第186話 母と子と……

「お……て、リー……」


「ん……」



 誰かの微かな声が、微睡まどろみみの中にいた少女の耳に届き、深い眠りの海から意識がゆっくりと浮上を始める。



「お起な……ーシ……」


「もう少し……母様……」



 どこか懐かしい声に、少女は無意識に甘えていた。



「もう、お寝坊さんね。ほらリーシア、ちゃんと起きて」


「……ん〜……母様……?」



 肩を揺すられ、薄らと目蓋まぶたを上げるリーシアの目に、ボンヤリと何かが自分を見下ろしている姿が映り、それはリーシアの顔にそっと手を伸ばすと、頭を優しくでてくれた。



「さあ、起きてリーシア……お願い、もうあまり時間がないの」


「えへへへ、母様……もう少しだけこのままで……」

 


 母の温かい手……小さな頃、よくこうやって頭を撫でてもらいながら起こされたのをリーシアは思い出すと、薄らと開けていた目蓋を再び閉じてしまった。



「お願い、早くしないとお兄様が……だからリーシア起きて」


「母様……zzZ」



 優しい声を聞いただけで、リーシアの心は安らぎに満ち、再び微睡の中へ戻っていく。


 

 すると……。



「ビッとしろやリーシア! 寝てる場合じゃねえんだよ! 目を覚まさねえなら、気合い入れっぞ! 気合い! 起きろやダボが!」


「はい! 起きました母様! バッチリ起きました! いますぐにワイバーンと戦えるくらい、バッチリ目覚めました!」



 地面から跳ね起き、頭の天辺から足の爪先までを真っ直ぐにして、直立不動の姿勢をとるリーシア……眠気まなこもパッチリと、声を張り上げて完全に目覚める。



「って、アレ? ここはどこですか?」



 突然聞こえた懐かしい怒声に、体が条件反射で反応してしまったリーシアは、真っ暗で何もない見知らぬ不思議な空間に立っていた。

 


「ふ〜、ようやく起きたわね? まったく、こんな状況で二度寝するなんて……いったいどっちに似たのかしらね?」



 リーシアの覚醒した意識が、目の前で呆れながら話すを見て、記憶の中から類似するものを探すが……少女はそれにまったく見覚えがなかった。


 状況が飲み込めないリーシアは、とりあえず目の前の人物に尋ねてみることにした。



「あの……ど、どちら様でしょうか?」


「あら? この格好と声を聞いても分からない?」


 

 着ている服に見覚えがあった。それはかつて女神教の聖女として、母がいつも着ていた神聖な聖職服であった。

 そして優しく、時に激烈な声……リーシアが聞き間違えるはずがなかった。それは子供の頃に死別した大好きだった母、カトレアの声に相違がなかったのだ。



 だが……リーシアは、その服と声を見聞いても目の前の人物が誰なのか分からなかった。



「お母さんの顔を忘れちゃったのかしら? 子供に顔を忘れられるなんて、お母さん悲しいわ」


「え〜と……まさか母様なんですか? カトレア母様?」



 目の前の人物(?)を見て、リーシアが頭を『コテン』と傾げると沢山のハテナマークが浮かび上がる。



「酷いわリーシア……いくらしばらく会っていないからって、お母さんの顔を本当に忘れちゃうなんて」


「え〜と、私が母様の顔を忘れる訳ありません。目を閉じれば、いつだって母様の顔を思い出せます」


「ええ? ならどうして?」


「どうしても何も……私は、『鳥』を母に持った記憶なんてありません!」



 リーシアの目の前に、聖女の服を着た、まごうことなき鳥が立っていた。正確に言うと鳥に似た何かだった。

 短い手足に長い胴体、小さめの頭にクチバシが付くことで、辛うじてそれが鳥であると判断できた。


 つぶらな瞳を大きく見開き、『え?』という感じでリーシアを見るそれは、ヒロの元いた世界で言えば、『ペンギン』と呼称される動物に酷似していた。



「……リーシア、大きくなったわね。あんなに小さかったのに、こんなに綺麗になって……お母さんビックリしちゃった」


「いやいやいやいや、待ってください! 唐突に話を進めないでください。まだ鳥の姿について話しているとこですから!」


「もう……細かいことは気にしないの。折角の母娘の再会に水を差しちゃだめよ? 困った子ね」


「ほ、本当に母様なんですか? 明らかに私の知っている母様と若干というか、かなり性格が違いますよ! あなたいったい誰なんですか⁈」



『ビシッ!』と、母と名乗る鳥をリーシアは指差すと、鳥がニヤリと目を細め怪しい表情を見せた。



「フッフッフッフッ、さすがね。あの女の娘なだけはあるわ……私の見事な成りすましを見破るなんてね」


「え〜と……本気で言ってます? 頭は大丈夫ですか?」


「ああ! あんたほんとにカトレアの娘なのね! その言い方、あいつにソックリでムカつくわ!」



 謎の鳥の口調が変わり、さっきまでの優しい声色から、ネチネチした嫉妬混じりの声色に変わっていた。

 鳥が声を上げると同時に体に何かがまとわりつき、リーシアは動きを封じられてしまう。



「これは憤怒と同じ闘気? クッ!」



 リーシアが闘気を解放して対抗するがビクともしない。



「それは闘気じゃない、オーラよ。今のあなたじゃ、絶対に抜け出せない。悪いけど時間がないから、手短に話をさせてもらうわ」



 すると謎の鳥が手を振ると同時に、何もなかった真っ黒な空間に、テーブルと椅子が突然あらわれた。


 可愛い装飾が施された白いイスに、同じく丸く可愛いテーブル……その上にはお皿に載った丸い焼き菓子に、花柄のティーポッドとお揃いのカップが置かれていた。



「その前に、私も久しぶりに目覚めたから喉がかわいているの。大好きなお茶を飲みながら話をさせて頂戴」


「え? さっき時間がないって言ってませんでした?」


「黙りなさい! ティータイムが取れずに世界が滅ぶくらいなら、そんな世界は滅んでしえばいいのよ!」



 ハチャメチャなことを言う謎の鳥が器用に椅子に座ると、テーブルに置かれたティーポッドを持ち、カップにお茶を注いでいく。



「ん〜、いい匂い♪ お気に入りのティーセットと大好きな茶葉で淹れたお茶を飲みながら、スッコーンを食べられる日がまたくるなんて……サイコー!」



 赤い液体がカップになみなみと注がれると、ティーソーサーを片手に、優雅な動きで謎の鳥がお茶をついばみ始めた。

 


「このガイヤで、兄様以外に好きになれたものは、このティータイムだけね。スッコーンも美味うまし!」



 お皿に置かれるスッコーンと呼ばれる丸いパンに似たお菓子を、クチバシで挟むと首を上にあげ、一飲みで食べてしまう。そんな鳥を見ながら、リーシアは必死に拘束から抜け出そうと、もがいていた。



「だめです。ビクともしません」


「無駄よ。ただの人が私のオーラの枷から抜け出すなんて不可能だから。少し待ちなさい。別にあなたを取って食べようって訳ではないわ。むしろ力を貸そうと言うのよ? 感謝しなさい」


「力を貸す?」


「そうよ。ふ〜、久しぶりのティータイム……サイコー! さて、待たせたわね。お茶の時間も終わった事だし、本題に入りましょうか」



 リーシアが『ゴクリ』と息を飲み、動かない体の代わりに心を身構える。マイペースと言うか我が道を行くというか……言動がコロコロ変わる、かなり危ない謎の鳥にリーシアは警戒していた。



「時間がないから単刀直入に言うわ。私が力を貸してあげるから、さっさと目覚めて、あの憤怒のバカを止めなさい」


「はい?」


「何度も言わせないで頂戴。私の愚弟、憤怒をサッサと倒しなさいと言っているのよ」


「愚弟? ……あなたは一体?」


「私? ああそうか。アンタと話すのはこれが初めてね。私は災厄のひとり、他者をねたみ、愛する者をそねむもの……人は私を『嫉妬エンビー』と呼ぶわ」



 そう優雅にティーカップをテーブルに置きながら、エンビーは名前を告げた。



「災厄のひとり⁈ エンビー? な、なんでお姉さんが弟である憤怒を倒そうとしているんですか?」


「ん? ああそれはね……アイツが私の大好きなお兄様を封印しやがったからよ! ぶっ殺してやりたいわ! あのクソ兄弟どもめ! ああ……お兄様、ゴメンなさい。あの時、私がお兄様のお側にいれば、あんなことには……不甲斐ない私をお許しください」



 エンビーの瞳から涙が溢れ落ち……それを見たリーシアは……ハテナマークが浮かびまくっていた。



「え〜と、よくわからないのですが、憤怒があなたのお兄さんを封印したから、その報復として私に力を貸してくれると?」


「まあ、そう言うことね。でも力を貸すといっても、私も封印されているから、大したことはできないのよね。せいぜい気絶したアンタを叩き起こして、体力を少しばかり回復してあげるぐらいよ。なぜかはしらないけど、封印されていたはずのお兄様と愚弟が戦っているのよ。急いでお兄様に加勢しないと!」



 その言葉にリーシアが『ハッ!』とする。


「憤怒とあなたのお兄さんが戦っている⁈ 待ってください。ヒロは? ヒロはどうしたんですか⁈」


「ヒロ? あんたのコレ?」



 と、エンビーは右手を上げると、手を器用に折り曲げて親指を立てたような形を作る。



「ヒ、ヒ、ヒロとは、ま、ま、ま、まだそんな関係ないではな『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!』」



 リーシアがヒロとの関係をドモりながら説明していると、突然エンビーが甲高い声で悲鳴を上げていた。



「な、なんですか、突然大きな声を上げて⁈」


「さ、さっきまで感じていたお兄様の気配が消えた⁈ そんな……そんなあわあわあわあわあわあわぁぁあうわぁぁぁぁん」



 狂ったかのようにわめき泣き出すエンビー……テーブルの上をバンバンぶっ叩き、上に乗っていた空のティーセットが全て地面に落ちて割れてしまう。



「クソ憤怒が、私のお兄様に何かしやがったのか! 許すまじ! ぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺す兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き!」



 常軌を逸したエンビーの状態に、リーシアが冷や汗を掻きながら様子をうかがう。



「え〜と〜、だ、大丈夫ですか?」


「うっさい! あんたがサッサとしないから兄様の気配がきえちゃったじゃないのよ! どうしてくれるの⁈ 責任を取りなさいよ! さあ、早く責任をとってよぉぉぉぉぉぉっ! アンタのせいよ! アンタがグズグスしているから! もういいわ! 役立たずなんてもういらない! そもそもあの女の子供に何で私が手を貸さなくちゃいけないのよ! いくら契約だとしても、そんなのってないわよ! なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないのよ! お兄様を返せ! 私とお兄様の幸せな日々を返せ! クソ勇者が! 私をこんな女どもに封じやがって! キー! 許さない! 私以外が幸せな世界なんて許さない! みんは死ぬ! 死んでしまえぇぇぇ!」



 もはや支離滅裂なことを口走り、狂わんばかりの嫉妬に自分を見失うエンビーが、動きを封じられたリーシアの前に歩み出る。



「え〜と……エンビーさん、落ち着きましょう。私に出来ることがあればお手伝いしますから、お兄さんについてゆっくり考えましょう」


「お兄様……ただの人がお兄様をお兄さんと呼ぶなど許すまじ! 許すまじ! 許すまじ! 死ね! 死ね! 死ねぇぇぇ!」


 

 するとエンビーが、リーシアの顔を殴ろうと手を振りかぶると、体が動かせないリーシアは唯一動くまぶたを『ギュッ』と閉じ、衝撃に備えた時だった!



「エンビー、てめぇ! うちの娘に何してくれてんだ! 歯食いしばれや、このダボがぁ!」


「あ、姉御⁈ いや待ってまってえええ、謝るから! 止めて! きゃああああ!」



『ドン』という鈍い音と共に、エンビーの悲鳴がリーシアの耳に届き、『ドスン』と何かが腰から地面に崩れ落ちる音が聞こえてきた。それと同時に体の自由を取り戻したリーシアの耳に、懐かしいドスの効いた声が届く。


「はん! 謝るくらいなら、最初から舐めた口いてんじゃねーよ!」



 そんなはずないと、リーシアは恐る恐る閉じていたまぶたを上げると、そこには……死んだはずの母カトレアの後ろ姿があるのだった。



〈娘のピンチに、元祖聖女ヤンキー……鉄拳のカトレアが現れた!〉

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