第188話  騙すもの、騙されるもの

「ここは……一体……?」



 まだ夢の中にいるかのように、少女の意識はハッキリとしない。頭の中で霞が掛かかったかのように、少女は「ボー」っとしながら、草原の大地に横たわっていた。



 うっすらと開けた少女の目の中に、赤く色付いた草原が見えていた。錆びた鉄と青臭い草原の匂いが、再び眠りにつこうとする少女の意識を無理やりにとどめ、少しずつ覚醒を促していた。



「母様……痛っ!」



 体の中を走る不意な鋭い痛みに、少女は顔をしかめながら意識を急速に覚醒させる。



「私は……たしか母様と夢の中で出会って……」



 不思議な空間での、思いがけない母との再会を思い出しながら、リーシアはゆっくりと上半身を起こす。



「ここは……町の手前に広がる草原? 私いままでなにを?」



 ペタンと女の子座りをするリーシア……寝起きの寝ぼけた状態のように、うまく思考ができない。自分が直前まで何をしていたのかすら思い出せない。


 まだ意識が完全に覚醒しないまま、状況を把握するために少女は周りをキョロキョロと見回すと、かたわらにオーク族の若手NO.1と名高い存在感ゼロの……。



「たしか……名前が思い出せません……存在感ゼロのオークでしたか?」



 リーシアに名前すら忘れ去られたオーク族の戦士ムラクは、血だらけになりながら少女の傍に横たわっていた。

 半ばから折れた槍の柄を掴むムラク……胸が微かに上下しており、かろうじて生きていることが見てとれた。

 


「私……あの時、憤怒の攻撃が避けられなくて……ハルバードの戦斧が確実に私の体を貫いたはずなのに……」



 リーシアは、いまだ頭の中に掛かる霧を振り払うかの如く、ブルブルと顔を左右に振ると、自らの胸に視線を落とす。


 するとナターシャから借り受けたフェニックスアーマーが、斜めに大きく切り裂かれているのを見たリーシアは、おかしなことに気がつく。



「無傷? 鎧を引き裂くような攻撃を受けたのにですか?」



 あの時、ハートブレイクショットを憤怒に打ち出したが、不意に聞こえたアリアの声に攻撃が鈍り、ハルバードの一撃をリーシアはモロに受けてしまった。

 

 ムラクの槍がリーシアを防御しようとしたが、槍は破壊され、ハルバードの凶刃がリーシアの体を切り裂いたはずだった。


 リーシア自身も、意識を失う直前に体を襲った激痛を覚えていた。



「一体なにが起こっていますか?……ヒロがまた何かやらかしました? あっ! そ、そうですヒロは⁈」



 ヒロの存在をようやく思い出したリーシア……慌てて周りを見渡すと、少女の目に片膝をついて動けずにいるヒロの姿が映っていた。少し離れた位置には、ひどく現実離れした漆黒の色を宿した剣を手にした憤怒の姿も見えていた。



『なっ⁈ ヒロ!』



 リーシアが『ぼ〜』としたまま虚空を見つめているヒロに、パーティー機能のチャットで話しかけるがまるで反応がない。



『ヒロ! まさか意識が⁈』



 問い掛けに全く答えないヒロを見て、リーシアが急ぎ立ち上がり、助けに向かおうと体に力を入れた瞬間……不意に走る鋭い痛みに、体の自由が奪われてしまう。



「体が……エンビーが力を貸してくれたはずですが、ダメージが大き過ぎて回復ができていない? 早くポーションを……」



 痛みに耐えながら腰のホルダーから、ヒロが入れてくれたポーションの入った筒をリーシアは引き抜く……震える手で口元までポーションの容器を持ち上げる。

 もどかしい時間の中、腕を動かしただけで体中に刺すような痛みが走り抜ける。



「いっ⁈ たくないですよ、このくらい!」

 


 痛みに耐えながら、口元にまでポーションの筒を持ち上げ口に咥えると、容器に栓をしていた木のフタを歯で挟み『キュポッ!』と音を鳴らしながらフタ開け放つ。

 リーシアは『ぺッ!』と木製のフタを地面に吐き捨てると、一気に回復ポーションを体に流し込んでいた。


 凄まじい青臭さが口の中に一杯に広がり、むせ返りそうになるが、我慢して一気に飲み干すと、空になったポーションの容器を落として捨てる。



「早く、早く動いて……でないとヒロが……お願い」



 マトモに動かない体を動かそうとするリーシアだったが、ポーションの効果はすぐには発揮されず、お尻を地面につけたままの格好でヒロと憤怒の二人を見ていた。


 

 全ての光を飲み込まんとするほどの、黒い漆黒の色に染まった剣を、憤怒が持ち上げて上段に構える。

 それを見たリーシアの脳裏に、母カトレアが殺された時の光景が蘇る。

 


「お願い動いて! もう私の目の前で、大好きな人が死んでいくのを見るのは嫌なんです! だから動いて!」



 だが……世界は無情であり平等だった。少女の願いは虚しく、聞き入れてはくれない。


 憤怒の振り上げた剣にまとわりつく闇が、ひときわ黒く染まると最後の一撃が放たれる。



『ダ、ダメです。ヒロ目を覚まして! お願い目を覚まして!』


「我に殺されたことを、誇りながら逝くがいい。さらばだ。人は滅びよ!」


 

 振り下される剣を見た時、リーシアの瞳に悲しみの色が浮かぶ。だが……少女は泣いている暇などないと、諦めずにヒロの名をチャットで叫んでいた!



『ヒロ! 目を覚まさないなら、腹パンチです!』



 それは幾度となく男に打ち込んできた戒めの拳……この言葉を聞いただけでパブロフの犬のように、ヒロが震え上がる程の攻撃名に、ヒロの意識が再起動を果たしていた。



「……」

(リーシア!)


「なに⁈」



 次の瞬間、振り下ろした剣の軌道はズレ、撃ち放たれた漆黒のオーラがヒロのすぐ横をれて通り過ぎると、後ろにある南の森の中へと消えて行った。


 そして、つんざくような大きな爆音と黒い爆炎が上がると、半径百メートルに渡り、南の森の外周部が跡形もなく吹き飛んでしまった。



 森から吹いてくる爆風に髪を激しく揺らすリーシア……だがそんな風などお構いなしに、少女の今にも泣き出しそうな瞳はある者を見ていた。



『ヒロ!』


『リーシア!』



 男との視線が絡まり見つめ合う二人は、当たり前のように互いの名を叫び求め合っていた。


 互いの無事を瞬時に悟ると、二人は言葉を交わすまでもなく、アイコンタクトで各々おのおのが成すべき事を実行へと移す。もはや……今のヒロとリーシアの二人には、言葉など要らなかった。



 ヒロの無事な姿を見たリーシアの心に冷静さが戻ると、ヘソの下にある丹田と呼ばれる場所に意識を集中する。すると残り少ない気が膨れ上がり、少女の体内を駆け巡る。


 体の中を走る気が、細胞を活性化させ、体内に取り込んだポーションの効果を高めながら、急速に体の隅々すみずみにまで浸透していく。



「もう少し、ヒロ耐えてくださいよ……って! 何ですかアレは⁈」



 回復を図るリーシアが視線をヒロに戻すと、ヒロの右目に奇妙な紋章が赤く浮かび上がっているのに気がついた。



「キサマ、いま何をし、な、それは馬鹿な⁈ グァッ!」

 

「ようやくできた……カイザー、エルビス、感謝します」



 ヒロが感謝の言葉を口にすると、憤怒が体を『く』の字に曲げながら腹を手で押さえていた。ヨロヨロと後ろに後退しながら、憤怒が恐怖で震え上がる姿をリーシアは見ていた。



「二人の言葉とリーシア……君の声がなければ、この技は、【飛ぶ腹パンチ】は完成しませんでした。さあ憤怒! 腹筋の準備は十分か? この腹パンチは少々痛いぞ?」


「ふ、腹筋だと? キサマなにをウゴッ!」



 再び腹に走った痛みに、憤怒の顔が歪み言葉を失っていた。体の芯にまで響く攻撃に憤怒は堪らずに、息を止め【絶対防御】スキルを発動する。

 いかなる攻撃も息を止めている間だけ、攻撃を弾き返す絶対無敵のスキルで、謎の見えない攻撃に憤怒は備えるのだが……。



「もう、そんなタネが割れた技が、いつまでも通用すると思うなよ」



 ヒロの右目に浮かぶ希望の紋章が赤く光り【魔眼ラプラス】が発動する。次々と変わる未来を【ハイパースレッディング】のスキルで二つに分けた意識が、無限の未来から正しい未来をヒロにせる。



 息を止めた生物が次にすること……すなわち呼吸のタイミングをヒロは的確に未来視すると、タイミングを合わせて飛ぶ腹パンチを憤怒に撃ち出していた。


 体にダメージを負った上、依り代であるアリアの小さな肺では、長く息は止められない。憤怒が『すう』っと、ほんの一瞬だけ空気を肺に送り込んだ……一秒にも満たない僅かな瞬間を、ヒロは未来視していた。


 三発目の腹パンチ!


 憤怒の手から、ミスリルロングソードがこぼれ落ちると、憤怒が腹を押さえてうめき出す。



「ぐうぅぅぅ。カイザーのように強靭な肉体でない、この体では……おのれ、ならば!」



 憤怒が【絶対防御】スキルが通じないと知るや否や、腹パンチを警戒して腹部に黒いオーラをまとい防御する。



「腹に攻撃がくるのなら、最初から防御しておけばいぶ⁈」



 声を出していた憤怒の顔が、下から突き上げる攻撃により、強制的に空を見上げさせられていた。



「な? グハッ!」



 次の瞬間、横から顔を見えない何かで殴られた憤怒は、バランスを崩してしまい、顔から草原の大地へとダイブしていた。



「そんなバカな、キサマの攻撃は腹にしか……まさか⁈」


「僕の【飛ぶ腹パンチ】が腹にだけしか飛ばないと、いつから思っていた?」



 ヒロがニヤリと口元を釣り上げ、邪悪な笑みをこぼしていた。



「なにか分かりませんが、ヒロが押しているようですね」



 リーシアはヒロと憤怒の様子を見ながら、気を循環させ体の具合を確かめる。



「もう少し……ヒロ、もう少しだけ時間を稼いでください。体さえ動けば、あとは私が何とかします」



 するとリーシアは目を閉じながら背筋を伸ばし、息を『スッ』と吸い込むと……可憐な口から美しい旋律が奏でられ、歌うように詠唱の言葉を紡ぎ出す。



「天上満たす聖なる光よ、我ら迷える者に慈悲なる光を」



 凛とした美しい声が草原の風に乗って、ヒロと憤怒の耳に届いていた。憤怒は立ち上がりながら、その声の出所に顔を向けると……驚愕の表情を浮かべていた。



「なっ⁈ そんなバカな、アイツは確かに死んでいたはず? 何が? 何が起こっているグアッ!」


「お前の相手は僕だ。余所見よそみしている余裕はないぞ?」



 ヒロの見えない腹パンチが、次々と憤怒に打ち込まれていく。当然、腹だけでなく体中……あらゆる角度から攻撃が打ち出される。



「……」



 息を止め防戦一方になる憤怒……その間にも美しき旋律が、戦場で静かに流れていた。



「我ら迷える者に慈悲なる光を」


「傷つき倒れし者に、立ち上がる力を」


「この指先に、ほんの少しの慈悲なる光を」


「わずかな力を全ての罪深き者たちに、癒やしの光を与えたまえ」



 リーシアの歌うような詠唱が終わり、その拳に回復の光を宿した。


 

「グハッ! な、なぜだ。なぜキサマがエルビスの……【魔眼ラプラス】が使えるのだ! ま、まさか……契約を? 正気か⁈ キサマはあのエルビスと……終焉の希望と契約したというのか!」


「終焉の希望? それがエルビスの二つ名か?」


「バカが、キサマは何も分かっていない。まだ間に合う。キサマを葬れば、まだ世界は……母は助かる!」



 憤怒が傍に取り落としたミスリルロングソードを手にして立ち上がると、駆け出していた。



「無駄だよ。もうお前の攻撃は見切った!」



 ヒロは未来視した映像から、憤怒の動きを見切ると飛ぶ腹パンチを膝に向かって撃ち放っていた。突進からの攻撃……ヒロは自分の攻撃自体がどれだけの質量に勝てるのかを把握できていないがため、出鼻を挫くべく足を狙う。


 だが、ヒロが攻撃を撃ち出すより早く、憤怒が手にしたミスリルロングソードをヒロに向かって投げつけていた。リアルタイムで変わる未来の映像にヒロが迷う。


 縦に回転しながら、向かって来る剣の軌道をヒロは見切るが、一瞬の選択の迷いが憤怒の未来視を遅らせた。



 憤怒には、【魔眼ラプラス】の弱点が分かっていた。それは視界に入らないものは未来視できないこと……そして同時にふたつの未来は見えないことだった。

 タイマンなら絶対無敵のエルビスに、かつて災厄の六人が同時に攻める事で、希望をS領域に封印してみせた。

 

 その弱点を知る憤怒は、ヒロに渾身の力を込めて剣を振り投げていた。猛烈な回転を伴った一撃がヒロに襲い掛かる。


 ヒロの視界に剣と憤怒の二人が映し出されるが、ヒロは先に投げられた剣を未来視してしまう。

 ヒロの魔眼から見事にその姿を隠した憤怒は、いつのまにか漆黒のオーラをまとわせた拳を、ヒロに向かって打ち出そうとしていた。……しかし!



「だと思ったよ!」



 ヒロは見えない腹パンチを、迫り来るミスリルロングソードへと撃ち出していた。腹パンチが剣に当たると、攻撃の軌道が変わり、剣が空高くへと打ち上げられた。


 すかさずヒロは、見えない腹パンチを憤怒へと打ち出し連射する。



「いきますよ!」

 


 ペタンと座わり回復を待っていたリーシアが、勝機と見るや、素早く立ち上がり震脚を踏むと……憤怒に向かって一直線に駆け出していた。十メートル以上離れた距離を一瞬で詰める。



 ヒロが真正面から見えない腹パンチを打ち放ち、背後からリーシアが回復魔法(滅)の光を宿した拳を打ちだす!


 前後から迫る必殺の一撃に憤怒の顔は……笑っていた。



「それを待っていた!」



 二人の攻撃が当たる寸前、憤怒の打ち出していた拳の軌道が変わる。その凶々しい光を宿した拳は、膝をつくヒロにではなく、その手前の地面に向かって解き放たれていた。

 

 地面がぜ大量の土砂が巻き上がると、辺りが一瞬だけ土煙で覆い隠されてしまう。



「視界が!」


「何を⁈」



 リーシアとヒロは巻き上がる土煙によって、憤怒の姿を見失っていた。憤怒は地面に打ち込んだ拳の反動を利用すると、したり顔で横に跳び退く。


 憤怒は最初からコレを狙い、一計を案じていた。

 

 先程から、リーシアが何か仕掛けようとしているのを憤怒は察していたが、あえてそれを無視し気付かぬフリをしていたのだ。


 その間、ヒロの見えない腹パンチを全身に受けながら、気付かれぬよう、少しずつ二人が自分を挟んで一直線になる位置にまで移動していたのである。


 この状況になれば、二人は必ず連携して何かをしてくるはずだと……ならば、逆にそれを利用してやろうと憤怒は考えた。


 自らが逆上し、無謀な突撃を仕掛けたと思わせて剣を投げつければ、必ず男はあの見えない腹パンチとやらで攻撃を防ぎ反撃するはず……その瞬間こそが憤怒にとって、【魔眼ラプラス】から逃れながらも、逆転の布石を打つ最大のチャンスであった。


 同時に女の方は男を助けるため、必ず背後から攻撃を仕掛けるだろうと読んだ憤怒は、ならば自分を囮に背後から迫る女の攻撃を、男に打たせ同士討ちにできないものかと考えていた。


 結果として見事なまでに事は運び、憤怒の口元はニヤリと吊り上げる。



 地面を穿うがつ際に生じた反動を利用して、憤怒が横に大きく跳び退くと巻き上がる土煙の中から、いち早く離脱する。



 土煙に紛れた憤怒に向かって、撃ち放たれる見えない腹パンチと、同じく回復魔法(滅)の光を宿したリーシアの拳……二つの攻撃が憤怒にではなく、ヒロとリーシアに向かって解き放たれてしまった。

 


「そんな⁈」


「止まらない!」



 ヒロの見えない腹パンチが、一直線に大地を駆け抜けて来たリーシアへと撃ち放たれる。そして回復魔法(滅)の光を宿した拳が、ヒロの顔へと打ち込まれるのであった。




〈災厄の策略にハマり、勇者と聖女が同士打ちをした時、二人の口元は吊り上がり互いに笑みを浮かべていた!〉

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