凶器は――
それが何かもわからぬまま咄嗟に両腕で顔をガードしようとするが、右腕が間に合わず左腕のみでそれを受けることになってしまう。
かなりの勢いと質量で襲い掛かってきたそれは、左の前腕に鈍い痛みをもたらすとともに僕の体を地面に倒した。咄嗟にガードできなければ本気で顔をやられていたし、最悪首の骨がお亡くなりになっていたと思うほどの威力だ。控えめに言って、咄嗟に反応できていなかったら死んでた。
左腕の痛みに耐えながら何があったのかと状況を確認しようとするより先に、地面に倒れこんだ僕の腹部に鈍い衝撃が走る。
「ぐっ……」
腹部の痛みと地面に打ち付けた後頭部の痛みからそんな声をもらしてしまう。
だが、今は痛みを気にするより先に状況の判断をしなくてはいけない。そう思い咄嗟に閉じていた瞼を開けて自分の腹部にかかる重さの正体を見る。
逆光と体勢のせいでその正体はわかりにくかったが、日本人にしては茶色い髪に、色白の肌、百人中百人が『かわいい』と言うであろう顔、学校指定の制服をしっかり着たその姿は、紛れもなく僕をここに呼び出した張本人の城田雪だった。
どうもどうやら今は僕の腹部に跨っているようで、先程からずっとかかっている重さはこれが原因のようだ。
「ちょ、急に何を――」
「静かに」
ぴたりと僕の首に突き付けられたのはやけに冷たい何か。
急すぎる展開に脳の処理が追い付かず何も言葉を発することができなかったが、視線を動かすと、自分の首に突き付けられているのは透明で冷たい氷でできたナイフのようなものだとわかった。
普通ではありえない凶器を突き付けられているというイレギュラーな状況で、真面目に脅迫されている態度をとるべきかはたまた茶番として受け取るべきか迷う。
これが普通のナイフやカッターとかなら迷わず命乞いをするところだが、氷のナイフという殺傷力があるのかないのかわからない武器を突き付けられるとどうしていいかわからなくなる。シリアスなのかそうでないのかわからず、気持ちの整理がつけられない。
「声は外に漏れないようになってるけど、騒がれると面倒。大声は出さないで」
「う、うん」
有無を言わさぬ強い口調に、僕は情けなくも言いなりになるほかない。
凶器の殺傷能力が未知数とはいえ、馬乗りになられて動きを封じられているのだ。引きこもりで筋力がない僕の力では振り払える気がしないし、ナイフがどうとか関係なく追いつめられてる状況ではある。
情けない自分の姿に心の中でそう言い訳しつつ、今の自分の状況をどうにかして理解した。
おそらく最初に僕の顔めがけて飛んできたのは城田さんの飛び膝蹴りで、それを受けて体勢を崩して倒れた僕の腹の上に城田さんが跨ってナイフを僕の首に突き付けたということだろう。
いきなり飛び膝蹴りとか非常識にもほどがあるし、急なことで理解が追い付かなかったのも無理はない。むしろ理解しろというほうが無茶だ。
しかし、冷静になってきとたんに左腕と腹部が痛みを訴え始めた。腹部はともかく、左腕は確実に折れていそうな痛みだ。
「わたしはあなたに用事があって呼び出した」
「用事……?」
氷とはいえ首にナイフを突き付けている段階で、その用事は『脅迫』以外思いつかない。
というか、氷のナイフなんて握っていたら冷たくないのだろうか。本当に氷なのであればかなり冷たいはずなのだが、城田さんは冷たそうにする様子もなく僕の首に短剣を突き付けている。
とはいえ金属とはまた違う冷気は肌で感じとれるので、それが氷ではないとは思わないのだが。
「うん。用事。わたしから、あなたに提案があるの」
「できれば、話す前に離れてくれるとありがたいなって思うんだけど」
「逃げられたら面倒だから、ダメ」
「だよね~」
断られるのは知っていたが、提案しないわけにはいかなかった。いくら城田さんが小柄とはいえお腹の上に乗られたら苦しいし、左腕も早く治療したかったのだが……。
というか、この体勢はいろいろアウトな気がするのは僕だけだろうか。事情を知らない人から見たらかなりヤバイと思われそうだ。いや、事情を知っていても脅迫してる段階で充分ヤバイと言えるのだが。
とはいえこの状況でそんな軽口を叩けるほど僕は度胸があるわけではないので、口を閉じたまま城田さんの言いなりになるしかない。
「まず、
首に短剣を突き付けながらそう言われても、ただの脅迫にしかならなくて怖い。というか、親しくない人に名前で呼ばれると自体少し違和感がある。
脅迫されているので仕方なくこくこくと頷いて話を城田さんの話を聞くことを示すと、城田さんは満足そうに頷いて話を始めた。首のナイフが冷たいから外してくれるとありがたかったのだが、外してはくれないようだ。
とはいえ話が通じそう(この状況になっている段階で話が通じているとはいえない気もするが)で助かった。感情のまま暴れられたらそれこそ最悪だったと言えよう。それこそ命の危機だ。
「最近、この学校に化け物がいるって噂があるのは柊も知ってると思う」
……そういえば、以前立川がそんなことを話していた気がする。夜忘れ物を取りに行った学生が何か大きなものに追いかけられて怪我したとか、突如として校内にある木に謎の大きな爪痕ができたとか、夜が明けると校門の前に血痕があったとか、そういうものだ。でもそれはただの噂だし、それが城田さんの話にどう繋がるのだろう。
「もし、それが妖怪の仕業だって言ったら、信じる?」
そう言って、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる城田さん。元はかわいい顔立ちの城田さんがそんな笑みを浮かべるとただただ怖い。
思わず唾を飲み込むと、少し渇いた口を動かして返事をする。気を抜けば掠れそうな声を無理やり出して、努めていつも通りの声色を出そうと心掛けた。
「まさか。妖怪なんているわけないじゃないか。
それに、噂は噂だよ。本当に化け物がいるわけがない」
「本当にそう思ってる?」
「それはどういう――」
城田さんの言葉の真意を尋ねようとして、その目を見てしまった僕は息を呑む。
先程までは確かに茶色だった目が、今では蒼く染まり
「わたしに、嘘がつけると思ってるの?」
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