第3話 謎のファイル「Black Box」
ある秋の日、僕は部室でだらだらとレポートを書いていた。
”部室”は、コンピュータ系の先生に協力して貰って余っている倉庫みたいな小部屋を使わせてもらっていた。6畳くらいの部屋は、色んな物がぐちゃぐちゃに積み重なっていて汚い。壁際に並ぶ棚には機材、計算資源、参考書や技術書や謎の洋書まで色んなものが積まれており。床に置かれた大型のガラクタを避けて奥に進むと、窓辺に机一つと小さな椅子いくつかが設置されている。共用で使用する目的の古いデスクトップPCが1台、ノートPCが5台、その他オシロスコープのような測定装置が置いてあり、メンバーは自由に使っていいということになっていた。
とはいえ、僕は自分のノートパソコンを持っているから必要ないし、それに今日のレポートは手書きじゃなきゃだめらしい。なぜだ。字が汚くなって読みにくいのは先生なんじゃないの?などと考えながら、部室の棚に置いてある過去レポのコピーを
僕がレポート作成に飽きてきたころ、同じく部室で何やら作業していた先輩が口を開いた。
「安藤君。ゴミバを知っているかな」
「ゴミ捨て場ですか?どこかにはあるんでしょうが、分かりませんね」
先輩が知らないんなら僕が知るわけないじゃないかと思ったが、「そうではないよ」と否定されてしまった。
「コミバはこの前行ったから知っているよね。あれに掛けた名前なんだ。不要になった大型のゴミを処分するために一か所に物を集めて一気に捨てるんだけど、欲しいのがあったらそこから持って行っていいっていう暗黙の了解があるんだ」
へー。そんな催しがあったのか。
コミバとゴミバ、文字に起こしたら読みにくそうだ。気を付けよう。
「この部室にあるPCとかもそれですか?」
「PCは違うよ。オシロスコープはゴミバ産だね」
今や机の上でオブジェになっているPC達はどれも他の研究室が使用せずに持て余していた物を貰ってきたらしい。
「他にもゴミバで貰ってきたのがいくつかある。パソコンの中身は使えるかなと思って」
「先輩はパソコンの中身も弄るんですか?」
「いや、私はやらないかな。興味があるのかな?」
「僕もやったこと無いですね。でもコンピュータの知識が増えてきて、最近興味は出てきました」
「そっか。もし興味あるなら、ジェフリーさんに聞いてみるといいよ」
「ジェフリーさんですか。ジェフリーさんって初代のサークル長の方でしたっけ?」
「うん。ハードに強い人だったよ。内の部活では珍しいんだけどね、ハード屋さんは」
「もう引退してますよね」
「でも、先輩たちのチャットは良く動いてるから、見てると思うよ」
ジェフリーさん達の代は篠崎先輩の一個上で、このサークルの結成メンバーだ。なんでも学部2年の時にプログラミングにかなり強い5人が円卓の騎士のように集ってこの組織を結成したらしい。この部室を与えてくれている真名古先生の許可をもらったりサイトを創ったり、伝説のメンバーである。
そんなメンバーはちょうど今年の春に修士過程を終了しているが、今でも連絡は取れる。
SlockはLOINとTwotterを混ぜたようなツールだ。LOINのようにトークテーマや学年等でグループ (チャンネル) を作ることができ、そこで会話ができる。例えばサークル全体の事は#general、雑談は#random、技術的な分類では#Pyphon、#Jovascript、#hardwareなど。入部時期で分けた#2018や#2017などのチャンネルがある。僕は今年入部だから#2018に入っているけど、他のメンバーは幽霊部員のようだからほとんど会話はない。ジェフリーさんたちは#generalからは退会しているが#2013には残っているし、技術的な分類にもいるため会話はできる状況なのだ。うまく使えば就活情報も貰えるかもしれない。
「それで、なんの話でしたっけ」
「ああ、そうだ。ゴミバだよ。今度あるから一緒に行こう。収穫物が重かったら大変だから」
「いいですけど。他のメンバーは居ないんですか?乱場さんは?」
「mikeはその日ダメらしい。一日中授業を受けなければならないみたいだ」
「はー、忙しいんですね、mikeさん」
この部活は人が少ない。一応サークル紹介的な雑誌に広告を載せているのと、ウェブサイトを持っているから就活で使えると思ってか名前だけは所属している人間はいるが、ほとんどいないのである。元々はmikeさんの代は幽霊部員が二人いたらしいのだが、2年に上がるときに消えてしまったらしい。
「marshmallowさんとかは?」
「うん、まぁ誘ってはみたけどね...」
「来ないですか」
マシュマロさんは僕の一個上で、去年の部長さんだ。就活のために今年の春に実質引退した。それに、元々部室にはほとんど来ない人だったらしい。
「うーん。まぁ、皆さん忙しいんでしょうね」
「私がちょっと居残り過ぎているだけだ。老害が出しゃばってしまってすまないな」
「え、いや謝らないでくださいよ。僕は助かってますし篠崎様さまさまですよほんと。問題は乱場さんですよ。サークル長のくせに全然来ないんですから。仕方ないですけど」
「うん。まぁ。乱場のいる機械科のこの時期は忙しいと聞くし。うちはゆるい事が存在意義みたいな部分があるから」
「現3年は全然入っていないんですよね」
「そうなんだよ。勧誘に失敗してね」
なんでもサークル紹介誌に申し込むのを忘れていたとか。痛恨のミスである。
「他にもプログラミングサークルありますもんね。プログラミングに興味がある人はそっちに入るのかもしれません。えっと、名前なんでしたっけ?悪そうな感じでしたよね」
「正式名称は忘れたけど、通称アラニマスだったかな。『荒のあるホワイトハッカー集団』ってことで」
「あー。そうですそうです」
「安藤君はそっちには入らなかったんだ?」
「勉強を教えますよ、みたいな会合って苦手なんですよね。こっちの方が性に合ってます」
「それは良かったよ、計算機研究会としてはね」
おっと、脱線してしまった。
「ゴミバに行くなら、この使わないPCも捨てちゃいませんか?とくにこのデスクトップ」
「うーん。昔は使ってたPCなんだけどね。...まぁいいか、捨てちゃおう。使える部品があったらバラして残しておこうか?」
「うぇ、あ、はい」
「まだ秋だけど、ついでに大掃除もしてしまおうか。まぁ、続きは明日しよう、私はこれから講義だから。じゃあね」
「お疲れ様でーす」
PCを捨てる前に中身を見なければいけないんじゃないか?重要なファイルが入っていたら嫌だし。
それに歴史のあるPCだから、懐かしのマインスイープが入っているかもしれない。そう思ったらやりたくなってきた。
ボタンをポチっと押して起動してみる。これまで使った事はほとんど無かったが、ログイン方法は教えてもらっていた。ユーザーはuser、パスワードはEinsteinだ。
開いてみると、ネットには接続されておらす、OSは懐かしのwindies 7だった。筐体やディスプレイは黄ばんでおりかなり古かったから、きっとどこかの研究室で使用しなくなった物を使用しているんだろうと予想していたんだけど。かなり古いことを覚悟していた僕の予想は外れてサクサク動いた。大学で共有で使えるライセンスで更新したのかもしれない。
スタートからマインスイープを探し、カチカチプレイして30分ほど無駄にした。最高に楽しかった。
閑話休題。本題の重要そうなファイルはどこだ、と。ドキュメントに入っているかな?
僕はそこでやっと気づいた。デスクトップ画面に「Black Box」という怪しげなフォルダが置いてあったのだ。なんだろうこれ。
開いてみると、なかには三つのファイルとフォルダが入っていた。
『Black Box
README.txt
README2.zip
シュレーディンガーの猫.zip 』
なんだこれ。NANDAKORE2である。
一番気になる「シュレーディンガーの猫.zip」を開こうとしてみると、すでに入っていた解凍ソフトが起動して「’シュレーディンガーの猫.xlsx’のパスワードを入力してください」というメッセージがポップアップしてきた。パスワードが必要みたいだ。
次にREADME.txtを開いてみた。README、意味は「読んでください」。ソフトウェアをインストールしたときとかに一緒に入ってくる、仕様や使用方法などが書かれたテキストファイルだ。説明が書いてあるかもしれない。
ダブルクリックしてみると、このファイルだけは開くことが出来た。
『README.txt
pass:?? <= “what’s this?”
hint: journal 』
残念ながら、説明は書かれていなかった。続いてREADME2を開いてみようとしても、こっちはパスワードが必要らしい。
だが、パスワードがさっぱり分からない。
謎の「black box」は脇に置いておいて、PCの中身をざっと見てみたけど、このPCはちょっと古めな議事録とか、サークル間で共有するべきファイルしか入っていないようだった。
ひとまず先輩に報告してみよう。
●●
#Reona
Ando: これ分かりますか?
Ando: (Andoが画像をアップロードしました)
Reona: Black boxか 知らないな
Ando: 他には古い議事録しかありませんでしたけど。
Reona: うん。最近のはgoggle driveで共有しているでしょ。driveを使い始める前までの古いデータだし、もうアップロードしたからいらないかな
Ando: じゃあ、この「Black Box」だけですね。
Reona: 作られたのは2018年なんだね 結構最近だ
Reona: 誰か知らないか聞いてみようか。クレアとかobの先輩方には私から聞くから、安藤くんは他の皆に聞いてみて。
Ando: わかりました。
●●
#2018
Ando:すみません、これ知りませんか?
Ando: (Andoが画像をアップロードしました)
#mike
Ando:すみません、これ知りませんか?
Ando: (Andoが画像をアップロードしました)
mike: お疲れ。なにこれ?
Ando:今日部室の古いPCを起動してみたんですよ。そしたらこれがあって、何か重要なデータなのかなと思いまして。
mike: 俺は知らないな
Ando: そうですかー
mike: シュレーディンガーの猫とか開いてみた?
Ando: README2とシュレーディンガーの猫には鍵が掛かってました。
mike: 変なフォルダだな。悪い分からん。
mike: いたずらなんじゃないの これ
Ando: どういうことですか?ゲームですか?
mike: そう 解けますか?ていう
Ando: でもこれ2017年のやつですけど。誰にも見つけられずに忘れられたなんて哀れじゃないですか。
mike: たしかにファイルが古すぎるかも
Ando: このPCほとんど使われてないっぽいので。いつ解いてくれる人が現れるか分からないクイズなんて変じゃないですか?
mike: そうだけど。まずサークルが部室にいくような用事がないしな。
Ando: 乱場さんたまには顔出してくださいよ!ゴミバやるので備品探しと大掃除しないと。
mike: ごめん、最近立て込んでて。
Ando: えー。まぁ良いですけど。篠崎先輩と二人っきりですし!
miko: おっ
Ando: やーい羨ましかったら手伝え!
mike: いや、最近就活だし、発表論文も書かなくちゃいけなくて結構忙しいんだよ。チャットは反応できるから。すまん!
Ando: 了解です
mike: ちなみにクレア先輩 (Claireさん) も綺麗だよ
Ando: おっ mikeはクレアさん派なんですか?僕はクレアさん見たことないので
mike: 派ってなんだよ。機会があれば見てみ?
Ando: でも篠崎先輩ほどの人物にはそうそうお目にかかれないと思いますけど。期待はしないでおきます。
mike: そうか
●●
#Reona
Ando: 収穫無しです。
Reona: 了解。こっちもだよ。
Ando: データが作成された2017年の代の幹部って乱場さんなんでしたよね?
Reona: うん。冬コミ作成からが新しい幹部の仕事だから。
Reona: 乱場君は全く何も心当たりがないのかな
Ando: 無いみたいです。マシュマロさんの代で抜けた人たちがやった可能性は無いですか?
Reona: 無いと思うな。2016年まではあのデスクトップPCが使われていたはずだから、定期的にパスワードを変更していたと思う。マシュマロの代の二人は2015年度の終わりに抜けたということになっていてそれから見てないから。
Ando: ログインできないわけですね
Reona: うん
Reona: この状況、妙だよね。
Reona: 部室は鍵が掛かっていて、PCにもロックが掛かっている。部員の内の誰かが作ったのは間違いない。それなのに全員が知らないんだから
Ando: ミステリっぽくなってきましたね。mikeさんは誰かの仕掛けたゲームなんじゃないかって言ってましたよ
Reona: うん。私も同じ考えだよ。
Ando: そうなんですか。でも、誰にも解かれないかもしれないのにクイズなんて作りますかね。
Reona: 落書きだってそうでしょ。誰にも見られなくてもいいから、見られたときに誰かを笑わせたいと思って書くんじゃないかな。
Ando: あーたしかに。そうかもしれませんね。
Reona: となると、READMEの中身だね。
Ando: これです
Ando: (Andoが画像をアップロードしました)
『README.txt
pass:?? <= “what’s this?”
hint: journal 』
Ando: passってのはREADME2を開くためのパスワードだと思います。
Reona: READMEが二つあるんだもんね。READMEのヒントからREADME2を開いて、同じようにシュレーディンガーの猫のヒントが書いてあるんだろうか
Ando: 脱出ゲームみたいですね。
Reona: うん。このREADMEの内容を読み解かないといけないけど。多分というか、高い確率でjournalは部誌だろうね。部室の棚の中に部誌のバックナンバーが入っているから、そこに何か手がかりがあるのかもしれない。明日見てみようか。
Ando: 了解です。僕は4コマに行きます。
Reona: 私は明日ゼミがあるから遅れるよ。先に解いてしまってもいいよ。私の方がいろいろ知っている分有利だからね。
Ando: じゃあ先に解いたうえで、先輩が解いているのを横でニヤニヤ見てますよ。
Reona: 安藤君はあまり趣味が良くないな
Ando: うっ
Reona: 冗談だよ
Ando: (´・ω・`)ショボン
●●
翌日。ラッキーなことに講義が一つ休みになったため、3コマに当たる13時に部室に来ていた。
昨日のSlockで聞いた限りでは大した情報は手に入らなかった。マシュマロさんや、#2018に投げてみたがどっちも知っているメンバーは居なかった。#2018に至っては二人幽霊部員がいたはずなのに無反応だったから、僕が魔人だったらお菓子にして食ってやるところだった。
昨日の話から、「Black Box」はメンバーから見つけた人間へのクイズだという事が推測される。
シュレーディンガーの猫などという大層な名前をつけるんだから、何か面白いものが入っているに違いない。僕が謎を解いてやろう。見つけてしまった者の務めだ。
一応持ってきていたレポートセット入りの重い鞄を適当なところに置いて、僕は部室のPCの前にどっかりと座り込んだ。
いったい誰が「Black Box」を作ったのだろう。メンバーならば誰でもこのPCにアクセスできる。僕は再び「Black Box」を開いた。
ファイルが作られたのは2018/03/03/08:34と書いてあった。朝早いな。良く起きれたものだ。
今年がここから分かるのは、今年入った1年生ではないということだけだ。他に情報は無いかと探してみたが、PCから得られる情報はこれっきりみたいだ。
次に、先輩の言っていたバックナンバーを探してみることにした。
去年の冬コミ用の部誌を発見した。コミバが行われたのは2017年12月29~31日の三日間。中身は、篠崎先輩の「 マンガのキャラっぽいセリフを生成(Reona)」、先輩と同期で今は就職してしまったらしいクレア先輩の「テトリスを作る (Claire)」、乱場さんの「Blueberry Piでスマートロック(mike)」とレジェンド方の「自作キーボード (jeffrey)」、「コミバで出しているゲームの技術的詳細 (Shoyu)」という5つのトピックにまえがきとあとがきだ。当時の副サークル長が前書き、サークル長があとがきを書く慣習だ。それら含めて表紙と裏表紙をのぞいて14ページの薄い本になっていた。
んー。わからんな。単に「部誌」って言ったら直前のを指すと思うんだけどな。
とりあえず同じ年の夏コミ用を見てみる事にした。「自然言語処理を活用したアプリ開発(Reona)」、乱場さんの「スクレイピングのあれこれ(mike)」、「機械学習でショパンっぽい音楽を作る(marshmallow)」とレジェンド方の「ニキシー管で遊ぶ(pony)」、「twotterとslockの連携(gero)」。あとがきはmikeさん。
変な事はこれと言って見つからなかった。
what’s this? 意味は「これは何?」。これって何?こっちが聞きたい。
ひとまず情報収集だ。篠崎先輩は今忙しいだろうから、mikeさんにいくつか聞いてみよう。
●●
#mike
Ando: あの、昨日の件ですが、このjournalってのは部誌だと思うんですが、何か違和感とかありませんか?部誌の写真を送ります。
Ando: (Andoが画像をアップロードしました)
mike: ごめん今ちょっと授業
mike: そういえば今朝思ったんだけど、journalってだけじゃ分からないよな 何かもっとヒントがあるはず
mike: 付箋とか張ってない?
Ando: 付箋は無いですね。
Ando: 目立つのはあとがきとかですけど何か心当たりありませんか?
mike: ああ。懐かしいなぁ冬コミで俺のポエムが炸裂したんだよな
Ando: テストの事かいてますね
mike: ああ。なんだっけ。チューリングテストの事だっけ。
Ando: そうですねー。それもあります。映画でみましたよ。
mike: 知ってるその映画 ベネディクト・カンパッチは悩める天才を演じる天才だよな
Ando: わかります!ホーミング博士のも見ましたか?
Ando: ごめんなさいね...脱線してしまいました 授業なのに
mike: 先生がちらちらこっち見てるから落ちます
Ando: 頑張ってください
●●
犯人の意図はなんだ?部誌をしっかり読み込まないといけないんだろうか。注目すべきは2017年冬号だろうし、そのあとは過去の号だろう。こればっかりは地道に見ていくしかない。まず読みやすいところで、まえがき、あとがきから。
ところで、あまり沢山読んでしまって文字数が増えるのはなんとなくマズイ気がする。不思議なことだ。不思議だけど、挨拶みたいな部分はカットして、僕の頭の中には一部だけ抜粋した文章だけを思い浮かべることにする。
『計算機研究会2017冬まえがき (一部抜粋)
この薄い本を手に取ってくださった皆様はご存じかもしれませんが、プログラミングの世界には black box test と white box test という物があります。僭越ながらざっくり説明しますと、black box test はテスト用の入力出力のセットを用意しておいて、入力に対して正しい出力が得られるかを見るテストです。中で何が行われているかは考えていません。対して white box test は内部でデータがどんな風に動いているか等をよく見るテストです。
私がここで注目したいのはblack box testです。中に何が入っているか分からないけど機能だけでOKと言ってしまおうというのは中々面白いような気がします。例えばリアクションが猫っぽければ、本当は犬でも猫だといってしまえるということでしょうか。これに違和感があるのはそれが犬だと知っているからであって、宇宙から来た未確認生命体だったらそんな風に考えるしか無いわけです。人差し指を差し出したら宇宙人が指先を合わせてきたとして、それは本当はなんであれ、友情のポーズなのかもしれません。
もちろん、技術的な話を哲学の世界に持ち込むと必ずと言っていい程、伝達に齟齬が生じてしまうものです。量子の世界では観測できないものについては語るべきではない、という慣習があるわけですから。
凄いエンジニアの皆さんが沢山いて嫉妬してしまうこともありますが、結局のところ、コードが動けばいいんじゃないか、なんとなく楽しい物が出来たらそれで万事OKなのでは無いか、というところに落ち着いてしまいました。
副サークル長 mike』
『計算機研究会2017冬あとがき (一部抜粋)
コンピュータ技術というのはどこまで発展するのでしょうか。近年はこれまで以上に計算能力の高い量子コンピュータが実現の可能性を高めています。背景には量子トランジスタ、超伝導など、量子力学の発展があります。
量子コンピュータは電子の量子性を利用して計算処理が早くなるという革新的な技術です。計算処理が早くなる分野とそうでない分野があるということですが、今後に注目です。
さて、コンピュータの歴史を振り返ってみると、チューリング博士のチューリングマシン、通称万能機械がそのルーツになっています。当時は単一の機能のための機械が主流だったため、周囲の理解を得るのは難しかったでしょう。当時の計算能力と比較して現在のマシン、または未来の量子コンピュータなどは処理速度が明らかに向上しています。
チューリング博士の論文でもう一つ一般に有名なのが、チューリング・テスト、イミテーション・ゲームです。当時の計算能力とは比べ物にならないような高機能なコンピュータによって、人間を完全に模倣する、あるいは人間そのものを作る事ができるのでしょうか。
サークル長 Reona』
内容は大体こんな感じ。最終的には良いことを言っている風に収まっていた。ラノベのあとがきみたいだ。でもなんだろう、何か違和感がある。
僕はもう一度あとがき、まえがき、部誌の置いてあった棚の中や名簿、パソコンのフォルダやslockの会話など、これまで見てきたものを全てを見返してみた。ん?おや?
もしかして。
パスワードが分かった。
●●
「やぁ、安藤君。お疲れ。どう?」
「お疲れ様です篠崎先輩。待ってましたよ」
「解けたみたいだね。なんのデータだった?」
私が部室に行くと、安藤君はのんびり部誌を読んでいた。
聞くと、一つ目のパスワードが解けたとのことだ。二つ目のパスワードは一つ目の問題が分かってしまえばオマケみたいなものらしい。だから、私が来てから二つ目のパスワードを入力しようというと待ってくれていたみたいだ。
そんなに面白いパズルだったんだろうか。
「じゃあ、誰がやったのかは分かっているんだね」
「ええ。多分これ、先輩宛てですよ」
「ん?どういうこと?」
「おっと。口が滑りました」
安藤君は宣言通りニヤニヤして口を噤んだ。
「やっぱり趣味が悪いね。じゃあPCを見ようかな」
画面にはすでに最大表示で例のBlack Boxが映っていた。
「作成日時は2018年3月3日か。」
goggleで検索してみたら、土曜日だった。
「土曜日の朝早くにわざわざ作ったのか。でも学生ならこの建物には入れるから、作ることができるメンバーは絞り込むことはできないね。安藤君の代が入部するよりも前、サークル引退の後の事だから、見る可能性のある人は私か乱場だけど、私の方が出入りする頻度が多い。それで、私宛てだっていうんだね。」
「そうです。まぁ、先に僕が見つけちゃったわけですが」
「じゃあ、部誌を見てみようかな。“what’s this?”、”journal”。部誌にヒントがあるのだろうが、”what’s this”というのが変だ。直訳すれば”これは何?”。これ、が指すものが不明確だし、クイズの出し方として”何?”と聞かれてもアバウト過ぎるな」
「ええ。おそらく、犯人は解かれなくても別に構わなかったんだと思います。使われていないPCの中に隠したのも、見られなくても一見問題ないから」
新設設計では無いということか。単にjournalと書くなら、部誌全体の事だろう。しかし、部誌の名前は「Black Box」。フォルダの名前のまんまだ。中身を絞り込むことは難しい。とりあえず新しい順に見ていくことにした。
記憶の中の紙面と見比べて、何か変わっている部分を探した。何かのマークは特に無かった。じゃあ、内容だろうかと思いペラペラめくっていくと、ふと部誌の一番トップ、まえがきのページの右上の端が折れていた跡が残っていた。
「ここに折った痕があるな。このページを見ろということだろうか。ちょうどmikeがblack box testについて書いてあるページだ」
「あ、もうREADME2は解凍してしまいましたから、パスワードは僕に言ってくださいね。それで答え合わせにします」
「じゃあ、とりあえず、”blackboxtest”かな」
「どういう風に書きますか?」
「README.txtのヒント文がおそらく全て半角数字だったから、全て小文字で。パスワードは普通スペースを空けないから、スペース無しで」
「正解です」
え?もう終わりかなのか?
「こんなに簡単なのはあっけなさすぎじゃないか?」
「まぁ、現実はドラマでは無いので。文字通りドラマチックってのはドラマの中なんですよ。README2の中身、見ますか?」
私達はPCの前で二人並んでREADME2.txtをひらいた。
『README2.txt
pass:?? <= “who am I ?”
hint: player 』
“who am I?” 。私は誰?
「安藤君はさっき、一つ目が分かれば二つ目はオマケだ、とか言っていたよね。私にはさっぱりだ」
「あれ?そうですか。じゃあ、僕の推測をお話しますよ。考えるのは、このフォルダの作成者はなぜこんなことをしたのか。このクイズの裏にはメッセージがあるんじゃないかと思います。まず目を引くのはBlack Boxというタイトル。覚えの無いフォルダ、しかも部誌と同じ名前のフォルダがデスクトップに置いてあるわけですから。PCを立ち上げた人はおそらく中を見るでしょう。そして、見るのはおそらく篠崎先輩」
「うん。確認していないデータが残っていたりしたら嫌だからね。確認すると思う」
「そして、Black Boxをたどっていくと、mikeさんのblack box テストに関するまえがきにたどり着きます。本人はポエムなんて言ってましたけどね。会話のログを見てください」
安藤君はmikeとの会話をスマフォで見せてくれた。
「仲が良いんだね」
「ええ。仲良しです。それで、見てほしいのはここです」
安藤君は一部分を指さした。
『
Ando: 目立つのはあとがきとかですけど何か心当たりありませんか?
mike: ああ。懐かしいなぁ冬コミで俺のポエムが炸裂したんだよな
Ando: テストの事かいてますね
mike: ああ。なんだっけ。チューリングテストの事だっけ。
』
「これはちょうどさっきした会話なんですが、僕の「テストの事」で連想するので一番自然なのはBlack Box testのはずじゃないでしょうか。自分のあとがきを思い出した文脈なのに。僕はここに違和感を覚えました」
「どういうことかな」
「つまり、はぐらかしたんじゃないかってことです。」
「...」
mikeが犯人というのが信じられず考えをめぐらせていると、机の逆端にある紙が目に入った。
机の逆端、つまりデスクトップPCが置いてないスペースには名簿とA4のレポート用紙が1枚置いてあり、レポート用紙には部長副部長の一覧が書いてあった。括弧の中のB1,M1は学部1年、修士1年をそれぞれ表している。
『 部長/副部長 (学年)
2015: jeffry(B4)/Reona(B2)
2016:Reona(B3)/Claire(B3)
2017: mashmarrow(B3)/Reona(B4)
2018: Reona(M1)/mike(B2)
』
「これは?」
「あんまり関係ないです。考えをまとめた時の名残ですよ。パッとすぐわかるのは篠崎先輩が頑張りすぎだってことですけど」
「こう見るとちょっと異常だね」
「...」
「何か言ってよ」
「いやまぁ。否定はできないなーと。でも肯定するのもどうかなと思いましてね。」
ちょっと傷つくな...。
「それはさておき。部誌の話に戻りますけど。まえがきには『観測できないものについては語るべきではない』という風に書いてあります。まえがきを執筆した時点でこのクイズを計画していたんでしょう。乱場さんは、ある観測不能な何かを観測可能な形にして、貴方に伝えるつもりだったんじゃないでしょうか。しかもそれは、伝えなくても問題は無いことです。”シュレーディンガーの猫”というのは、ご存じかもしれませんが、要するに『箱を開けてみるまでは中の猫が生きているか死んでいるか分からない、言ってみれば生きている状態と死んでいる状態が両方存在している』ということですから。量子力学的な二重性と掛けていたのかもしれません」
「...」
「以上から、”who am I ?”の答えは”mike”です」
安藤君はPCの元へ行くとパスワードを入力した。
「開きました」
「本当かい!?」
「ええ。ほら」
「本当にmikeだったんだ」
「えーっと、じゃあ、僕ばこれから5コマの授業なので。僕の推測が正しければ、中身を見るのは篠崎先輩だけでいいというか、僕が見るのは無粋ですから」
「ちょっ...」
安藤君は鞄を拾ってさっと部屋を出て行ってしまった。
mikeが、こんなことを?解凍出来たということはパスワードは”mike”で間違いないのだろうけど。
私は、自分が緊張しているのを自覚しながら、”シュレーディンガーの猫”をダブルクリックした。
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