第191話 愛ゆえに……中編

「ここは……」



 ヒロが次に意識を取り戻した時、目の前に地平の果てまで何もない真っ黒な空間が広がっていた。



 意識がボンヤリとしてしまいうまく思考できないヒロは、おもむろに目を閉じると頭を左右に振り頭の中をリセットする。そして直前に起こったことを、記憶の中から読み込み始めた。


 

「たしかアリアさんの遺体から、形見の指輪を抜き去ろうとして……そうだ、奴が死んだアリアさんをオーラで操って」


 

 ヒロは少しずつ記憶を掘り起こしていく。



「遺体に憤怒の紋章が残った場合の継承条件が、乗り移る相手に触れるだけでいいと聞かされた僕は、体を乗っ取られて……」



 自分の置かれた状況を少しずつ把握するヒロは、閉じていた目蓋を開き自分の右腕に視線を向ける。するとそこには奇妙な紋様のあざがあった。



「憤怒の紋章、やはり僕の体に継承されたか……でもなら、どうして僕の意識が?」



 ヒロは憤怒の体を乗っ取られた者たちを思い出す。



「カイザーとシーザー君は体を乗っ取られても、一瞬だけ意識を取り戻し憤怒に抗っていた……だとすると、奴は僕の体に紋章を継承させただけで、完全に体を支配できていない? だからまだ意識があるのか?」



 次々と得た情報を元に、仮説を立てヒロは答えを模索する。



「それにしても、ここはサイプロプスとエルビスと出会った場所に似ているようだけど……するとここはS領域なのか? なんだってこんなとこに?」



 S領域に再び飛ばされ、どうしたものかとヒロが思案していた時だった。



「この気配は……」



 凶々しく狂えるほどの憎しみの感情が、遠く地平の果てに突如として現れた。ヒロはその気配に覚えがあったーーいや、忘れるはずがない。


 黒い地平の果てから、それは猛スピードで近づいてくる……最初は小さな点でしかなかったものが徐々に大きくなり、そのシルエットが露わになっていく。

 

 四つ足に巨大な翼を生やしたドラゴンのシルエット……何よりも特徴的なのは、ドラゴンの顔に当たる部分が触手になっており、下手したらモザイクが必要になるほどの危ない顔がそこにあった。



「憤怒! あれはリーシアと戦った時に見せた触手ドラゴン状態か?」



 ヒロが視線を落とし自らの体を見る。



「武器も防具もなし。身につけているのは布の服とズボンのみか……やれるのかこれで⁈」



 だがそう言っている間にも、ヒロに迫る憤怒の姿はドンドン大きくなる。急ぎ闘気を練り、体にまとったヒロが構える。



「闘気をまとった程度じゃ、気休めにもならないか。【チャージ】と合わせたいとこだけど、暴発して体がはじける可能性があるからな。せめてリーシア並の体術が使えればいいのだけど、こっちの手札は【飛ぶ腹パンチ】と【見えない飛ぶ斬撃】くらいか……やるしかない」



 覚悟を決めたヒロは、ただ静かに構える。それはリーシアの戦いを見て覚えた覇神六王流の基本ーー右半身を引き前後左右どの方向にも瞬時に攻防へ移れる後の先の構えだった。



 そしてついに、それはヒロの前七メートルの位置にまでそれは飛翔すると、『ズシン』と大きな音と大地を揺らして黒い大地へと降り立った。


 触手を寄り合わせドラゴンの体を形作る憤怒……リーシアと戦った時ほどの大きさはないが、それでも全長三メートルほどの巨体を前にすると、大人と子供ほどの大きさの差がある。

 

 触手状の頭は、相変わらずモザイクを掛けないと通報されかねない危ない形状をしていた。



「やっと見つけたぞ! まさか我の紋章を継承しながらも、意識を保っているとはな……つくづくおかしな存在よ」


「その物言い……そうか、ここは僕の体の中なのか?」


「ああ、そうだ。本来なら我の意識がお前の体を乗っ取っているはずだったが、よもや互いの意識が拮抗するとは思わなんだ」


「つまり、ここで僕とお前が戦い勝った方が……」


「そう言うことだ。勝った方が負けた方の意識を取り込み、体の支配権を得られる。さあ、大人しく我に取り込まれろ」

 

「そう言うわけにはいかない!」



 するとヒロが先制攻撃とばかりに、憤怒の触手顔に向かって飛ぶ腹パンチを撃ち出す。



「フハッハッハッハッハッ、なんだその攻撃は?」


「なっ! 僕の攻撃が効かない?」



 憤怒の腹に、ヒロの飛ぶ腹パンチが撃ち込まれたが、憤怒は微動だにせず、平然とした顔でヒロを見下ろしていた。



「先程の脆弱なオークの体と違い、今はお前の体の中だからな。つまりお前と同じ攻撃力と防御力を我は持ったのだ。そこに本来の我の力と触手の体が加われば、貴様の攻撃なぞ、そよ風なようなものだということだ。ハッハッハッハッ!」



 憤怒が勝ち誇りながらヒロを愉悦していた。それは散々煮湯を飲まされたゆえの笑みだった。



「攻撃が通らない? いや、距離が遠すぎて威力が下がっているのか? なら、近づいて撃ち込めれば……」



 するとそれを聞いた憤怒が、背中に生える翼を『バッ!』と瞬時に開くと、翼の羽にあたる触手が弾丸のように次々とヒロへと撃ち出される。



「チッ、Bダッシュ!」



 撃ち出された触手を左にダッシュして避けるヒロ……外れた触手が黒い大地に突き刺さっていく。


 憤怒から出来る限り情報を引き出し、心理戦に持ち込もうとしたヒロだったが、憤怒もそれを見抜いていた。この男に時間と情報を与えれば何をしでかすが分かったものではない。憤怒は、もはや問答無用とばかりに触手を撃ち出し続ける。



「滅びよ! 滅びよ! 滅びよ!」



 憤怒の攻撃を、ヒロがBダッシュと震脚を連続で使い、憤怒を中心として時計回り回避していくのだが……。



「撃ち出した触手が⁈」



 攻撃を外した触手が黒い大地に突き刺さり、そのまま樹木のように根を張りうごめきだすと、ヒロの行く道を塞いでしまう。次々と撃ち出される触手を避ければ避けるほど、大地に触手が生え、憤怒を中心とした触林が出来上がっていく。



「マズイ、憤怒に近づけなくなる。時間を掛ければジリ貧だ。攻めるしかない!」



 すでに撃ち出された触手は、憤怒の周りに二重三重の壁を作り出し始めていた。それを見たヒロは、瞬時に攻めを選択し実行に移す。



「ここだ!」



 ヒロの体が触手の壁により憤怒の目から姿を隠した瞬間ーー震脚を踏み、大地に足跡を残したヒロは一気に加速する!



「愚か者め」



 するとそれに合わせて憤怒がヒロの行手に触手を撃ち出していた。だがその触手は今までの単発ではなく、同時に十数本の触手が広範囲にわたって打ち出された攻撃だった。


 さながらショットガンの散弾のように、広範囲に撃ち出された触手がヒロの進む道へ豪雨のように降り注ぐ。


 震脚の加速により止まることができず、ヒロは豪雨の中へと突っ込んでしまう。



った!」



 そう声を上げた憤怒の目に、触手の雨さらされ、体中を串刺しにされたヒロの姿が映っていた。頭と体を貫かれ、大地に縫い止められたヒロ……勝利を確信した憤怒だったが、あまりにも呆気ない男の最後に、怪訝な顔を浮かべたときだった。


 膝から崩れ落ちたヒロの顔に……『へのへのもへじ』と奇妙な文字が書かれていたことに憤怒が気付くと、ヒロの姿を一瞬隠した触手の陰から何かが叫ぶ声が聞こえた。



「Bダッシュ!」


 

 大地に生える触手の陰から、一直線に両腕で顔をガードしたヒロが憤怒の顔に目掛けて跳び上がった。そのスピードはいつものBダッシュよりも遥かに遅く、ここに来てヒロがスキルの発動に失敗したことに、憤怒は目を細め笑っていた。



「そう来るだろうと思っていたわ!」



 何をしでかすか分からない男を警戒していた憤怒は、いざと言うときのために、あらかじめ触手をいつでも打ち出せるように温存していたのだ。


 自分に向かい跳び上がる者に、憤怒は再び翼から攻撃を撃ち放つ。散弾となった数十の触手が広範囲にわたりヒロを襲う。



 空中では移動を制限される……憤怒は触手の攻撃が外れたフリをして、自分の周りに触林を作り出していた。それは遠距離からの見えない腹パンチが自分の防御を突破出来ず、武器も防具もないヒロを見ての策だった。


 攻撃が効かない以上、ヒロが次に取るべき方法は接近戦に持ち込んでの戦いしかないと憤怒は考え、触林を作ることで、ヒロの進路を限定し、跳び立てばもはや逃げ場がない空中へと誘い込む策にヒロはまんまと引っ掛かってしまった。



「……⁈」



 憤怒は自分に向かって跳ぶヒロに、触手が命中するのをその目で捉えた。腕のガードを貫いてヒロの体にいくつもの触手が突き刺さり、空中で勢いを殺されたヒロは憤怒に背を向け頭から地面に落下する。落ちいく体がゆっくり回転し、ヒロの顔が憤怒の方へ向いたとき、触手顔の目が大きく見開かれていた。


 憤怒の目に『へのへのもへじ』の顔が映し出されていた。



「まさか⁈」


「Bダッシュ!」


 

 再び声が聞こえると、右手の拳を腰だめに構えたヒロが、触手の陰から弾丸のような勢いで憤怒に向かって跳び出していた。先ほどのデコイが跳び上がるスピードとは比較にならない速度で空を駆ける。それは二段ジャンプとBダッシュの複合によるものだった。

 

 

「これで終わりだ!」



 ヒロが憤怒に急接近すると腰だめに添えた拳を打ち出す。すると、見えない腹パンチが憤怒へ向かって一直線に放たれる……それを見た憤怒がせせら笑いながら、触手の体に漆黒のオーラをまとわさせながら、【絶対防御】スキルを発動させる。


 先ほどの飛ぶ腹パンチの威力から、今の自分ならこの攻撃を受けても問題はないと判断した憤怒は、全力の防御でヒロの攻撃を受け止めていた。


 だが、接近して打ち放たれた飛ぶ腹パンチは、憤怒の触手と絶対防御の前にあえなく防がれ霧散する。



「ハッハッハッハッ! 無駄な努力だったな⁈」



 勝ち誇った憤怒が声を上げると……空を駆けるヒロは、いつの間にか振り抜いた右拳を開き左腰に置いていた。空いた左腕で右手の手首を掴み溜めを作る。


 それはまるで居合斬りをするかのような構え……溜めた力を宿す右手の手刀を左手が離すと、凄まじい勢いで手刀が放たれ、その軌道に沿って莫大な闘気と殺気が打ち放たれていた。


 瞬時に駆け抜ける見えない飛ぶ斬撃が、憤怒の体を通り抜けていく。攻撃を防いだ直後でオーラもまとえず、絶対防御も発動できない憤怒に、ヒロの一撃が叩き込まれる。



「ば、ばかな? そんな……ばかなあぁぁぁぁ!」



 手刀を振り抜いたヒロが憤怒の脇を駆け抜け、そのまま着地すると、背後で『ズシーン』と何かが倒れる大きな音が聞こえてきた。



 息を切らしながらヒロが後ろを振り向くと、そこには体を斜めに切り裂かれ真っ二つになった憤怒が横たわっていた。

 再び動き出さないか、ヒロが警戒したまま構える。一分……二分と時間が経過する。だが五分を過ぎても憤怒が動き出す気配はない。



「勝ったのか?」


「……」



 もの言わぬ憤怒……完全に沈黙した姿を見てヒロが勝利を確信する。そして構えを解き、憤怒の死体に近づこうと歩き出した瞬間ーーヒロは急に胸から感じた熱さに視線を落とすと、そこには触手が生えていた。いや……正確には背中から触手が突き刺さり血を流していた。


 熱い何かが体の中から込み上げ『ガハッ!』と、ヒロが口から血を吐き出す。

 


「アッハッハッハッハッハッ!」



 笑い声がヒロヒロのすぐ後ろから聞こえて来ると、胸に突き刺さった触手が背中から引き抜かれ、ヒロはその場に仰向けに倒れ込む。



「ガハッ、お前は憤怒なのか?……その姿は……ゴホッ!」



 激しい痛みと込み上げる血にむせるヒロの瞳に、自分と同じ姿をした者の姿が映っていた。ヒロと寸分違わぬ容姿の者が、下卑た笑いを浮かべながらヒロを見下ろしていた。



「ああ、どうやらS領域では、俺は依り代にした奴の姿が反映されるみたいだな」


「それじゃあ……あのドラゴンは……ゴホッ」


「お前の油断を誘うために、力の大半を使って作った分体だ。コッチの姿を隠して戦いながら、お前には近づくのは苦労したぞ。おかげで貴様の油断を誘い、倒すことができた」



「そういうことかガハッ……」



 ヒロの声が弱々しくなっていく。目の焦点が定まらず咳をする音も小さくなる。



「ハッハッハッハッハッ! お前を出し抜くには、戦いの最初からでないと勝てないと思ったのでな。戦う前から策を巡らせてもらったのさ。その忌々しい未来視の【魔眼・ラプラス】も、相手の姿が見えなければ攻撃を避けられまい。いい気分だ」


「……」



 もはや声さえも出せないヒロの意識が、深い微睡の中に沈み込んでいく。



「お前の意識は死んでも、体さえ生きていれば人を滅ぼすことはできる。貴様にあの女が苦しむさまが見せられないのは残念だが、せいぜい貴様の代わりに苦しめて殺してやるから、安心して死んでくれ。あっはっはっはっはっはっ!」

 


(リーシア……)



 その言葉にヒロの沈みゆく意識が抗う。



(リーシア……僕は君にまだ伝えたいことが……こんなところで僕は死ぬのか)


「むう? なんだ? まだ意識があるだと? しぶとい奴だ」



 すると憤怒が、地べたに血の池を作りながら横たわるヒロの傍に立つと、その腕に触手を生やしヒロの顔に狙いをつける。



(こ、こんなところで僕は……リーシアとの約束を守れずにに……セレス様の願いを果たせずに死ぬのか……)


「今度こそこれで終わりだ。誇るがいい。ただの人が我を相手にここまで戦ったことを……」


(僕の夢も叶えられずに死ぬのか……世界中のゲームをクリアーして僕だけのゲームを作る夢を……)


「愚かなる人よ、滅べ、滅べ、滅べ! 滅び去れ!」


(悔しい、まだプレイしていないゲームがたくさんあるはずなのに……まだ見ぬゲーム達よ、すまない。そして僕を楽しませてくれたゲーム達よ……君たちのおかげで僕の人生は幸せだった。願わくは来世でも君たちに出会えることを……みんな、ありがとう)



「死ね!」



 そして憤怒の触手がヒロの頭を狙って打ち出された瞬間ーー憤怒の体が、横から急に現れた青く丸い球状の物体に突き飛ばされた。



「な、なんだと⁈」



 凄まじい衝撃に憤怒が数メートル転がり倒れたヒロから距離が離れる。何が起きたのかを確かめるため、急ぎ立ち上がる憤怒は自分を突き飛ばした存在へ顔を向ける……するとそこには!



「だ、誰だ、貴様らは⁈」



 そこには見知らぬ者たちが、ヒロを守るように立ち並んでいた。


 青い二足歩行するハリネズミと着物を着た演歌歌手、深いシワをその顔に刻んだ老婆や、赤い帽子を被り青いオーバーオールを履いた少女……そしてムキムキな筋肉を、黒革のタンクトップとホットパンツで隠す角刈りでガチな人が、ヒロと憤怒の間に壁を作り立ち塞がる。



「まさか……そんなことが……」



 ヒロは目の前に立ち並ぶ者達の後ろ姿を見て、思わず声を漏らしていた。そしてヒロの声を聞いた五人は、後ろ姿のまま『オレ達に任せておけ』と親指を立てサムズアップのサインを見せるのであった。




〈ゲームを愛する思いが奇跡を起こす。愛すべきゲームキャラ達が、愛してくれたゲーマーを助けるため、災厄へと立ち向かう!〉

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