【祝福】孤独のカンパネラを鳴らせ
ぱん。
目の前のゾンビがくずおれる。
さよなら。
いつかホリィと観た映画がそのまま現実になってしまった。恋人がゾンビになり、ここは教会で、わたしの手には拳銃があった。
教会の扉に閂をかける。俳優ではなくゾンビがあの古い映画みたいに破ってこないことを祈りながら。
思ったより涙は出ない。それどころじゃないんだろう。いつか泣けるようになる日が来るだろうか。それまで生きていられるだろうか。
ステンドグラスの前には肩から上が斜めに崩れたキリストの像がある。きっとここも荒らされた後なのだろう。そうなるとあまり長くは籠城できないかもしれない。
ゾンビが潜んでいる可能性はなさそうだが、助けも期待できない。
目の前のホリィだったものを見つめ、うろ覚えの十字を切る。神よ、どうか彼女の死を冒涜と見間違わないで。
ジャケットの裾が焦げている。いつかホリィに買ってもらったもの。
「あなたの黒い肌によく似合うわ」
いつかのホリィの言葉が耳をかすめていく錯覚。
わたしの命だって、ホリィにもらったようなもので、ホリィに捧げていたというのに。
彼女は命の恩人だった。
ルームメイトで、同棲相手でもあった。
結婚する、予定だった。
嫁、という言葉と、妻、という言葉の違いをホリィに教えてもらおうと思っていた。パートナーとの違い、とか。
日本語がわからなかったわたしを、この日本という混沌で生きていけるようにしてくれたのはホリィなのだ。
そんなホリィにとどめを刺したのは、わたしだ。
にわかに外が騒がしくなる。息を潜めて外の様子を聴く。
どうやら入ってくるつもりはないようだ。車が通り過ぎていく排気の音が鳴る。足音はしない。
ホリィを治す方法はなかったんだろうか。
ただじっと身をかがめながら考えてしまう。
時間だけが無限にあるような錯覚。
なんでわたしはまだ生きていられるんだろう。生きているんだろう。
手元の拳銃で自らを撃ち抜いたっていいのだ。もうここは死ぬまでもなく地獄なんだから。
マッチ売りの少女にでもなったような気分だ。温かい緑茶を飲みながら、シヅコ・カサギのレコードを聴きたい。
遠くで銃声がする。また誰かが誰かを撃たなければならなくなったのだろう。
映画ではゾンビが走っても驚かないような時代になったが、現世に居座っているのは昔ながらの動きがのろくて力が強いタイプだ。
ホリィもそうなった。
ゾンビの活動を止めるためには脳を破壊しなければならない。逆に言えば、脳さえ破壊してしまえば細胞レベルでは動かないということだ。
眼下に広がるホリィのゾンビの死体。葬るためにふれることすらできなくなってしまった。
ポケットにライターが入っていることにふと気づいた。わたしは喫煙者ではないが、何かの時のために拾っておいたのだ。
かち、かち、と火をつけ、そのままホリィだったものに放り投げる。
じわじわと染み出すような炎がホリィの死体を覆っていく。
いやな匂いが、腐臭から焦げ臭さに変わる。
もう一度、十字を切る。
神様。
もう助けてほしいなんてわがままは言いません。
せめて、怒らないでください。
ホリィのようないい子を、叱らないでください。
このまま建物ごと、わたしごと、燃やしてしまうべきだろうか。
それとも目の前で、ホリィだったものの上でちょろちょろと燃えている炎に水をかけるべきだろうか。
映画とかであれば、残された者は生きて欲しいと願われ、喪った者のために生きなければならない、なんて示されがちだけど、わたしは。
一緒に死んで何が悪いんだ。
後を追って何が悪いんだ。
ホリィ以外のゾンビに食い散らかされるぐらいなら。
ホリィはわたしに生きて欲しいと思っているのだろうか。
ゾンビになったホリィはわたしを殺そうとした。
死ぬのが怖くないわけじゃない。
けれど同じくらい、ホリィのいないこの世界で生きていくのが怖い。
今すぐ引き金に手をかけたくなる。
どん、どん。
扉を開けようと、強い力で殴るような音が聞こえてくる。
考え事をしていたら辺りに気を配るのを忘れていたらしい。
人の、たとえばなにか救助をしているというような人間の声は聞こえない。
ゾンビのうめき声が複数。
じきに扉は破られるだろう。
ホリィだったものの上で燃えている炎はちろちろとまだ舌を伸ばしている。
反射的に、拳銃がきちんと動作するかどうか確認してしまう。
そうか。
躰が生きたいって言っているのなら、ひとまず生きてみようか。
死ぬならいつでもできる、か。
ホリィ、もう少しそっちで待っていてほしい。
おびえる足を奮い立たせる。
もう十字は切らない。
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