第10話 ネアンデルタール人殺人計画

 朝食のあと、最後のセッティングリハーサルを行い、最終調整ができた古城に、頼んでおいた劇団員がやってきた。彼らにはすべてパーティーの出席者の当日の動きを台本のようにして渡してあり、忠実な再現に協力してもらうことになる。男性はスーツ、女性はバーチャルドレスを用意してもらう。この劇団は話題作りになるということで、経費だけで参加してくれたのだが、役者は一流ぞろい、実力派のシェイクスピア劇団だ。

 当日のようなごちそうはないが、無償で協力してくれたオーギュストという池波の親友のシェフが何かを代わりに出してくれるという。

 オーギュストも朝早くから食材を運んでせっせと厨房で働いていた。

 ひと通りの用意ができたところに、アルフォンス社長とガルシアが到着。いよいよ事件の再現が始まる。

 プラド捜査官とルチアーノがみんなの前に立つ。

「再現は2回行います。まず1回目は、当日のバーチャル映像の忠実な再現と、サプライズ映像の確認です。休憩を1時間置いて2回目の再現を行います。2回目の再現は怪しい場面を取り上げ、部分的な再現やその繰り返しを徹底的に行います。予定通りいけば、3時半に終了、もし時間が伸びても、4時には再現は終了といたします。全体の流れや、各自の注意は、それぞれの台本をよくみてご確認ください。台本の範囲内と、休憩時間には食事をご自由にとっていただいて結構です。また全体の進行は、ここにいるルチアーノ・パブロッティ氏の指示に従います。勝手な行動は決してとらないでください」

 いつの間にかプラド捜査官とルチアーノは、固い信頼に結ばれているようだった。

 そこに困った顔をしたアルフォンス社長とガルシアがやってきた。

「いやあ、再現に参加しようと思ったら、自分たちが別におるんで驚いて…」

 そう、ちょっと若いが、中年風の落ち着いた社長と、特殊なハイヒールは履いているが、よく見つけてきた同じぐらいの背の高さのガルシア役の俳優がちゃんとそこにいるではないか。

「はは、社長たちは、私の側にいて、役者の演技指導でも言ってやってください。サプライズイベントの操作法も教えてありますが、細かいところは彼らにもわかりませんので。よろしくお願いします」

「は、はい」

 その時ガルシアがこれはまずいという顔をを一瞬したのをプラド捜査官は見逃さなかった。そう、重要な役も今日はちゃんと役者が用意されているのだ。なぜか本物と瓜二つの報道官アイリーン、明らかにおなかがすっきりしているブルコス会長、東洋人の池波と穏やかなアルトマン、そして雰囲気もそっくりなタフガイのシェパードももちろんいる。

 特にシェパードは風貌から細かい行動に至るまで、監視カメラの映像を見てもらい、わかる範囲すべてで忠実な演技をしてくれることになっている。

 だが、アルフォンス社長はさばさばしていて、みんなを見回してこう言った。

「ほう、短い期間でよくもまあ、似ている役者をそろえたもんだ。こっちはアナログバーチャル空間だな。真実がどこにあるのだか、ますますすごいことになってきておる。おもしろい、こちらでゆっくり見物させてもらおう」

 ガルシアは、何も言わず、アルフォンス社長の後ろに立った。

「それでは皆様、一度古城の入り口まで戻り、仮面をお受け取りください、仮面が装着できましたら、台本の順番にここの部屋まで入場してください。いよいよ1回目の再現のスタートになります」

 当日との大きな違いは、入り口や会場など要所要所に配置された捜査員と高解像度記録カメラぐらいだろうか。かなりの再現レベルで公開捜査はついに始まった。

 招待客の入場、アルフォンス社長が司会となって台本を用意し、最初のセレモニーを始める。アイリーン報道官とブルコス会長の発表、シェパード、、アルトマン、池波のコメント、そしてブルコス会長の言葉と共に、豪華な食事が壁の向こうに現れる。

「いい匂い、なかなかのごちそうだ」

 今日のためにオーギュストが低価格でで用意してくれたごちそうも、なかなかのものだった。ステーキ、ハンバーグ、サラダ、サンドイッチ、ソーセージ、フライドチキン、パスタなどの他にも、サーモンやローストビーフなどもあり、予想外に豪華な上に、味は最高だ。

 役者たちは、台本に忠実に動き回り、やがて後半のバーチャルタイムを迎える。だが、この時点でシェパード役の俳優は、所在が確定できなくて、たぶんそこにいただろうと思われるベランダに出てもらう。

 この時、ベランダに通じるドアには通行禁止の表示がしてあり、なぜ、シェパードがそこから外に出たのか、理由がわからない。ここが問題だ。

 その状態で、バーチャルマジックや、恐竜の迫ってくる画面、皿にネアンデルタール人の画面がでて、イベント終了。最後に仮面が外れてバーチャル画像が終了、シェパードの死体の発見と続くのだ。

「では続いて、サプライズイベントの確認をします。まず、最初のセレモニーの隊形でお願いします」

 アルフォンス社長役の俳優がさっと前に出る、訓練された役者たちが、黙って、さっとその隊形に並び替える。さすがだ。

 ルチアーノが進み出てアルフォンス社長役に操作盤の指示をする。社長はテーブルの引き出しに隠した操作盤を引き出し、支持の通りに操作する。

「おおっ!」

 すると突然、空中にたくさんの何かが現れ、机の上にめがけて飛んできた。机の上には大きな皿がボワンと姿を現す。みるみる雨が降り注ぐように、皿に料理が降り注ぎ、いつのまにか、美しく盛られたごちそうの出来上がりだ。結局使われなかったが、これから食事の時間だというサプライズだ。

 ふたつ目はまた、後半のバーチャルイベントの隊形になっての再現だ。ルチアーノがまた前に出て、指を鳴らす。

「透明人間モード」

 すると、大広間に自分以外の人々の姿は見えなくなり、音もすうっと遠のき、静けさだけが広がる。こんなこともできるのか? ガランとした会場を見て、唖然となる。

「1度戻ります」

 また、大勢の人影がさっと目の前に現れる…感覚がどうにかなりそうだ。すぐにルチアーノが、次のサプライズを出そうと指を鳴らす。実際は、ルチアーノの指の音に合わせ、アルフォンス社長役の俳優が、サプライズモードの番号ボタンを押しているだけだ。

「タイムトンネルモード」

 すると、突然パーティー会場の奥に光が渦巻き始める。そして、その中から、本物そっくりのネアンデルタール人が現れ、部屋を一直線に横切るのだ。まるで会場の隅に本当にタイムトンネルができて、そこから原始人が現れたように錯覚さえ覚える。しかもそれが着飾った招待客や豪華なごちそう、高価な調度品をバックに歩いて来るので、とても不思議な光景だ。気が付くと部屋の反対側にもタイムトンネルのような光の渦ができ、原始人はそこに吸い込まれていく。

 みんなため息を交えながらそれを静かに見送った。

「これで、1回目の再現は終了です。仮面が自動的に外れます。2回目はきっちり1時間後にこの場所で始めます。仮面はそのままお持ちください。個人的にお話を伺いに行くこともありますが、その時はご協力をお願いします。それでは休憩1時間です。」

 劇団員は、やっと緊張がほぐれたようで、みんなにこやかに動き出した。シェフのオーギュストが、皿にたくさん料理を運び込み、みんなに進める。劇団員が殺到する。

 和やかな雰囲気の中、プラド捜査官のもとに、他の捜査官がやって来て、自分の持ち場についての報告をする。宿題になっていたいくつかの疑問について言及する。

 立ち入り禁止になっていたベランダをシェパードは通っていたのか。

 だとしたら、なぜ外に出たのか。

 他の経路や目的はなかったのか。

 謎の言葉「ヘクトール・029」とはなにか

 誰が石斧を殺人現場に持ち込んだのか。

 だが、どの疑問にも明確な答えはでてこなかった。

「…というわけで、まずはっきりさせねばならないのは、シェパードの位置です」

 だが、各部の捜査員の意見はやはり同じだった。持ち場のあたりの通路や状況を考えても、他の経路は考えにくい。シェパードは、カメラに映らないベランダに出て、そこからなぜか階段を下り、湖のそばで息絶えたとしか考えられない。

 なぜ、彼はベランダに出たのか。誰かが彼にベランダに出るように言ったのか?

 そこで事件当日の監視カメラから見えなくなる直前の本物のシェパードの動きをみんなでもう一度よく見て今日の再現と比べてみようということになった。

 再現は真実ではないが、演じた役者を好きな角度から見ることができるのだ。

 シェパードはアルトマンと別れた後、1度アルフォンス社長のMCの席まで行き、何かをして、ガルシアが近づいて来るとそして下がって行き、姿を消す。周囲に人が何人も重なり、はっきりはわからないが、そのまま歩いていけばベランダへの出入り口である。

 ほんの10秒ほどの映像ではあるが、それを、役者が演じた演技の画面と、本物の監視カメラの画面を比べてみようというわけだ。誰かがベランダに行けと囁いたりしてはいないか、おかしな素振りはないか、目を皿のようにして凝視していた。

 そして、その映像を何回も比べながら繰り返し見ているうちに、プラド捜査官は全く違うある点に気付いた

「本物のシェパードの胸のあたりを比べてみろ、不自然に、いくらか膨らんでいる? 何かを見つけて懐に入れたのでは?」

 するとほかの捜査員も同意した。

「プラド捜査官、さっそく高解像度分析を行い、懐の中のものを分析したいと思います。いいでしょうか。」

「ああ、頼んだ。急いでくれ、私はその間に他を当たってみよう」

 プラド捜査官は立ち上がり、パーティー会場をもう一度調べようとした。

 だが、その時その目の前に一人の人影が現れた。

「ペネロペ、どうした。」

「プラド、すぐ来て。シェパードの死んだ理由がわかったかもしれない」

「なんだって!」

 ペネロペが耳元で何かを囁いた。

「まさか? ルチアーノ、ルチアーノはいるかい! ちょっと来てくれ」

 プラドはペネロペに連れられて、ベランダに向かった。


 状況は、詳しくはわからなかった。だがこの村のリーダー、ソルの様子から、私は嫌な予感を感じた。どうも、彼らはほかの村の者といざこざを起こしたらしい。しかも、その相手がどうもネアンデルタール人らしいのだ。もしかしてこの村にもう二度と帰れないかもしれない、そう、直感したのだ。

 だから私はデイパックの中に大事な持ち物は全部詰めて、いざという時に備えることにした。少し時間をもらって小屋に帰り、急いで身支度を始めた。

 やっとこの村に馴染んできて、村人たちの名前もかなり覚えたし、言葉もかなりわかってきたところなのに残念だ。

 持ち物をすべて詰め込み、身支度を整えていると、そこにいつもの明るい笑顔がやってきた。今日は一段と機嫌がいい、ミューシャだ。昨日の美しい羽飾りをさっそく頭に編み込んで、一段とおめかししている。

「あれ、イケナミ、どうしたの? どこかへ行ってしまうの?」

「…私にもよくわからないんだ。ただソルに呼ばれて、急に出かけることになったんだ」

 すると、ミューシャは途端に不安そうな顔になり、朝ごはんのフルーツを私にそっと渡すと、ソルに聞いて来ると言って、小屋を飛び出し走り出した。

 なんか困ってしまったが、どうにもしょうがない。私は、身支度が整ったところで、リーダーのソルの所に歩き出した。するとソルのまわりには、神妙な顔をした若者たちがそろっていた。私を見ると、いよいよ出発だと、例の勇壮なダンスを始めたようだった。

 私がソルと視線を合わし、いよいよ出発だと合図を送った時だった。ミューシャに連れられて、ヘカテがやってきた。ヘカテが来ると若者はダンスをやめ、また神妙に頭を垂れた。するとヘカテは例によって、あの不思議な歌を、呪文を唱えた。そしてそれが終わると私に向かってはっきり言った。

「神のご加護を。」

 そして、心配そうに見つめるミューシャに優しく微笑みかけると、あの蛇の抜け殻をはずして、私の右手に巻き付けた。ミューシャがさっと近寄り、私に言った。

「生まれ変わりのお守りよ。大事にしてね…」

 生まれ変わり? 再生? きっと弱っても、新しい命を授かるということなのだろう。

「ああ、こんな大事なモノをありがとう。必ず帰ってくるからね」

 必ず帰る…本当は自信がなかったが、そう言うより仕方がなかった。

 ふたつの種族の間に入ったとしたら、どちらについていいのか、はっきり言ってわからない。

 ホプキンスの行き先も、エデン文書の謎もまだわかっていないのに、どうしたらいいのだろうか。

 いよいよ出発、嫌な予感の通り、進路は北、草原を越えて、低地の亜熱帯の森へと近づいていく…。私より滞在期間の長かったホプキンスも、最後には私と同じような葛藤に追い込まれたようだ。書きかけのエデン文書の中にはこんな一節があった。

「地球は定期的に温暖な時代と大小の氷河期を繰り返し、それに伴って、氷河や森林も拡大したり後退したりを繰り返す。そのような大きな気候の変動により、森の民、ネアンデルタール人は大移動を余儀なくされたと考えられる。ホモ・サピエンスはさらに生息範囲を広げ、多様化していったのかもしれない。そして、未来からこの北アフリカにやってきた私が目にしているのは、大きく南下してきたネアンデルタール人であった。そしてそこでふたつの種族が、接触、遭遇することになる。だが、今の私にはよくわかる、ハーレム単位で行動、男同士は基本的にライバルで、狩りも一人で行うネアンデルタール人と、いつでも繁殖可能で男同士が集団で協力して狩りをするホモ・サピエンスでは、接触事件が起きた時、どちらが有利かということだ。そう、一対一なら怪力と格闘センスを誇るネアンデルタール人だが、実際には一対チームで遭遇することになる。ホモ・サピエンスの圧倒的な機動力を持つチームで攻められたら、まずネアンデルタール人に勝ち目はない」

 ホモ・サピエンスの村で過ごしていたホプキンスはある日、若い狩人が連れてきたものを見て驚いた。それはまだ小さい赤ん坊を抱いた、ネアンデルタール人の若い母親だった。

 ちょうど野牛の移動時期で、ホモサピエンスの狩場に入ってきたネアンデルタール人の家族が襲われたのだ。強い父親は、その怪力で抵抗したが集団で襲われて大きな傷を負い、他の家族を連れて、逃げて行ったらしい。逃げ遅れた若い母親が赤子とともに連れてこられたようだ。ネアンデルタール人の女性は以前述べたように男性のような二次性徴がなく、色白でかわいらしい。このまま村にとらえられ、混血が進む可能性もある。現在の我々の中にもネアンデルタールの血がいくらか混ざっているという研究もあるからこんなことは、少なくなかったのかもしれない。だが、若い母親はなかなかホモ・サピエンスの村に慣れず、毎日泣いていたという。かわいそうに思ったホプキンスは、毎日ネアンデルタールの言葉で、声をかけてやり、好きそうなフルーツを差し入れしたりしていた。そして、ついに村を出ていく日が近付いた時、何とかこの親子を元のネアンデルタールの村に帰せないものかと考えていたようだ。結果はわからない。ホプキンスが居なくなってしまったからだ。

 不安げな曇り空の下、我々は、一言も口をきかず、険しい表情で進んで行った。やがて低地に下り、現場に近付いていく。草原と亜熱帯雨林の混在する場所だ。近くを大きな川が流れている。

 急にリーダーのソルが立ち止り、全員に注意を促す。なんだろう、われわれは、藪に身を隠し草原をうかがう。大きな肉食獣がこの先に潜んでいるという。なんだ、ソルの指差す草むらに、長い牙がちらっと見える。サーベルタイガーだ。

 しかも、低地の岩場で見たのと違う。草原の大型の草食獣を獲物にしているのだろうか。体もふた回り大きく、鮮やかな豹柄が低地のものと明らかに異なる。

 やがて、小型のサイの群れが川の方から草原の方に走り去っていく。突然、サーベルタイガーが飛び出す。全速力で逃げ出すサイの群れ。群れから遅れた一匹を狙って、あっという間に距離をつめて行くサーベルタイガー。向こうの草原でついにその距離はゼロになる。ものすごい跳躍力で襲い掛かる。サイの首のあたりを狙ってその凄い牙を突き立てる。直撃すれば頸椎破損で即死だ。

 土煙の中、牙が宙に舞った。群れは暴走気味に離れて行った。一頭のサイがぐったりして動かなくなっていた。あっという間の出来事だった。首の骨を一撃で砕き折られたらしい。即死だ。こうしてみるとさらに太古の恐竜トリケラトプスの仲間が首を保護する襟飾りを持っていた意味が分かるような気がした。サーベルタイガーが、獲物に食らいついているうちに、我々は草原を抜けて、さらに進んでいくことにした。

「あんな、デカい物を一撃で…凄い!」

 すると、最後までズームレンズでそれを追いかける私にソルが言った。

「はは、大きいから足も遅いし、狙いやすいんだよ」

 ソルの話だと、あの大型のサーベルタイガーは、野牛のような足の速い相手には逃げられてしまうことが多いのだそうだ。

 一撃必殺の強力な牙も、だんだんと俊足になる草食動物の進化に対応できなくなり、やがて、チームで狩りをする現在のライオンにその地位をとって変わられてしまうことになるのだろう。

 森をしばらく歩き、少し先に進むと、大河をすぐ下に臨む段丘の上に出る。向こうからホモ・サピエンスの村の狩人がふたりやってくる。よく見た顔だ。ひとりはアドといい、村でも指折りの狩りの名人だ。もうひとりは、顔に大きなあざを作り、あちこちに深い切り傷もある。ネアンデルタール人と格闘し、しこたまダメージを受けたようだ。

 すぐに私が手当てを担当する。もちろんそのためにここに連れてこられたわけだ。

 ふと見上げると、禿鷹、いいやずっと大きい、種類はわからないが巨大なコンドルのような黒い鳥が我々の真上でぐるりと輪を描いている。不吉な感じだが、負けてはいられない。

 傷はひどいが、運よく骨は折れていない。ばい菌さえ入らなければ、十分平気そうだ。

一生懸命傷の手当てをするが、その鳥がこちらに狙いをつけ、徐々に低空飛行をしてくる。

 私はヘルメットのオートカメラを頭上モードにして、そいつをしっかりと映像にとらえる。

 えっ? デ、デカすぎる大型の腐肉食の鳥なんだろうが、あんなでかいのが降りてきたらとても手に負えそうにない。

 どんよりした低い空の下、大コンドルがだんだん近づいて来るのを感じながら医療処置をするのは、気が気ではなかった。ヘルメットのアイ・スクリーンでモニターすると、本当に獰猛な感じのくちばしや爪まではっきり写っていて、胸がドキドキする。だが、あまりに近付いて来たためか、ソルが槍を投げて威嚇した。

「ピいいいいいい!」

 槍を簡単にかわすと、しばらく上に上昇し、またゆっくりチャンスを狙っている。

 でも、やっとのことで応急手当てが済むと、その不吉な巨鳥はいずこかへ、飛び去って行った。

 ネアンデルタール人はもういない。それならもうここで帰ろうかとソルが提案した。経験豊かな彼は、ネアンデルタール人の単体の強さも知っている。彼も無駄な血は流したくないらしい。でも大けがを負ったアドたち、狩人たちは気が済まない。このままでは、自分たちの狩場が脅かされるとゆずらない。私が、奴らは森の中から出て来ないんだから、狩場は大丈夫だと説得しても分かってもらえない。

 じゃあどうするんだと聞くと、彼らは2本の大きな槍を指差した。戦っている間にネアンデルタール人から奪ったものだ。やつは必ずこれを取り返しに来るから待ち伏せしようというのだ。私と一緒で他の部族との争いを好まないソルだったが、怒りに燃えるアドから罠の提案がされると同意した。しかたない、でも、目の前でネアンデルタール人が殺されるのを見るのは忍びないので、なんとかできることはしようと考えた。ここで、ひとりやふたりの命が助かっても、歴史が大きく変わることはあるまい。あの気難しい倫理委員会もうるさくは言うまい。

 すると彼らは近くの藪に私を待機させ、少し離れた崖っぷちに2本の槍を突き立てた。崖の下は大きな川が流れていて、十メートル以上ある巨大な輪にがうようよしている。

 そして彼らは槍のまわりに何か細工をしてこちらに戻ってきた。

 しばらく待っていると、なるほど大きな体のネアンデルタール人がやってきた。槍を探しているようだ。顔に見覚えが無いので、前にいた村の西にあるという別の村のものなのだろう。やはり、見事なゴールドネックで、格闘も強そうだ。西の村のネアンデルタール人は、やがて槍を見つけ、崖の方へと歩いていく。これから起こるであろう光景を想像して、私はどうにかできないかとドキドキしながらそれを見ていた。

 西の村のネアンデルタール人は、あたりに危険がないかどうかキョロキョロしながらやりに近付き、そして槍を引き抜いた。

今にも雨が降り出しそうな不安な空の下、冷たい風が吹き渡った。

「おおっ!」

 その途端、槍の刺さっていた地面そのものがボロボロと崩れだし、体が大きくバランスを失う。槍のまわりの崖の下を削って細工をしておいたのだ。野牛を獲る落とし穴の応用らしい。

 これならこちらは血を流さないですむし、誰かに見られても、妙な遺恨も残さないということなのだろう。下はワニのいる川だ。ある意味完全犯罪だ。

「グオオオオオ!」

 あわてて逃げ出す西の村のネアンデルタール人、だが私の視界からその影は消えて行った。そして、土砂の崩れる音、少しして川に落ちていく水音が響き渡った。あわてて、飛び出していく私たちも、。これ以上崩れないように静かに崖っぷちに近付く。すると水音に気付いた巨大ワニが2匹、ゆらりとすぐ下まで来ている。

 だが、なんということ、西のネアンデルタール人が、そのゴリラのような腕力で、すぐ下に突き出た小さな岩にしがみついていた。やつはまだ生きている、ホモ・サピエンスのひとり、アドがとどめを刺そうと槍を取り出した。今ならまだ止められる。だが、止めたらもう、みんなと同じ村には帰れないだろう。しかし、このままではみすみすひとつの命を見逃すことになる。きっと後で大きな後悔をするだろう…。岩がボロボロと崩れ、すぐ下で、巨大ワニが口を開く。ああ、絶体絶命だ!

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