第55話 勇者の夜は未だ開けず

「リ、リーシアさん……あ、あのですね……」



 ミミックとの戦いを終えたヒロの目の前で、リーシアがにこやかに……怒っていた!



「彼女を介抱します。ヒロは後ろを向いて、周りを警戒してください」


「は、はい。分かりました……」



 ヒロの直感が警鐘をガンガン鳴らす……逆らってはならないと!



「ヒロ、あとで話があります。いいですね?」


「はい……申し訳ありませんでした」


「何を謝っているのですか? 助かったのですから、素直に喜びましょう。胸に見とれて殺されかけた変態ヒーローさん!」



 ここ数日、リーシアと共に過ごす内に、声の抑揚としゃべり方から何となく感情の機微が分かるようになってきた……今の彼女の状態は激オコである!


 顔は笑っていたが、目が笑っていない……汚物を見るような冷めた視線がヒロに突き刺さる!

 

 だがそれも仕方がない話だった。十五歳という、少女の域をまだ脱し切れていないリーシアの目から見ても、さっきののヒロの姿は情けなかった。

 ミミックとは言え、他の女性の胸に見て鼻の下を伸ばすヒロのダラしない態度に、文句の一つも言いたくもなる。


 さりとて、胸を見たくて見たわけではなく、不可抗力で見せられた事もリーシアは理解していた。


 だが胸を凝視して、チラチラ見てない振りをするヒロ姿を目の当たりにすると、なぜかリーシアの心の中にモヤモヤとした感情が湧き上がり、やがてその感情はイライラに変わっていた。


 リーシアは、自分でもよく分からない感情に戸惑いつつも、とりあえずこの気持ちの元凶であるヒロに対して、あとでこの感情をぶつけることにする。


 逃れられぬ運命を素直に受け入れるしかないヒロは、リーシアの言葉を素直に聞き入れ、後ろを向いて周りを警戒する。


 リーシアは自分の背負った革のリュックの中から、予備のフード付き外套を取り出すと、裸の女冒険者の肩に掛け、変態の視線からあられのない裸体を隠す。



「安心して下さい。もう大丈夫ですよ。」


「わ、私た……助かったの? 生きて、生きているの?」



 リーシアが優しく話し掛けると、女性は助かったことを信じられず、いまだ恐怖で体がガタガタと震えさせていた。


 ミミックによってあちこちの皮膚が溶けいる痛々しい怪我を見たリーシアが、腰のベルトと一体になったポーションホルダーから液体の入った筒を取り出す。



「怪我をした箇所にポーションを掛けますよ? いいですか?」


「……お願い」


 

 リーシアは、取り出した筒のフタを開けると、怪我をした箇所に中身を掛けていく。



つう……」



 ポーションを掛けた傷口から発する痛みに顔をしかめ、女性冒険者は痛みに耐えていた。


 ポーションを使用する方法は二通りあり、傷に直接掛けるか飲むかを選択して使用する。

 傷に直接掛ける場合、急速に怪我を治すため、かなりの痛みを伴う。逆に飲む場合は、ゆっくりと傷を癒す代わりに痛みはない。


 飲む方が痛みはないのだが、ほとんどの冒険者は傷にポーションを掛ける方を選ぶ。その訳は……ぶっちゃけ不味いからである!


 回復を優先するため、味が重要視されていないポーションはとにかく不味い。人によっては、コレを飲むくらいなら死を選ぶほど不味いのだ。


 それにポーションの飲むにも、人間が一度に飲める水分量には限界がある。大量にポーションをカブ飲みしてゴリ押し回復で敵を倒すみたいな戦い方はできないのである。

 

 その結果、ガイアの世界では怪我にはポーションを掛ける派が大半を占めるのである。



 溶けた皮膚にポーションを掛け終えると、リーシアがリュックから包帯代わりに清潔な長い布を出し、大きく怪我をした箇所に巻いていく。

 


「これでとりあえず、大丈夫ですね。立てますか?」


「え、ええ、一人でも立てるわ……」



 ケイトは借りたフード付きの外套の前を、両の手でしっかりガードして立ち上がる。


 

「助けてくれてありがとう。私の名前はケイト……」


「私はリーシアです。あっちの変態はヒロと言います。エッチですから、気を付けてください。変なことしてきたら、斬り殺しても構いません。ミミックの擬態した偽胸に見とれて死に掛けた人ですし……問題はありません!」

 

 まだオコ状態のリーシア……辛辣な紹介に意を唱えるため、ヒロは振り向こうとするが。



「こっちを向いたら、腹パンチですよヒロ!」


「はい!申し訳ありません!」



 ヒロは、一本の棒が背中に刺さったみたいに、背筋を伸ばし手をピンとして謝る!

 アルムの衛士ラングのアドバイスが、ヒロの頭の中で繰り返し再生されていた。

 

「余計な事は言わずに真っ先に謝れ……言い訳をせずに黙って謝れ……罵られようがとにかく謝れ……殴られようが謝り通せ……怒っている理由を絶対に聞くな、誠心誠意謝れ……同じ過ちを犯さないように全力で謝れ……」

 

 ヒロは、人生の先輩であるラングの言葉に従い、下手に逆らわず、謝り通すことにする。

 

 そんな二人のやりとりを見て思わず『プッ』と笑い出してしまうケイト。



「え〜と……とりあえず、このままじゃ話ができないから、服を着るわ」


「そうしていただけると……あっちの変態とも、話をしなければなりませんから」



 ケイトは焚き火のそばに置いておいた自分のバックパックから、予備の服を取り出すと素早く着替え始めた。


 長袖と長ズボンを着ると、厚手の靴下を2足取り出し、二重に重ねて履く。ミミックに靴まで溶かされたケイトは、当然予備の靴を持ってまでクエストには挑んでいない。素足で森の中を歩くよりはマシと思い、靴下を二重に履く。


 地面に落としたクレイモアを鞘に戻し肩に担ぐと、リーシアとヒロに声を掛ける。


「もう、コッチを向いても大丈夫だよ」


「変態さん……変なことしないでください。いいですね?」


「分かっています!」


 ようやく、ケイトと話せる状態になったヒロは、リーシアのジト目に耐えながらも話を進める。


「改めて、助けてくれてありがとう。私の名前はケイト。Eランクパーティー、水の調べのリーダーをしていた」


「していた?」


 ヒロが疑問に思い、何気なく声に出してしまう……リーシアが『そこを聞いちゃいますか?』といった顔をする。


「ああ、わたし以外はみんな……気づいたらミミックに襲われていて、多分……」


 リーシアの表情とケイトの悲痛な言葉に、鈍感なヒロも気がつく。ミミックに襲われて、ケイト以外のパーティーメンバーは恐らくもうこの世にいない事に……。

 


「私がもっとしっかりしていれば、皆は……」



 静かに泣き始めたケイトに、リーシアが近づくと、無言で背中をさすっていた。


 ヒロはこういう時にどうして良いのか分からずに、途方にくれてしまう。それは親しい知人や肉親の死をヒロはまだ経験した事がないからであった。

 

 ヒロの住んでいた元の世界も、人がいつか死ぬのは当たり前の話だった。だが二十七歳という若さでは、まだガイヤの世界ほど死は身近に存在しない。

 祖父や祖母も健在のヒロにとって死は遠い物であり、死の現実に直面した人に掛ける言葉や行動が思いつかなかったのだ。



「ありがとうリーシアさん。もう大丈夫だよ」

 


 しばらくの間、泣いていたケイトが泣き止むとリーシアに礼を言い真っ直ぐに立つ。


「いつまでも泣いてはいられない。せっかく生き残ったんだ。みんなの分まで生きてやらないとね……あの世に行った時に、みんなに笑われちまうよ」



 ケイトは精一杯の虚勢を張り、場の雰囲気を良くしようとするが、顔は暗く沈み声に力が無かった。



「町に戻ったらクエスト依頼として申請するから、済まないけど、みんなの荷物を持って町まで戻るのを手伝ってくれない? 家族に遺品として残ったアイテムを渡してあげたいんだ」



「分かりました。ヒロ受けて良いですか?」


「もちろんです。できるだけ持って帰りましょう」



 ケイトが焚き火の近くに置いてある仲間の遺品を集め出すと……ケイトはいつのまにか視界の端で光っていたパーティーメニューに気がついた。


 最小化されたパーティーメニューが光るのは、大抵が誰かからメールが来た時しかなく、ケイトは、パーティーメニューが戦闘の邪魔になると、普段は非表示にしている。


 リーダーとしてパーティーの方針はケイトが決めていたが、戦闘の指示は後衛の僧侶に任せていた。アタッカーの自分より、パーティー全員のHPを管理しやすい後衛の方が的確な指示が出せるからだ。


 結果、ケイトは戦闘指示を他人に任せ、自分はメニュー画面を最小化する事で視界確保を優先し、少しでも戦闘を有利にしようとしていた。


 いつからパーティーメニューが光っていたかは分からないが、ケイトは震える手で最小化していたパーティーステータスの表示メニューを開くと……メールが届いていた。


 ケイトは息を飲み、急いでメールを開くとそこに……。



『ケイト助けて! 今オークに捕まっているの!』



 差出人は、水の調べのパーティーメンバー、僧侶シンシアからだった。



〈追加救出クエストが発生しました〉

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