第203話 破滅へのカウントダウン
「な、な、な、なんだ? 何がおこってやがる?」
男は草原のど真ん中で遠まきにそれを見ていた。まだ遥か先に見える南の森の外周部……誰かがいる程度にしか見えぬ距離にいた男の名はゼノン、かつてアルムの冒険者ギルドでリーシアに手を出し、自らが作り出した地の海に沈んだ斧使いのオッサンだった。
「森の入り口近くで、誰かが戦ってやがるのか?」
リーシアに肋骨をバッキバキに破壊されたゼノンはその後、治療院に担ぎ込まれ、一命を留めていた。
だがギルド内で起こした騒動の責任を取らされペナルティーとして、アルムの町周辺に出現する魔物を討伐するクエストを受けさせられていたのだった。
「ま、まさか、いま噂のオークヒーローか⁈」
酒場で吟遊詩人が
今やアルムの町は、迫り来るオークの脅威に晒され、活気を失い閑散としていた。ゼノン自身もペナルティーさえなければサッサと町を捨てて逃げ出したいところだったが、そうも行かなかった。
ペナルティー中に逃げ出せば……下手をしたら冒険者の資格を失い生きて行けなくなってしまう。オッサンに選択肢はなく、こうして町の外周の魔物狩りを嫌々やらされているのだった。
「逃げねーと!」
町を守る気概など全くないゼノンが、背を向けて一目散に逃げようとした瞬間――
「うおぉぉぉ!」
――オッサンが雄たけびを上げて宙を飛んでいた……
耳をつん裂くような轟音が鳴り響き、爆風に乗って飛ばされたゼノンは、手にしていた愛用の斧を落としながら地面に激突していた。
ゴロゴロと地面を何回も転げ回り、ようやく動きを止めたオッサンは……その場でピクリとも動かなくなってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ウッ、痛……お、俺は……」
謎の爆発から数刻の時が経ち、辺りが暗くなり始めたとき、気を失っていたゼノンは、体に走る鈍い痛み感じながら目を覚ました。
「どこだ……ここは? 俺は確か町の周辺にいる魔物を狩っていて……そうだ、何かの爆発に巻き込まれて……痛ぇぇぇ」
麻酔が切れた患者のように、ぶり返す痛みにオッサンが悶えていた。ジタバタと手足をバタつかせ痛みに耐える。
「チキショウ、なんで俺ばかりがこんな目に遭うんだ。これもあれも……全部あの女の
ラングは酒場で出会った少女の顔を思い出すと、心の中から怒りが湧き上がり憤慨していた。
「あの女が素直に俺の言葉を聞いて、従っていればこんなことにならなかったんだ。このゼノン様に抱かれて、言うことを聞いていれば……」
自分のことしか考えられない短絡的なオッサンは、自らの行いが全て正しいと信じて疑わず、今の不遇を全てリーシアの所為にしていた。
「見ていろよ。俺をこんな目に合わせたことを、いつか泣いて謝まらせてやる。そして……へっへっ」
ドス黒い感情がゼノンの心に湧き上がる。それは下卑た思いだった。痛みが収まり、ドス黒い妄想により怒りの溜飲が幾分か下がったオッサンが立ちあがる。辺りは夕日に照らし出され、草原の緑が赤く彩られていた。
「夕暮れだと? 俺は何時間、気を失ってたんだ?」
ふと、ゼノンは爆発が起こったであろう森の方へと顔を向ける。
「しかし、なにが……ゲッ! も、森の一部がなくなってやがる!」
爆発により森の外周が一部消し飛び、明らかに不自然な空間がそこに出来上がっていた。遠巻きに見ても分かるくらい、森の外周部は大きく丸く
「森の近くにはもう誰もいないな」
目を凝らし森の周辺を見回すが何も見えなかった。爆発が起こる前に誰かがいたのは見えたが、距離が離れ過ぎていたため、誰がいたかまでは分からない。辛うじて人がいると認識できる程度の記憶だった。
「と、とにかく早く町に戻らねーと、ギルドに定時報告しないと、またペナルティーだからな」
オッサンが痛みに耐えながらアルムの町へ戻ろうと踵を返した時だった。
「ひっ! だ、だれだテメエは!」
振り向いたゼノンの前に、中肉中背の……右頬に奇妙な
「ヒッヒッヒッ、驚かしてしまいましたね。申し訳ない。私は行商人ですよ。あなたと同じように爆発に巻き込まれたね」
「お、お前もか?」
「ええ、私も地面を転げ回り痛い思いをしましたよ。爆発が収まってから、アルムの町へこの惨状を伝えようと向かう途中、あなたがここに倒れていましてね。町の近くとはいえ放っておくわけにはいかず、目覚めるまで待っていました」
「そ、そうか、すまなかったな」
ゼノンは男の言葉に胡散臭さを感じながらも、とりあえず礼を言っておく。
「それにしても災難でしたね。まさかあんな爆発が起こるなんて……まったく、いい迷惑です。ああ、申し遅れました。私の名はネモ、しがない商人です。アルムの町へ行商の品を買い付け他の町に向かう途中でして……よろしければどうぞ」
するとネモと名乗った男が、背負った大きな行商用の背袋からポーション瓶を取り出し、オッサンに渡そうと前へ差し出す。
「くれるのか? すまねえな。俺は斧使いのゼノン、Fランク昇格間近、期待の新鋭だ。町の安全を守るため、この辺りを警護していた」
ネモからポーション瓶を奪い取るように手にしたゼノンが、ガブカブとポーションを飲み込んでいく。
「作用でしたか、ご苦労さまです。それにしても……酷いものですな」
「かあ〜不っ味いな! ああ、全くだ。森の一部が吹き飛んでやがる。一体何があったんだ……誰かが戦っていたようだが?」
「ええ、私はあの爆発が起こった時、森に近い位置にいましたが……あれはアルムの町で有名なファイナルウェポン、拳鬼リーシアさんでしたね」
「なっ、リ、リーシアだと⁈」
その名前を聞いて、震え上がるよりも怒りが勝り、ゼノンの口調は険しくなる。
「おや、お知り合いですか? 私も冒険者ギルドでのチラリと見ただけなので面識はありませんが、美しい少女だったのは覚えています。あのとき一緒にいたヒロと言う男もいましたね。ん? よく見ればあなた……あの二人にのされた人ですか?」
「う、うるさい! だまれ! あれはワザと負けてやったんだ!」
ゼノンが激昂し地団駄を踏んでいた。それを見たネモは口角を僅かに上げた。
「失礼。いや、あの時のことはよく覚えていますよ。ゼノンさんがせっかく好意でパーティーへの加入を勧めてくれたのに、断られるどころか、怪我まで負わされてしまうとは……なんともはや、酷い奴らだと思っていましたよ」
「お前もそう思うか? そうだ、アイツらは俺のせっかくの誘いを蹴ったばかりか、恩を仇で返しやがった!」
「ええ、その気持ち分かりますよ。私も行商人ですので、そんな不義理をされたら怒りますとも……」
「そうだろう? 俺は悪くない。むしろ被害者だ。それをあの冒険者ギルドの奴らが……寄ってたかって俺を悪者に仕立て上げやがった!」
自らの行いが正しいと信じて疑わないオッサンを見て、ネモは腕を組み何かを考える。
「どうした?」
「いえ、あなたがあまりにも可哀想なので、何か力になれないかと思うましてね」
「おまえいい奴だな。最初は頬に奇妙な痣がある胡散臭い奴だと思っていたのだが……」
「いえいえ、この風体で初対面だったら、警戒して当たり前です。気になされずに」
「そうか……すまんな」
「とんでもごさいません。ん〜、そうですね……そうだ! いいことを思いつきましたよ。あのリーシアという少女をギャフンと言わせる良い手です」
「なに? 本当か?」
「ええ……これならあなたの手を汚さずに、あの娘を本当の地獄に叩き落とせますよ」
「本当の地獄だと? ……まさか殺す気か?」
リーシアを自分のものにしたいという欲望はあるが、殺したいと思うほどではなかったゼノンは、その言葉に
「な〜に、大丈夫ですよ。私の言う通りにすれば何の心配もありません」
「だけどよ、そこ……」
さすがにそこまではと思ったおっさんがネモの顔を見たとき、頬にあった奇妙な痣がぼんやりと妖しいの光を放ち……それを見てしまったゼノンが、話し途中で呆けたような表情を浮かべる。
「……」
「大丈夫です。あなたは何も悪くない。全てはあの女神教に席を置く、あのリーシアという少女の所為なんです。私の言う通りに動けば何の心配もありません」
「何の心配も……」
虚な瞳で痣を『ボ〜』と呆けた表情を浮かべるオッサン……寝惚けているかのようにネモの言葉に聞き入る。
「そうです。私の言う通りに動けば、あのリーシアをあなたの奴隷にだって出来ますよ」
「あの女が……俺の奴隷に……」
「この国では、通常奴隷は禁止されていますが、犯罪者奴隷の売買は認められています。本来は王族が犯罪を起こした際の救済措置なんですがね。有罪になり罪に見合う金額を支払えば、絶対服従の奴隷として所有できます。まあその金額がとんでもないですがね」
「俺は……金がない……」
「ん? お金ですか? そうですか……よし! ここで会ったのも何かの縁です。私がお金を融通しますから安心してください。こう見えて私は一角の行商人でして……ほら」
するとネモは肩から下げていた鞄を両手で持ち、逆さにして振ると、中からジャラジュラと重い金属同士がぶつかる音が鳴り、次々と金色のコインが地面へと落ちていく。
何百何千ものコインが積み重なり、草原の緑の大地にちょっとしたピラミッドが出来上がっていた。鞄の大きさに見合わない量の金貨……ゼノンは生気をなくした目で見つめていた。
「このお金を可哀想なアナタに進呈致しましょう。これだけあれば、あのオンナを犯罪者奴隷として買えるでしょう。そうすればあのリーシアをどう扱おうがあなたの自由ですよ? 好きなだけ泣き叫ぶあの娘を抱くも良し、痛めつけて苦痛に喘ぐ声を聞くも良し、皆の前で美しいあの子を自慢するも良し。アナタの好きにして良いのですよ」
「お、俺の……自由に……オレの……好きに……」
ネモの甘美な言葉が、虚な瞳を浮かべるゼノンの欲望を刺激する。肥大化する欲望が心の中を満たし尽くし溢れ出す。
「俺は悪くない……悪いのはあの女と、それに味方する奴ら……」
「そうです。アナタは悪くない。悪いのはあのリーシアという少女とその取り巻きたちです。今ならあの女に味方する冒険者ギルドのマスターもいません。あの少女を手に入れるなら今しかありませんよ? さあ、勇気を出して、あなたならやれます」
「そうだ! 俺は悪くない。悪いのはアイツに味方する奴らだ。だから俺はあの女を奴隷にしても何も悪くない。オイ! おまえ教えてくれよ。俺はどうすればいい⁈」
「ええ、教えて
日がすっかりと消えた草原の中で、右頬に奇妙な痣を持つ男の高い笑い声が、静かに聞こえるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふむ。するとオークヒーローは倒されたが、憤怒を名乗る謎の存在がその体を乗っ取ったと? そしてその存在はアルムの町に住む人間を皆殺しにしようと移動を始め、それを追って先行したヒロと君の二人が討ち取ったと?」
そこは孤児院にある食堂の中だった。リーシアの対面に衛兵のラングが座り事情を聞いていた。
「はい。ヒロと私の二人で何とか憤怒を倒しました」
「にわかに信じられん話だな……」
リーシアは戦いで汚れ雨で濡れた服と装備を脱ぎ、教会でいつも着ている修道服に着替えていた。リーシアの隣にはトーマス神父が座り、テーブルの周りを孤児院のみんなと先輩シスターズが囲んで話を聞いていた。
「すっごい! リーシアお姉ちゃんとヒロ兄ちゃん、オークヒーローを倒したの⁈」
リーシアの横で手を握りながら立つ、弟分のリゲルが目をキラキラさせてリーシアを見ていた。それを見たリーシアは、複雑な思いで苦笑いをする。
「うそだろ……いくらリー姉とはいえ、オークヒーローって勇者が倒したっていうお伽噺の魔物でしょ⁈」
「でも、リーシア姉がウソを吐く理由もないし……あれ、そうするとヒロさんってまさか勇者なの⁈」
「ええ! ヒロ兄が? まさか……ベッドの上で気持ち悪い動きをしながら奇声を発する人が?」
「う〜ん、ヒロさんが勇者? 調理場の水瓶をなぜか叩き割ろうとして、リーシア姉様に腹パンチされて土下座してた人が?」
「屋根の修理をするといって上がったはいいけど、なかなか降りてこなくてリーシア姉さんが様子を見に行ったら、裸でハンマーを振り回していて屋根から叩き落とされて裸で死にかけた人が……勇者?」
「「「「ないわ〜」」」」
孤児院のみんながヒロを思い浮かべて、ヒロ=勇者説を否定していた。
「それでヒロはどうしたんだ? 一緒ではないようだか? 無事なのか?」
ヒロを知れラングが心配して確かめるが……その名を耳にしたリーシアの表情が一瞬だけ曇る。
「ヒロは……行ってしまいました。いきなり次の町に向かうと告げて……組んでいたパーティーも解散されてしまいました」
「なに? アイツがか? ……ふむ、まあヒロは旅人だと言っていたし仕方がないのか? 奴からも事情を聞きたかったが……よし、とりあえず上には、未確認ながらもオークヒーローが討伐されたことを報告しよう。本当に討伐されたのなら討伐隊の生き残りがアルムの町に戻って来るはずだからな」
「ん、未確認? どうしてですか? 討伐隊のメンバーやギルドの冒険者たちとパーティーメールで連絡を取ればいいのでは?」
リーシアが疑問を口にすると、ラングが困った顔をした。
「それなんだが……昼過ぎから、なぜか遠方へのパーティーメールが使えなくなっているんだ。ごく近い距離のパーティーチャットは使えるが、原因不明で今もパーティーメールが利用出来ない」
「そんなことあるんですか?」
「技術者の話だと、過去にも一時的に使えなくなったことはあるらしい。その時は二、三日で勝手に直ったのだが、原因は未だ不明で直しようがないそうだ」
「それじゃあ、討伐隊の人が戻って来るまで待つしかないってことですか?」
「そうなるな。だからそれまでは、この話を内密に頼む。町の住人に
「わかりました。
ラングの話に、トーマス神父が集まったみんなに喋らないように念を押すと、皆が一斉にコクコクとうなずいていた。
「報告のあったオーク村までは、このアルムの町から一日半くらいの距離だから、本当に討伐されていれば早駆けて一日、遅くとも二日もあれば情報が入るだろう。それまでの間、君は出来るだけ教会にいるようにしてくれ。事情を確認するために、いつ上から呼び出されるか分からないからな。不便を掛けるがよろしく頼む」
「わかりました。出来るだけ教会にいるようにします」
「すまんな。では」
そう言い残し、席を立つラングを皆が見送ると……皆が一斉にリーシアを取り囲み、ワイワイと質問していた。
「ねえ、リーシアお姉ちゃん、オークヒーローってどんなだったの?
――と、横にいたリゲルがリーシアの袖を掴み、目を輝かせて話をせがむ。
「え〜と、上半身裸のスリムマッチョである意味、変態でしたね……身の丈以上のハルバードを軽々振るう強敵でした」
「ええ、上半身裸だったら弱くね? リー姉の腹パンチなら一発で倒せそう」
「いえ、それが【絶対防御】というスキルの所為で、あらゆる攻撃が弾かれてしまうんですが、ヒロの機転で……」
その日、リーシアは語ることになる。調査クエストから始まった大冒険を……真実を隠した新たなる英雄の伝説を……それは予めヒロが用意していてくれていた
〈破滅イベントへのカウントダウンが始まった!〉
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