一章「一般人なら死んでた」

消えた鞄は何処へ行く


「あれ?」


 今日の授業も終わり、帰宅部の特権として運動部や文化部のみんなより先に学校から解放されるはずだった僕は、トイレから帰ってきたら机に置いておいた僕の鞄が消えていることに気が付いた。

 これはおかしいことが起きている。間違いなくここに鞄を置いておいたはずだ。あんなサイズのものがこの数分間で消失するとは思えないし、物体が何もせずに消失するなんて話は聞いたことがない。少なくとも一般の物理学ではありえない現象だと言えよう。


「ねぇ立川たちかわ、僕の鞄知らない?」

「ん? あー、俺見てなかったわ。斉藤さいとうは?」

「わかんない」

「そっかぁ、ありがとね」


 数少ない友人の立川に尋ねても答えは返ってこなかった。放課後になってから数分しか経っておらず人が多い教室内なら誰かしら見てると思うのだが、話しかけるのが苦手な僕にとってほぼ話したことのないクラスメイトたちに話しかけるのはハードルが高い。

 普段は何とも思わないのだが、こういう時に交友関係の狭い自分が恨めしいと感じる。持つべきものは友、という言葉をたまに耳にするが全くもってその通りだ。

 親や他の様々な都合から中学時代の大半は国外にいた僕には当然『中学からの親友』もいないし、積極的に話しかけにいく勇気もない。すると必然的にクラスメイトと話す機会は生まれず、今の僕が話す人といえばコミュ力の高い立川くらいだ。

 ……別に友人が少ないことを気にしているわけではない。


「は、灰野はいのくん」

「ん? どうかした?」


 どうしたものかと考え込んでいると、後ろの席の女子が話しかけてきたので顔をそちらに向ける。確か名前は狩野かりのさんだったような気がする。いまだにクラスメイト全員の名前覚えてないから合っているかどうか怪しいが、きっとそうだ。


「えっとー、鞄ならさっき城田しろたさんが持って行っちゃったよ?」

「……え?」


 城田ゆき。僕の隣の席の女子で、黙っていれば美少女と評判の生徒。

 かなりつかみどころがないというか、正直関わるのが難しいタイプの人間で、何を考えているのかわかんないし誰かに話しかけられても無視したりすることもよくある。僕は逆に、普段から「お菓子食べる?」と急に聞かれたり勝手に英語やそのほかの科目のノートを見られていたりと変な絡まれ方をしているのだが、まさかそんなことをしてくるとは思わなかった。


「んー、困ったなぁ。何処に行ったのか知らない?」

「ごめんね、何か聞く前に何処か行っちゃって」

「そっか。貴重な情報ありがとう」


 わりと僕の席に近い立川が気付かないほど素早い動きだったと考えると、何かを聞く余裕がなかったというのは仕方ないことだろう。

 しかし、鞄がないのはとても困る。幸いスマホはポケットに入っているが、財布と鍵は鞄に入りっぱなしだ。一人暮らしの僕はこのままじゃ家に入れない。

 せめて何か手掛かりはないものか。そう思い唇に手を当てて思考する。


「おいおい、城田に持っていかれたって、それ大丈夫か?」


 僕と狩野さんの話を聞いていた立川に、僕は肩をすくめる。鞄を持っていくのが目的ならきっと鞄に何か細工されることはないから一応安心ではあるが、あの人は何をするかわからないという変な意味での信頼がある。この高校に入ってからたったの数か月しか関わりがない僕がそう考えるくらいには、城田さんはぶっ飛んでいる――もとい、不思議な人なのだ。

 別に嫌いだというわけではないのだが、平穏な日常が崩されそうな気がして少し関わるのを躊躇ってしまう。城田雪という少女は僕にとってそんな相手だった。


「んー、ほんとうに困ったなぁ」

「……なんでだろう。お前が困っているように見えないんだが?」

「ちゃんと困ってるよ。ただ、焦っても何も解決しないからね」

「まぁそう言われればそうだな。しかし、なんの手掛かりもないっていうのは困ったものだ」


 そう言う立川に、僕は深く頷いて同意する。せめて何かしらの手掛かりさえあればいいんだけど、僕はあの鞄に位置情報を知らせてくれるような便利なものはつけていない。何かしらつけておけばよかったかもしれないと今になって後悔しているが、そもそもこうなることは想定していなかったのだから仕方ない。普通、鞄が失踪するなんてことは起こらないはずだ。

 もしかしたら漫画やアニメの中ならそのような事態は日常茶飯事なのかもしれがいが、少なくとも普通の高校生としてはそうそう遭遇することではない。


「手掛かり、手掛かりか……あ」

「お? 何か思い当たることでもあったのか?」

「思い当たることというか、なんか僕の机に入ってるなって思っただけで。おかしいな。僕、机の中は空っぽにしてたのに」


 角度的にたまたま見えたそれを机の中から出してみると、それは特に変なところのないただのルーズリーフだった。

 二つ折りにされたそれを開いてみると、折り目の少し上のところに小さな丸い文字で何かが書かれている。


「えっと……

 『鞄は預かった。返してほしければ一人で屋上に来て』だって?」

「そう書いてあるね。僕の鞄を人質にしたってわけだ。あ、でもこの場合は人質じゃないよね。なんて言うのかな?」

「そんなこと言ってる場合か!」


 そうツッコミを入れながら僕の頭を軽く叩く立川。場を和ませようとしただけなのに、僕の脳細胞が減らされるとか理不尽だ。脳細胞が死滅して馬鹿になったらどうしてくれるんだろう。

 だが、立川の言うことももっともだ。たしかにそんなことを言っている場合ではないかもしれない。こうなってしまえば、僕は今から屋上に行く必要が生まれてしまう。鞄さえ取られてなければよかったが、そんなことも言ってられない。


「たしかに困ったね。鞄を向こうが持っている以上、『具体的にいつ屋上に行くか書いてない』って言って誰もいないような時間帯に行く作戦が使えない」

「お前がそういうことをするから持っていかれるんじゃねえの?」

「……一理ある」


 そう考えると鞄を持って行ったのは奇行でもなんでもなく、合理的な判断だった可能性すら出てきた。たしかに僕が『〇〇に来て』とかって手紙貰ってもそこに行かない可能性は高いから、その判断は正しい気がする。それが正しいとは認めたくないが。

 いや、やはりおかしい。いくら僕が正攻法の呼び出しに応じないからって、人のものを盗ってていい理由にはならない。


「とりあえず、行ってこようかな」

「死ぬなよ?」

「ま、どうにかなるよ」


 どうにもならなかったらその時はその時だ。それに、いくらもやしっ子の僕にだって自衛の能力ぐらいはある。

 というか、鞄を取り返しに行くだけで命の心配をされるのはおかしいのではないだろうか。ここは魔界の学校かその類の何かなのかとツッコミを入れたくなる。

 教室で立川と別れた僕は、教室から一番近い階段を使って屋上まで上がった。

 何を目的に向こうが僕の鞄を奪っていったのかがわからない以上、最初は様子見するしかない。面倒なこと要求されたら嫌だ。

そうならないことを願うしかないが、おそらくダメだろう。相手は『不思議の国の城田』と呼ばれることすらある(僕が勝手に心の中で呼んでる)ほど変人なのだ。変な要求はされなくとも大人しく終わるとは思わない。

 想像もつかないことをしてくる相手に怯えながらも、僕はゆっくりを屋上の扉を開ける。鍵がかかっていることも想定したが、意外と言うべきかやはりと言うべきか、扉に鍵はかけられていなかった。


「あれ?」


 しかし屋上には誰もいない。あるのは僕が今いる屋上の入口から遠いところににポツンと置かれている鞄だけ。

 その状況に悪戯だったという可能性が頭をよぎる。鞄がなくなって焦ったりする僕の様子を見るのが目的だったのだとしたら、屋上に鞄だけ置かれているのも説明できるだろう。これがただの悪戯だったのであればこれ以上の面倒は起こらないだろうし、それに越したことはない。

 僕は面倒に感じながらも、微妙に距離がある自分の鞄を回収するために歩きだした。

何も意識せず数歩歩いた時、タンッと何かの音が後ろから聞こえてきて咄嗟に振り向く。


 ――真っ先に目に入ったのは、『白に近い肌色』が僕の顔めがけて一直線に、それもかなりのスピードで近づいてきているところだった。



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