【蛹】ねむろ
作家、
『脱皮できないまま固まってしまった蛹のような』
おそらく、ねむろ自身のことを書いているのだと思う。
彼女の成長を止めたのは、止めてしまったのは、わたしだ。
事故のようなものだった。
チャンスも実力のうち、なんだろうか。それならばわたしは彼女より優れていた、ということになるのだけど。
わたしとねむろはアイドルの卵だった。彼女の言葉を借りるなら、蛹。有名事務所の研究生であり、もう少しでデビュー、というところだった。
ねむろが怪我をした。
アイドルができない、くらいの。
わたしは彼女の代わりにデビューし、今もこうしてアイドルをやれている。
わたしの、そして本来はねむろがアイドルとしてデビューするはずだった日から数年。唐突に、ある文芸誌にねむろの小説が載った。
『跳ねて割れる、ガラス』。
アイドルの研究生が怪我によって前途を閉ざされるというその内容は、フィクションの体をとってはいるものの自伝的な内容といえた。
ただ、ひとつ大きく違うところがある。
作中の主人公であるハルカは作家になろうとしなかった。ただ凡庸な人生を過ごしたとだけ書かれた主人公がその後どうなったのかはわからない。
あるいは、作家になった自分もまた凡庸、ということだろうか。いや、違う気がする。
ハルカ、という主人公の名前は、わたしの本名なのだ。
それが復讐なのかはわからない。わたしに何か伝えようとしているのかもわからない。ただ、近くにいた人間の名前を使っただけかもしれない。
けれど、結局わたしはそれを読んだ。
ねむろのことは気になっていた。特別に仲が良かったわけではないが、あんなことがあったわけで、意識するなという方が無理だ。
改めてあの頃のねむろについて、ねむろとの思い出について何かなかったか考えてみる。
おそらくイメージとして一番近いのは『元気』だろう。あとは『バカ』。とても後に小説なんか書くようになるとは思えないような子だった。
彼女とは研究生としてそれなりにレッスンやステージをともにした。優等生でありながら歌もダンスも何一つ敵いやしなかったそれらのことは、わたしの脳裏に強くこびりついている。
バカと言ったけど、頭は悪くなかったんだと思う。キャラを作っていたとかではなくて、頭の中にも反射神経の良さがある感じ。
ねむろには特別なカリスマがあった。きっと、あのままアイドルとしてデビューしていたらわたしなんか比じゃないくらい売れていたと思う。
ねむろの小説は売れた。話題になった。元アイドル研究生という肩書きが話題になったのも確かだが、実力で売れたのだと思う。
芥川賞にノミネートした。
その頃になるとむしろ、小説の主人公に名前が使われたとしてわたしの方が週刊誌にあることないこと書かれるようになった。
トウシューズに画鋲、によく似た話まで大まじめに書かれたわけだ。もちろん、まったくそんなことはしていない。
ねむろの研究生時代はどうでしたかと訊かれてええ馬鹿野郎でしたねと返すわけにもいかず、作り笑いがカンストまで育った。アイドルには必要なんだから、別にいいけど。
わたしがねむろに引っ張られていくみたいだった。
事務所からはせっかく名前が知られたんだから本名で活動しないかと言われ、わたしはわたしよりも『ねむろを蹴落としてアイドルになった女』として有名になっていった。
ねむろはメディアに露出しなかった。一切。そのため研究生時代の映像が繰り返し使われ、そのうちそれらの使用も禁止されることになっていった。
『跳ねて割れる、ガラス』は舞台化され、映画化した。
主演はわたしだ。
この因縁はおそらく事務所と制作が仕組んだ話題性優先のものだったが、特にねむろが止めに入ることもなく、わたしが事務所の意向に逆らえるわけもなかった。
わたしはつぶやく。
『脱皮できないまま固まってしまった蛹のような』と。
やがてそれは台詞となり、回るカメラに記録されていく。
音良ねむろ先生は撮影の現場に現れなかった。ただ、直筆のメッセージが関係者に配られ、それは確かにあの頃いっしょにサインを書いたときの字であり、また文章は音良ねむろのものだった。
未だにゴーストではないかという話もある。しかしこのメッセージをもって否定したい。いや、わたしが誰かにどう伝えるということでもないが。
映画はそこそこだった。
わたしは所詮アイドル、とばかにされてしまうような芝居しかできなかったし、演出が冴えているということもなかった。
公開前が一番盛り上がっただろう。
やがてねむろは次回作に取りかかる。
わたしは次の、次の次の仕事をこなしていく。
またどこかで交わるだろうか。わからない。
ハルカがハルカを演じることも、もうないだろう。
わたしもまた、凡庸をたどるのだろうか。
何か一つ、呪いをかけられたような。
そんな気がしている。
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