第202話 聖女の帰還

 どれだけそこにいたのかは覚えていません。胸にポッカリと穴が空き、虚しさと寂しさが私の心を絞めつけます。



「どうして……」



 理由は分かりません。突然、さっきまで心が通じ合っていたはずの人が、私に別れを唐突に告げ去って行きます……すぐにあと追いかけてついて行くべきだったのに、私の足はその場から一歩も動けなくなっていました。



「ヒロ……」



 初めて、母様以外に安心を与えてくれた人……出会って間もないはずなのに、心の中にズンズン入り込んで来て私の人生を破茶滅茶にしてくれた人……何をしでかすか分からず、いつも気苦労が絶えない。でも不思議と嫌じゃなかった。むしろ、ただ一緒にいるだけで……そばに居させてくれるだけで、幸せな気持ちにさせてくれる私の大切な人……。



「……」



 私はただ、目の前から歩き去るヒロを見ていることしか出来ませんでした。それが彼の望みだったから………雨が足元に落ち草花を濡らします。


 空を見上げると黒い雲が立ち込め、次第に大粒の水滴が落ちてきました。その雨は次第に強くなっていきます。まるで私の心の中を表しているような気がします。



「……」



 私は無言のまま立ちすくみ、強まる雨足に濡れながら動けずにいました。降りしきる雨が私の体に当たり肌を伝って落ちていきます。やがて頬の上を流れた一筋の水滴が涙だと気づくまでに数秒かかりました。



「私……なんで、泣いているんですか……」



 ただ、目元を流れる水滴に触れて、初めて自分が涙を流していることに気づきました。別に悲しい事なんて何一つもないのに、何故こんなにも心が苦しいのか……感じたことのない感情が私の心の中で吹きふさびます。



「おい、お前、大丈夫か?」



 誰かに声を掛けられ私が顔を向けると、そこにはいつのにか雨除けのマントを羽織った数人の人が立っていました。フードで顔を隠した人物たちは、私の姿を見るなりゾロゾロと歩き近づいてきます。


 普段ならこんな距離にまで近づかれる前に気配で気付くはずなのに……気付けなかった。相手が誰か分からないのに身構えすらせず、ただ見知らね者たちが歩いて来る姿を見ていることしか出来なかった。


 やがて数人の者が私の前に立ち、先頭に立つ者が目深く被っていたマントのフードを取ると、そこには私が見知った人の顔がありました。



「……ラングさん?」



 私の目の前に、かつてヒロを捕まえ、留置所でお世話になった衛兵ラングさんの姿がありました。



「やはり君は教会の? しかし君はヒロと一緒にオークに捕まっていると聞いていたが、どうしてここに?」



 ヒロの名を聞くと、心にズキリと痛みが走り苦しくなります。痛みには強いはずなのに……その痛みは、オークヒーローや憤怒に受けた攻撃より痛かった。涙を拭い私は何事も無かったかのように振る舞います。



「オーク討伐隊に助けられました。みんなと力を合わせて、何とかオークヒーローは倒しました……ですが、オークヒーローは憤怒と呼ばれる存在に体を乗っ取られて……私とヒロはその存在を追いかけて、先にここまで戻り憤怒を倒しました」


「なんだって! それは本当なのか⁈」


「アルムの町は助かったの?」



 フードを被った他の人たちが、驚きと喜びの声を同時に上げていた。



「ふむ。あの頭の中に響いた声が憤怒とやらなのか? 人よ滅べと叫んでいた?」


「そうです」


「そうか……私たちは町の外で起こった爆発と謎の声を調べるために、有志を募って森の外周まで調査に来たのだが……」



 ラングさんは草原の大地をえぐった傷跡と、一部消し飛んだ南の森の外周部を見て、声を失くしていました。



「これほどの戦いを君とヒロの二人で……そういえばヒロはどうした? 一緒じゃないのか?」



 ラングさんが周りをキョロキョロ見回し、ヒロの姿を探しますが、どこにも見当たらず私に尋ねます。



「ヒロはいません。一人で行ってしまいました。私を置いて……隣国に行くと」


「ヒロがか? ふむ……」


 

 腕を組み考え込むラングさん……すると着ていたマントを脱ぎ出し、棒立ちになる私に着せてフードを被せてくれます。



「なんにせよ、まずは町に戻ろう。報告もあるが、家族に君が無事なことを早く伝えてあげないとな」


「家族……?」


「ああ、教会の者や孤児院の子たちが毎日、冒険者ギルドや町の詰所に押しかけて君とヒロの消息を聞いていたよ」

 


 その言葉を聞いて、私の中で弟リゲルの顔が浮かび……そして孤児院みんなとトーマス神父、先輩シスターズの顔が浮かびあがっていた。



「みんなが……」


「そうだ。みんなが君たちを心配している。だから、まずは町に戻ってみんなを安心させてあげなさい。事情を聞くのはそれからでも遅くはない」



 ラングさんはそう話し掛けると、私の背を軽く押して町に向かって歩き出させます。雨が降りしきる中、私はゆっくりと足を前に踏み出します。



「……」



 私は無言のまま、ただ歩き出していました。一歩、足を出すたびに、胸の奥から何か冷たい……乾いたものが込み上げて来る。この感情が何なのか、母様を失ったときの悲しみに似ているけど違う悲しみ……ヒロと離れ離れになってしまった別の悲しさが私の心を締めつけていました。


 

「……」



 雨が強くなっていく中、私はただ歩くことしか出来ませんでした。やがて視界が霞み始め、雨で体が冷えていく…… 私はフラつきながら歩き続け気が付くと、いつの間にかアルムの門の前に立っていました。


 アルムの町と外の世界をつなぐ大門は、何人なんぴとりともここを通さぬと固く閉ざされています。



「さあ、着いたぞ。門を開けてくれ! 調査に出ていた衛兵のラングだ! 町の者を保護した!」


 

 しばらくして、固く閉ざされていた門が『ゴゴゴゴゴッ!』と重い音を立てながら開きます。



「誰か冒険者ギルドへ報告を頼む。私はこの子を孤児院へ連れて行く」


「いいんですか? 事情聴取しなくて?」


「構わない。事情聴取はいつでも出来る。それよりもこの子が無事なことを家族に伝えるのが先だ」


「分かった」



 私の代わりにずぶ濡れにになってしまったラングさんが、一緒にいた人に指示を出すと皆が別々の方角へ動き出し、私はただ無言でその姿を見つめます。



「さあ、行こうか」

 


 そして私はうながされるまま、アルムの町の門を潜り抜けると……再び門は固く閉じられ再び町の中と外の世界を分かちます。


 町の中に入ると見慣れた風景が目に入り、なぜか懐かしさを感じました。たった三週間、町から離れていただけなのに、アルムの町並みを目にした私の心に、懐かしさが込み上げてきます。  


 いつも歩いていた町の大通り……普段なら人でごった返し、活気に満ち溢れる通りは閑散としていました。人の姿はまばらで、ところ狭しと軒先を連ねる店はどこも閉まっています。こんな光景、アルムに来てから一度足りとも見たことはありませんでした。



「ラングさん……これは? 町の人は?」



「ああ、誰もがオークヒーローの恐怖に怯えて町を逃げ出すか、町を離れられない者は家に閉じこもっているのさ。まあ仕方ない。他の町に逃げたとしても伝手つてがなければ生きて行くのは厳しい。自分一人でならなんとかなるだろうが……家族が居る人は簡単に町から逃げ出せないのさ」



 ラングさんはそういうと、パッと顔を綻ばせてます。



「だか、オークヒーローが倒されたなら、もうそんな心配も必要ない。すぐに町は活気を取り戻すさ。さあ、孤児院に早く行こうか、みんなが君の帰りを待っているぞ」


「みんなが……」



 私はラングさんにかされ、孤児院へと向かいます。さっきまで降っていた雨はいつの間にかみ、しばらくすると教会の鐘塔が見えて来ました。少し古いけど真っ白な壁が印象的な思い出が詰まった場所……足を踏み出すたびに様々な思い出が蘇ります。


 初めてここに連れてこられた日のこと……リゲルとの出会い……先輩シスターズからのお叱言……孤児院の家族との貧しくとも楽しい日々……それを思い出すたびに、雨がまた私の頬に当たり水滴を作ります。


 やがて教会の門が見える場所にまで来ると、私は見て騒ぐ人垣に気が付きました。みんなが私の姿を見るなり大きな声を上げて手を振ります。


 その光景を見て私の頬に大粒の雨が流れて行きます。空にあった雨雲は晴れ太陽が顔を覗かせているのに、なぜか雨が私の頬を流れ続けます。



「みんな……」


「リーシアお姉ちゃん!」



 真っ先にリゲルが駆け寄って私に飛びついてきます。抱きつくリゲルの体は震えており、その瞳には涙が溜まっていました。



「リーシアお姉ちゃん、お帰りなさい!」


「リゲル……ただいま」



 私の言葉に涙するリゲル…… すると小さな子達もみんな駆け出し、私にしがみつきワンワン泣き出してしまいました。私は両膝を地面につき、みんなを抱きしめて『みんな……ただいま』とつぶやきます。私の頬を雨が……いいえ、それは冷たい雨などではなく温かな涙がこぼれ落ちます。



「みんな心配したんだよ。ヒロ兄ちゃんとギルドのクエストをやるって言ったっきり、帰って来なかったから……僕ら二人が死んじゃったんじゃないかって」


「リゲル……みんな心配してくれてありがとう」



 リゲルが泣きながら私に抱き付き、小さな子達もギュッと私の服を掴むと二度と離すまいと強く手を握っていました。


 しばらくの間、私たちは再び出会えた喜びに涙していると――



「おかえり、リーシア」



――人垣の中から、神父服を着た初老の男性が歩み出て、私に声を掛けてくれます。



「ただいま戻りました。トーマス神父様……」


「よく無事に戻って来たね。本当に良かった」


「ありがとうございます」


 

 私はそう答えると、トーマス神父様に促されて立ち上がります。



「さあ、まずは着替えようか。そのままでは風邪を引いてしまう。話はそれからゆっくり聞かせてもらおう」


「はい」


 私はそういうと、リゲルと小さな子の手を取り孤児院に向かって歩き始めます。


 温かな風が私の悲しみに凍てついた心を溶かしていくような感覚を覚えつつ、ふと振り返るとそこには……笑顔で見送るラングさんの姿がありました。



「……」



 再開の喜びに湧き、嬉しいはずなのに私の心にチクリと痛みが走ります。そこにいてほしかった人がいない悲しみ……私の心に……言いようのない痛みが走るのでした。


 


〈勇者と聖女の思いがすれ違ったとき、世界は破滅のルートへと歩み出した〉

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