10 こんなの……メス堕ちしちゃうよぉ!


 屋台では中年の男性が小さい刺股さすまたみたいな金属棒を二つ使って、器用に糸を丸めている最中だった。


 髭面の奥から怖いくらい真剣な眼差しで手元を見つめていたけど、リィルさんの声に顔を上げると白い歯を見せてにこやかに答えた。


「おっ、リィルちゃん。珍しいな、屋台の方で買ってくなんて」

「んふふ~、ちょっとねー。知り合いの子が初めてこの街に来たんだけど、糸玉食べたことないって言うからさ。どうせならこの街一番の店の糸玉を食べさせてあげようと思って」


「そうおだてなさんな、照れるじゃねぇか。まぁ、そう言ってもらえるのはありがてぇし、もちろんその自負もあるけどよ。

 んで、後ろにいるのがその知り合いの子か? いらっしゃい! そして、ようこそ! 巨樹の根元の街『オールグ』へ!」

「ど、どうも。トイディと申します。イディと呼んでください」


 ズイッと寄ってきた濃い顔に、リィルさんの影から挨拶を返した。

 別に彼女を盾にしてるとか、人見知りで怖いとかそういうんじゃなくて、知り合いみたいだから積もる話もあるだろうな~って配慮ですよ。


 だから、それ以上は近寄らんといてもろうて。圧が凄いんで。


 太っている訳じゃあないけど、横にも縦にもデカい人だ。

 なんていうか……熊?


 リィルさんと仲が良さげなのも納得……いや、ワタシは何も考えてないですよ、はい。


 ゴツい体格と髭面とは裏腹に、人好きする顔に愛嬌のある笑顔を振りまいてる。

 これはできる男、いや漢って感じが滲みでてますね。

 うん、親しみを覚える野性動物って感じですよ。


 ただ、ワタシのミニマムな体からすると、とにかく威圧感が半端ない。

 悪い人じゃなさそうなのは分かるんだけど、そことは無関係に体が震える。

 ……やっぱ普通に怖ぇわ。


「おおッ! こりゃあ、めんこいな。将来は美人さんだ」


 ヒエッ!? さらに距離詰めてきた! さては陽キャだなオメー。


 ワタシを怖がらせないように、屈んで目線を合わせてくれてるのは分かるけど、完全に逆効果だから、それ。


 急に熊が詰め寄ってきたのを想像してください……ね?

 なんならそれはさっきリィルさんで味わったし、詰め寄るに止まらずハグまでいたんで大丈夫です。


 だから、もうちょっと身体的にも精神的にもソーシャルディスタンスを考えてください。密になってるから、わきまえて。


 この距離はね、十年近く共にいる親友とかそういうのに限って許される、


「よぉし、オールグ初訪問の記念だ。俺の奢りってことで、天然と養殖、どっちがいい?」


 ワタシたち出会った瞬間からマブダチだもんなッ!


 いやぁ、話が分かる人だって一目で分かりましたよ。

 こんな男前が怖いとかほざいたのはどこのどいつだよ、まったく。


 まぁ、それは置いておいて……幸先がいいぞ!


 さっきのリィルさんとの会話からすると、おそらくガロンさんはこの店で相当な地位の人だ。これだけ大きな店の従業員なら懐もだいぶ温か、いや大きいに違いない。


 つまり、この人に取り入れ、じゃなくて仲良くなれば、異世界に裸一貫で放り込まれた可哀想なワタシの助けになってくれる可能性がとても高い。


 ふふふ、実にいいぞ。

 そうと分かれば、さっそくワタシの魅力で骨抜きにしてやろう!


 今のワタシは見るからに幼女だけど、容姿に関してはショタ神様が言っていたように抜群にいい。これなら少し可愛い仕草をすればイチコロよ!


 ホント、男って単純だよね。


 で、では……ゴクッ。


(――ユクゾッ!)


「……い、いえ。えっと……その、それはさすがに悪いっていうか、知らない人から施しを受けるのは良くないと思うっていうか。それに、お金ないし。だから、あの、大丈夫です」


 ……あ、あれ? どうしたよ、ワタシ。


 今からこの人に媚びを売ってあげて、その対価にお菓子をいただくはずだろう?

 それがなんで断るみたいなことを言ってるんだよ……!?


 こ、こんなのっておかしい! これは違うんだ……だ、だってワタシはヒモになるために世界の壁すら越えて、異世界ここまで来たんだぞ。


 それなのにどうして……ハッ! まさかッ!?


 いつの間にか両手をギュッと組んで、祈るみたいに押さえていた胸元に視線を落とした。


 そこにいるのか? ……良心モラルさんッ!?


 嘘だ。そんな……こんな馬鹿なことがあっていいはずない!

 だってお前は消えたはずだ。ヒモという夢を願った時点でワタシの中から跡形もなく、儚く散って忘れられたはずなんだ。


 そうじゃなきゃいけないんだ……それなのに、どうしてッ!


 予想外のことにオロオロしていると、ガロンさんがおもむろに手を持ち上げてワタシの頭にポンと優しく乗せた。


「じゃあ、なおさら奢らせてくれ。こんな可愛い子が困ってるんだ、放っておくのは忍びねぇ」


 ゆっくりと、少しぎこちなくワタシの頭をなでる温かな手。快活な性根からそのまま湧き上がってきたような、見ているこちらの心まで明るくなる笑み。


 そこに邪な気配は欠片もない。

 何もかもが、ガロンさんという人物のデカさを物語っているみたいだった。


 ――キュン


 なんだろう、凄く安心する……もう全部この人に預けてしまいたい。

 ずっとこうして頭をなでてもらえたら、どんな気持ちいいだろう。

 何もかもを曝けだして、お腹を見せて、甘えた声を出したら……この人はどんな顔をしてくれるのかな……。


(ご主人……じゃないんだよぉ!!!)


『キュン』ってなんだよ『キュン』ってぇ!?


 心情的にはどっちかっていうと『キャイン!』だよッ!

 なんで男に頭なでられてときめいちゃってんの、ワタシぃ!


 お、落ち着け、落ち着けぇ!


 ……あ゛ぁ尻尾が落ち着かないよぉ! 凄いよぉ、もうすんごい振っちゃってるよぉ!


 いやいや、おかしいだろ。


 女性に反応しなくなったのは許せねぇけど許すよ。でも、男に反応するのは許されねぇし許さないよ。


 えっ、何? あまりの器の大きさに本能で群れのリーダーの風格を感じちゃいましたとか、そういうやつ?


 止めてよ……これ以上理性ワタシを侵さないでよぉ!


 思考と尻尾は乱れに乱れてるのに、体は頭から広がる心地良さに緩み切ってる。ガロンさんの立派なお髭がダンディな顔をポーッと眺めたまま固まってしまった。


「イディちゃん、ここはガロンさんの好意に甘えさせてもらったら……どうしたの?」

「……ハァッ!? あっ、いや、大丈夫。えっと、でも、よく分からないし……」


「いいからいいから。あっ、ガロンさん。私、天然ね!」

「リィルちゃんに奢るとは言ってねーんだがなぁ。ちゃっかりしてるよ。まぁ、リィルちゃんには店の制服の件で世話になってるからな、特別だ」


 肩に置かれたリィルさんの手の感触に、ようやく我に返れた。


 ……あ、危なかったぁ。もし声をかけてもられなかったら、体と本能に引きずられてとんでもないことをやらかしていた気がする。


 リィルさんが朗らかな笑顔で押し切ろうとしている影に隠れてホッと息を吐いた。

 調子のいいことを言ってるリィルさんに、ガロンさんは苦笑しながらもガラスケースの中から白い球体を取りだした。


 リィルさんは満面の笑みでそれを受け取ると、すぐに口の中に放り込んで幸せそうに頬を緩めてる。


 ……うん、なんかワタシだけ遠慮しているのが馬鹿みたいだな。


 それに、これ以上ワタシだけが遠慮してたら、せっかくのご厚意を無碍にしているみたいになるからガロンさんが気まずくなるだけだ。


 そんな申し訳ないことはできないよね? わきまえようよ、ワタシ。


 ヨシ! 言い訳完了。これでほどこされても、なんの問題もなくなったな。


「あの。それでは、ご厚意に甘えさせていただきます。それと、その、天然と養殖の違いってなんでしょうか?」

「そのまんまさ。天然ものは巨樹に生息している野生の蜜壺蜘蛛が巻いた糸玉を取ってきて掃除したもんで、養殖は家畜として育てた蜜壺蜘蛛の糸を俺ら職人が手ずから巻いたもんさ。

 なんでかは分かってねぇが、蜜壺蜘蛛は養殖すると自分たちで糸玉を巻かなくなっちまうんだ。だからこうやって糸だけ集めて人の手で一個一個巻かなきゃならねぇ。

 まぁ養殖には養殖の良さがあるが、舌触りとか口溶けなんかは天然ものが別格だ。俺も長いことやってるが、未だにそこらへんは敵わねぇ。

 まぁ初めて食べるんなら天然ものだな」


「では、おすすめしていただいてる天然をお願いします」

「あいよッ!」


 歯切れのいい返事と共に、ガロンさんはケースの中で一番大きな糸玉を渡してくれた。


「噛まねぇようにな。舌の上で転がしながら溶かして食べるんだ。この大きさなら、だいだい十分ぐらいは口の中で持つからよ」


 糸玉を受け取ると、ガロンさんが陽気に笑いながら先ほどよりも少し乱暴な手つきで頭をわしゃわしゃなで回してきた。

 さっきと同じように温かい気持ちが湧いてくるのと一緒に、頭から背筋を通って尻尾までをぞわぞわした快感が流れていった。


 やっぱり気持ちいい。

 くそ、抗いたいのに感じちゃうよぉ。


「それじゃあ、オールグの街を楽しんでってくれ」




      ☆      ☆      ☆




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