牢名主・平賀源内 その①
この風天丸、入獄は初めてである。大部屋で、暗がりの四隅には囚人たちが蹲り、嘗めるような目でもってこちらを見てくる。長年放置されているからか畳は湿気て、埃っぽかった。床下からは鼠の走る音や大きな虫の羽音が聞こえている。
「常人なら三日も居れば、絶対に体調崩すだろうな」
風天丸はそう確信した。しかし、こうも思っていた。
「まあ里で受けた拷問修行より、幾分かマシか」
そうして風天丸は、平気な顔して横になった。こんな形であれ、生まれ育った故郷の事を考えるのは久方ぶりのことである。
彼は赤子の折、山に棄てられていたのを里の者に拾われ、そこで忍として育てられた。彼を拾った忍は既に里を抜けたので、今はどこへいるとも知れない。血は繋がってなくとも肉親さながらに接していた風天丸は、自分を置いて里を抜けたその男の事をひどく恨んだが、そのうちに自分も里を抜け、妖刀使いを探しているのだから、人の因果というものはよくできていると今では思う。
隠密だった自分を知る人間は、江戸にはいないのだ。今の自分はただ仇討ちの為にある。武士でもないのに忠義を掲げて仇討ちとは可笑しな話だと自嘲気味に笑った。背筋をヤスデが這うような感覚がした。
「おい、新入り」
酒焼けしたような声が頭上の暗がりから響く。囚人の一人がこちらを見下ろしているのだ。
「牢名主さんに挨拶しねぇか」
「あん? 嫌なこった。そっちから来いよ」
と、言おうかと思ったが、こういう態度をとってここにぶち込まれたことを思い出すと、よっこらせ、と腰を上げるのが賢いのだろう、ということを学んだ風天丸である。
牢名主とは囚人たちのリーダーであり、奉行所の役人などにも顔が利く権力者でもあった。しかし風天丸は動じない。気に入らない下衆野郎なら、手裏剣の練習台にしてやろう、などと思いながら、酒焼けした囚人に連れられて、暗がりの奥へ奥へと進んでいく。
「おう、新入りかィ?」
その男は、何枚か重ねられた畳の上に座っていた。暗がりの中で、煙管の火が赤く灯っているのが見える。目が慣れてくると、その牢名主とは頭を銀杏髷に揺った三十半ばほどの男で、目は狐のようにツンとつりあがっていた。肩にかけた羽織は、なんとも珍妙なヒッピー柄だった。
「まだ若造じゃねえの、まあ座んな。これからいくつか質問するぜ、正直に答えろ。金は持ってきたか?」
「缶ジュース一本分くらいなら」
「俺に差し入れとかある?」
「これあげる、旅路の蕎麦屋で余分に貰った爪楊枝」
「どうしてここに来た?」
「態度悪かったから」
「よーくわかった。まず言えることは、お手前普通ならここの連中に殺されてたよってことな」
なるほど大広間とはいえ、密閉空間に囚人が何十人も入り込むのは鬱陶しい。それも汚くてヤバい連中ばかり。となると、牢名主に金品や貢物を献上したり、パンチのある罪状で他の囚人たちをビビらせるなどしなければ、口減らしに殺されることもあるのだろう。
風天丸はそれを理解すると同時に、もう一つ理解した。
「つまり囚人として模範的でない俺を、こいつは殺そうってんだな……?」
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