞かせた。


あれはロボットだ、あれはもうFUKUじゃない、もう違うのだ


やがて男たちは出て行ったがA氏の目にはまだ玄関が映っていた。いや、玄関以外に目前にモヤっと暗闇も映っており、それがどんどん広がってA

氏に襲いかかろうとしてくる。

A氏は恐ろしさのあまり、それを追い出すべく倒れたドアをむんずと掴み慌ててドア枠にはめ込んだ。背中でドアを必死に押さえつけて闇が圧し掛かってくるのに耐えた。


くるな、くるな、



しばらくして気分はいくらか落ち着いた。すると全身の力が抜けてしまい立てなくなって、その場に座り込んでしまった。そして同時に何とも言えない満足感が込み上げてきた。


「勝ったんだ、俺は生き残ったんだ。ざまあみろ!だーっはっはっはっはっは!」


笑いが止まらなかった。死なずに済んだのだ。この幸福感は誰にも渡すまい。


ひとしきり笑った後、A氏は立ち上がろうとしたがよろけてしまった。傍に手伝ってくれる者はいない。その時途端に心のなかに、見えないが足だけで支えるには重すぎる何かを感じた。それでも両手であちこちに掴まりながら何とか立ち上がってリビングへ向かい、椅子に腰を下ろし、ポケットに入っていたくボロボロの紙箱を振って一本の煙草を取り出した。一瞬、間をおいて


あ、そうか


と思い、ライターをデスクの横の引き出しから出して火をつけ、一服した。深呼吸のように煙を吐き出した。いつもなら彼女が煙草をお止め下さいとデータを提示してくるのを思い出した。

A氏は自分の左手に握られた、くしゃくしゃの領収書を見つめた。

が、当然、それが注意してくれるはずもなく…。

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