第189話 信じる心

 それはエクソダス計画が発動する何日か前の出来事だった。



「ヒロ、やっぱり私……」


「リーシア、大丈夫です。僕を信じてください」



 二人の男女が、暗い洞窟の中で互いの顔を見つめ合っていた。横たわる男の上に少女が跨っていた。ひざをつき腰を浮かせて馬乗りになりながら、不安そうな顔で男を見下ろす。



「でも、私……上手じょうずにやれる自信がありません」



 顔を下に向けて項垂れてしまう少女……それを見た男が優しい声で語りかける。



「怖がらないでください。最初は誰だってそうです。最初からできる人なんていません」


「だからって、やはりこれはやり過ぎですよ。このままじゃヒロの身が持ちません。やっぱり私じゃ……」



 自信のない顔で暗い顔をした少女を見て、男は微笑む。



「うまくできなくていいんです。気にしないでください」


「でも、それだとヒロが……」



 男が力なく宙に置かれていた少女の右手を優しく握ると……その手は微かに震えていた。



「うまくアドバイス出来れば良かったのですが、僕はこの方面の知識はカラッきしなんです。情けない話ですが、リーシアに全部お任せするしかありません」



 少女を心配させないよう、明るい顔で男は話し掛ける。



「ち、違います。情けなくなんてありません。私も聞いた知識しかないから……もっとうまくできればヒロも……ごめんなさい」



 すると男は、握る手に少しだけ力を入れ、首を横に振る。



「僕たちはまだ初心者ですから、うまくいかなくて当たり前ですよ。それに僕はリーシアのためだったら、何回だってイキますよ。リーシアがコツを掴むまで何度だって付き合います。むしろいつまでも、こうしていたいくらいです」


「え?……い、いつまでもですか……」


「はい」



 笑顔で答えた男の言葉に、少女は顔を赤くしながらも心が『ほんわり』暖かくなった気がした。



「ヒロ……ありがとう。じゃあ、今日も……やりますよ?」


「はい」



 二人は笑いながら互いの顔を見ると、少女が握られた手をそのまま男の胸の上に置いた。

 男の心臓の鼓動が「トクン、トクン」と、少女の手に伝わってくる。命の鼓動を感じながら少女は目をつぶり意識を集中すると何かを呟き出す。



「天……願い…………」


 すぐそばに居る男ですら聞き取れない程の声で、少女は何かを口にしていた。


 男は少女の顔を見上げながら、神妙な面持ちな少女に見惚れていた。そしてどれくらいそうして居ただろうか……男は時間を忘れ少女の顔を見ていると、その可憐な口から高らかな声が唐突に上がった。



「ヒール!」


「……」



 胸に当てた手から温かな光が生まれ、男の体の中へ浸透していく。ほんの数秒で癒しの光は消え、少女が恐る恐る閉じていた目の目蓋を祈りながら開くと、そこには安らかな笑顔のまま、永遠の眠りにつく……ヒロの姿があった!



「ひゃあぁぁぁぁ! ま、また失敗しました⁈ 早く蘇生を!」



 慌ててヘソの丹田で気を練り、手に集めるリーシア……その動作は恐ろしくスムーズに、手慣れた手つきでヒロの胸に手を添える。


 リーシアの手からヒロの中へ気が浸透し、全身に行き渡ったところで、息を大きく吸い込んだ少女が裂帛の気合いと共に一気に心臓へ気を打ち出す。



「爆心治癒光!」



 莫大な気が、ヒロの止まっていた心臓に打ち込まれると……ヒロの手足がビクンと跳ね、心臓が再び鼓動を打ち始める。



「ゴホッ、……やあ、リーシア」


「ヒロ、だ、大丈夫ですか?」



 呼吸も戻り咳き込むヒロ、その顔は少女が落ち込まないように、死んだ時と同じ笑顔であった。



「ええ、すみません。今日も耐えられず先にってしまいました」


「私の方こそ、ごめんなさい。また失敗です。本当にこのヒール(滅)の威力を、詠唱文を変えたぐらいで抑えられるのでしょうか? もう今日で十日目……一向に成功する気配がありません」


「リーシアの知る魔法の知識を聞く限り、おそらく可能なはずです。魔法はただ一言キーワードを唱えるだけでは使えない。詠唱するか頭の中でイメージすることで初めて使えると聞いて、僕はこの詠唱部分に秘密があるのではないかと思ったんです」

 

「ヒールの回復力を抑えるイメージで詠唱文を変えていますが……うまくできません」



 ションボリ肩を落としたリーシアが、ヒロの上から降り、横に座る。



「考える方向性は間違っていないはずです。問題は試行錯誤の回数ですね。やはり一日一回しか練習できないのは痛いな。僕にもっと体力があれば、リーシアのヒール(滅)に耐え、一日二回の練習ができるかもしれないのに……」


「そんなのダメですよ。タダでさえヒール(滅)の過剰回復で体力を削られて衰弱死しているのに……やっぱり止めましょう。別にヒロがヒールを受けなくても、ホラッ! 森にいるモンスターでも試せますよ」



 ヒロは笑顔からいつのまにか真面目な顔つきに変わり、首を左右に振っていた。


「リーシア、これは君が教えてくれた魔法の話を、僕なりに思考した結果なんです。魔法は最後のキーワードだけでは世界に発現しない」


「そうです。昔、母様が教えてくれました。魔法は頭の中に思い描くイメージを解き放つものであり、詠唱はそのイメージを固める役目がある。このイメージの強さによって魔法の威力は高まるって」


「それです。イメージによって威力が高まるなら、逆に威力を低くも出来るんじゃないかと僕は思ったんです」


「それは聞きました。でもそれがなぜ、ヒロにヒールをして死に至らしめる理由になるんですか⁈」



 リーシアの口調が少し強くなっていることに、ヒロは気づく。



「問題は詠唱なんです。リーシア、君は詠唱しながら戦う事が、できませんよね?」


「はい、目を閉じて詠唱をイメージしなければなりませんから……」


「危険な戦いの中で、試行錯誤しながら詠唱するなんて自殺行為です」


「でも一人では難しいですけど、ヒロと二人なら絶対に大丈夫ですよ」


 リーシアは伏せ気味だった顔を上げヒロを見る。二人ならどんな困難も乗り越えられる。だからきっとヒロも自分の思いを組んでくれると……だが、男は首を左右に振る。



「僕もガイヤに来てから知りました。戦いに安全なんてものは存在しないって……どんなに弱い魔物だろうと油断は死を招く。僕はそれを痛感しました」


「……」


「オークと言えば、僕の世界では雑魚敵として有名なんです。弱い序盤に出てくるやられ役です。実はシンシアさんを救出するためにオーク村に潜入したのも、数は多くても一対一なら、僕でも倒せるという慢心がありました。結果はオークヒーローという強敵に出会い敗北です」



 ヒロの言葉に、リーシアはオークヒーローとの戦いを思い出し、顔を曇らせていた。



「ランナーバードやオーガベアーと戦い、生き残ったことで、僕は負けが死を意味することを忘れていました」


「……」


「結果的には生き残れましたが、運が良かっただけの話で、下手したら二人とも死んでいたかもしれません。戦いは命懸けです。戦う相手だって死に物狂いで戦いを挑んで来ますから……だから安全な道があるのなら、戦わずにその道を行くべきだと僕は思うのです」



「その安全な道がコレですか?」



 リーシアの声に、また怒りの感情が混じっていた。



「ここなら不足な事態に陥ることはありませんからね。実戦で使えるレベルになるまで、ある程度は安全に試せます。だから僕のことは気にしないでください。試せるのが一日一回だけなのがネックですが、安全には変えられません」


「これが安全⁈」


「ええ、安全に試せますから、リーシアも安心してください。あとは僕にもっと体力があって、ヒール(滅)の体力消耗に耐えられれば、一日二回に回数を増やせるのですが……えっ、あ……」



 リーシアの顔を見ながら話している最中、ヒロの顔が固まってしまった。それは少女の目から流れ落ちる涙を見たからだった。



「『オークたちを助けて』と、ヒロにお願いしたのは私です。危険だからと安全な方法を取ろうとするのも分かります。だけど……こんなこと私が言うのはおかしいのかもしれません。でも、言わせてください。ヒロは私がどんな気持ちで蘇生しているか考えたことがありますか?」


「どんな気持ちですか……」


「ヒロがヒール(滅)で死んで蘇生するとき、私は気が気じゃないんです。もしヒロが蘇生しなかったら、どうしようって、いつも考えてしまいます」



 瞳から溢れ落ちた涙が地面に吸い込まれていく。



「……」


「私が安心して、ヒールしていたと思いますか? 安全な場所でヒールの練習ができて良かったと? ふざけないでください。ヒロは私がそんな思いでいると思っているんですか……私は……」



 顔を伏せたリーシアは、大粒の涙をポロポロとこぼし、声を殺して泣き出してしまった。



「私はあと何回……ヒロを殺せばいいんですか……」


「……」



 降りはじめた小雨のように、ポタポタと地面に水滴が吸い込まれていく。それを見たヒロはそっと少女の手を握った。



「リーシア、ごめん。君の思いを考えずに無理をさせていました。謝ります」


「ヒロ……」



 俯いて泣いていたリーシアが顔を上げ、潤んだ目でヒロを見ていた。不謹慎にもヒロはドキリとしてしまう。



「この方法は止めましょう。僕はまたやり過ぎてしまったみたいです。リーシアの安全ばかり考えて、自分の命を軽視していました。その結果が君の心を傷つけているとも知らずに……」



 俯いて泣いていたリーシアが顔を上げてヒロの目を見る。



「リーシア、本当の事を言ってくれてありがとう」


「ヒロ、私こそワガママを聞いてくれてありがとう」



 謝るのではなく、互いに感謝の声を掛け見つめ合う二人……そして自然とリーシアが横たわり動けないヒロの顔に自らの顔を近づける。相手の吐息が聞こえるほどの距離にまで……そして二人はどちらともなく目をつぶり、互いの唇を近づけた時!



「ダメです! 坊ちゃん!」


「あっ! ムラクのバカ!」


「⁈」



 洞窟の入り口から、オークの声が上がり、リーシアが顔を赤らめながら、『バッ!』と顔を上げてヒロから離れる。

 

 

「い、いまの鳴き声は、だ、誰ですか?」


「シ、シーザー君とムラクさんです」



 オーク語が分からないリーシアの問いに、ヒロも顔を赤くしながら答えていた。すると鍵の掛かっていない木の格子を開き二人のオークが中に入って来る。



「いや〜、邪魔しちゃったかな? ごめんなさい。僕らなんか気にせず続きをどうぞ!」


「坊ちゃん……こんなのが将来の長になると思うと不安でしょうがないです。お二人ともいい雰囲気なところ、申し訳ありません」


「ムラク、こんなのは酷いよ」


「そう思われたくなかったら自重してください」


「シーザー君、ムラクさん、どうしましたか?」



 とりあえず、何事もなかったかのように話し掛けるヒロ……リーシアは相変わらず顔を赤くしてソワソワしている。



「母上の料理ができたから、二人を呼んで来いって父上が……でも、お邪魔だったみたいだね。父上にはうまく言っておくよ。あと朝までここには誰も近づかないようにするから、安心してパッコンしてね」


「ほんと、あの親にしてこの子ありですよ。同族として恥ずかしい限りです」



 シーザーの俗な言葉に呆れるムラク……ヒロは苦笑いをするしかなかった。



「別にやましいことはしてませんよ。回復魔法の練習をしていただけです」


「回復魔法? ってなに?」


 

 聞いたことがない言葉にシーザーが興味を示していた。



「え〜と、体の中にある力を使って、ケガを治す方法ですかね? シーザー君のケガを治したポーションみたいな感じです」


「へ〜、それ僕にもできるかな? それができたら、ケガしたオークを助けてあげられるよ。ヒロ、僕に回復魔法を教えてよ」


「オークが回復魔法のスキルをですか?」


「坊ちゃん、人の持つ技をオークである拙者らが使える訳がありませんよ」


「え〜、やって見なきゃ分からないじゃん!」



 頭ごなしに使えないと否定するムラクにシーザーが反論して食い下がる。



「リンボーだって絶対に無理って言われた父上と同じ高さをクリアーできたんだ。回復魔法だって、もしかしたら使えるかもしれないじゃん!」


「ええ……絶対に無理ですよ!」



 そんな二人のやり取りを黙って見ていたヒロの袖が、『クイッ』と引っ張られる。

 


「二人共、声を大きくしてどうしました? ケンカですか?」


「ええ、シーザー君が回復魔法を教えと欲しいと、それを聞いたムラクさんがオークでは使えないと言ってしまって……」



 そんな二人を見て、リーシアは懐かしい光景を思い出していた。

 回復魔法を使いたくて、母カトレアに魔法を教えてと頼み込んだ懐かしい思い出に思わず微笑んでしまった。



「ああ、リーシア姉ちゃんにまで笑われた。ク〜!」


「言ったでしょう。オークに回復魔法は無理だって」



 みんなにできないと思われ勘違いしたシーザーの顔が膨れっ面になる。それを見たリーシアは背の低いシーザーの前で屈み込み、視線の高さを同じに合わせる。


 突然、リーシアの顔が自分の顔に近付き、シーザーがドギマギする。



「ヒロ、伝えてください。私は普通の回復魔法は使えませんが、やり方なら教えられますよって」



 その言葉を聞いたヒロはうなずき、微笑みながらシーザーにリーシアの言葉を伝えていた。



「シーザー君、リーシアが回復魔法のやり方を教えてあげると言っています」


「本当に! やった〜!」



 シーザーが両手をピョンピョン飛び跳ね喜んでいた。



「ええ、二人共いいんですか? 時間の無駄になるかもしれませんぞ。ただでさえエクソダス計画で忙しいのに、出来るかどうか分からないことに時間を割いてしまって……」


「ムラクさん、出来るか出来ないは二の次です。大事なのは出来ると信じて挑むことです」


「むむ、出来る信じて挑むことですか?」


「はい。どんなことでも、最初から出来ないと思って挑んでは、成功なんてしないって話です。まずは出来ると信じて挑むことが大事なんです」


「出来ると信じる……そうですね。まずは信じないとですね」



 リーシアは母カトレアに憧れて回復魔法の練習をしていた時分を思い出していた。



「最初から自分には出来ないと諦めて、挑戦すらしないままでいるか……出来ると信じて挑戦するか……」


「ヒロ! 僕、回復魔法を絶対に使えるようになるよ」


「ええ、シーザー君なら絶対に使えますよ」


「むむ、ならば拙者も教わってみるか、存在感がない拙者が回復魔法を覚えれば、オーク族の中でも一目置かれる存在に……」


「いや、ムラク……回復魔法を覚えても多分それは無理だよ!」


「ムラクさんが回復魔法を覚えても、存在感は増しませんよ」


「……(ニコリ)」

(何を言っているか分からず、とりあえず笑顔のリーシア)


「さ、三人共、酷い! 出来ると信じて挑むことが大事だって言いましたよね? 言いましたよね⁉︎」



 ムラクが三人にガブリ寄るが、ヒロとシーザーは顔をそむけ、リーシアは訳が分からず微笑んでいた。



「キィー! 憎い、存在感がある奴らが憎いっ! チキショウ!」


 その場で地団駄を踏みまくるムラク……それを見たシーザーは笑い、ヒロは苦笑いをしていた。その光景を少女は微笑みながらいつまでも見守るのだった。




…………




『出来ると信じて挑む』……その言葉をリーシアは思い出していた。


 憤怒から受けたダメージにより、片膝を突いたまま動かないヒロ……二人の視線が合わさり、アイコンタクトで自分の成すべき行動を瞬時に悟ると、リーシアはヒールの詠唱を開始していた。


 それは今まで、一回も成功したことがなかった威力を抑えたヒール……幾度となくヒロを死に追いやった回復魔法の詠唱であった。


 失敗は許されない。ぶっつけ本番の重圧プレッシャーに、リーシアは押しつぶされそうになる。だがリーシアを信じたヒロの瞳を見たとき、不思議とその重圧はなくなっていた。



 ヒロは自分の回復魔法が成功すると信じてくれている。だからこそ、この場面でヒールを自分に撃てと視線は語る。なら、ヒロを信じた自分が成功すると信じないわけにはいかなかった。

 

 出来ると信じる……もはやリーシアの心には成功の二文字しか存在していなかった。



「行きますよ!」

 


 リーシアがペタンと座った状態から素早く立ち上がり、震脚を踏むと……憤怒に向かって一直線に駆け出していた。十メートル以上離れた距離を一瞬で詰めるリーシア!



 詠唱を終え世界にリーシアの回復魔法がガイヤの世界に発現する。拳に回復の光を宿した少女が大地を疾走する。


 ヒロに向かって漆黒のオーラを放とうとする憤怒……その背後の死角からリーシアが迫ると、それに合わせてヒロが見えない腹パンチを憤怒の向かって打ち出していた。

 一際大きな殺気を孕んだ一撃……それを見た憤怒が口元を歪めて笑っていた。



「それを待っていた!」



 すると憤怒は、ヒロに打ち出していた拳で足元の地面に打ちつける。巻き上がる土埃に視界が塞がれる。



「視界が!」


「何を⁈」



 一瞬の間に憤怒が地面を穿うがった反動で横に緊急回避を行い、憤怒に打ち出された腹パンチがリーシアに迫る!



「そんな⁈」


「止まらない!」



 だが……少女は迫る殺気に避けることはおろか、防御することもなく、拳を打ち出していた。

 そしてヒロもまた、回復の光を宿した拳をなんの躊躇ためらいもなく受け止める。


 二人は信じていた……一点の曇りなく、ただ互いを信じぬいた。


 ヒロが腹パンチではなく、ただの気殺刃をあの場面で打ち出すことを、そして必ずリーシアのヒールは成功することを……回復の光がヒロの体を包み込む。



 地面を穿つ反動で横に飛んだ憤怒は、二人の上げた声に、勝利を確信しながら立ち上がる。勝ち誇った顔で同士打ちした二人を見てやろうと視線を向けると、そこには口元を吊り上げて笑う少女と立ち上がりながら同じく笑う男の姿があった。



「Bダッシュ!」



 そこに至り、憤怒はようやく気がついた。自分が騙されていたことに……視界を封じ同士打ちを誘ったはずが、二人が上げた声に騙され隙を作ってしまっていた。二人の声が慢心を生みだし油断を誘っていたのだ。



「おのれ!」



 ヒロは体勢が整っていない憤怒に向かって、拳を固く握りながら猛接近する。それを見た憤怒が、相打ち覚悟で迎え打とうと拳にオーラを溜める。破壊力ならまだオーラを持つ自分の方が上だと判断した憤怒……だがそれを見たヒロは瞬時に拳を開き、二段ジャンプで宙を跳び上がる。



「なんだと⁈」



 ヒロの姿を追って顔を上に向ける憤怒の目に、陽光に煌めきながら落ちてくるミスリルロングソードの姿が見えた。

 見えない腹パンチによって空高く放物線を描いて舞い上がっていた剣……ヒロは開いた手を横に一閃し剣を再び手にすると、空中にいながらにして流れるような動作で上段切りの移行する。



「馬鹿な、貴様は一体いつからこれを⁈」


「さあな!」



 ヒロが持てる全てを込めて、上段から一気に剣を憤怒に振り下ろす。



「パワースイング」



 剣術スキルを発動すると同時に闘気を流し込むと、ミスリルロングソードの剣身が白く輝き憤怒に迫る! 


 だが憤怒は、剣がヒロの手に収まった瞬間、すでに回避の選択をとっていた。打ち出していた拳に急ブレーキを掛け、後ろに向かってバックステップを踏んでいた。



 振り下ろされる切先に、憤怒が死を覚悟しながら回避に挑む。



「ぬぉぉぉぉぉっ」



 全てを掛けたヒロの一撃と、なり振り構わぬ憤怒の回避……ほんの僅かの差だった。勝利の天秤はほんの僅かに憤怒の方へと傾いていた。



 体を浅く切り裂かれながらも、憤怒はギリギリのタイミングで切先から逃れられた。肝を冷やしながら後ろに跳び退く憤怒。生き残れたことに安堵する憤怒の視線が、ふと……剣を振り抜いたヒロの姿を見ると、その顔を凍りつかせていた。


 いや、それはヒロの顔を見てではなかった。正確には、その右目に浮かぶ希望の紋章を見て憤怒の顔は凍りついていた。発動する【魔眼ラプラス】の未来視の力。



「憤怒よ、ここでお前はゲームオーバーだ!」



 ヒロの振り抜いた剣の軌道に膨大な気と殺気が集まり、目に見えない斬撃が憤怒の向かって解き放たれた。

 もはやその体は宙にあり、真後ろに跳び退く憤怒に回避すること術は残されてなどいなかった。



「お、おのれぇぇぇ!」



 漆黒のオーラをまとった腕を上げ、迫りくる斬撃を防ごうとする憤怒……だが見えない斬撃が腕に触れたと思った瞬間、斬撃が腕を通り抜ける。また殺気を打ち出しただけのまやかしかと安堵した瞬間、憤怒の体にとてつもない衝撃と痛みが走り憤怒が吹き飛ばされる!



「グアァァァァァァァァァァァァッ!」



 憤怒の断末魔が草原に響き渡る。

 

 見えない斬撃が打ち込まれた瞬間、憤怒は地面に激突しながら草原をえぐり、十数メートルに渡り深い傷跡を大地に残すと、ついに動きを止めるのであった。




〈勇者と聖女の信じる心が、ついに憤怒に止めを差した!〉

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