牢名主・平賀源内 その②

 懐に仕込んだ手裏剣に手をかけた彼を見越してか、慌てた様子で牢名主は手を振った。

「待て待て、普通ならと言ったろ。俺はそんなことしないさ、なんせこの俺は普通じゃねえのよ」

 男が手元の煙管盆に取り付けられたボタンを押すと、壁一面に取り付けられたランプが灯される。暖色照明によって時の権力者によってぶち込まれた糞のような汚空間でもリラックスできる、シックで落ち着いた雰囲気を獄中に再現。さらには冷暖房、リクライニングチェア、ドリンクバーも完備。寛ぎながら自分だけの空間で、エレガントな一日を過ごそう。in伝魔牢大獄。

 なめ腐っていた風天丸もこれには驚いた。開いた口が塞がらず、ただ目の前に広がる妙な装置や空間をきょろきょろ見渡すだけ。口が塞がっていないため「アンタ何なんだよ」という言葉も出せなかったが、その顔に牢名主は満足げに笑った。

「へへ、その顔が見たくて色々作っちゃうんだよなァ。俺は天下の浪人、平賀源内。名前ぐらい、知ってんだろ」

「ええと……浪人ってことは剣術が達者だったり、昼間から飲んだくれてたり、酒屋の看板娘を口説いたりしてんの?」

「うーん今どき珍しいね、手前みたいのは」

 平賀ひらが源内げんない。彼は植物学者であって動物学者であって地質学者であって薬学者であって蘭学者であって画家であって脚本家であって小説家であって俳人であってコピーライターであって(以下略)発明家である。

 江戸で彼の事を知らぬ者など一人もいないが、世俗を離れて暮らしていた風天丸のような人間は例外らしかった。日本の奇人ダヴィンチは自分を知らぬ少年を前に「俺もまだまだよのう」と落胆した。

「そんなに有名な平賀源内先生がよ、なんで牢獄で牢名主なんかやってんだよ。人でも殺めたのかい?」

「バカ言っちゃいけねえ、俺ぁ人殺しなんてつまらんことにこの身を使うつもりは無えのよ。今までだって面白おかしく、皆がおっ魂消るようなモンを作りつづけて暮らしてきたんだぜ」

「じゃあなんで捕まったんだよ」

「妖怪でもないのに人々をおっ魂消させた罪」

「納得」

 さて源内は煙管の灰を叩き落として、風天丸の頭から爪先までじぃ~~~っと見つめた後、おもむろにこちらに手を差し出してくる。

 パーの形であったので、とりあえずチョキを出してみた。

「そうじゃねえよ、握れ。これはシェイクハンドといって異国の文化だ。【これからよろしく】という友好の証だぜ」

 なんだかわからんが、ひとまず応じてみた。なるほど、友好の証とはよく言ったもので、利き手をお互いに握るから武器の有無がまるわかり。正規の天才の手は機械いじりで皮がぶ厚く硬くなっていて、変な指の形をしていた。

 手に気を取られていると、源内が作法なのかぶんぶんと腕を振るったので、袖口から忍道具がガチャガチャと音を立てて散らばった。それを見るや源内は逃げた。自分の悲鳴を置き去りにして。

 それを合図にくつろいでいた囚人たちが飛び出して、風天丸はあっという間に無頼漢どもに囲まれてしまったのである。

 どう考えても、彼の不注意である。

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