第78話 ヒロとぶっ飛び聖女伝説!

「ヒール……ヒール、ヒール! もう! なんで使えないの?」



 人気がない路地裏で、小さなリーシアが回復魔法を使おうと悪戦苦闘していた。



 屈んだリーシアの足元には、痛みで力無く声を上げる猫が横たわっている。どうやら高いところから誤って落ちてしまい、右の後ろ足をケガしてしまったようだ。


 たまたま路地裏の前を通りかかったリーシアが、猫の上げる悲痛な声に気がつき、猫を保護していた。



「大丈夫よ、私は母様の子なんだから……必ず助けてあげる」 



 リーシアは猫を助けるため、まだ成功した事がないヒールを、見様見真似で猫に使おうと呪文を唱える。



「ヒール! ヒール! ヒール! ヒール!」



 だが、魔法は発動しない……子供が魔法のキーワードを口にしたくらいで使えるほど、ガイヤの世界は甘くない。


 魔法を使うには、自らが持つ魔力と共に、正確に思い描いたイメージを世界に浸透させる必要がある。

 そして最後の言葉をキーワードとして唱えた時、初めて世界に魔法が発現するのだ。


 リーシアのように、ただ最後のキーワードを唱えるだけでは、当然魔法が発現することは決してない。


 だが幼い子供に、それを理解させるには無理な話だった。リーシアは一生懸命、猫を助けようとヒールを唱え続けるが、一向に発現しない魔法に苛立ち始めていた。



「ヒール! なんで母様みたいにヒールが使えないの? 聖女と呼ばれる母様の子なのに……」


 

 それは幼いリーシアにとってのコンプレックスだった。リーシアが物心ついた時から母は聖女と呼ばれ、人々から敬われる姿を見てリーシアは育った。人々を癒す事で尊敬と感謝される母の姿に、幼いリーシアは憧れを抱くのは当然のことだった。


 将来の夢……子供なら誰もが思う憧れに、リーシアは母と同じ道を望んだのだ。


 

 聖女として母が人々に敬われる最大の理由……富む者も貧しい者も貴賎きせんに関係なく、回復魔法を使い、人々を癒やす姿にリーシアは憧れた。


 いつも母に連れられて、治療の様子を見ていたリーシアは、ヒールの声を上げ、回復魔法で怪我人を癒し感謝される光景を見て、いつか自分も母のようになりたいと思うようになるのは当たり前のことだった。


 母がいつも使うヒール……その言葉を真似て、足を怪我した猫を助けようと、幼いリーシアはヒールの声を上げ続ける……だが、いくら声を上げても回復魔法は発現せず、時間の経過と共に、猫の鳴き声がだんだんと弱くなっていく。



 リーシアがそんな猫の様子を見て、頭を撫でながら猫に語りかける。



「やっぱり私じゃダメだ……ごめんね。痛いよね……すぐに母様のところに連れて行って、治してもらうから、少し我慢して」


 リーシアは、その小さな腕で猫を優しく大事に抱きかかえる。猫が動かす時に痛みで声を上げ、暴れるかと思っていたが意外に大人しくしている。


 リーシアに抱きかかえられた猫は、さっきまでの痛みの表情から一転、痛みなんて何にもないような呑気な顔でリーシアの手を舐めていた。


 

「痛くない? よかった。じゃあ一緒に、母様のいる教会に行こう」



 できるだけ猫を動かさないよう、リーシは慎重に歩き始め、暗い路地裏から街の大通りへと抜け出す。


 夕方前の大通りは人でごった返し、活気に満ち溢れていた。足の遅い幼い子供が一人で歩くには、注意しないといけないほどの往来がそこにはあった。



 普段のリーシアなら母の言いつけを守り、一人の時は、周りに注意しながら歩くようにしていた。しかしこの時は、腕の中でスヤスヤと眠り始めた猫に気を取られ、前から来る冒険者の気配に気づいていなかった。


 『ドン!』と前を見て歩いていなかったリーシアに、何かがぶつかり……そのまま後ろに尻餅をついてしまう。

 


「キャッ!」


「にゃ!」



 咄嗟とっさの事だったが、リーシアは猫を放り投げず、手に抱いたまま猫を転倒から守る事ができた。


 あまり速度を出して歩いていなかったのが功を奏し、尻餅をついた際にお尻を強く打ったくらいで、大きな怪我はなかった。


 腕の中の猫が無事なのを確認すると、リーシアは顔を前に向け、不注意で自分とぶつかったものを見ると……。




「痛えな〜、嬢ちゃんなにしてくれてんだ? あ〜ん?」



 柄の悪そうな冒険者風の男が、リーシアを見下ろしていた。


 顔に大きな傷を付けたモヒカン刈りのいかつい男が、幼い子供相手に凄んでいた。



「ご、ごめんなさい。前を見ていなくて……」


「いや、嬢ちゃんよ? ごめんで済んだら衛士なんて要らないんだよ? わかるか? なあ!」



 大きな声を出して凄む目つきの悪い冒険者は、リーシアに威圧的な態度で声を掛ける。


 猫を抱いたまま、立ち上がるリーシア……。



「この子を見ていて、ぶつかってしまいました。ごめんなさい……あっ、ダメ!」


「フシャー!」



 リーシアが再度頭を下げて謝っていると、腕の中にいた猫が声を上げ、モヒカン頭の冒険者を威嚇し始めた。


「なんだこの猫は? 生意気にも俺にたて突くのか? 嬢ちゃんしつけがなってねえな? これからクエストに向かう所なのに、お前達のおかげでケチがついちまったよ? どうしてくれるんだオラ!」



 モヒカン頭が子供相手に声を荒らげて脅し始めた。


 流石に周りの人々も、小さな子供が柄の悪い冒険者に絡まれているのを無視するわけにはいかず、通りかかった商人が男を止めに入る。



「おい、あんた……小さな子供のした事なんだし、それくらいで……」


「はあ? うるせえな! おまえこのガキの関係者か? なら弁済しろよ。このガキのせいでクエストに行くのにケチが付いちまったからよ? もう今日は帰るしかなくなったちまったよ。だからクエストの成功報酬金貨1枚を、おまえが払えよ? なあ!」


「き、金貨1枚ってそんな、B級クエスト並の報酬じゃないか!」



 商人が驚くのは無理もない。金貨1枚といえば、ガイヤの一般家庭の年収の2〜3年分に相当する。そんな金額を1回のクエスト報酬で得られるなど、Bランク以上のクエストでしかあり得ない。


 Bランクのクエストを受けられるのは当然Bランク冒険者だけ……街の中でも数名しかいない実力者のはずだが……どう見ても目の前のモヒカンが、Bランクの冒険者には見えない。



「なんだ? 俺が嘘を吐いているとでも? ああん?」


「いや、別に私は……その子とは何の関係もない。し、失礼する」


「ケッ、邪魔すんじゃね〜よ! そう言う事でお嬢ちゃん、金貨1枚払ってもらおうか? 親はどこだ? 特別サービスで、家までついて行ってやるよ!」



 モヒカンがリーシアの手を無理矢理に掴もうと、手を伸ばすが……。



「嫌っ! 触らないで!」



 リーシアは男から逃れるように、手を振り払い後ろに下がる。



「お〜痛え! お嬢ちゃんのせいで、また怪我しちまったよ。これは当分クエストに行けねえなあ、おまえの親にこの分も請求しないとな!」



 モヒカン頭が少し触れた程度の手を、さも痛そうにさすり、ニヤつきながらリーシアの顔を見下ろしていた。



「あなたが私に触ろうとしたからじゃない!」


「関係ねえよ! サッサとお前の親のいる所まで案内しろよガキ!」



 モヒカン頭とリーシアのやり取りを、大通りにを行き交う人々が何事かと集まり、二人を中心に人垣ができ始めた。



「なんだ? どうした?」


「子供が冒険者に絡まれてるぞ」


「不注意でぶつかったみたいだな」


「あのモヒカン、最近街にやってきたガラの悪い奴だな」


「アイツか……ソコソコ強くて、ここいらのワルを集めてやりたい放題やっている」


「たしか実力はDランクらしいけど、素行が悪くてランクが上がらないんだろ?」


「可哀想だが、関わらない方が身のためだ」


 ヒソヒソと話す人垣の人々は、様子を見るために立ち止まるが、相手が悪いとすぐに離れて行ってしまう。



「ガキは言う事を聞けや!」


「痛い!」



 モヒカン頭が手を再び伸ばし、逃げようとするリーシアの片腕を今度こそ掴み、片手で吊り上げる。


 リーシアは空いた手で、猫を落とさないようにシッカリと胸に抱いていた。


 体重の軽い子供とはいえ、片手で無理矢理吊り上げられるリーシア……肩が抜けてそうになる痛みが幼い子供を襲う。



「さあ、家はどこだ? それとも宿か?」


「痛いよ……母様、助けて」



 モヒカン頭がリーシアの顔を、目の前にまで吊り上げて話し掛けていると――。



「リーシア!」



――人垣をかき分けて、一人の女性がモヒカン頭とリーシアの前に現れた。



「母様!」


「リーシア! 手を離して下さい! 娘が痛がっています!」


「ほう、母親か? ふ〜ん……これは楽しめそうだな」



 男はリーシアの握った手を乱暴に振るい、母親であるカトレアに投げつけた。


 カトレアは勢いをつけて投げられたリーシアを優しく受け止めると、そっと傍に降ろし我が子の無事を確かめる。



「リーシア、よかった。もう大丈夫ですよ。痛い場所はない?」


「私は大丈夫。それよりもこの子が……」



 カトレアの問いに、自分よりも怪我した猫を心配して母に見せる。



「まあ、足を骨折をしているようね。このままヒールしたら骨が曲がったままつながってしまうわ。まずは整骨してズレた骨を正しい位置に戻してあげないと……」


「母様、この子は治らないの?」


「リーシア大丈夫よ。すぐに元気になるから」


「よかったね、すぐに治るって」


「にゃ〜」



 リーシアが猫を見ながら喜ぶと、猫が返事を返してくれた。



「オウオウ! 喜んでいる所、悪いんだけどよ? そっちのガキがした事の落とし前をつけさせろや!」



 モヒカン男が声を荒らげて、カトレアとリーシアを凄みながら近づいてくる。



「落とし前? うちの娘があなたに何かしたのですか?」


「そっちのガキが俺の前をよそ見して歩いて来て、ぶつかったんだよ! おかげでクエストに行けなくなっちまった。どうしてくれる? こっちは金貨1枚の報酬がオジャンになっちまったんだ! 親なら弁済するのがすじってもんだろ?」


「娘があなたにぶつかった事は謝ります。大変申し訳ありません」


「へえ〜、素直に認めるのか? じゃあ金貨1枚もすぐに払ってもらおうか?」



 モヒカン頭はすぐに非を認めた母親に、弁済金の支払いを求めるが……。



「ですが、クエストを達成していないのに報酬である金貨1枚の弁済は法外です。クエスト失敗時のペナルティー金額なら納得できますが、達成していないクエスト報酬を支払ういわれはありません」



 カトレアは毅然きぜんとした態度で支払いを拒否する。



「はあ? 分かった。じゃあ違約金だけでも払ってけや! 違約金、金貨1枚だ」


「金貨1枚の報酬クエストに金貨1枚の違約金? 失礼ですが冒険者ギルドまで行って確認させてください」


「はあ? まるで俺が嘘を言っているみたいじゃないかこのアマ! こっちはそのガキに怪我まで負わされたのによ」



 モヒカン男の恫喝にリーシアが驚き、カトレアの服をシッカリと掴む。



「娘があなたに怪我を?」


「そうだよ。手に怪我しちまってよ。お〜痛い痛い!」



 男が大袈裟に手を振りながら、カトレアとリーシアにこれ見よがしに怪我した手を見せる。



「リーシア本当ですか?」


「私に触ろうとしたから、避けた時に手が少しぶつかって……ごめんなさい」


「ほらな。そのガキが悪いんだよ。さっさと金を払え! 金がねえっていうなら……へへ、おれも鬼じゃねえ、一晩おまえの体を使わせてもらえれば、チャラにしてやるよ!」



 下卑た顔をするモヒカン男のイヤラシイ視線が、カトレアの体にまとわりつく。


 周りにいた野次馬も、さすがにただならね雰囲気を感じ始めていた。



「おい、いくらなんでも……」


「まずいだろ」


「可哀想に」


「衛兵は巡回していないのか?」


「ん……待て、あれって聖女様じゃないか!」


「ああ、本当だ! 間違いなく聖女様だ」


「だとすると……」



 にわかに聖女がガラの悪い冒険者に絡まれていると、周りが気付き始めた。



「どんな理由があれ、娘があなたを叩いてしまった事は謝ります。リーシアあなたもです」


「……ごめんなさい」


「娘が申し訳ありませんでした」



 リーシアとカトレアの二人が頭を下げて謝る。



「謝罪なんかいらねえ! こっちはこのガキのせいで怪我しているんだぞ!」


「怪我を見せて頂けますか?」


「おら! こっちの手の甲だよ!」


 怪我したと言う手を見せるモヒカン男に……


「それでは治しましょう。ヒール!」



 カトレアが手をかざし、呪文を唱えると白い光がモヒカン男の手を覆うとすぐに消えてしまう。


「ヒールさせて頂きました。これで怪我は治ったかと」


「なっ! 勝手に怪我を治すんじゃねえ! ふざけんな!」


「ふざけてなどはおりません。怪我した人がいるならば癒すのが私の役目です」


「お金は払うなら冒険者ギルドであなたが受けたクエストを確認して、その違約金をお支払いさせて頂きます。一緒に冒険者ギルドにまでお願い致します」


「だまれ! だまれ! だまれ! お前は黙ってその体を差し出して、俺を楽しませればいいんだよ!」



 まるでタダをねる、小さな子供のみたいに喚くモヒカン男は、ついに腰に差した剣を往来で抜いてしまう。



「もう謝ったって許さねえぜ! 俺をコケにしやがって! もうゆるさねえ! ガキはぶっ殺して、おまえはベットの上で後悔の涙を流させてやるよ! 違う涙かもしれないがな! ヒャハッハッハッハッ」


「おい誰か!」


「まさかこんな往来で!」


「早く! 衛士を呼んでこい!」


「聖女様……」



 周りの野次馬は、ただ静観するだけで誰も動かない。むしろ人垣だけがドンドン大きくなっていく。



「まずはガキから死ねや!」



 男が剣を振りかぶりると、カトレアの横にいるリーシアに狂剣を振り下ろす。


 リーシアが目をつぶり、振り下ろされた狂剣から猫を庇うため、背を向けて体を丸めると……次の瞬間、モヒカン男が天高く垂直にぶっ飛んだ!


 

「はぁ? テメェ、なにうちの娘に手を出そうしてんだ! 覚悟できてんだろうな? オイ!」



 恐る恐る目を開き振り向いたリーシアは見た。さっきまで優しく慈愛に満ちた母が……聖女ヤンキーと化した姿を!




〈ぶっ飛び聖女伝説はまだ続くんで、そこんとこ!〉

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