第8話 リアルイブ

 その日、タイムドームでは、内外でイベントがあり、賑わっていた。テーマパークでは、「人類タワー」のマスコミ向けプレオープンが開催され、あの螺旋のタワーの前に行列ができていた。一般の観光客もシアターの長編立体映像めあてに押し寄せ、大変な盛況だ。

 タイムドームの中では、スポンサーとその関係会社の担当が集結し、池波の撮影してきた映像の発表スケジュールについて二回目の打ち合わせをしていた。池波の映像を、すでに発表した予告タイプ、タイムドームのシアターで上映するスタンダードの長編、特に価値の高いプレミアム映像1、2、3、学術的資料、タイプ別にa、b、c、d、特殊カメラ映像、その他などに分け、それぞれの配信日程や配信料を調整する作業だった。

 本会議は順調に終わり、後は細かい会社同士の調整ということになった。

 今回の池波の映像は、巨大生物が目白押しということで前評判が高く、会議も非常に活気づいていた。メタトロン社のアルフォンス社長は、いくつかの提携会社やマスコミとの個別の打ち合わせに入っていた。やっとひと段落ついたところに、見慣れた顔がやってきた。

「この間はお世話になりました。捜査官のプラドです」

「いやいや、今日も美人の彼女と一緒かい。私は自慢じゃないがいつもモンスターと一緒だよ」

 彼女? そんなはずは…一人で来たはずだが? ふと見れば、いつの間にか、後ろにペネロペがいた。どういうタイミングだ。まあいいや、邪魔だけはしないでくれ…。

 プラド捜査官は懐から書類を取り出した。

「社長のあの古城で、本格的に事件の捜査と、当日の状況再現実験を行いたいとずっと考えていたのですが、やっと許可と準備が整いましてね。捜査令状と、ルチアーノのバーチャル機材の使用許可書と、ご協力いただくための当日のおおよその計画書です。本当は予告なしでやりたかったんですが、搬入する機材の関係でそうもいかなくて、失礼します。」

 アルフォンス社長は、目を丸くして当日の計画書にざっと目を通した。

「ほう、こりゃ、なかなか大がかりだねえ」

「はい、あの日の大がかりなバーチャル空間を再現しないとあの謎は解けませんので」

 さて、アルフォンス社長は、きっといろいろ難癖を付けたり、日程が合わないとか言い出して、協力を拒むだろう、ここからが勝負だとプラド捜査官は思った。だが、アルフォンス社長は、なぜか素直なくらいに協力的だった。

「いいだろう。この日は、すべての予定をキャンセルして私も古城に行き、できる限りのことをしようじゃないか」

 すると、後ろでそれを聞いていたモンスター、ガルシアがさっと近寄ってきた。

「社長、その日は、確か重要な会議が…。よろしいのですか?」

「ああ、構わんよ。いよいよネアンデルタール人殺人事件の真相に近付くのだから、その世紀の瞬間を見逃さないようにせんとな。結果がどうであれ、こういうことには潔く臨むことが、最後には良い結果を生む。わしはずっとそうしてきた」

「社長…」

 その時、アルフォンス社長への打ち合わせ希望の担当が二人ほどやってきた。

「すまんな、プラド君、詳しいことは、後でガルシアに言ってくれ」

 すると、プラドにペネロペが近付き、何かを囁いた。

「ありがとうございました。それでは私めもこれで失礼します」

 プラド捜査官は長い廊下を歩きながら、ペネロペと話していた。

「いやあ、知らないうちに君がいるから驚いたよ」

「ふふ、今日はあなたの秘書をやりたい気分なの。なんかすごい事件が起きそうな気がしてね。」

 凄い事件が起きたら困るよ。」

おあいかわらず彼女はよくわからない女だ。

「それで、私を呼んでいるってのは誰だい」

「ほら、そこの部屋よ」

 そこは、あの穏やかな気象学者、アルトマンの部屋だった。

「…あの時は、失礼なことを山ほど言って、本当にご迷惑をかけました」

 プラド捜査官が、この間の捜査の非礼を謝った。アルトマンが自分から隊員を辞退したのは有名な話で、プラドも責任を感じていた。だが、アルトマンは穏やかに笑っていた。

「ああ、それがあなたの仕事ですから、嫌なことも言わなくては捜査になりませんから。」

「そう言っていただけると、私も救われます。ところで今日の用件は?」

 するとアルトマンはマルチモニターに一枚の写真を映しだした。

「これはデジタル加工やコピーができない、不加工処理のされた原版写真です。この間、過去の池波から送られてきた個人的メールに添付してありました。ぜひ、プラド捜査官に見せて、容疑を晴らしてくれと。いかがでしょう」

 それはネアンデルタール人のリーダー、ヘクトールを写した高解像度写真だった。その腰には、いくらか使われて古臭くなったが、あのシェパードの事件に使われたのと同じ石斧がぶらさがっていた。

「石斧もヘクトールも、およそ2年の時を経て、もとのままちゃんと実在している。未来に転送された事実は全くない。とのことです」

 なるほど、2年たって、ヘクトールはますます大きく立派になったように見える。手前に写っているのは、まちがいなく新しい型の池波のトランクにまちがいない。ホプキンスでは撮れない写真だ。

 プラド捜査官は画面に近付き、その写真をしばらくの間、いろいろ調べていたがやがて席に戻り一言言った。

「わかりました、あなた方の容疑は晴れました」

「そうですか。よかった」

「しかし、未だに真犯人を突き止められなくて、申し訳ありません。今度近いうちにあの古城に出向いて、バーチャル機材を駆使してあの日を再現し、何とか決着をつけたいと思っているんです。仕掛けが大がかりなもので、なかなか各方面に許可が取れなくて苦労したんですが、今度こそ頑張ります」

 そのプラドの言葉を聞いていたアルトマンが何かを思い出したようだった。

「そう、シェパードもそう言っていました。この仮面パーティーそのものがおかしい。大がかり過ぎる…きっと裏に何かある、突き止めてやると言っていました」

「大がかりなのが、どうおかしいんですか?」

「シェパードが調べたら、ダイナソーアイの大成功の時も、ホプキンスの転送が成功した時も、タイムドーム内の小ホールで、ちょっとした立食パーティーをやっただけなのに、いくらスポンサーが金を持つとはいえ、不必要に規模が大きすぎる、前例がないってね、大がかり過ぎるって、そう、何回も繰り返していましたよ」

 なんだって! あのパーティー自体に何かの陰謀があり、あのパーティーそのものが誰かの企みだったのか? だとしたら、ねらいは何だ? 自分は、プラドは、パーティーに出席していないのでピンとこないが、シェパードは、それを調べようとしていて殺されたのだ。いったい、犯人の狙いはなんだったのか? 幸いパーティーに深く関わっているペネロペもいる。そこから洗い直してみるか。しかし、ペネロペに聞くまでもなく、もう彼女はしゃべり始めた。

「クロフォードもあのパーティーがなにかおかしいっていうから私もルチアーノに接近して、いろいろ調べていたのよ。クロフォードは、アルフォンス社長とブルコス会長があやしいから、目を離すなって言ったのよ。そしたら、ブルコス会長がパクパク食べているところに一直線に池波隊員が向かって行くから、こいつも怪しいのかと思ってダンスに誘ったら、彼、緊張しちゃって、かわいいったらないの。それで、池波はシロだって確信したの。でも社長も会長もしたたかで、結局最後まで尻尾は出さなかったわ。ところが、パーティーが終わった後で、クロフォードがぽつりと言っていたわ。確信がないからなんとも言えないけれど、奴らの作戦は大成功かもしれないってね。そのあと殺人事件が起きたわけ」

「やつらの作戦って?」

 まだまだ話が続いていたその時、突然室内の緊急アラームがなった。アルトマンがさっとマルチモニターを切り替えた。そこに現れたのは、あのTシャツにピアスの陽気なマッチョ、コンピュータ関係の責任者、ピーター・ルーニーだった。

「ビンゴ! プラド捜査官発見。緊急で頼みたいことがあるんだ」

「ピーター、一体どうした」

「今から約一時間前に、誰かがこのタイムドーム内の端末から内部に侵入した痕跡が、今発見された。一度目は、偵察だったらしく、あやしいプログラムやファイルは何も発見されていない。たぶん今、こうしている間にも奴は二度目の侵入を試みているかもしれない。」

「わかった、その端末はどこだ」

「人類タワーの4階だ、人類タワーのプレオープンが始まり、中にマスコミが入ってしまった後なので、今閉館するのは難しい。なんとか、捜査官の力で侵入者をとっつかまえてくれ!」

「オーケー。ペネロペ、後を頼む」

「まかせて!」

 だがその時、アルトマンの部屋の外で、カシャと小さな音がした。

「誰かいるのか?」

 急いで飛び出すプラド。遠ざかる足音が聞こえた。何かいやな予感がした。とにかく急ごうと、プラドは人類タワーに向かって走り出した。


「エレベーターは、ただいま7階の展望台と1階の出口の間を直通運転していて、4階には止まりません」

「じゃあ、4階まで走って行く、許可をくれ」

 プラド捜査官は、受付のフロアマネージャーに国際警察機構の身分証明書をかざした。

「わかりました。でも、中はバーチャル空間ですので、参加者と同じゴーグルヘッドギアを装着しないとゲートが開きません。これを付けてください。」

「わかった。ありがとう」

 1階は、数千万年前のバーチャルジャングルだった。ここではひとりのガイドに約十人ほどの参加者がついて歩いていくのだが、途中でモノリスのような石板のようなモニターがあり、そこで自分の好みのデータを打ち込むと、あらあら不思議、自分の姿が小型のサルに変わってしまうのだ。もちろん自分が小さくなるのではなく、周りの木や草が大きくなって見えるのである。データの種類によっては、猿の顔を自分の人相に似せたり、シャツや半ズボンをはかせることもできる。しかも、ジャングルの中の通路を進んでいくのだが、左側の壁はずーっと鏡になっていて、猿になった自分やグループのメンバーがいつも映っている。ためしに鏡の前に行って顔の表情を変えたり手足をバタバタさせると、鏡の中の小さな猿も同じように表情や手足をまねる。不思議な感覚だ。そう、ここは人類の進化を展示するのだが、並べてある展示物を眺めるのではなく、自分自身が猿からホモ・サピエンスに進化していくのを見るようになっているのだ。

「あれ、馬の先祖じゃないの? 小さくてかわいい!」

 ジャングルの中にはいろいろな古代の生物が隠れていて、見ているだけでも面白い。やがて、ジャングルを抜けるころには、猿はだんだん大きくなり、だんだん自分が進化しているのがわかるのだ。プラドはもちろん登録している時間などないので、そのまま駆け抜けた。すると、一番スタンダードな猿になり、枝から枝へと飛び移りながら進んでいった。

1階のゲートを抜けエスカレーターで、1階に急ぐ。

「おお、こりゃまいった」

 450万年前の文字が点滅する。時代の節目になると、年代やデータが画面に浮かび上がる。2階は、突然地震が起こり、火山が爆発、地殻の大変動が本当のように起こる。足元の揺れも本物で、音といい、バーチャル効果といい凄い迫力だ。やがて、照りつける太陽、気候も変わり始め、、ジャングルが後退していく。広がるサバンナ、木から飛び降り、草原を歩き出す。太古の巨大生物のいる広大な世界へと走り出すのだ!

「うわあ、体が、光り始めたぞ! 今度は何だ」

 すると、体がみるみる変化を始める。足がすらりと伸びて行き、直立二足歩行になって行くのである。観客は、その広々した空間を眺めたり、大きく変化した自分たちを見て驚いたりしていたが、急ぐプラドはサバンナを風のように駆け抜け、3階へと駆け上って行った。

「うああ、本物としか思えない…」

 年代やデータを読む暇もなく、次の空間に飛び込む。そこは青い海と白い砂が広がる浜辺だ。そういえば、海中人類進化説というのを聞いたことがある。どんどん先に進んでいくと、やがて海の中に入って行く。もちろん水はないのだが、足元には水面の映像、海風や水をバシャバシャする音が、自分の動作に合わせてちゃんと聞こえてくる。浅いところでは、貝を拾う原始人たち、少し深いところでは、水の中を自由に泳ぎ回り、サザエやウニを獲る原始人もいる。しばらく浅い海を進み岸に上がるとまた体が光り始める。進化タイムだ。今度は、イルカやジュゴンなどの水中生物のように、体の毛が亡くなっていき、つるつるの肌に変化していく。なかなか人間らしくなってきた。

 そうか、人類はよく貝塚とかあるけれど、浅い海に入ることによって毛が無くなって行ったのか。などと思っていはいられない、いよいよ次は4階だ。

 その時、プラドの携帯が鳴った。やっとツルツルになった自分の胸のあたりをまさぐるとちゃんと携帯が出て来る。変な具合だ。

「もしもし、プラド、ペネロペよ、わかる? 今、どのあたり?」

「これから4階に上がるところだ。ちょうどよかった。こっちはバーチャル空間に入って、何が何だかわからない。端末の位置を教えてくれ」

 すると、すぐに、ピーターに交代した。すぐ隣にいるようだ。

「プラド、俺だよ。ピーターだ。端末は4階の中を進み、出口の左側の洞窟の中にある。近くに行ったら、また連絡してくれ」

「オーケー! 今行く」

 次の4階に飛び込む。そこはひんやりした、一面雪の世界。巨大なマンモスの群れや、大きな角を持った鹿の仲間が駆け抜ける。

氷河期なのだろうか、それとも生息範囲が北まで広がったのだろうか? 寒いので、大きな洞窟の中へと入って行く。

「あったかい…」

 薄暗い中に灯火がともる。たき火を囲んで温まる原始人の家族が見える。そこに向かって歩いていく参加者たちにも、たき火の熱と焼き肉のいい匂いが伝わってくる。そばに行くと、皮をなめす者、石器を作る者、骨を使ってアクセサリーを作る者までいる。すると、体が光り出し、毛皮や石器のナイフ、美しい象牙細工のアクセサリーなどが、体に装着していく。過酷な環境を生き延び、人類は火や道具を手に入れていくのだ。

「あった!」

 見過ごしてしまいそうだが、確かに出口のそばに、小さな洞窟が、左側に伸びている。

「そうだ、その洞窟だ、5メートル進めば、右側に端末がある。バーチャルゴーグル越しでも石板画面で見えるはずだ。そのあたりに不審人物がいないかどうか確認してくれ」

 犯人は、まだ来ていないのだろうか、今いるのだろうか、ひとりなのかふたりなのか、とにかくまだ、作業を終えてはいない…。プラドは、覚悟を決めて飛び込んだ。

 一瞬真っ暗になり、あわてたが、さらに進むと見えてきた。暗闇の中にモノリスのような石板がぼんやり光っている。まちがいない。本部のコンピュータに直接接続している端末だ。

 今のところ誰もいないようだ。そっと忍び足で近付く。その時だった。

 ガツンと後頭部に強い衝撃が走った。

「しまった!」

 プラド捜査官も、国際警察機構で、格闘技の特殊訓練を受けている。実はかなり強いほうだった。すぐにファイティングポーズをとりながら後ろを振り向く。

「なんだと?」

 洞窟の入り口近くの岩影に隠れていたのは、巨大な原始人だった。もちろんバーチャル映像なのだろうが、こんな大きい原始人などいるのか? しかもそいつは、素早く的確だった。体制を立て直して反撃を試みたプラドのパンチをたやすく見切り、紙一重でかわすと、強烈なボディーブローがプラドのみぞおちに突き刺さった。苦痛に顔をゆがめて倒れこむプラド。激痛と、息ができないような硬直が襲い掛かる。

 その原始人はプラドと同じに無登録で入って来たらしく、服装も人相も、特定できない。声の一つも、洩らさない。そいつはゆっくり歩くと石板の前に立ち、マスターキーを入れて、端末に何かアクセスをした。つなぎっぱなしの携帯からピーターの声がする。

「どうした、プラド、今犯人のアクセスがあり、犯人が…。いいや、犯人はアクセスの形跡を全部消して、証拠を全て隠滅するようだ。プラド、急がないと、証拠がすべて消えてしまう…」

「オーケー、ピーター。…」

 やっとのことで、絞り出せた声はそれだけだった。

「観念しろ、おとなしくしないと、銃を撃つぞ」

 だが、懐の銃に手を伸ばした瞬間だった。その巨大な原始人は、振り返りざまに、強烈なアッパーで、プラドを吹っ飛ばし、そのまま上の階へと走り出した。

「待て…逃がしはしない…」

 プラドはふらふらしながら走り出した。少なくとも、奴が使っていたマスターキーを手に入れれば、犯人は特定、逮捕まで持ち込める…。プラドは、徐々にスピードを上げながら次の5階へとエスカレーターを駆け上がって行った。

「うう、なんだここは」

 体が光り、原始的なホモサピエンスへと変化していく。

 次の5階は道がいくつかに別れていた。

「やつはどこの道をいったんだ」

 ゴーグルヘッドギアの画面にタイトルやくわしいデータが映し出される。「隣人たち」というテーマのこの5階は、お楽しみの迷路のようになっていて、隠れるにはもってこいだ。それとも、すぐ、抜け出して上に逃げるか?

 プラドは、拳銃をもう一度確認し、岩の道、森の道、草原の道を見てからちょっとだけ考えて、森の道に入って行った。隠れるにしても、草原の道は隠れようがないし、大きな岩の影にもう一度隠れるような同じ手は使うまい、森の道に隠れるか、そこを抜けるかどちらかだろうと考えたのだ。

 中を進んでいくと、あちこちにバーチャルサプライズがあり、急に目の前を古代生物が通り過ぎたり、天変地異が起きたり、体がいつもと違う光り方をして、ホモ・サピエンスとはちがう、別の種族に変化したりするのだ。小人人類や極北の種、ネアンデルタールなど、迷路の環境に合致した種類になるらしい。

 プラドは慎重に森の道を進んでいった。大きな木の影、背の高い植物の裏側、奴がいないか確認しながら進む。だが、巨大な蛇や、肉食の恐鳥など、バーチャルサプライズに何回も驚かされる。そして、道のさらに奥に入って行くと、ネアンデルタール人の集落があり、ホプキンスや池波の映像を使い、本当に村に訪れたような体験ができるのだ。ここが一番奥で、あとは出口に通じる道があるだけだった。ネアンデルタール人は、なぜかこの先滅んでしまう。すると、ゴーグルヘッドギアから音声が聞こえてきた。

「ここから、森の側に立ち入ると、一時的にネアンデルタール人に変身できます」

 まあいい、やつはいなかった。上の階に急ぐとしよう。その時、幸せそうなネアンデルタール人の一人が、友好的に近付いてきた。ホモ・サピエンス姿のプラドは、特になんとも思わず、その前を通り過ぎようとした時だった。

「え? 今のネアンデルタール人、やけに背が高かった…。もしかして…」

 気が付いて振り向いた時はもう遅かった。そのネアンデルタール人が突然ゴリラのようなその腕を伸ばし、プラドの体を引き寄せると、強烈な膝蹴りを腹にうちこみ真上からハンマーのような拳を振り下ろした。奴はネアンデルタール人に偽装し、待ち構えていたのだ。そいつは、ホモ・サピエンスが床にころがったのを確認すると、そのまま出口へと姿を消した。

「く、くそ…、逃げられたら、終わりだ…」

 プラドは、立ち上がった、もう、精神力だけで跳ね起きたようだった。しかし、静かに闘志は燃えていた。

 6階、そこは天空の螺旋階段だった。金色の螺旋階段が大きく渦を巻きながら上って行く。ところどころにある小窓からは大空と雲が見える。そこはゆったりとした天空に続くエスカレーターだったが、プラドはどんどん駆け上がって行った。

 すると、金色の壁に大きな額がかかっているのが見える。素朴な石の額や、木のツルでできたような額、さまざまな額がいくつも金色の壁に並んでいる。覗き込むと、その中に鮮やかな洞窟の壁画やストーンヘンジなどの映像が浮かび上がる。やがて上にのぼるにつれ、それはピラミッドの映像になり、象形文字が動きだし、パルテノン神殿や美しい彫刻、秦の始皇帝陵、ローマのコロッセオ、マヤのピラミッドなどが次々と浮かび上がる。しかもその風景の中にはその当時の人々が、大勢動き回っているのが見える。やがて、西洋、東洋のあらゆる美術品、絵画、彫刻、音楽などが次々に額の中に現れては消えていく。ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ベラスケス、ゴッホ、ダリ、ピカソもある、水墨画、日本画、浮世絵の数々が並ぶ。バッハ、モーツァルト、ベートーベンのシンフォニーが鳴り響く。ブロードウェイの大がかりなミュージカルが動き、歌舞伎役者が見えをきる。

 遠くで、靴音が駆け上がるのが聞こえる。奴はいる、もう少しで追いつく。

 やがて、飛行機が飛び、機関車や自動車が走りはじめ、ロケットが飛び、気が付くと、大きな雲の上に走り出ていた。そこに大きな扉だけがひとつ立っていた。その中に入った途端、ゴーグルヘッドギアが外れ、気が付くと白い部屋の中にいた。自分のゴーグルヘッドギアを最後のゲートに入れると、ひとりずつ外に出られるようになっていた。

 ゲートを抜けると、そこは7階の展望台だった。はっと思って、1階に直通の大型エレベーターに目をやると、ちょうどドアが閉まり、下に行くところだった。駆けつけるプラド、しかし、目の前でドアは閉まった。次のエレベーターが来るまで、5分以上待つしかない。プラドはすぐに1階の警備室に電話を入れた。だが、身長が高いこと以外は、どんな姿なのか、わからない。展望台をひと通り回り、ジューススタンドの店員にも聞いたが、特に怪しい人物は確認できなかった。プラドは生ミックスジュースを一杯買って、それを飲みながら、展望台から下を見下ろした。にぎやかなテーマパーク、忙しそうなマスコミ、幸せそうな家族連れも見える。高層ビル群、高速道路、遠くに海が見える。人類は今日もこうして生きている。

「…すまん、取り逃がした」

「でも、あんたのおかげで、アクセスは中止となった。たぶんもう二度と侵入することは不可能だろう。おかげで助かったよ」

「ありがとう、ピーター」

 ピーターは意外なくらいに優しかった。プラドはそれだけ言うと、次のエレベーターで展望台を去って行った。犯人は跡形もなく、雑踏の中に消えていた…。


 ホモ・サピエンスの村は大騒ぎになっていた。少し前に帰ってきた男たちが大騒ぎのもととなっていた。

「イケナミ!」

 動物の皮を使った、簡単な太鼓のようなものが打ち鳴らされ、数人の男たちが興奮し、大地を踏み鳴らす、ダンスのような踊りを始めた。なんだろう、戦いとか、勇者とかの踊りというイメージかな…?

女 たちや子供もどんどん出てきて、周りを囲んでいる。色白のネアンデルタール人と比べると活動的な褐色の肌、珍しいアクセサリーはしているが、さっと見たところ、大きな違いは感じられなかった。

 一人の男がリーダーのソルを捕まえ、何かを一生懸命説明している。遠く、西の森の方を指差し、何かを叫び、槍を持ち上げてはそれを突き刺すようなポーズを何度もする。ソルは困った顔をして首を横に振る。

 いったいなんだというのだろう。私が、みんなの集まっている輪の中へ入って行くとひとりの若い男が、血を流し、ぐったりとしていた。

 きっとホプキンスもそうしていたのだろう、なんとか治療してほしいということだった。腕にぱっくり開いている大きな傷口を皮でしばる。血は止まっているが、熱を持っているようだった。菌が入ってしまったようで、危ないかもしれない。私は黙って、ペットボトルのきれいな水で傷口や血を洗い、抗生物質チューブで手当てをして、最後に伸縮自在の透明なシールを貼った。念のために飲み薬も与えた。若者は少し落ち着き、顔色が良くなってきた。私を呼びに来たあのリーダー、ソルは大喜びし、私に礼の言葉を何回も繰り返した。ただ、私は気になったことがあり、身振り手振りを加えて、憶えたばかりの彼らの言葉で聞いてみた。

「いったい、どうしてけがをしたのだ?」

 なぜならその傷は、獣に噛まれたものではなく、事故というより、刃物で切られたような傷だったからだ。まだほとんどうまく会話も通じない。もどかしいがしばらく話してやっとわかった。他の村の男と戦ったということだ。理由はわからない。ただ、温和で保守的なネアンデルタール人と比べ、彼らの活力は外へ、外へと向いているようだった。

 その時、数人の人影が近付いてきた。みんなが、すっと後ろに下がった。それは、一人の美しい女と、その娘たちだった。三人の娘たちも美しかったが、若い長女は、おなかが大きく、おめでたのようだった。その4人を見た瞬間、まるで電撃が走るようなショックを受けた。きっとこれが、ホプキンスの言っていたリアルイブ…。その4人は、全員腰につけた飾りで下腹部を隠しいくつものアクセサリーをつけていた。特にその母親は、見たことも無いような鳥の羽で髪の毛を飾り、生き生きとしていた。

「ヘカテ」

 リーダーのソルが口を開いた。それが、その女の名前のようだった。ヘカテは若者に近付くと、傷口を確認し、不思議な腕輪をした右手をそっとかざした。そして低い声で、最初はうなるように、そしてだんだんとのびやかに、簡単な歌を口ずさんだ。何か力強い、でもどこかもの悲しい、不思議な歌だった。昔どこかで聞いたゴスペルに少し似ていた。何かの呪術だろうか。そして、若者から離れると私に近付き、何かをしゃべりながら握手をしてきた。近くで見ると知的でみずみずしく、大きな娘がいるようにはとても見えない。私は、握手を返しながらも、ついつい、ヘカテの手首に巻かれた不思議な腕飾りに目を奪われた。するとヘカテは、にこっと笑って、その腕飾りをくるくると外して私に見せた。

「…へ、蛇?」

 何とそれは1メートルほどもある、蛇の抜け殻だった。私がそれを見て驚くと、ヘカテはまたにこっと笑って腕に巻き直した。そして、リーダーのソルに許可を求めると、次女に小屋の方を指差して指示をした。小屋の方に走って行く次女を見送ると、ヘカテはそして、娘たちを引き連れて帰って行った。まだ細かいことはいろいろわからないが、家族の関係や、村の様子などが、ネアンデルタールの村とはかなり違っているのが実感だ。何がどうちがうのか、後できちんと確かめようと思った。

 若者はどんどん調子を取り戻し、みんなに連れられて、小屋の中へと入って行った。戦いの踊りはますます人数も増え、盛り上がっていた。

 今のヘカテたちの様子にもおどろいたが、蛇の抜け殻にはどんな意味があるのだろうか?

 すっかり喜んで、しばらく村にいてくれとソルが言いに来たので、さらに聞いてみた。

「あの蛇はいったいなんなのだ」

「そのうちわかる…」

 ソルはそう言うと、私を、客人用なのか、大きく立派な小屋に案内してくれた。森の家と違って虫も少なく、カラッとしている。私は、大草原の夕日を見ながら、さっそく今日の記録をまとめだした。

 しばらくすると、誰かが小屋にやってきた。

「やあ、こんにちは」

 私は、さっそく覚えたホモ・サピエンスの言葉であいさつをした。

「こんにちは」

 やってきたのはあのヘカテの一家の侍女のようだった。現代人で言うと中学生から高校生ぐらいか? 母親にやってもらっているのか、髪の毛を編み込み、体のあちこちに骨や皮で作ったアクセサリーをつけている。得体のしれない私のようなものにも物怖じせず、なかなか賢そうな娘だ。私のために、干し肉とフルーツを持ってきてくれたようだった。私が笑ってお礼を言うと、私の前に持ってきたものを並べ、一つひとつ丁寧に説明してくれた。私はさっそくフルーツの名前や干し肉の発音を書き留め、ついでだから、その他の身の回りの物の名前も聞いた。

 侍女の名前はミューシャ、そのほか、水、土、草、小屋、空、太陽など、ミューシャも目をキラキラさせながら、楽しそうに教えてくれた。私はいろいろ教わったお礼を言った。すると、ミューシャは少し笑ってそのまま帰って行った。夕焼けがきれいだった。

 干し肉はあの岩塩を使った手間をかけたもので、かなりの歯ごたえだったが、まあまあいける。フルーツはおいしかった。そういえば、ネアンデルタールの村でトールがくれた極上のマンゴーがあったな。でも、なんかもったいなくて食べられない。もう2、3日とっておくか。

 その日、夜になっても、あの戦いのダンスが続いたり、男たちが大声を上げたり、なんだか落ち着かなかった。私は小屋でひとり今日の記録をまとめ終わると、いよいよ決断した。

 タブレットに入れた書きかけのエデン文書を呼び出した。これを最後まで読めば、事件のもととなったその内容がわかる。さらにもしかするとホプキンスの行き先もわかるかもしれない。ホモ・サピエンスの村に連れてこられたホプキンスは初日から、マラリアにかかった女性を治療したり、よく切れる金属の刃物で狩りの獲物をさばいたりして一目置かれるようになり、持ち前の人懐っこさでだんだん村の暮らしになじんでいったらしい。そしてその間も一生懸命観察を続け、エデン文書のもとを作成していたのだ。

「そういうことか…気付かなかった」

 ホモ・サピエンスの男たちは、なぜ髭を剃るのか、なぜ、際立った二次性徴がないのか、なんで数人で連れ立って行動するのか、そんなことがいろいろわかってきた。すべてはつながっていたのだ。さすが人類学者、実によく観察をして、丁寧に記録されていた。私は夜の更けるのも気にせず、さらによみ続けた。

「なんだ、私はなんで気が付かなかったんだ!」

 なぜ、ヘカテの一族は女性ばかりで動いていたのか、なぜ、長女がおめでただったのか、なぜ、腰巻で下腹部を隠していたのかが、驚くことに、すべて男たちの行動とつながっていた。そして、男たちがそうだから、女たちがそうだから、村の役割自体が違ってくるわけだ。いろいろな点が納得でき、すとんと落ちた。解決しなかった私の疑問は、あの蛇の抜け殻ぐらいだ。生物学者の私は、ついその辺に目が行くが、ホプキンスにはさすがに気にならなかったらしい。

「ううむ…、こんな事件が起きていたのか…」

 そして、ホプキンスは、数日の滞在の間に、いくつかの事件に巻き込まれたことも書いてあった。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間でいさかいがあり、なんとネアンデルタール人の女性が、戦利品として村に連れてこられたのだ。なんとホプキンスは、ネアンデルタールを取るか、ホモ・サピエンスをとるか、大きな葛藤場面に遭遇し、悩みを背負い込むことになる。だが、それも大変ではあるが、現代に戻ってこなかった理由にはならない…。彼は、きちんとその現実を受け止めて、その事件としっかり向き合っていた。…結局、彼の行き先は、この文章からではわからなかった。

 また、エデン文書そのものの問題点も、これだけでは確認できなかった。

 なぜかと言えば、最後に彼は、ここで得た知識や記録をまとめてエデンの園、失楽園になぞらえて、人類学的発見を書き留めたらしい。らしい、というのは、その失楽園になぞらえた場面が、書き途中であったからだ。

 でも、あと、一歩か二歩というところまでわかってきた。いったい彼の身に何が起きたのかはわからない。だが、あとひと頑張りで、彼の後姿をとらえられるかもしれないのだ。

 エデン文書の書きかけを読破した私は、夜遅くまで彼らの言語を憶え、できる限りの準備をして、眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る