奉行所は秘密が多い その③

 奉行所の極秘の面会室は、吹き溜まり牢獄の底の底にあった。そこからさらに底へ続く黄泉路のような階段を、源内と冬之介に続いて風天丸は歩いた。源内から手渡された銅の燭台で揺れる小さな火だけが頼りだ。

 たどり着いたのは板張りの間で稽古場のようだが、奥に閉ざされた障子張りの襖があって『封』の札が張られているところをみると、神社のようにもみえる。欄間には不思議な幾何学模様が彫られていて、どうやらこれをデザインしたのも源内らしい。「最近建築にハマってんだよね」と、趣味を語るように彼は言った。

 その源内が札をはがし、小さく開いた襖を猫のようにするりと抜けて、なにやら向こう側でごそごそとやっている。その間瀬田冬之介はというと、物珍しい部屋に目を光らせてきょろきょろやっていた。隅に積まれた異国の本を開いてぺらぺらめくってみたり、何やらわからぬカラクリをつっついてみたり、どうにも落ち着きがない。

 しばらくして源内は、大きな人形を腕に抱いてやってきた。四つか五つの子どもと同じくらい大きなその人形は、白磁のような肌に紅玉の瞳、闇に溶けて艶やかに光る黒髪を持っていた。黒と金で彩られた絢爛な打掛、それが蝋燭の小さな火で妖しく照っている。

 人形は大人しく源内の腕の中におさまって、風天丸を見つめている。世間に疎い彼でも、この人形が放つ独特な空気には思わず息を飲んだ。

 源内は神妙な顔持ちで、それをこちらへと掲げた。

「これは徳川家に代々伝わる雛人形」

「道理でなあ……こんな綺麗なの見たことねえや」

「に見えても仕方ない出来だが、俺が作った。おいコケるな、埃が舞う」

 源内からその人形が手渡される。彼女は触ったところ木偶のようだったが、中に金属も入っているのかずっしりと腕にその身を任せて来た。黒尽くめの風天丸が持つと、文楽の浄瑠璃人形と黒子のようである。

「あんまり雑に扱うなよ。着物といい櫛簪アクセサリといい、江戸中の職人に大金払ってこさえてもらったんだよ、その姫様に。全部で三百両」

 落としそうになった。腕の力が抜けかけたのである。今度は筋肉がひとりでに震え始めた。

「どうしましたサボテン丸君、震えてますよ」

「だって、だってこれ、こんな木偶の姫様に三百両って、着物のほつれ糸一本で一日暮らせるじゃねえか! あと風天丸な」

「なんじゃと? 妾を木偶呼ばわりするでない! 三百両なぞ安い方じゃぞ」

「いやそんなこと言われても、俺にとっちゃ一両だっていつ拝めるかわからねえのにそれが三百だぞ、目が回りそうになっちまう」

 ふと首をかしげる。なにやら可愛らしい声と会話をしたが、源内でも冬之介のものでもない。もしや、と手元を見ると、ルビーの瞳でこちらを睨み上げる人形がいた。

「それにしても、貧乏くさいガキじゃのう。源内、他におらぬのか」

「こんなに奉行所が扱いやすい根無し草はそうそういねえよ。あと俺としても大獄の人口密度が増えなくていいから助かってんだ」

「体よく押し付けただけではないか、可哀想でならん」

 意外にもこの人形、風天丸に同情的らしい。

「埃臭いし土臭いし青臭い! こんなのを押し付けられるなど、可哀想な妾……」

 前言撤回。

 とうの風天丸はというと、最早江戸に来てから色々と重なり過ぎていて、やっと口から出たのは「江戸には妙な人形があるんだなあ……」という台詞であった。

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