第3話 古城の宴
2日後、タイムドームの裏のゲートのすぐ前で私は迎えを待っていた。驚いたのは、私たち三人とも、迎えの時間が3分ずつずれているということだった。私の時間になると、ゲート前に黒塗りの無人タクシーがやってきた。あの3Dプリンターで送られてきた紋章の刻印のあるカードキーをドアに射し込むと、ドアがさっと開いて、話しかけてきた。
「カードキー照合。失礼しました池波様。これより約55分間のドライブの後、レセプション会場に到着します。何かご要望がありましたら、音声でお答えします。どうぞお乗りください」
あのカードキーの複雑な紋章の中に高度なセキュリティの立体図形暗号が組み込まれていて個人認証ができるのだという。無人タクにシーは地域全体でドライブコントロールを実施しているので、とにかく時間ロスや無駄な走行がないし、事故率も有人運転の3パーセント未満という実績がある。そのうち高速レーンに入り、まったく渋滞のストレスもなく、静かな郊外へと飛ばしていった。途中気分が悪くなったりすれば、何か所もあるサービスエリアに停車してくれるし、車内にもクーラーボックスがあってジュースやお酒が飲み放題だ。しかもスポンサーのメタトロン社関係のビデオやセレクトニュースも大きなモニターで見放題、至れり尽くせりだ。
やがてすがすがしい高原地帯に到着、見えてきたのは数百年の時を経た古城のある静かな湖だ。なんとその大きな古城は現在、アルフォンス社長の別荘になっているとのことだった。車を降りるともうすぐ、城壁の前にレセプションの受け付けがあり、そこでも紋章付きカードキーを差し出すだけで、サインすら必要ないそうだ。
受付に並んだきれいなお姉さん方が声をかけてくれる。
「池波様、ご出席ありがとうございます。受付入場まであと8分ほどございますので、そちらのオープンラウンジでお待ちください」
見ると、すぐ脇の林の中に古風な東屋があった。そこは湖畔の自然と一体化したオープンなラウンジで、カウンターで好きな飲み物や軽食が選べるうえ、ゆったりとしたソファーでくつろぐこともできる。
「おー、池波。こっちだ」
先に着いていたシェパードたちに呼ばれて、居心地のいいソファに仲間入りする。
湖の上のどんより曇った空を見て、シェパードがつぶやく。
「おい、天気は平気なのか? 危ないんじゃないか?」
すると、いつもは言葉の少ないアルトマンがスラスラと話し始めた。
「はは、心配ご無用さ。この高原の湖周辺のピンポイント天気予報は、降水確率は10パーセント以下だ。あと2時間もすれば薄日が差してきて、このあたりは移動性高気圧の勢力範囲に入る。曇りのち晴れ、今3、4ノットある風も直におさまり、夜はきれいな星空が拝めるぞ」
シェパードが苦笑した。
「そうか、気象学の世界的権威がいるのを忘れていたよ」
ふと横を見ると、ラウンジの片隅で、サングラスをつけた謎の男と、金髪の美女が何かひそひそ相談していた。
「あれ? あれは確かペネロペだよなあ。今日はクロフォードは一緒じゃないのかな」
何の気なしにそちらを見ていると、カメラとマイクを一体化したマイカメを持った身軽な女が、二人の間に飛び込んでいった。
「ペネロペさんですよね、いったい何の打ち合わせですか?」
驚いたペネロペとサングラスの男は、さっと席を立つと、その場から離れて行った。どうもカメラを警戒しているようだ。
「ペネロペさああん」
全くひるむこともなく、追いかける女。情熱的で体力もありそうだ。あれ、この女、どこかで見たことがある。そうだ、そうだ、カルメン・サラザールだ。ハンター系のインフォコーディネータ。女性だが行動的で、あちこちに出没する。「インフォセレクトは、いつも最前線まで出向いてその価値を決める」というのが信条で、現場まで行って直接情報入手の契約を結ぶと言う、インフォコーディネーターらしからぬやり方がパパラッチ的で、業界では評判が悪い。だが、時々凄い情報を顧客に流すので固定客も多い。あれが、噂のカルメンか! ペネロペと謎の男は跡形もなく消え去っていた。
やがて入場が始まる。受付にはホストのアルフォンス社長とモンスター、ガルシアのお出迎えだ。隣には今日のイベントの総合プロデューサーである、バーチャルクリエイターのルチアーノ・パブロッティが並んでいる。ルチアーノはイタリアの貴族出身で、繊細なアーティストだ。魔術師顔まけの空間アートを演出して今、話題になっている。本人も男から見ても、華がある。彫りの深い端正なマスクの伊達男だ。
そしてその隣には、今日のごちそうを担当した凄腕シェフたちが顔をそろえて受付にやってくる招待客に挨拶をしている。
「池波さん!」
「あれ? オーギュスト、オーギュストじゃないか。まさか君が来ていたとは!」
ヒョロッと背が高く、おしゃべりでいつも陽気なオーギュストの登場だ。オーギュストは池波に近付き、特別料理に期待してくれと声をかける。
「へへへ、実はね、あの村から、特別な食材を持ってきたんですよ!」
「ええ、本当かい? 食事の時は真っ先にオーギュストの所に駆けつけるさ。」
受け付けが終わると引き換えに目の部分だけを隠すようなしゃれた仮面が一人一人に渡される。へえ、仮面舞踏会ってわけなのか? きちんとはめて固定すると頭にカチッとはまって、もう動かない。
「この仮面は、何か特殊な仮面なんですか?」
受け付け係に問う。するとバーチャルプロデューサーのルチアーノ・パブロッティが説明する。
「今日のイベントで使われるバーチャルグラスを兼ねています。実際の風景や人物にCGを重ねることによって、超現実の世界を演出します。イベントが終わると自動で外れますのでご心配なく。これからすぐ、野外で余興がございます。あちらへどうぞ」
ところが先へ進もうとすると、すぐ脇で甲高い声がする。いったいなんだ。
「…だからさあ、急病で来れなくなったオズモンド社長の代役だと言っているでしょう。ほら、紋章付きのカードキーもあるでしょ。見てよ!」
「コピー防止データシールにも異常はありませんね。本物です。社長がご厚意で譲られたものなのでしょうが、本人確認ができませんのでお引き取り下さい。マスコミ向けには終了後、席が設けてございますのでそちらにおいでください」
しかし、気の強いカルメンはなかなか引き下がらない。
「私は、マスコミじゃないわ。インフォコーディネーターよ。さっき、同じインフォコーディネーターのエイドリアン・クロフォードが入っていったじゃない? どういうこと。」
受け付けのお姉さんが困り果てていると、後ろから大きな影が近付いてきた。
「…クロフォードさまはタイムサーチプロジェクトの大スポンサーで、正式な招待客でございます。あなたは、このプロジェクトにいくらかでもご出資なさっておられますか…」
あくまで冷静を保って丁寧に話しかけているが、モンスター、ガルシアは身長2メートルで鋭い狐のような目と筋肉ムキムキの体の威圧感が凄い。
「そりゃあ、お金は出してないけど。もう、けち、一人ぐらい代理がいても構わないでしょう!」
「…ノーです」
さすがのカルメンも、ガルシアの威圧感に後ずさりした。
「じゃあ、ひとつだけ教えてよ。昨日、謎の大きな箱が厳重な警備とともにこの城に運び込まれたんだけど、あれは何だったの?」
ガルシアは何も答えず、カルメンをじろりとにらんだ。
「わかったわよ! また、作戦を練り直してくるわ。じゃあね!」
カルメンは受け付けの机を蹴っ飛ばすと、さっさと帰って行った。
みなは、それから仮面をかぶったまま、湖畔の座席に案内された。高価な調度品が自然の中に置かれて、不思議な佇まいだ。見晴らしのいい場所や、湖畔に設けられた特設ステージに近い場所もあったが、面白そうなので湖に一番近い波打ち際の席に3人で陣取った。するとすぐに係の男が来て、3人に雨合羽を渡した。
「あれ? 雨は降らないんだよな。と、言うことはどういうことだ?」
係の男はニヤッと笑って教えてくれなかった。用意ができると、特設ステージの上に、有名な交響楽団と、世界的な歌姫、サマンサ・ローレンスが姿を現した。
いつの間にかあの伊達男、ルチアーノ・パブロッティが湖畔に姿を現し、語り始める。声が直接頭に響くように聞こえてくる。この仮面、高性能のスピーカも仕込んであるらしい。
「湖の古い言い伝えです。今から数百年の昔、この湖には恐ろしい竜王が住み付き、古城の美しい姫君を妃に迎えたいと言い出しました。言うことを聞かなければ大変な事になると脅しをかけてきたと言います…。ほら、聞こえますか姫君の哀れな歌声が…」
語り終わった瞬間、ルチアーノは少しずつ透き通った水柱に姿を変え、流れるように湖の中に消えて行った。水の泡だけがはかなく揺れる。どこまでが現実でどこまでがCGなのか、境目も分からないが、その消え方だけでもため息が出るように美しかった。
この古城のある湖畔の風景とCGが本当にうまく溶け合っているのだ。それが現実と夢のバーチャルアート、ルチアーノ劇場の始まりだった。
サマンサが歌い上げる不思議な歌声とともに、色鮮やかな水の精、ニンフが登場。まるでフィギュアスケートの選手のようにオーケストラの優雅な曲に合わせて自由自在に湖面を滑って舞う…。そしてニンフたちが集まってクルクル回ると、その真ん中に大きな噴水の花が咲き、音楽に合わせて流れるように形を変えていく。
全部CGのようにも見えるし、新体操やスケートの選手が特殊な方法で湖の上にいるようにも見える。なんとも言えない不思議な現実だ。やがて音楽が不気味に変わると、ニンフたちが逃げ出し、王女がいけにえに連れて来られた。湖が大きくうねりだし、その中から現れる竜王。さらに湖の波の中に恐ろしいコブや角、光る鱗や大きなヒレが見え隠れして、巨大な水竜がうねりながら姿を現す。不気味な旋律とともに近付く竜王と水竜、嘆き悲しむ姫君。だが、その時現れた一人の戦士、姫君を守るため竜王に立ち向かうが、水竜の鋭い牙と爪によって吹き飛ばされ、大地に伏す。歌姫サマンサの美しい声があたりを包む。だが、姫君の涙がその剣にこぼれた時、剣がまばゆい輝きとともに魔法の剣となった。
戦士は力を取り戻し、魔法の剣を高く掲げた。
「うおお、ス、スゴイ!」
歌姫サマンサの天界から降りてきたような歌声、魔法の剣から発した光が天空に伸び、雲を蹴散らし、青空を広げていったではないか! 光る雲と天空から降り注ぐ光、まるで名画でも見ているようだ!
「うわー!」
射し込む天界の光を浴びて押し戻される竜王と水竜。だが竜王は力を振り絞り、最後の呪文を唱えた。すると黒雲が渦巻き、広がり、恐ろしい戦慄がもう一度あたりを包む! すると、幾重にも波が立ち、岸辺に押し寄せ、しかも押し寄せた波はそのまま二本足で立ち上がり、透き通った水のまま人の形になり上陸してきた。水辺にいた私たちのすぐ目の前を何人も何人も悪しき水の精が通り過ぎていく。驚いたことに一体、一体リアルに異なっている。体の中に水草が揺れている奴、小魚が泳いでいる奴、水の泡がゆっくり上っていく奴など、どう見ても本物のように見える。だが、戦士が巨大な魔法の剣を大きく振り回すと、神々しい光に、悪しき水の精が水しぶきをあげながら爆発して、元の水に戻っていくのだ。実に爽快で、斬新な映像に思えた…だが!
「きたぞ! これだ!」
シェパードが叫んだ。これだったのか! すぐ目の前の激しい水の精の爆発で、なぜか我々に、スゴイ量の水が降りかかってきた。どういうしかけだ? もう、何が現実で何がファンタジーなのか何が何だかわからない。とりあえず雨合羽があってよかった。
やがて戦士は湖の上を光とともに進んでいき、竜王と水竜にとどめを刺す。大きな水柱、巨大な渦巻きを残して竜王と怪物は沈んでいき、二度と姿を見せることもなかった。姫君と抱きあう戦士、美しい噴水の中を舞うニンフたち。音楽も盛り上がってフィナーレとなった。
「あれ?」
湖上を滑っていたニンフたちがさっと岸辺に近付くと、いつの間にか、ドレス姿の美しい人間に変わって行く。中でも一人の美しい女性が、私のすぐそばまでやって来て声をかける。
「ええっと、あなたは」
「ペネロペ・ミューズですわ。お忘れになりましたか?」
「いやいや…あの…その…」
ペネロペはいたずらっぽく笑うと去って行った。これもルチアーノのバーチャルマジックなんだろう。どこかでCGと本人がすり替わったはずだよなあ…? でも、まったくわからなかった。
こうして最初のイベント、バーチャルアートは終わった。あとには静かな湖が広がっているだけだった。
雨合羽のお礼を言って、我々はすぐ横の階段を昇り、古城の大広間へと移動していった。
メイン会場の大広間は格調高い内装と調度品にかこまれた見事な部屋だった。広いベランダがあり、左右のバルコニーからは湖を一望できる。中央の大きな階段を一直線に降りるとそこは浅瀬で、波が揺れている。昔の貴族の行楽用の小さな船着き場だ。気持ちのいい場所だが、今日はベランダには出られないのか、通行禁止の札がドアにかかっていた。
最初に簡単な式典があるという。でも仮面をつけたままでいいのかな、これじゃ、誰が誰だかわからないよなあ、と思ってるとそうでもない。
一人一人パーティー客を見れば、ロックオンの電子音とともに、仮面のガラス越しに照合した人物のフルネームと、正式な肩書が映る。じつはなかなか便利な機能だ。
へえ、きちんとした肩書と名前って、結構知らないものだなあ、と思ってパーティー客を眺める。…あれ、ペネロペの肩書は、今日は秘書じゃなくてスーパーモデルになってるぞ?? やっぱりよくわからない謎の女だな。
「今日は、プロジェクトの中間発表と今後の成功を願って、お集まりいただき、ありがとうございます」
アルフォンス会長が、自ら司会を行い、式が始まる。司会のテーブルの上には、イベントの台本と小さなタイムドームの模型が置かれていた。
まず、アルフォンス社長は台本を手に取ると、二人の名前を読み上げた。アイリーン広報官とブルコス会長が登場、ホプキンス失踪事件の過程と、次期隊員が捜査に当たることになったいきさつ、そして、次期隊員が決定したことを正式に発表した。この模様は収録され、レセプション終了後、マスコミに発信されるという。なるほど、二人が今だけ仮面をはずしたはずだ。
いよいよ我々の出番となり、3人で前に出ていく。シェパードとアルトマン、そして池波が次の隊員たちだと紹介される。経歴や専門分野が紹介された後、アルフォンス社長が聞いてきた。
「さて、ホプキンスは貴重なネアンデルタール人の映像や文化を我々に届けてくれた。それぞれ専門分野を持つ君たちの抱負を聞かせてもらおうか」
シェパードは、自信たっぷりにコメントした。
「ホプキンスの捜索とエデン文書の復活です。命の限り見つけ出し、再現します」
アルトマンはいつも通りの穏やかな口調だ。
「私は、決められたことを行うだけです。18万年前の気候や地形の謎に迫ります」
私、池波は、つい日本人に特有な思ってもない謙遜に走ってしまった。
「シェパードのように捜査が得意なわけではありません。期待はしないでください。でも、私は生物学者なので、古代生物の新発見でも狙うかな」
恐竜ブームでしこたま儲けたスポンサーたちに古代生物の新発見は、受けがよかったようだが…。
そして、最後にグラスを手にしたブルコス会長の短くてインパクトのあるコメントがしめくくりとなった。
「私は皆さんに問いたい。18万年の時は人間の何を進化させたのか。まずは、皆さんの舌でお確かめを! 乾杯!」
はい、乾杯! でも、舌で確認? なんのことかと思ったら、部屋の奥が突然輝き、壁が急に透き通って、一瞬にしてごちそうの空間が広がって行った。有名シェフが顔をそろえ、立食形式のごちそうの山がそこに現れたのだ。まだ仮面をしているので、これもバーチャルマジックなのだろう。今見ている大広間の風景や招待客も、どこまで本物なのか不思議な気分にさせられる。
そうだ、すぐにオーギュストのところに行って、その特別な食材ってのを食べなくては。私はそう思って、さっそくごちそうのコーナーへと向かおうとした。すると、突然誰かの細い手が、私の肩を引っ張って何かを囁いた。
「あら、すぐに食べに行くなんて、もったいないですわ」
なぜだ、なんで君がいるんだ。
「大広間は、生演奏で、ダンスタイムですわ。ねえ、私に恥をかかせないでくださいね」
私も学生時代にダンスの経験はあるが、自分から踊ろうとは決して思わなかったろう。でも理由のわからないペネロペの誘惑に、あらがうこともできなかった。もう、何が何だかわからないが、ペネロペの華麗なリードにより、私も生演奏に合わせて何とか踊りを始めた。
「あら、お上手。隅に置けない人ね…」
おだてだとわかっていても、悪い気はしない。ペネロペの括れた腰に手を回し、いい調子で踊りだす。でもそのうち、妙な感覚に襲われる。なんというかその、目の前にいるペネロペは、確かに生きて呼吸をして動いているし、美しいドレスを着ているのだが、腕も、腰も、その他接触する部分に、ドレスの感触がない、洋服を着ているはずなのに、触った感じがすべて、すべすべの素肌なのだ。
「ペネロペさん…その…ドレスの感触が…そのう…」
するとペネロペは大きな瞳で私を覗き込んだ。
「あら、ばれちゃいました? その通り、今あなたが見ているのはバーチャルドレスなんです。ほらね」
すると次の瞬間、ペネロペのドレスのデザインと色が踊りながらみるみる変わって行く。凄い技術としか言いようがない。
「でも、あまり派手な洋服を着たままバーチャルドレスを纏うと、本当に来ている服が、はみ出して見えちゃうことがあって…そこが弱点なんです…それで…」
「それで?」
「誰にも言わないでくださいね。今私が身に着けているのは、この仮面と香水だけなんです。あなたの見ているバーチャルドレスの邪魔にならないように、オールヌードで踊っているんです」
私がその言葉を信じて目を丸くすると、ペネロペはしてやったりという顔で笑った。
「なんてね。本当はどうなのかはおしえないわ。。うふ、かわいい、あなたって素直な方ね」
「いや、その」
ペネロペにさんざんやられた私は、少し疲れてオーギュストの所に歩き出した。パーティーは、ダンスを踊るもの、グラスを手に語り合うもの、ごちそうに走るものと、大盛況だ。
ところが、オーギュストの所に行くとあの陽気なオーギュストが変だ。いつもの元気がない。
「あれ、どうしたオーギュスト! 約束の料理を食べに来たぞ。どうした青い顔をして、お前らしくないぞ」
するとオーギュストは、小さくつぶやきながら近くを指差した…。
「グ、グルメ…グルメモンスター…」
オーギュストの隣のコーナーにいるのは、あのちびデブのタイムドームのマスコット的存在、ブルコス会長ではないか。大物スポンサーと話をしながら、でも少しも休むことなく、すごい勢いで、ごちそうを皿に盛っては食べ続けている。
「その、ブルコス会長なんですけど、鼻がいいのか、天性のカンなのか、ここに用意したメニューのうち、とびきりの食材を使ったものだけ、根こそぎ、食べつくしながら移動していくんですよ。一口で食べきると、おかわり、おかわりって。池波さんに一番に食べてもらおうと用意していたんですが、あれだけたくさん用意していた、白トリュフの前菜を、こちらがとり分ける前に、おかわりの連続であっという間にペロリだし、こちらの苦心の隠し味をすべて言い当てながら、冷製スープを流し込み、そして…」
「そして?」
「そして…、池波さんにお出ししようと用意していた、あの村の初物のベルーガのキャビアとサーモンのカルパッチョが…」
「まさか…」
「ほぼ百パーセントあのまん丸いおなかの中に」
私は天を仰いだ。
「なんてことだ! じゃあ、もう、食べられないのかい?」
「いいえ、10分ごとに2回目、3回目のサービスがありますので、次は一番に来てくださいね。そうでないと…」
「オーケー、あの村のベルーガだよね、必ず食べにくるよ」
すると、その声が聞こえたのか、ブルコス会長がこちらに声をかけた。
「ベルーガのキャビア? あれは素晴らしい、私はまた戻ってくるからね!」
鳥肌が立った。グルメモンスター、おそるべし。
私はしばらく、知り合いと談笑しながら時間をつぶした。何かと気になる参加者もいた。あのホプキンスのライバルだった口うるさい分子生物学者、エリオット・ニューマン博士は、ここでも人目を避けるようにヒソヒソ話をしていて、なんだか嫌な感じだ。ダンス会場の隅にテーブルを出して特別なコーナーを始めたのは例のクロフォードだ。招待客がシークレットキーボードで自分の生年月日や生まれた場所を打ち込むと、立体スクリーンに、ホロスコープが浮かび上がり、それを見ながらクロフォードが占いをするだけなのだが、これが大人気。口のうまいクロフォードは、決してダメな部分を言わず、よいところをほめてほめてほめあげる。そしてまとめにこうすればきっと明るい未来が来るとほのめかす…。
お客はみないい気分になるはずで、女性の行列が絶えない。
おっとそろそろ時間だ、今度こそ。あわてて駆けつけると、オーギュストが、自慢の特別料理を、全部大皿に並べてさっと差し出す。
「よかった、ひと足早かったですね」
ひと足? 後ろを見ると、あら不思議、気配もなく、広いテカテカのおでことふくよかな丸い体がそこにある。後ろを取られたのに少しも気付かなかった。恐るべし、グルメモンスター、ブルコス会長。
「おや、池波隊員、また君か。どうも私たちは気が合うようだね」
「そうですね、気が合うというか…。これこれ、ダメですよ。これは私の分ですから…」
恐怖の怪物の追撃をかわしながら、私はオーギュストの特別料理を堪能した。ううわあ、もう、言葉が出ない、豊潤でとろけるような味だ。今朝早く村で用意した物を特別な交通手段で運ばせたと教えてくれた。あのあったかい村の人々の顔が浮かんでくる。おいしいなあ、またあの村に行かなくちゃ。オーギュストに礼を言うと、オーギュストが妙なことを言い出した。
「いやね、私、見ちゃったんですよ。それがね。池波さんのご同僚のシェパードさんでしたっけ、あのタフガイですよ」
「シェパードが、どうかしたのかい?」
「へへへ、ほら、さっき池波さんと踊っていたスーパーモデルのペネロペさんが小さな紙切れみたいなものをこっそり渡していましたよ。きっとあれ、ラブレターですよ。シェパードさん、その紙を見てニヤッてしてましたよ。ほらほら、ちゃんと目を付けていないとせっかくの美人を取られちゃいますよ!」
「いいや、別にペネロペとは何もないから、もう、オーギュストったら…」
シェパードってそんなプレイボーイだったっけ。まあいい。今の僕は、花より団子、高嶺の花より、村直送のごちそうだ。ああ、ベルーガのキャビア、うまいなあ。
幸せな気分に包まれていると、人々のざわめきが大きくなって、やがて静かになってきた。後半のイベントが始まるのだという。
MCのアルフォンス社長があの伊達男、バーチャルプロデューサー、ルチアーノ・パブロッティを呼んで、マイクで説明を始める。
「今日、ここに凄腕のシェフを集めたのは、実はもう一つ意図があります。来年度の開園をめざし、タイムドーム内に最高級の料理を味わえるバーチャルレストランを計画しているのです。今までの3Dシアターと違うのは、レストラン内のすべての人物やアイテムを好きなようにバーチャル変化できることです」
どういうことかと、ざわめきが起こる。社長は、にこにこしながら一人のウエイトレスをごちそうのテーブルの横に立たせた。すると意味ありげに笑うルチアーノが前に進み出た。そしてルチアーノがパチンと指を鳴らすと、あら不思議、ウエイトレスが、タイムドームの人気者、ケラトップ君の着ぐるみ姿へと変身していく。
「次は、大人向けのダイナソーバージョン」
またパチンと指が鳴ると、今度は紫色に光る竜の鱗でできた美しい鎧姿の女戦士だ。
「衣装はこんな具合に思いのまま。あくまで、まだ開発バージョンでございます」
次にルチアーノは、司会席に置いてあったかわいらしいタイムドームの模型をチョンチョンと指で小突いた。すると、タイムドームの模型の真ん中がパックリ割れて、中から光が輝きだした。
「さあ、今度は衣裳ではなく、小物の変身です。バーチャルイリュージョンをご覧ください」
そう言ってルチアーノがタイムドームの模型を隣のテーブルの上に置くと、叫び声とともに大きな恐竜の頭が飛び出し、牙をむいた。驚く招待客たち。
「これは失礼しました」
ルチアーノの声で、大きな恐竜の頭はスッと引っ込んだ。さらに次は石斧が大きな腕とともに飛び出し、ネアンデルタール人の上半身が見えてくる。
「おおっ!」
みんなの驚きの声。だが、ルチアーノがもう一回指を鳴らすと、すべては消え、元のタイムドームの模型があるばかり。
「次、行きましょう」
さらに、指が鳴ると、今度は大広間の内装がジャングル風に変わり、椅子やテーブルが切株や巨石に姿を変えたのだ。
「この技術を3Dシアターと合体させると、こうなります」
ルチアーノがまたパチンと指をはじくと、天井に青空が広がり、壁は消え去って、恐竜時代の雄大な自然の中にいるように見えてくる。その中に切り株や巨石で作られたテーブルや椅子が並び、その上に現代の趣向を凝らした料理が並ぶ。そしてそれをドラゴンの女戦士がお客に振る舞うという流れだ。
「おおー!」
その時、サービスなのか、ダイナソーアイの時の大発見、巨大な謎のラプトルが、猛スピードで迫ってきて、すぐ横を駆け抜けて行った。躍動的な地響き、立体映像の迫力に、みんな震え上がるようだった。
「では、最後に、出来立てホヤホヤの未公開立体映像をお見せしましょう。」
すると今度は、机や椅子に緑のツタや葉がみるみる茂りだす。周囲は豊かな森となり、ウエイトレスは耳の先がとんがって、それは美しいエルフの一族に姿を変えた。そして、森の奥から姿を現したのは、一人の強いオスに数人のメスが従う、ネアンデルタール人の家族だった。私はある違和感を感じて、それとなくルチアーノを見た。するとルチアーノが補足した。
「ええっと、実はホプキンスから提供していただいたリアル映像では、彼らは全員丸裸でしたので、今回だけ、修正を加えさせてもらいました」
なるほど、申し訳程度に毛皮で、胸や下腹部を隠している。まあ、しょうがないか。
「戻ります。ありがとうございました」
ルチアーノが最後に指を鳴らした途端、自動的にバーチャル機能を持った仮面が外れた。床に落ちないように、ひもで首にひっかかる仕掛けだ。すべては、元の大広間の映像に戻る。そこで、ふとペネロペを探してしまう。実際のペネロペはどんな格好なんだ。一言言ってやろう。
「ええ? どういうこと!」
バーチャル時間が終わったはずなのに、ペネロペを見れば、首から、手首、つま先まで隠れるようなおしゃれなロングドレスを着ている。素肌の露出はほとんどない。これは最後どうやったのか、不思議なのは、さっき恐竜の頭が飛び出したタイムドームの模型だ。バーチャルイベントが終われば、透明で中が空っぽの模型に変わっていた。
アルフォンス社長がレストランについて、ご感想をお寄せくださいとみなにお願いしていた。
「今日の料理で評判の良かったものからメニューに加えます。あと時間を決めてバーチャルショーを今のように行えたらと計画しています。メタトロン社のvip専用ホームページまでご意見をお寄せください」
と、言葉をまとめた。大きな拍手の中、レセプションは終了となった。その時、しばらく見えなかったアルトマンが私の方にやってきた。
そう、ついに事件はおこった。
「どうしたんだい、アルトマン?」
「いや、それがね、途中から、シェパードの姿が見えなくなったんだ。そしたら、つい今しがた、シェパードから携帯に連絡が入り、彼は一言ヘクトール、029とつぶやいたまま、しゃべらなくなった。電話の向こうでは水のような音が…。なにがあったのだろう?とても心配で…」
「え、ヘクトール? まさかあんなタフな奴に限って間違いは起こらないだろうが…。」
だが、少しして招待客が帰り始めた時、すぐ湖の方から悲鳴が聞こえた。
「ひ、人が死んでる!」
「え、ま、まさか」
私たちは、声のする方に走り出した。
すると古城のすぐ下、打ち寄せる湖のさざ波のすぐ前に男があおむけに倒れていた。あの仮面をつけたままだがシェパードに間違いはなかった。そして信じられないことに、彼のかたわらには、血だらけの石斧がころがっていたのだ。彼は「ヘクトール、029」という言葉を残し、二度と帰ってはこなかった。
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