第1章 勇者、最悪の出会い編

第11話 感謝

 町にある教会の祭壇で小さな子供が祈りを捧げていた。


 周りには誰も居らず、子供が一人っきりで神に祈り捧げていると、教会の入り口であるドアが静かに開き、一人の女性が教会に入ってきた。


 見知った気配と足音に、少女は祈りを止め振り向く。



「リーシア、ただいま」



 優しい声が金色の長い髪をなびかせた女の子の耳に届くと、その顔に花が咲いた。



「母様、お帰りなさい!」


 リーシアと呼ばれた女の子が屈んで母に抱きつくと、優しく抱き上げてくれる母にその身を委ねる。


「リーシア、お祈りは済みましたか?」


「はい、母様!」


 元気に答えるリーシアは、母に頭をなでられ、甘えながら答えた。


「そう。えらいわねリーシア」



「えへへへ、母様、今日のお勤めは終わり?」


「ええ、終わりましたよ。この後は予定もありませんから、今日はもう家に帰ってリーシアの好きなシチューを作ろうと思うの」



 母の答えにリーシアは目を輝かせた。



「やったー、私、母様のシチュー大好き!」


「ふふふ、じゃあ、早く帰って美味しいシチューを作りましょうね」


「うん! 母様、早く早く!」



 抱き下ろされたリーシアは、母の手を引っ張り帰宅を急かす。


 母は苦笑いをしつつも娘の手をしっかり握り歩き出した。



「おお、聖女様」



 母と教会をあとにすると、少し歩いた所で見知らぬ人々に声を掛けられた……リーシアにとっては、いつもの光景だった。


「聖女様よ」


「こんにちは聖女様」


「見てくだされ、癒やしていただいた足がすっかり良くなりましたのじゃ、聖女様ありがとうございます」



 町いく人が母を見ると、口を揃えて挨拶やお礼を述べてくる。その数は一人二人ではなく、通りかかる人がみなが挨拶するのだ。

 

 母は聖女と呼ばれ、町の皆に尊敬されていた。

 

 それがリーシアには誇らしくあり、母との時間を邪魔するわずらわしいものでもあった。

 

 母は娘のムッとした顔を見て立ち止まると、腰を落とし、子供と同じ視線の高さで話し掛ける。



「リーシア、そんな顔をしてはいけませんよ。みなさんは挨拶と感謝をしてくださっているのです。その善意を無下にしてはなりません」


「だって母様と手をつないで沢山お話したいのに、ずっと町のみんなに声を掛けられて、お話できないんだもん」


 口を膨らませて不満を告げるリーシアに母はたしなめる。



「リーシアはお母さんが嫌い?」


「嫌いなわけない!」


「お母さんは好き?」


「うん!大好き!」 



 満遍の笑みで答えるリーシアに、母が尋ねる。



「じゃあ、リーシアが道でお母さんに出会ったとき、何も言ってもらえずに無視されたら、どんな気持ちになる?」

 

 母の問いにリーシアの心は、不安で埋め尽くされてしまう。



「そんなの嫌!」



 リーシアは母に抱きつくと首を振って嫌がった。



「とても嫌でしょう?」


「うん……」


「町の人たちも同じなの。人と出会ったら挨拶をする。良くしてくれたなら感謝する。お母さんも同じ」



 リーシアは母の言葉に耳を傾けて聞く。



「お母さんもリーシアに無視されたり、挨拶されなかったら悲しいわ」



「そんなこと絶対にしない!」


「大丈夫、お母さんはリーシアがそんなことをしないって分かっているから」


 頭をなでながら不安がる子を優しくなだめる母に、リーシアはその身をゆだねていた。



「だからお母さんも、町のみんなに挨拶をして感謝をするの。こんにちは、ありがとうってね」


「感謝?」


「そう、人は一人では生きていけないの……色んな人に助けられて生きているのよ。だからお母さんも色んな人を助けてあげたいの」


「助ける?」


「お母さんには人を癒やす力があるわ。普通の人より強い癒やしがね。だから病気や怪我をした人がいたら放っておけないの……」



 母はその強い癒やしの力を乞われ、町の人の病気や怪我を無償で治していた。


 リーシアが物心ついた頃には、街中で母は聖女と呼ばれる存在になり、心と体、両方の傷を癒やしてくれる母に、絶え間ない感謝と祈りが集まった。



「だからリーシアに、いつもお留守番ばっかりでごめんね。寂しい思いをさせているお母さんを許して」



 突然の謝りにリーシアは母の顔を見ると、目に涙を溜めた母は一雫の涙を流していた。


 まだ幼いリーシアには、全てを理解する事はできなかったが、母が自分の所為せいで悲しんでいることだけは分かった。



「泣かないで母様……」


 心配するリーシアが、母を悲しませないように精一杯の笑顔で答える。



「私も母様みたいに、挨拶も感謝もできる子になるから」


「ありがとうリーシア、とっても嬉しいわ」



 笑顔のリーシアに釣られ母も顔を笑顔にする。



「ねえ、母様、私にも癒やしの力が使えるかな?」


「そうね。お母さんの子ですもの、いつかきっと使えますよ」


「じゃあ、癒やすことが出来るようになれば、もっと町の人と仲良くなって、母様みたいになれる?」


「リーシアなら、きっとなれるわ。さあ、早く帰ってシチューを作らなくちゃね」


「うん! 私、ポマトのシチューがいい!」


「リーシアは本当にポマトが好きね。じゃあ今日はポマトシチューにしましょう」


「わ〜い♪ やった〜!」



 母はリーシアをもう一度抱きしめると、再び手をつなぎ歩き出す……それは誰にでもある幸せ。


 リーシアにとって一番幸せだった時の記憶……。


 夢の中で見る記憶に。リーシアは懐かしさを感じずっとこのままでいたいと願うが……それは叶わなかった。


 誰かがリーシアを呼ぶ声が聞こえてくる、



「リーシア……」

 


 その声に意識が徐々に覚醒し、リーシアを現実世界へとゆり戻す。



「リーシア……いちゃん……」



 聞き覚えのある声に反応し、ゆっくりと目を開けるリーシアはベッドから上半身だけを起こした。



「ん〜♪」



 頭の上に手を伸ばし、体のコリをほぐすリーシア。



「やっと起きた! おはようリーシアお姉ちゃん」


「おはようリゲル、今日も起こしてくれてありがとう。今日は顔色が良いわね」



 ベッドの脇で自分を起こしてくれた男の子に挨拶しながも、体の具合を顔色で確かめるリーシア。



「どういたしまして、リーシアお姉ちゃん。今日はいつもより調子がいいんだ。それよりも急いだ方がいいと思うよ?」



 リゲルの顔色を見て安心するリーシアに、少年は過酷な現実を突きつける。



「もう朝のお祈りの時間だよ。急がないとまた遅刻して罰当番にされちゃうよ」



 リーシアは顔色を青くして、慌ててベッドから降りると急いで身支度を始めた。



「また遅刻したら、今度は罰当番の掃除だけではすまないわ!」


「だったら一人で早く起きてよリーシアお姉ちゃん……僕、先に行ってるからね」



 そう告げてリゲルは部屋を出ようとする。



「すぐに行くから、神父様にうまく言っておいて」


「分かったよ。何とか言っておくよ」


「ありがとうリゲル」



 部屋を出るリゲルを見届けつつも、身支度を急ぐリーシア。

 

 いつもと変わらない朝……一日の始まりであり、今日を生きる希望に満ち溢れた目覚めに、リーシアの心は沈んでいた


 それはリーシアにとって、毎日訪れる地獄に等しい現実世界への目覚めでもあったからだった……。




〈運命の出会いが……刻一刻こくいっこくと迫っていた!〉

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