第177話 欲望とS領域

 青い物体が、緑鮮やかな草原を疾走していた……いや正確に青い球体が大地を高速で転がっていた。


 草原の草をロードローラのように整地しながら道なき道をガンガン突き進んでいると、亀に似た動物が突如現れ、く手を塞いでしまう。


 亀は球体よりも遥かに大きく、このままぶつかれば質量の違いから間違いなく小さな球体の方が弾き飛ばされてしまうだろう。だが、球体はそんな事はお構いなしと、ブレーキを掛ける素振りも見せず、そのまま亀に激突した!

  

 その瞬間、質量で勝っていた亀が……あろうことか、青い球体にぶちかまされ、突き飛ばされてしまった!

 そのまま宙を飛ばされた亀は、背中の甲羅から地面に叩きつけられるとそのまま姿が消してしまった。


 それを見た青い球体が回転の止めてその場に静止すると、それは二本足で『スッ』と立ち上がる。


 人型のシルエットが草原の世界に現れる。それは青い体毛に覆われたハリネズミのような何かだった……靴を履き、手袋をはめたそれはアソコを隠す素振りも見せず、堂々とした姿でソレは草原の先を見つめていた。


「おい、ヒロ……こいつ変態か? なんでマッパなんだ? アソコを見せて興奮する特殊な奴か?」


 災厄の希望エルビスが画面に表示された大人気キャラ、ゾニッグを器用に翼で指し示しながらヒロに聞いてくる。


 カタカタと机に置かれた二つのキーボードを叩きまくるヒロ……左右に置いたキーボードを両手で同時に操作すると、三台のモニター画面に、目まぐるしい勢いで神代文字が表示されていく。


「いや、お前がそれを言えなよ。お前だって裸だろ⁈」

 

 白黒入り混じるマダラ模様のカラスを見ながら、呆れた口調でヒロが答えと、ゲームゴアに映し出されたゾニッグが再び体を丸めて走り出す。

 

「いや、オレは裸じゃないからな、羽根が大事な一張羅なの! 見よ、この美しき羽根を!」


 するとエルビスが、頭上で翼を広げながらヒロに自らの翼を見せつけてきた。それはまるでボディービルダーが腕の筋肉を強調して見せる時の技、『フロントダブルバイセプス』に酷似していた。


「いや、だったらゾニッグも体毛が服だろう?」 


「いーや、違うね。コイツは本物だ! 靴と手袋だけしているって事は服も着て然るべきだ。なのにコイツは服を着ていない……つまり人に裸を見られて興奮する変態ヒーロー

だ!」


 どっちも変わらんだろうと思いながらも、ヒロの手はキーボードを叩き続ける。


「もう勝手に言っていてくれ。僕はゲームのクリアーと、メインシステムへのアクセスで忙しい。よし、コピーしたルートキットを実行できた。これで僕がデータバンクにアクセスしている状況を隠せるはずだ。次は検索系クラックソフトで膨大なデータの中からリーシアのデータを検索……」


 モニターに映し出される文字が上から下へと高速にスクロールしていく。次々と表示される文字を、ヒロの右目が恐るべき眼球運動で脳に情報を送る。


 そしてゲームゴアに表示されたゾニッグも再び動きを始め、ステージを駆け抜ける。


 二台のキーボードを忙しなく叩きながらも、ゲームゴアに映るゾニッグは華麗にアクションを決め、次々とステージをクリアーして行く。


「しっかし、気持ち悪い動きだな……それ!」


 机の上に座るエルビスが、イスに座るヒロの姿を見てそんな言葉を投げかける。


「さっき覚えたスキル、『ハイパースレッディング』のスキルがさっそく役にたった。これならゲームとメインシステムへのクラッキングの同時進行が可能だし、ガーディアンがセントラルユニットに押し寄せる僅かな時間で、にどうにかなりそうだ」


 ヒロの右目は机に置かれたモニターを凝視し常に視線がアチコチに動きまくり、逆に左目は視線を足元の一点を見つめていた。


 忙しなく動き続ける両手……地につける両足が貧乏ゆすりで地面に鼓動ビートを刻んでいた。

 正確には不規則な動きで小刻みに動く両足の先には……ゲームゴアが置かれていた。


「こんなとこで、二画面同時プレイの技が生きてこようとは思わなかった。世の中、何が役に立つか分からないものだな」


 そう語りながらも、ヒロの両手と両足の動きは止まらない。靴を脱ぎ、素足となったヒロは足元に置いたゲームゴアを、両足の指で器用に操作していた。


「それでよく足を吊らないな? 足の指なんてそんなに動かし続けたら普通吊るぜ!」


「コツがあるんだ」


 エルビスが奇妙なスタイルでキーボードとゲームゴアを操作するヒロを見て少し引いていた。


 足元のゲームゴアの画面を見ながら、モニターに映る異世界OSを操作するヒロ……両目がカメレオンの目のように別々に動き、それぞれの視線は別の場所を見続ける

 その目の動きと手足が別々に動くさまに……災厄の希望エルビスでさえ『気持ちわる!』と、思うほどの姿だった。


「とりあえず、お手製のアプリで検索は出来ているようだが、膨大なデータ量のせいで時間が掛かる……念のため、デコイアプリを起動して時間稼ぎをしておくか」


 検索の片手間にヒロがデコイアプリを実行すると、ヒロの背後に無数のモザイクが現れ人の輪郭を形作っていく。

 モザイクが、いくつもの人型を形作るとモザイクか弾け飛び、その場に何かが立ち並んでいた。


「命令を入力して下さい」


 何者かが声を発し、指示を仰いでくる。その声にエルビスが顔を向けると……。


「ブッハッ! 変な顔しているな。なんだよこれ?」


 エルビスが立ち並ぶ者たちの顔を見た瞬間、吹き出してしまった。とつぜん笑い出したアホガラスに何事かとゲームゴアを操作しつつ、ヒロが顔を横に向けると……そこには顔に『へのへのもへじ』の文字を書いたヒロにソックリな者たちが、待機状態で一列に並んでいた。


 その数、十体……みなヒロと同じ背格好をしていたが、顔の造形だけが残念仕様になっている。

 ヒロがチラリと視界の端に映るオートマッピングスキルの簡易MAPを見ると、緑色の光点が同じく十体分表示されていた。


「なんで『へのへのもへじ』なんだ? まあガーディアンたちの目を撹乱するデコイだからいいか……よし! 全員できるだけこの場から離れ、ガーディアンたちの目を引いて陽動してくれ」

 

「命令を受諾しました。これより陽動シークエンスを実行します」


 一番先頭のデコイが皆を代表して答えると、一糸乱れぬ動きで一斉に部屋の外へと通じる扉へと走り出す。簡易MAPを見ると、蜘蛛の子を散らすようにデコイ達は四方へ散らばって行った。


「これで少しでも撹乱できればいいが……おっ! 中ボス戦だ! ここのボスは強敵だからな……腕が、いや足がなる!」


 すると中ボス戦に入る前に、ゲームゴアから足を離したヒロが足の指をワシャワシャしながら戦いに備える。


「うっは〜、百年の恋も冷める格好だな。俺が人の女ならその姿を見ただけで逃げ出しそうだぞ」


「放っておけ。いまは緊急事態なんだから。リーシアとゲーム……両方を助けるクリアするには、これしか方法がない。僕は目的遂行のためなら、恥なんて苦にも思わないタイプだ」


 明らかに優先順位がおかしいヒロに。エルビスが呆れてヤレヤレと諸手を上げると……。


「いや……明らかにそのゲームッてのをめた方がいいだろ? お前はメインシステムの方に集中してさ、俺がゲームの続きをしてやるよ♪」


 机の上に乗っていたエルビスが羽ばたくと、ヒロの足元へと着地し、ヒロからゲームゴアを奪おうとする……だが次の瞬間、ヒロの口から怒声が上がる。


シャーラップ黙りやがれ! エルビスたとえお前がどんな存在だろうが構やしない。僕を助けると言うならお前が裏でどんな事を考えていたとして目をつぶろう。だがな、僕のゲームプレイを邪魔する事だけは、絶対に許さない!」


 普段の彼を知る者なら、いつもの丁寧な言葉遣いからは想像もできない激しい口調だった。


「へえ〜、やはり俺が何か企んでいることに気付いていたか?」


「当然だ。災厄の希望なんて言い張る存在が、見ず知らずの人に手を貸すなんてありえない。裏があるのがミエミエだ」


「なら話が早い。そのゲームとやらを止めて、メインシステムへのアクセスに集中してもらいたいものだな? どんなに面白いと言っても、所詮ただの遊びだろ?」


「ただの遊びだと! ふざけるなよ! 僕が人生を費やしてプレイしてきたゲームが遊びだと⁈ ゲームを侮辱するなら焼き鳥にするぞ、このアホガラス! ゲームをやった事もない奴が、どうしてゲームがくだらないと分かるんだ⁈ お前は一つのゲームが企画から実際に発売されてプレイ出来るまでに何年掛かると思っているんだ! 平均一年から三年だぞ! 一本のソフトを開発するのに述べ平均三十八人の人手が必要なんだ! 大作ゲームなんて何年掛けて開発するか知っているのか? 大人気大作ソフトのリメイク『帰って来た、ラストファンタジー7』で五年! あの幻の三部作、『ファザー三』に至っては、一作目が発売してから年だぞ、! ここまで来るとクリエーターの怨念すら感じるわ! そんな手間暇かけて作られたゲーム達をプレイ途中で放棄しろ? ふざけんな! ゲーマーとしてそんな暴挙は認めない! 俺はゲームもリーシアも両方を助けるクリアーして見せる! ゲームクリアーを諦めた奴が世界を救う? 俺の中にある勇者って奴は、そんなどちらか一方しか救えない小さなもんじゃない! 勇者ゲーマーとしてガイヤを救うすると決めたんだ。勇者ゲーマーは一度吐いた言葉は飲み込まない。俺のビジョンに失敗の二文字はない! だから覚えておけ! ゲームは俺の魂だ! たとえ誰であろうとプレイを邪魔する奴は許さない!」


 ゲームを馬鹿にされた怒りが爆発したヒロ……抑圧されていた思いが一気に吹き出していた。


「言っている意味はサッパリだが、だいぶ解放されたかな?」


 エルビスがニヤリした表情を浮かべ目を細めていた。


「解放? 何がだ? よしこれでトドメだ!」


 ヒロの足がゲームゴアを巧みに操り、中ボスをちょうど撃破していた。


「お前の心がさ。気づいてないのか? お前の口調が変わってきてることに?」


「口調だと? ……そういえば」


「ふん。だいぶ抑圧から解放されたみたいだな。初めてあった時の『です、ます』口調がなくなってきている。お前の意識は少し歪だったからな……ギュウギュウに綿を詰めたヌイグルミが今にも中から破裂してしまいそうなほどに、心が抑圧されていた。あんな状態で良く精神を保っていられたと感心するぜ。ふつうなら心が弾けて廃人だぞ?」


「は、廃人?」


「ああ。心の中にある欲望を、お前は無意識の内に無理やり押さえ込んでいたんだ。そんでもってS領域に触れることで欲望が肥大化して抑えられなくなったわけだな」


「別に抑えている気はないんだがな……」


「言ったろ? 無意識の中なんだから、お前自身は認識できないのさ。お前はなんか知らんが欲望を押さえつけて生きているな? それが満たされないままでいれば、強過ぎる欲望が暴走して自我を破壊させちまう」


「欲望……僕の場合はゲームか?」


「だろうな。そのゲームとやらができない状況がお前の欲望を肥大化させ、自我がそれを押さえつけていたんだ。それがS領域に触れることで、弾け飛ぶ寸前にまで肥大化した欲望に自我が耐えきれず、拘束を緩めて欲望を解放したのさ」


「それが口調の変わった理由?」


「ああ、お前たち人って奴は、どうにも欲望を悪い事と認識して押さえつける傾向にある。欲望を垂れ流しにするのはマズイが、出し過ぎないのはもっとマズイ。下手したら心のバランスが取れなくなり、自我が崩壊することだってある。大事なのはバランスさ」


 翼で器用に腕を組んだエルビスが、ウンウン首を振りながらうなずいていた。


「バランスか……」


「そ! 無意識下にある欲望と上手につき合えば、憤怒の坊や如きにおくれを取ることもなかっただろうさ」


「あの憤怒にも?」


「欲望ってのは強いんだぜ? 生物が持つ単純な原初の欲求が欲望だからな。食欲や睡眠欲、このどちらか一つでも我慢して生きられると思うか?」


「無理だろう。食べなければ人は餓死するし、寝なければ体が変調をきたす」


「そう。生きる上で絶対に欠かす事ができない欲望だ。この欲を満たすために、自我が押さえつけていた欲望の拘束を緩めるのさ。結果、欲望が意識下に溢れ出すと同時に、魂のリミッターも緩められ、抑圧された欲望が解放されるって寸法だ。解放された欲望は強力だぞ〜。神が強過ぎる力は身を滅ぼすって、魂にリミッターを掛けたくらいだからな」


「欲望が……そうか、リーシアの鬼化も」


 怒りを溜め込み、母親の死の場面を思い出すことで爆発的な力を解放する鬼化……エルビスの話から、ヒロはリーシアの使う鬼化がこの原理基づくものだと気がつく。


「強過ぎる欲望を無意識に自我が抑えつけて力を制限しちまってる。もし自我をコントロールして欲望を使いこなせれば、あのマザコン坊やなんて目じゃないね」


「だけど欲望が力になるって……」


「欲望を馬鹿にしちゃならないぜ。欲望は生きる原動力だ。生きるとは欲することなんだよ。本能が求めるが故にそれを成さんがため、あらゆる制約を振り切って限界以上の力を発揮しちまう」


「身の危険が迫った時に、信じられない力を発揮する火事場の馬鹿力みたいなものか?」


「火事場の馬鹿力? よく分からんが似たような意味だな。ようは欲望には力がある。だがその力を発揮するには、一定量の欲望が必要なんだ。そしてその量に達するには、魂のリミッター解除が必要不可欠って訳だ」


「それでいま自我のリミッターが緩められ、僕の自意識に欲望が溢れ出していると?」


「そう言う事だ。このS領域がお前の欲望を肥大化させ、その結果が、『です、ます』口調でなくなった理由なのさ」


「そうか……ならこの力を使えば憤怒を」


「いや、これだけじゃ憤怒の坊やを倒す事はできないな」


「なんでだ?」


「言ったろ? 憤怒はメインシステムにバックアップを取られている。いくら肉体や魂を破壊したとこでバックアップさえあれば、いくらでも復活ができる」


「無限コンテニュー可能なのか? そんな奴をどうやって倒せば……」


「そこで取引だ」


「取引?」


「そそ! お前の拡張されたS領域に俺の意識を潜り込ませてくれ。そうすれば俺はお前を通してガイヤに干渉し、憤怒の坊やを二度と復活できないようにしてやるよ」


「……その見返りはなんだ?」


「ん〜、いまはまだ話せないな。だが、お前との利害は一致しているから悪いようにはしない。信じる信じないはお前次第だが、これだけは言える……おれ抜きで憤怒の坊やと戦っても、勝つ事はできるだろうが倒す事はできないぞ」


 その言葉にヒロは考え込んでしまう。仮に欲望の力で憤怒を勝てたとしても、憤怒の紋章が継承されてしまえばまた振り出しに戻り、魂まで破壊できてもバックアップから何度でも蘇ってしまう。無敵に近い存在……それをエルビスは復活できないようにすると言い放った。


 エルビスの企みは分からないが、いまのヒロにとって選択肢を選んでいる余裕などなかった。

 

「……いいだろう。その提案に乗ってやる」


「よっしゃ! 言質とったど〜! 今さらなしはダメだからな! いや〜、やっとこのクソ退屈な世界から抜け出せるぜ! ヒュッホ〜イ!」


 ヒロの言葉にエルビスが机の上で小躍りを始める。その間にもヒロの足はひたすらゲームゴアを操作してゲームを進行していた。


「それで具体的にはどうやって憤怒を『ピー! ピー!』」


 モニターに内蔵されたスピーカーから、甲高い警告音が鳴り響く!


「なんだこの音?」


 エルビスが突然鳴り響いた警告音に驚き、耳を翼で塞ぎながらヒロの顔を覗くと……ヒロが喜びに満ちた表情を浮かべて答えた。


「ついに……ついに辿り着いたぞ! あと少し! あと少しだ! 待っていてくれ!」


 ヒロの猛りと共に、電脳世界で繰り広げられた戦いも佳境へと突入する。そして足元にあるゲームゴアの画面もまた……最終ステージへと突入して行くのであった。


勇者ゲーマーよ! ゲーム世界と少女を救え!〉

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