第2話 光の回折

 あの日も僕と先輩は公園の並木の道を二人で歩いていた。

 僕達は計算機研究会というサークルのメンバーだ。プログラミングなどをするサークルだが、とても緩く、定期的な会合などはない。活動は年に一度個人が作ったものを発表し合う行事をすることと、コミュニケーションツールSlockを利用しての雑談がメインとなっている。他に、コミックバザールに合わせて年二回雑誌を作って販売する活動をしている。コミックバザール通称コミバは東京国際見本展示場で年二回開催される大規模な同人誌即売会だ。コミバでは同人漫画やアニメグッズの他に技術系の同人誌もやり取りされている。そこで薄い本を売り買いすることで技術知識を深めたり他のサークルと交流したりするという訳だ。

 今日は先輩に手伝って貰いながらCPUの動作を一般の部品で再現しようとしていた。参考書があるにはあるのだが、その本が古すぎるため記載されている部品が現在販売されておらず、作業が難航していた。

 作業に疲れてきたため、近所の公園にぶらっと散歩に行って休憩しようということになった。

 隣を歩くのは篠崎玲於奈先輩。ハンドルネームはReonaで、計算機研究会の現サークル長だ。現在修士1年で、僕からすれば2個上の先輩ということになる。

 身長は165センチくらいの女性としては長身で、スキニーパンツが良く似合っている。髪型は耳を出したブラウンのマッシュショートで、目元がぱっちりした美人だ。工学部に居て美人さんが実在するというあまりに現実離れした事態に、入部当初は夢でも見ているんじゃないかと思った程だ。現実は小説より奇なり、という事だと思う。

 本来ならばすでに引退しているはずの学年だが、よくサークルに顔を出してくれており僕も何かとお世話になっている。

 現在の副サークル長は学部2年生の乱場達郎さんだ。僕からすれば一個下だが、サークルとしては先輩である。ノリがよくて、僕とは気が合ったため仲良くしてもらっている。2年で幹部というのは珍しいが、現3年生はメンバーがいないため,こうせざるを得なかったらしい。しかも乱場さんは今年は実習系の授業がキツイらしいことに加え、個人開発のアプリも作らなければいけないとかで、ほとんど顔を出していない。その代わりに篠崎先輩がほとんどの事をやってくれている状態だ。本人は問題ないと言っているが、院生は学部生よりも忙しいはずである。頭が上がらない。

 公園をぼんやり歩いてみると、5歳にならないくらいの子供達がシャボン玉を吹いて遊んでいた。

 公園は遊具がどんどん撤去されているはずだけど、シャボン玉液の誤飲は大丈夫なんだろうか。僕が小さい頃すでに飲める甘いシャボン液が発売されていたけど、もうすでにシャボン液は完全に飲める物に置き換わっているのだろうか。となるともうシャボン液は遊べる飲料としての地位を確立していてもおかしくはないな。そんなくだらないことを僕はぼんやり考えていた。

 先輩も気の抜けた顔をしていたが、ポツリと口を開いた。

「見てみなよ。安藤君。木漏れ日というのは美しいね」

 良く晴れた日で、木々の葉っぱの隙間から光が漏れて光の束が降り注いでいるように見えた。僕も何分か前まで綺麗だなと思っていたところだったから、

「そうですね。神様が現れそうな気がします」

と正直に答えたけど、先輩はくすりと笑った。笑うところだっただろうか。

「いや、違うことを考えていたから。足元だよ」

 木々の間をくぐり抜けた光は葉の形をぼやけさせて、地面にまばらな模様を移して出していた。

「影の形がぼんやりしているだろう。光が回折しているからかな」

「高校の授業でやりましたね。ホイヘンスの原理でしたっけ」

「そう。その仲間さ」

 仲間と言ったら本職の人に怒られるんじゃないですか、先輩。

「色んなところから光が反射しているっていうのも理由の一つとしてあるだろうけど、回折現象も起きてるはずだよ。それに、ほら。あのシャボン玉。あの子供たちのやっているシャボン玉は色がグネグネ動いて面白いでしょ。あれは光の干渉現象だよ」

「へー、そうなんですか。知りませんでした。量子力学ってなんだか真面目にやると難しいですし、小説なんかでは哲学的に使われちゃってそんな意味だっけ?ってことが多いですけど。でも、公園にあると面白いですね」

 そういう本でも読んでみようか。

「量子力学的な性質は意外とありふれた日常の中にあって、知っている人だけが謎を解いた気になれるんだろうなって思って」

「量子の話じゃないですけど、川を眺めて『あの位置に渦が出来るのはなんでだろう』っていう話で盛り上がれる人もいるって友達が言ってました。そういう話で盛り上がれる感性と知性って、羨ましいです。」

「うん。凄く分かる。地中海の青の美しさに魅入られた物理学者が光の拡散の研究をしたって話も発見したっていう話もあるし。でもさ。あの子供達の顔を見てみなよ。ほら、あの親子の顔とか。私たちが話しているみたいに世界の仕組みを知る必要など無くとも、幸福な人たちも沢山いるんだ。だから...」

「美しい、と?」

「...変な話をしてしまったね」

 先輩は言うつもりの無いことまで言ってしまった、とでも言うような顔をしていた。

 僕には、先輩が言いたかった事がなんとなく予想できた。きっと、「知らなくても良い人たちが羨ましい」と言おうとしたんだ。

 そういう人もいる。

 そういう人たちには僕の知らないところで幸せになって欲しいな、と思った。

「知る人ぞ知るってのは乙なものです。解かなくても良い謎もある。それでも、解きたくなるのが人間ってものじゃないですか。彼らには彼らの、僕らには僕らの世界の見え方ってのがありますよ」

「うん。そうかもしれないね。よし、じゃあそろそろ戻ろうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る