奇妙な人斬り その③

 柳堀は名前に違わず、堀沿いに柳が風に揺られて行進している。妙なのは歩く人々が皆、笠や手拭いで頭を隠して足早に歩いていくことだった。

「ううん、これも人斬りの影響か」

 すると背負った木箱の中で、何かがカタカタ揺れた。それを聞くや風天丸は物陰に隠れて、コッソリとそれを開ける。そこには紅玉の目を持つ人形があった。

「風天丸、先ほどから気になっておったのじゃが」

「ひょっとして揺らしちまったか? すまねえ」

「そうではない、そこはむしろ全然静かで快適で大満足なのじゃが……お主先ほどから人斬り人斬りと言うておるじゃろう」

「それがなんだよ」

「やつが斬っておるのは人ではなく髪なのじゃから、人斬りではなく髪切りではないか?」

「お前意外に細かいこと拘るなあ……」

「お前とはなんじゃ! 大妖怪たる妾に無礼であろう!」

 奉行所にて源内に託されたこの人形、どうやら彼が極秘に作り上げた妖怪退治の道具らしい。かなり前から完成してはいたものの、結局今日まで使われることなくこの牢獄の底の底の底に『封』の札を張られてずうっとそこに安置されたままになっていたらしかった。

 彼女は決して他人とは喋ろうとしないが、外の風景は興味があるらしく、裏側から蹴っ飛ばしては耳にした話題や食べ物のことを聞いている。ほの暗い畳と埃の臭いによって形成された日常はよほど退屈だったのだろう。

「そういえば、名前は何て言うんだ。これから一緒に妖怪退治やっていくんだからよ、そのくらいは知っとかねえと」

そう言われると突如彼女は「教えとうない」と視線をそらした。何でも全く自分らしくない名前だから、あまり好きではないという。

「お花ちゃんとか、雀ちゃんとか?」

「そんなお主の頭の中みたいな名前はしておらぬわ。まあ、その、なんじゃ……妖鬼妃(ようきひ)と呼ばれておってな」

「ぴったりじゃねえの」

「お主、妾と妖怪退治せぬと妖刀使いのこと探せぬの忘れておらぬ?」

「なんてひでえ名前だ、女の子に付ける名前じゃねえ!」

 それは益々彼女の機嫌を悪くしたようで、その大きな目でもって下から睨みつけた。

「そんなに妖刀使いが大事か、つまらん男め」

「何怒ってんだよ」

「まあよい、それだからあまりその名前で呼ばれとう無いのじゃ。お主も家来の末席なら、主人が嫌がることをしてはならぬぞ」

「じゃあ何か名前を考えなきゃな、俺と同じように仏法からつけるか」

 妖鬼妃は鼻で嗤い、嘲笑した。

「さようなものに則った名などつけられては、もはや妾は妖怪ではない。もう良い、お主とおさらばした後で源内にもっと華美で麗しい荘厳な名をつけるよう命じるわ」

 街の人々に声をかけると、皆一様に「ひ」と声を上げ、こちらをじろじろ観ながら後ずさりする。が、こちらが髪切りの事を訊ねてみると、堰を切ったように話し出す。

「大きな声じゃ言えねえけどよ」「ここの通りを夜更けに歩くと」「老若男女関係なく必ず」「髪を持ってかれるらしいのよ」「特に狙われておるのが、身分の高い御方」「お名前は出せませぬが、我が藩の家中の者も何人か」「斬られておるそうじゃ……南無阿弥陀仏」「今の幕府はアタシらなんぞより」「妖怪の方が大事らしいや」

 どうやらここらの住人も、観龍から聞いた以上のことは知らないようだった。風天丸は茶店で休む形をとって、隣においた箱を外側からノックした。

「これ本当に妖怪の仕業なのかね。どうにも聞いた話じゃ、人間だってできそうなもんだ。このご時世じゃ妖怪を隠れ蓑にした不届き者って線もあるぜ」

 箱の中からは不機嫌そうな「さあな」という声がした。まだ怒っているらしい。「名前ってそんなに大事なのかね」と風天丸は思った。

「そうだ、この辺のお侍や浪人を調べたらいいんだ、そうすりゃ髪切りにたどり着くかも知れん。そうすりゃ早いとこ仕事も終わるし、晴れてお前も源内先生にいい名前つけてもらいなよ、俺も一緒に頼んでやるから」

「…………お主、狩猟の経験は?」

 伊賀の里に居た頃はなんどか経験がある。山中で如何に獣を狩るかは、そのまま自分が如何に生きれるか、ひいては如何に任務をこなせるかに直結する。

「何度か」

「へたっぴじゃったろ。深追いして何度か山の中で迷って、そのまま日が暮れて泣いたじゃろ」

「……何度か。いや、泣いちゃいねえぞ」

「どうもお主は余計なことに気を取られ過ぎる。髪切りが妖怪でも人間でも、どちらでもよい方法があるではないか」

「なんだよそれ」

「この木偶の坊! ここらの者どもが言っておったことを思い出してみよ」

「柳堀のあたりを夜更けに歩くと、老若男女問わず必ず髪切りに襲われる。ああ、そうか、じゃあ夜更けに来て待ってりゃいいだけのことじゃねえか!」

「先が思いやられるのう……」

 とその時、風天丸はどうにも自分の周囲が冷ややかで静かなことに気づく。振り向くと一人の娘が、一人でぶつぶつ喋る自分に怯えながら、茶の入った盆を手にしていた。茶は波立ち、少し盆の上を濡らしていた。

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