第192話 愛ゆえに……後編

「システムコマンド『シフト』! ……やっぱりだめか、はあ〜」



 どこまでも黒い地平が広がる空間に溶け込むように、黒と白のマダラ模様のカラスがため息を吐いていた。


 ヒロのステータス復元の最中、異変を感じたメインシステムが突如ソウルスキャンを開始してしまい、そのままではヒロの魂に引っ付いている自分の存在が見つかってしまう。強制消去デリートを避けるため、希望エルビスは仕方なくS領域へと戻って来ていた。


「考えが甘かった。『シフト』を使ってヒロの元に戻ろうとしても、戻れないなんて……魂の接続は切れてないから、原因は距離的な問題か?」



 翼を器用に動かし、腕を組みながらくちばしに手をあて考え込んでいた。



「う〜ん。やっぱ地上とS領域とじゃ遠すぎてシフトできないのかな? そうなると……またヒロがS領域に迷い込むのを待つしかないのか? ちぇっ!」



 すると、災厄の中で最悪と言わしめた希望エルビスが、突然『ドテッ!』と地面に寝っ転がってしまった。その姿はまるで、気怠い休日の午後を何をするでもなく、『ボ〜』とテレビを見て過ごす、疲れた果てたサラリーマンのようであった。



「ヒロが次にS領域にアクセスするとなると、死んだときくらいだろ。そうなるとしばらくは望み薄だな。触手を封じた憤怒の坊やじゃ、傷付いているとはいえ、ヒロに勝つのは難しいだろうし……」



 エルビスは、ヒロの体を自分のオーラで回復したときのことを思い出していた。



「あの時、ヒロのステータスを戦いの中でコッソリ見たけど、面白いスキルがあったからな。あのレアスキルなら、憤怒の紋章が継承されても問題はないはずだ。俺たち災厄の紋章は乗り移った相手の魂を変質させて、体を乗っ取るのが基本だからな……」



 すると今まで気怠そうに寝そべっていたエルビスが、突然地面をゴロゴロと転がりだす。



「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 憤怒の坊やが悔しがる顔が見てぇぇぇぇ! そんな面白そうな顔が見られないなんてぇぇぇぇ、ちっきしょうぉぉぉぉぉ!」



 憤怒の苦悶に満ちた顔を見れないエルビスは、そのまま果てしない世界をどこまでも転がり続けるのであった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「まさか……そんなことが……」



 ヒロは目の前に立ち並ぶ者の後ろ姿を見て、思わず声を漏らしてしまった。そしてヒロの声を聞いた五人は、後ろ姿のまま『オレ達に任せておけ』と親指を立てサムズアップのサインを見せた。



「な、なんだお前らは!」



 突如現れた謎の五人を見た憤怒が、立ち上がりながら声を上げる。すると、すかさず老婆が震脚を踏み、一瞬にして憤怒の前へと躍り出た。



「なっ!」



 防御するヒマもなく老婆は腰を落とし、固く握り締めた拳を憤怒に向かって打ち出す。地面がヒビ割れるほどの震脚から生み出された力を乗せた崩拳ぽうけんが、憤怒の体にクリーンヒットする。



「グッ」



 胸への一撃は、肺にある空気を強制的に吐き出させ、【絶対防御】スキルの発動を封じてしまう。

 同時に、『ピシッ!』という骨にヒビが入る嫌な音が体の中を走り、憤怒は痛みに顔を歪ませていた。


 だが、攻撃には耐えられた。そう思った瞬間――老婆はその場で震脚を再度踏み、背中から憤怒に向かってぶつかっていく。時速百キロで走り来る二トントラックに、真正面から激突したかのような衝撃が憤怒を襲う。


 浸透系の打撃が憤怒の体の中を駆け巡り、体中の骨が悲鳴を上げていた。なんとかギリギリのところで持ち堪えた憤怒に、老婆の追撃は止まらない。


 憤怒は見た……体当たりされ跳ね飛ばされた瞬間、流れるような動きで体を半回転させ、両腕を腰だめに構える老婆の姿を! 


 すかさず老婆が両拳を同時に突き出す。追い打ちの双掌撃が宙を飛ぶ無防備な憤怒の脇腹へ打ち込まれる。凄まじい衝撃が体を駆け巡り、肋骨を完全に粉砕してしまう。


 刹那の三連撃……まともに防御できなかった憤怒は、黒い地平の大地を転げ回る。



「あ、あれは……アキコスペシャル⁈」



 六十を超えるであろう肉体に深いシワを刻む老婆……電光石火の連続技を見たヒロは、瞬時にそれが『ばーちゃんファイター』シリーズの主人公であり、自分のプレイキャラでもある八極拳の使い手アキコさんだと確信した。


 彼女が使った連続技にヒロは覚えがあった。流れるような技のつなぎで、単発の技を三連続で瞬時に叩き込む。『ばーちゃんファイター』において、もっとも難易度が高く、廃ゲーマーのヒロですら血の滲む思いで会得した高難度の連続技……崩撃雲身ダブル虎掌に間違いなかった。



「馬鹿な、こんな老婆に我が、グゥゥ……」


「十年早いんじゃよ!」



 背筋を伸ばし憤怒に啖呵を切るアキコさん……その顔は孫に手を出され、怒りに燃える鬼婆のような表情を浮かべていた。



「ふざけるなババア! お前のような老婆に我が倒せるものか! ヒネリ殺してやるわ!」



 憤怒が立ち上がりと腕から触手を生やし、アキコさんに振るおうとした時、その動きが止まった。



「ポオオォォォオウ!」


 憤怒の耳にいつ間にかコブシの効いた歌声が届くと……体の自由が突然効かなくなり、触手をマイク代わりに体が勝手に動き出していた。



「ポオオォォォオウ!」


「な、なんだこいつは、この歌は⁈」

 

「この歌声は……マイコー?」



 ヒロが視線を謎の歌声へ向けると、そこには着物を着た伝説の演歌歌手マイコー・ジャンクソンさんの……世界に演歌と踊りダンスをお届けする非暴力の体現者、スーパースターの姿があった。


 アカペラで熱唱するマイコーさんのコブシが効いた歌声が、黒い地平の大地に響き渡る。そして繊細にしてワイルドなマイコーさんのダンシングに合わせて、憤怒の動きがシンクロする。



「ポオオォォォオウ!」


「体が……我の意志に反して勝手に⁈」



 小気味いいステップを踏むマイコーと憤怒……もはや憤怒はマイコーの歌とダンスに操られ、その魅力を前に自分の意思では自由に体を動かせなくなっていた。


 

「これは……ゆ、め……ゴフッ」



 血を吐き出し、胸に開けられた穴から激痛が走ると、ヒロはこれが夢でないことを認識する。いま彼の目の前には、ゲームの中でしか見れないスーパースターの歌と踊りのステージがあったのだ。ヒロはスーパースター達と出会えた喜びで、痛みや苦しさすら忘れて舞い上がっていた。



 すると赤い帽子に青いオーバーオールを履いた少女が、倒れたヒロに向かって歩み寄ってくる。


 歩きながらポケットに手を突っ込む少女……ヒロの側にまで来ると、モゾモゾしながらポケットから何かを手にして引き抜く。そして傷つき倒れ伏すヒロのかたわらに膝をつくと、手にした物をヒロの口へと突っ込んだ!



「な、にを、グッ、」



 ヒロの口の中に芳醇な香りと味が広がりると、口から鼻へ、えも言えぬ香気が抜けていく。それはヒロのいた世界では、たった一本で数万円する高級食材……『松茸』の味と香りに相違なかった。


 それを口にした途端、ヒロは胸の痛みと苦しさから解放されていく。



「まさか、これって……スーパー松茸⁈」

 



 スーパー松茸、それは国民的ゲーム、『スーパーマリナシスターズ』に登場するパワーアップアイテムのひとつである。


 『?』マークのブロックにぶつかると出現するパワーアップアイテムであり、これを食することでプレイヤーキャラのマリナは、少女の体からセクシーダイナマイトなボディーへと変身するのだ。


 このスーパー松茸は、のちに発売される『スーパーマリナRPG』において、回復アイテムとしても登場したこともあり、ある時は無敵アイテムとして、またある時は加速アイテムとして使われた万能アイテム……それがスーパー松茸なのだ!




「痛みが消えた? まさか本当にスーパー椎茸? だとすると君は……マリナ⁈」


 ヒロを見ながらニッコリと笑顔で答えたマリナは、まだ動けないヒロをその場に残して立ち上がると、今度は憤怒に向かって歩き出す。その顔は、さっきまでの笑顔ではなく、愛する者を虐げた憎き者への怒りの表情を浮かべていた。


 おもむろに拳を握り絞め、手を振り上げたマリナがその場でジャンプすると……突然少女の真上に『?』マークのブロックが出現する。


 拳がブロックを下から突き上げると、上部からデカい松茸がせり上がり、ブロックの下へと落下する。すると地面へ落ちた松茸が、『スー』と大地を滑るようにスゴい勢いで、憤怒へ向かって移動を始めた。


 それを見たマリナが、地面に着地すると同時にBダッシュで松茸を追いかける。



「ほ、本物のBダッシュだ!」



 普通ではありえない加速スピード……元祖Bダッシュを目の当たりにしたヒロは、キラキラした瞳をマリナに向けていた。

 

 Bダッシュの加速で、前を滑るデカい松茸に追いついたマリナがスーパー松茸に手を伸ばし触れた瞬間――彼女の体がダイナマイトボディーへと成長を遂げる。


 はち切れんばかりの胸元を揺らしながら、ダイナマイトボディーのマリナが上空高く舞い跳んだ!



 狙うはいまだマイコーと共に踊る憤怒……高く飛んだマリナの踏みつけ攻撃が憤怒の頭を狙う。



「バカめ! 体が動かなくても我には【絶対防御】スキルがあるわ」


「ポオオォォォオウ!」


「ポオオォォォオウ!」

(馬鹿な、声が勝手に! いかんスキルの発動が⁈)


 

 非暴力の体現者マイコー……普段温和な彼もまた、愛してくれた者を傷付けられた怒りをコブシに乗せ解き放っていた。


 マイコーに声さえも操られた憤怒は、うねるような見事なコブシを効かせた声を出し続け、息を止められなくなる。そしてトドメとばかりに『クイッ』と、空を見上げるマイコーと同じく、憤怒の顔も上を向くと……上空から落ちるマリナの足が憤怒の顔に炸裂する!



「グアッァァァァァァァァァァ」


「マイコーとマリナの合体攻撃だぁぁぁ!」



 夢のコラボ攻撃に大興奮のヒロ……拳を握り憧れの光景に胸を躍らせていた。


 マリナの踏みつけ攻撃により、顔が在らぬ方向へ曲げながら憤怒が地面に倒れ伏した。そんな憤怒の傍らに立つマリナが、再び跳び上がり踏みつけ攻撃をしようとした瞬間――突如背後から感じた気配に大きく横に飛び退いた。


 いつの間にか背後に無数の触手が蠢き、その一部がマリナに向かって攻撃を仕掛けて来ていたのだ。それはヒロが真っ二つにし、地面に倒れていた触手ドラゴンの分体から撃ち出されたものだった。



「ふざけるなよ! 我は憤怒、怒りを司る者。我がこんなふざけた技で倒せると思うな。見せてやる我の本気を!」



 すると地に倒れ伏していた分体が、無数の触手へとその姿を変え、一斉に憤怒の向かって飛んでいく。そしてヒロの姿を模した体にまとわりつくと、再び巨大なドラゴンの体を形作っていく。



「フッハッハッハッハッ! どうだ? 先ほどとは比べものにならぬこの体は! もはや小細工などいらぬ。この力で押し潰してやるわ!」



 先ほどの触手顔のドラゴン状態より、さらに体が大きく膨れ上がる憤怒……分体が本体に合流することで力を増し、すべての触手が今まで以上に太く長くなる。するとヒロたちの前に体長十メートルを超える巨大なドラゴンがその姿を現した。



「いいぞ、キサマの力も加わり、かつてないほど力が溢れている。カイザーよりも強い力だ。もう我に勝てるものなどない。さあ、全員踏み潰して殺してやるわ。滅びるがいい!」


 

 ヒロの力が加わり、より強大な力を得た憤怒は、前以上の力を取り戻していた。それに合わせるかのように、周りの地面に生えていた触手もまた、その太さと長さを大きく変え成長してた。触林から触森へ……触手が増殖を繰り返すことで、森の外周がドンドン広がっていく。



「マズイ、僕とリーシアが戦った時よりもデカい。あの大きさと質量じゃ、生半可な攻撃じゃダメージが通らない⁈ おまけに触林が触森へと規模を広げて……どんどん触手が増殖している」



 それを見たヒロは、痛みから解放されたはいえ、まだ満足に動かない体を無理やりに立ち上がらせ、戦いに加勢しようとする。


 するとそれを止めるかの如く、はち切れんばかりの筋肉を黒いレザーの服で隠す角刈りのガチな人と、二足歩行する青いハリネズミが後ろ手でヒロに止まれと制する。


 二人の背は語っていた。まだお前の出番じゃない。そこで待っていろと……そして決着はお前が着けろと!


 愛すべきゲームキャラが背中で語る姿を見たヒロの目は、子供のようにキラキラ輝いていた。



「わかりました。最後の一撃は、僕が必ず決めて見せます」



 その言葉を聞いた二人は、静止した腕を解き憤怒の顔を見上げる。



「クックックックッ、この状況を覆すなどできるものか! 矮小なお前たちが一斉に攻撃しようが、この巨体の前では蚊に刺された程度の攻撃よ。大きさが違うのだよ。大きさがな!」



 触手顔の憤怒が六人を見下ろしながら嘲笑う。そして大地に立つ矮小な者たちを踏み潰そうとゆっくりと足を踏み出した時だった……おもむろにガチな人が右手を頭上高くにかかげ、天を指差したのだ。


 釣られて空を見上げる憤怒とヒロ……そこには漆黒の空が広がるだけで、何もなかった。憤怒は騙されたと顔を下ろそうとした瞬間――キラリと漆黒の空に光がまたたいた。



「な、なんだ?」



 その言葉を皮切りに、次々と空に星空のような光が瞬いていく。その数は十や百ではなく、数千の光が空を覆い尽くす満天の空がヒロと憤怒の頭上に現れた。

 

 憤怒は光の正体を暴こうと目を細めると、その瞳には天の頂きより高速に飛来する、大小様々な物体の姿が映るのであった。




〈落ちゆく者たちが……ただ消え去るだけの悲しい命が……今、愛してくれた人のために命を散らす!〉

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