奉行所は秘密が多い その①

 源内が言うには、大獄の板壁は一枚だけどんでん返しになっていて、すると六畳ほどの部屋がある。その畳の一枚がどんでん返しになっていて、すると四畳ほどの小さな部屋に行き着いた。こんなしちめんどくさいことをしなきゃ入れない部屋なだけあって掃除は全く行き届いていないらしいが、不思議と床にだけは埃が落ちていない。

「妙だな」と思ったが、ぼんやり考えてもいられない。なにせ源内の指示には続きがある。風天丸は彼の言葉を思い出していた。

『床の間によ、掛軸がかかってんだ。天神様のな』

 確かに、らしい物がある。公家姿の天神が、御神酒を前に微笑んでるもので、どうやら源内の直筆らしい。どこまでも多趣味な男である。

『その掛軸の裏に紐がついてるからよ、それを引っ張りな』

 引っ張ってみるとどういう仕掛けか、天神の顔が酔っぱらったように真っ赤になった。

『そうすりゃ、びっくり魂消るからよ』

「凄いけどくだらねえなあ……」

 と思った矢先、ゴトンと床が抜けて体が宙に浮く。床そのものがどんでん返しになっていたのである。足場を失った風天丸は、そのまま牢獄の底の底へと落ちた。その最中、彼は床に埃が落ちていなかったことと源内の言葉の意味を理解し、今頃自分の驚いた顔を思い浮かべて笑んでいるであろうあの男の顔を思い出していた。

 さて、落ちた先にはさらに部屋があって、瀬田冬之介が座っている。今度の部屋は、これまでとはうって変わって壁から柱まで掃除が行き届いているようだし、畳もこまめに換えているのか仄かに青々しい藺草いぐさの香がする。

「やあ待ってましたよ。ささ、座って」

 この瀬田冬之介、こうして向き合ってみると不気味な男である。にこにこ笑っているが、その裏で明らかに人を十人以上は殺していることを、風天丸は直感した。となると、気になるのは腰に据えてある安っぽい打ち刀である。高給取りの与力が差しているソレにしては、如何にも怪しい。

「瀬田冬之介さんだったか、ちょっと刀を抜いてみてくれねえか」

「腕試しですか? 腕と脚、斬られて大丈夫なのはどっちです? 気分的には脚がいいかなあ」

「いややややや、刀身を見せてもらえればそれでかまわねえよ! ひょっとすると主君の仇かも知れん」

「妖刀じゃないと、斬り合いやらないんですか? なんだ、妖刀持ってりゃ良かった」

 スラリと抜かれた刀身の美しさ。外見の安物とは裏腹に、竿のように身をしならせて白銀に光っている。あまりの名刀ぶりに思わず唾を飲んだ風天丸だったが、これも目当ての妖刀ではなかった。

「疑っちまってすまねえ、目当ての妖刀使いじゃなかった」

「あらら、残念ですね。でも大丈夫、私がいいニュースをあげましょう。その妖刀使い、心当りがありますよ」

 驚く風天丸を前に、冬之介はやはり笑顔のままだった。感情の変化というものが全く読み取れない。改めて言うが、不気味な男である。

「教えて欲しいなら、私の要件を聞いてほしいなあ。そのために君をこの部屋に呼んだんですよ?」

「要件?」

「ええ、実は君に江戸の妖怪を一掃して欲しいんです」

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