第66話 絶望に涙しろ!

 集中しろ!

 オークヒーローの防御は何なのかを。まずは情報を頭に書き出して整理しろ!


 ・あれはおそらく、なんらかのスキルか能力。

 ・あらゆる攻撃を防ぐのではなく弾く。

 ・打撃、斬撃、刺突は確実に弾かれた。

 ・魔法が使えないため、物理以外の攻撃は試せていない。

 ・同時攻撃も時間差をつけた攻撃も弾いしまう。

 ・防御出来る継続時間は不明。

 ・すでに数百発の打撃を弾いている時点で、回数制でない事は明白。

 ・体の正面だけでなく、背面への攻撃も弾く事から、おそらく全方位を防御している可能性が高い。

 ・リーシアが打ち出した勁の力は体の中に流し込めない。

 ・謎の防御は皮膚を触る事が出来るが、皮膚の表面で敵意がある攻撃だけを弾いている。

 ・リーシアの最後に放った朔月覇神掌は、目に見えないスピードの突きでオークヒーローも反応出来ていなかったが、弾かれた。つまり意識しなくても、防御スキルは常に展開されて弾き続けている。


 集中しろ!

 リーシアが放った最後の一撃前の場面を思い出せ!

 あの攻撃は特別なものではなく、普通に牽制として放たれた虚の攻撃だった。

 虚の攻撃で弾く意味がないから弾かなかった?

 なら数百発と打ち込む他の打撃を弾くのはなぜだ?

 あの一発だけが弾けなかった?

 

 集中しろ!

 オークヒーローはあの時、どんな行動をしていたか思い出すんだ。


 確かあの瞬間……そうだ、あの時オークヒーローの鼻が動いて、声を上げていたばずだ……鼻が動く?

 自分が鼻を動かす時はどんな時だ……当然、鼻の機能を使う時……ならその鼻の機能とは?

 匂いを嗅ぐため?……リーシアはイイ匂いはするが……オークヒーローが匂いにうるさいマニアで、闘いの最中、我慢できなくなって思わずリーシアの匂いを嗅ぎにいってしまった?……絶対にない!


 体に入る有害な物質を鼻毛で吸着するため?……花粉症? ウィルス? 病原菌? マスクがないから、鼻呼吸で健康に気を使うオークヒーロー?……腰蓑一枚で、引き締まった筋肉が健康さをアピールしてはいるが……ないわ!


 ん?……鼻呼吸?……呼吸……そうか、あの時オークヒーローは呼吸をしていたのか!

 鼻を使う機能の一つ……鼻呼吸だ!

 あの時、短いがハッキリと声も上げていた。

 体に溜まった二酸化炭素を一気に吐き出して、空気を鼻から吸っていた。

 おそらくソレがあの謎防御の発動条件なんだ!


 集中しろ!

 呼吸が発動条件なら、呼吸をするタイミングで攻撃すれば……だが、どうやってそのタイミングを把握する?

 息を止められる限界時間は?……少なくとも一分以上は息を止めて闘い続ける肺活量がある。

 スキルを切らす時間は?……ほんの一瞬、ニ秒にも満たない。


 その一瞬に、オークヒーローを一撃で殺せるだけの威力のある攻撃を当てられる可能性は?……現実的に難しすぎる。オークヒーローのHPは未知数だが、あの身体能力を考慮すると、一撃で倒すだけの攻撃を一回で決める事は不可能に近い……激オコ状態で身体能力が上がったリーシアでさえ、回避で攻撃を凌いでいる状態なのに。


 リーシアの激オコ状態は、時間制限がある事をヒロは知っている。おそらくリーシアはバレていないと思っているだろうが、ヒロは体を動かす事で、体に溜まり続けていくダメージを見抜いていた。強大な力に体がついて行けず、自滅の道を歩んでいる事に……。


 もう、呼吸のタイミングを図るため、無駄な攻撃を行うことも出来なくなってしまった。


 残る手は、ヒロが呼吸のタイミングを測り、リーシアに最後の攻撃を託すしかない。


 だが果たしてオークヒーローの攻撃を、凌ぎ切れるかどうか……一撃でももらえば待っているのは死……自分一人だけなら諦めもつくが、失敗すればリーシアの命も危ぶまれる。他人の生命の重さが、鉛の様にヒロの肩にズシリと重くのし掛かった。


 体が動かない……さっきまで対峙して闘っていたオークヒーローが急に恐ろしいものに見えてしまった。


 ヒロの体が恐怖に震え、動かなくなる。


 もはや、オークヒーローに勝てる見込みは皆無となり、逃げる事も難しくなってしまった……そしてヒロの集中は限界を迎え、元の時間スピードへと強制的に戻されてしまう。



「そんな……僕の考えが正しいのなら、今の僕らでは、絶対に勝てない」

 


 鬼の耳にヒロの弱々しいつぶやきが届いてしまい……次の瞬間、信じられない言葉がヒロの口から吐き出された。



「リ、リーシア、に、逃げましょう!」


「ヒロ……何を……」



 突然のヒロの弱気な言葉に、鬼は戸惑いを隠せない。


 いつも笑いながら困難な敵に立ち向かってきたヒロからは、想像もできない姿に鬼は悟ってしまった。ヒロが今ある状況を打開しようと思考し導き出した答えが……オークヒーローを倒すのは不可能であり、逆転の道がないと判断を下したのだ。



「ブヒブヒィィィィ!」



 気合いを入れて渾身の力を入れたオークヒーローが、ついに地面にめり込んだハルバードを抜き出した。


 ハルバードを肩に担ぎ二人を見据える顔は、『さあ、殺し合いの続きだ!』と言いたげだった。


 ヒロがオークヒーローの顔を見ると、無意識のうちに足が後退りを始めていた……そして森の凹凸な地面に足を取られ、バランスを崩し転倒してしまう。


 地べたに腰を落とし、恐怖で足がうまく動かなくなるヒロ……少しでもオークヒーローから逃げようと、動かない手足を無理やり動かし、無様や姿をさらけ出す。


 思考の果てに導き出した答えが、ヒロの心を挫いてしまっていた。


 ヒロは異世界ガイヤに転生してから、何度も命のやり取りを行なってきたが、それは全て勝算があって挑んだ戦いでしかなかった。


 トントン拍子に勝ち続け、常に勝機がある戦いしか経験した事がないヒロ……当然、勝算がない戦いに挑んだ事などありはしない。


 絶対に勝てない相手と勝算のない命のやり取りに、ヒロは逃げる選択肢を選ぶことができず、オークヒーローに対する恐怖に心を支配されると、体が思うように動かせなくなってしまっていた。

 

 冒険者ギルドのマスターであるナターシャの危惧していたことが、最悪な形で現実のものとなってしまった。


 ナターシャは、斧使いゼノンとポテト三兄弟とのイザコザのペナルティーとして、ヒロに調査クエストを受けさせていた。


 それはトントン拍子に勝ち続けるヒロの目の前に、絶対に勝てない強敵が現れた時を思ってのことだった。


 絶望に飲み込まれ、命を落とす事態になりかねない局面に遭遇した時を想定して、調査クエストを受けさせたのだが……完全に裏目に出てしまった。


 絶対に勝てない敵と相対あいたいした時、人はどうなるのか……大抵の冒険者は、死の恐怖に飲み込まれ動けなくなってしまう。


 逃げるべきだと分かっていても、恐怖に体を支配され思うように体が動かせなくなるのだ。


 これがまだ自分より少し強い敵なら、まだ何とかなる。クエストはパーティー単位で受けるものだから、仲間がいれば乗り越えられるだろう。


 だが、初めて遭遇した危機がパーティー全員で掛かっても勝てず、逃げ出すのも困難な場面で恐怖に心を支配された時、人は戦うのはおろか、ろくに逃げ出すこともできなくなる……そうなった者の末路は死しか待っていない。


 真の強敵に出会うまでに、これを体験していれば最悪、体を動かし逃げ出すことができたであろう。今のヒロのように、無様に逃げ惑うことはなかったはずだった。



「く、来るな……リーシア助けて!」


「ブヒィ?……ブヒィィ!」



 そんな恐怖に屈した、情けないヒロの姿を見たオークヒーローが、『なんだ? やはりお前もか!』と怒りの表情を浮かべていた。


 肩に担いだハルバードを両手で持ち、ヒロに近づくオークヒーロー……ズシリとした重い一歩が、ヒロにとって天国ならぬ、マナの流れへの階段となり、死神の足音として聞こえていた。



「ごめんリーシア……僕にはこいつを倒すすべが思いつかなかった……ごめん」



 恐怖に屈したヒロは、オークヒーローを倒す方法が考えつかず、生き残る術がないことをリーシアに告げて謝る。

 


「くるな! くるなああああ! 死にたくない! 僕はまだ死にたくない! まだ死にたくないんだ! 助けて! 誰か助けて!」



 ヒロの前に立つオークヒーローは、涙を流し情けない姿で今もなお、無様に逃げようと仰向けに後退するヒロに向かって、ハルバードを振り上げる。


 先程まで勇敢に闘っていた者と同一人物とは思えない……あまりの変わりように、オークヒーローはガッカリしていた。


 自分の強さに敗れ死に逝く者に、敬意を払って殺すオークヒーローだったが、今のヒロの姿はあまりにも惨めだった……情けない姿を一秒でも見ていたくない。オークヒーローは恐怖に屈したヒロに最後の引導を渡すべく、ハルバードを両手に握り振りかぶる。

 


「ブヒィィィ! ブヒブヒィ! ガッガリダ! ブヒィィ」



 それは戦士として闘った者へ語り掛ける、落胆の声だった。



「ブヒィ! 『音叉波動衝!』ブヒヒ⁈」


 その時……オークヒーローが頭上高く掲げたハルバードを振り下ろそうとした瞬間――いつの間にかオークヒーローの間合いの内側に鬼が立っており、無防備な姿を晒していたオークに、必殺の一撃が解き放たれる!



〈涙を流して懇願していたヒロの口元が……吊り上がっていた!〉

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